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抱擁、あるいはライスには塩を

ファイル 174-1.jpg著者 江國香織
出版社 集英社

このタイトルに惹かれるか引くかは・・・きびしいところだが。

まず1982年秋から始まる。その30年ほど昔の日本にあって、兄弟みんな義務教育から高校までは行かないことが基本の家族がいて、ある日突然、学校に行くことが決まったと親から告げられる。
お父さま、お母さまと親を呼ぶところからも察せられる、広い庭や図書室のある裕福な家庭。4人の子供たちの内、一人は父親が、一人は母親が違うらしい。叔父や叔母の同居する家の主は、貿易商の祖父、絹という名前を持ちいつも着物を着て過ごす祖母は、ロシア人だった。

3か月で小学校に行かなくてはならない不幸な日々は終わり、小さな王国のような暮らしがまた始まる。小学校に行ったために、お母さんやお父さんがほかにもいるのは普通じゃないことだと認識することになったのだが。

60年代、70年代、80年代、90年代、時代を行きつ戻りつしながら、家族それぞれの秘密が明かされていく。

1987年夏 の章では、叔父の車に流れている音楽はラズベリーズ、ブロンディ、リッキー・リー・ジョーンズ。十三歳の次女陸子がかなりの読書家であることがわかるシーン、親友について、ハイジにはクララが、スカーレットにはメラニーが、メロスにはセリヌンティウスが、光源氏には頭中将がいる、そして恋人、キャサリンにはヒースクリフが、幸太郎には智恵子が、フィッツジェラルドにはゼルダが、ジェイクにはヘレンが(ジェイクとヘレン?何だ?と思ったらクレイグ・ライス、あの大外れ殺人事件とかのカップルのことなのだった)・・・この羅列。
子供たちは家庭教師について並はずれた教育を受け、大学には行くのが決まりなのだ。そして男は海外に遊学する。遊学して帰ってきた叔父はピンクの髪になってラズベリーズを聞かせているのだが。

百年ぐらい前ならね、という浮世離れした家族、2000年に至って、その根っこのところの、祖父と祖母の出会いにまつわる秘密が、・・・う、わあ・・・!

面白い!

江國滋の膨大な書棚の中で育ったんだなあ。朝吹真理子といい、本に埋もれて、読むこと、書くことが生まれたときから当たり前にそこにあったんだ。

BOOK
comment(0) 2011.03.02 12:15

きことわ

ファイル 172-1.jpg著者 朝吹真理子
出版社 新潮社

さほど長い小説ではない。が、長編王朝小説を読んでいるかのような雰囲気の中で読み進む。
何がそんな風に?貴子と永遠子という年齢差のある少女たちが、貴子の別荘で一緒に遊んで過ごした日々、その時代と、永遠子40歳、貴子33歳、その別荘を処分することになって再会した現在とが、とくに説明なく交錯して進む。
あるいは夢の中のシーンも、投入される。

永遠子の思い出の中、足をくすぐったり、腕をつかんだりして15歳と8歳が遊びながら、腕や足、髪の毛のどちらがどちらだか…となって行くエピソードが、のちの、不意に後ろ髪を…というところにつながって。

この辺で引っかかってしまう人には読みにくいだろう。実のところ、ひところのジャパニーズホラー風に形成されて行ったとしても不思議はないだろう。

この、どこに行きつくともない、詩のようなある種のファンタジーのような小説に、空気や時間の厚みのようなものを感じるのだ。

朝吹登水子という人の翻訳で、かつてサガンの新作が出るごとに読んでいた。その人が大叔母で、ジャン・ジュネの翻訳の朝吹三吉が祖父、父・亮二もフランス文学者で詩人、シャンソンの石井好子さんも大叔母だって。知性・感性の連なり。

朝吹という姓に覚えがない私として読み直す術は無い以上、その予備知識に邪魔
されているかどうかを確かめるべくもない。読みながら、ちょっとしたカルトな部分に川端康成の『抒情歌』という短編を、長編詩のような気配にデュジャルダンの『もう森へなんか行かない』を連想して、それらは昔とても好きな小説たちだったのだから、もともとこういう作品を好きなのは確かだ。

ストーリーがあるのかないのか、というこの小説を、私は大好きですが、??と言う人も多いことでしょう。言わずと知れた、144回芥川賞受賞作。

追記
“芥川賞を受賞して”という作家の文章が新聞に載った。買い物リストを書いたときに、いつもはひらがなで「たまご」と書くところを「卵」と漢字で書いたところから、それが背中合わせの女の子の姿に見えたのだそうだ。

BOOK
comment(0) 2011.02.25 16:36

短歌の友人

ファイル 171-1.jpg

著者 穂村弘
河出文庫

はじめに というところに最初に出てくる短歌
 
 電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、て言って言って言ってよ   東 直子
に始まって、引用されるいろいろな短歌がおもしろくて、しばらく短歌部分だけを目が追いかけてしまった。時折大御所の短歌も引用されるが、おそらく1960年代以降に生まれただろう歌人たちの(多くはおそらく若い時の)歌がたくさん例に挙げられている。
私が書店の詩集や歌集コーナーによく立ち寄っていたのは、例の中に出てくる加藤治郎や萩原裕幸が著者穂村弘とともに短歌ニューウェイブとして紹介されていたころまでだったらしい。ああこんなにも短歌の表現は様々にかたちを変え息づいているのだと、読み手でなかったことを残念に感じる。

そして、この穂村弘の短歌の読み方、分類の仕方、なるほど、これが読むということ、評するということか、と思う。

火の玉のような普通さ という章に、『現代詩手帖』1991年7月号からの引用があり、谷川俊太郎が“普通の人ってのは、要するに『現代詩手帖』なんか全然読まない人ですよね”に始まる発言をしていることが紹介されている。普通の生活をしている人たちの言葉で書きたい、と言っている(もちろん谷川俊太郎は“普通”じゃないだろう)。
で、穂村の言うには、歌人のハートは普通の庶民の十倍庶民なのだそうだ。たとえば俵万智の歌に「普通の人たち」が爆発的に共感した、けれども、平凡さのありがたさ を表現するにはハートの庶民濃度が十倍必要なのだと。そこは詩人と違うらしい。

私は91年ごろまでは時々現代詩手帖を読んだが、そのころはヘンな人だったにせよ、今は普通のヒトである。庶民濃度も普通だ。が、この本を読み終えて、歌詠みのまねごとをしたくなっている・・・ごめん。

atconさまに教えてもらった穂村の著書を探す前に、書店で文庫として目に入ったので、まずこれを読みました。次は彼の最初の詩集「シンジケート」を読んでみたい。

2008年伊藤整文学賞受賞作品。蛇足、上智の英文科卒、どこかの会社のシステムエンジニアとして入社、今はその会社の管理職であるらしい。ずるくない?なんか。

BOOK
comment(2) 2011.02.23 21:00

愛おしい骨

ファイル 169-1.jpg著者 キャロル・オコンネル
創元推理文庫

ホッブズ家の兄弟が少年だった時、天使と呼んだ人が(頭のいかれた老神父)いた。ある日、二人で森へ出かけ、写真の天才だった弟が行方不明になった。

20年の時がたち、家政婦が兄オーレンをその家に呼び戻す、父が危篤ともとれる手紙によって。カリフォルニアの森に面した小さな町、そこでは携帯電話の中継塔が建てられていない。
父は元気だが、弟が少しずつ帰ってきていた。弟の骨が。

小さな街の住人のそれぞれに秘密がある。どこか異常なものがある。ちょっとした言葉、エピソードが、のちに、あー!と気づかされる。アル中の妻を、狂おしいほど愛している弁護士、夢遊病の中で架空の箱を抱えて「うちの子がいなくなってしまったよ」と話しているオーレンの父。

ゴシック小説のような設定でありつつ、狂言回しのように小さな老家政婦が活躍し、幼馴染みのかつての少女は大人になって再会した瞬間にオーレンを蹴っ飛ばし・・・。

ふいに大切な身内を失った時、残された者が感じる罪悪感、その深い痛み。

それぞれのパンドラの箱が開いていく。

読み飛ばすことはできませんよ。むしろフィードバックしながら読むことになりそう。もしも頭の中で地図を描くことができるなら、この町を箱庭に思い描いて住人を住まわせて、映像化しながらじっくり読んでみるのがいいと思います。
『このミステリーがすごい!2011年版』1位。すでにこの欄で紹介している「音もなく少女は」が2位。
この、御伽噺のような街の造型のせいでもあるが、異形の住民たちばかりなのに詩的な美しさが漂うこの小説を、原文で読むだけの能力が欲しかった・・・。

BOOK
comment(1) 2011.02.15 12:34

兄弟

ファイル 168-1.jpg著者 余華
出版社 文藝春秋
訳 泉京鹿

日本語版に寄せた著者後書きより
長い間ずっと、こんな作品を書きたいと考えていました。極端な悲劇と極端な喜劇一緒くたになった作品を。なぜかといえば、この40年余り、我々の生活はまさに極端から極端へと向かうものだったからです。

その言葉以上にこの作品をあらわす表現など思いつかない。
すでにこれは文庫化されているが、私はこの小説が発行された2008年に買ったまま、読みそこなっていた。

文革篇・開放経済篇の上下2冊。
文革篇の初めのうちとんでもないトイレのぞき話が展開される。
この小説に手を伸ばした方、お願いです、耐えてください。少しずつ読み進もうとすると挫折します。時間を作って一気に読んでください。

再婚した二人にそれぞれ連れ子があり、その子供たちの話。片や女便所(中国のトイレ事情のすごさはかつて有名だった、今でも内陸部の貧しい地区はそうなのだろう)の覗きをやろうとしておぼれ死んだ(!)男の息子であり、片や、男の中の男、例えば高倉健の持つイメージそのままの実に望ましい男の、息子である。
文化大革命という言葉のもとに行われた暴虐はすでに様々な映画などで見ている。この余華という作家の作品「活着(生きる)」も、張芸謀監督により映画化されているし、覇王別妃さらば、わが愛(陳凱歌監督)、芙蓉鎮(謝晋監督)などなど。が・・・。
泣き、笑い、また泣き、一晩でこの上巻を読んだ。
下巻は打って変わって開放改革路線の中ですごい勢いで金儲けしていく男あり、一人の美女を得た男のほうは・・・。

中国の遊園地のわけのわからんガンダムとか、無許可の翻訳iブックとか、魚釣島はこっちのもんだ船長とか、そんなに金があるんだったらちったあ自分の国の福祉に頑張らんかいな大金持ち人種とか・・・まあ仕方が無いかと思えてしまうのですね、これが。ほんのちょっと前の世代は、ちょっとやそっとのトラウマで片付けられないような状況に翻弄され、そしてそこを生き延びた人々の、子孫たち。

あの国は何なんだろうと思っている人に一読をお勧めしたい作品です。
反日運動の起こったころまでが描かれているのだけど、しかし超金持ちになった兄弟の片割れ李光頭は、金色のTOTOのウォシュレットを使っているし、反日、抗日ってのはやはりかなりの程度政治的思惑で起こる運動でもあることが見えても来ます。

久しぶりに読み飛ばした感があるが、じっくりなんか読んでられない・・・と思うよ。本国では賛否両論、ゴミ小説とも呼ばれたらしい。

BOOK
comment(2) 2011.02.13 14:30

娚(おとこ)の一生

ファイル 163-1.jpg著者 西 炯子
出版社 小学館 フラワーコミックス

このマンガ家さんが鹿児島出身と聞いて読んでみようと思った。

染色家だった祖母の葬儀のシーンから始まる。大企業に勤めている女性・堂園つぐみが、長い休暇をとって帰郷し、祖母宅で暮らしていたら、入院していた祖母が亡くなったのだ。
そこへ、とぼけた表情の中年もしくは初老の男性が小川で顔を洗うが、メガネをかけたままだったことに気づく、という、なんじゃ?なシーンが続いて。

作者のつぶやきのコーナーに、篤姫の生家のすぐ近くに住んでいた、とあるし、海辺の設定なので指宿線界隈だと思い込んで読んでいたが。とぼけた男・海江田は大学教授で、角島(カドシマ)大学のある市まで新幹線で30分・・・鶴水市、ってそうか出水ね。そのあたりの古い田舎家、男はその祖母から離れの鍵を預かっていたのであって、学生時代、20歳くらい年上の祖母に恋していた。

数年前、50歳は中年か初老か?という疑問を周りの50歳前後の男女に投げかけたところ、大概の男は“中年だ”と主張し、大概の女性は“中年とはいえん、初老か・・・”であったが。まあ30代半ばの有能な企業人である女性の目からは、初老寄りに見えるだろうこの海江田教授が、ええ男やのう・・・こんなんおらんやろ、おらんんなあ、パンいちでうろちょろしててもさあ・・・。
女は、まあ不倫に傷ついてこんな田舎で休暇をとっているわけだが、いるよね、なんか何がよろしくてそういうおとこばっかえらんでるかなあ、そこそこイイ女なのに、って人。そこそこイイ女のくせに無駄に自信がない女。で。

ちらほら遊びが放り込まれていて、小さな書き込み♪京都~大原さん全員~ が一瞬何のことかわからなくて。おーはらさんぜんいん。

鹿児島ゆかりの名字が多く出てくるから、海江田さんという小太りのオジサンを思い出したりしてちょっと邪魔はされるのであるけれど、そしてそんな育ちだったらもっとあからさまに弱い、微妙な屈折が見えるはずや、と思ったりはするが、いいんです、大人の女にはこんな夢の男が。少女マンガに分類されているけど。

「このマンガを読め!2010」で第5位。なお、祖母の家は作家の実際の祖母の家そのままだそう。

BOOK
comment(0) 2010.12.21 09:14

1Q84

ファイル 162-1.jpg著者 村上春樹
出版社 新潮社

すみません。私は村上春樹の良い読者ではなく、たぶん『ノルウェイの森』からこっち読んでいないのであり、無知を許してね、フリークの方。

天吾という男と、青豆という女と、空気さなぎと、ふかえりという少女を中心に進んでいく物語。

たまたまその前に読んだのが、子供のころに深く傷つき、そこからの人生を如何に生きるか?と、いうテーマで描かれたもの続きだった。ブレイブストーリー・疾走・金色の野辺に唄う・・・。それらは、読みながらいくつかのヴァリエーションで着地点が予想できた。

さっぱり予想がつかないのだ、これは。どこに行くのか、どのジャンルに所属するのか、さっぱりわからぬまま引き込まれる。三冊読み終えた今となっては、あれ?やっぱり主人公たちは子供のころのトラウマを抱えて生きていたんだ、と思う始末で。

ジョージ・オーウェルの『1984年』を、しばらく前に読み始め(そっちは挫折したのだが)、それはビッグブラザーと呼ばれる独裁者に支配される(今なら北朝鮮を思い浮かべる)社会だ。それを土台に、近過去の話を書きたい思いがあったそうだ。

まだサリンなど現れるよりもずっと前の設定で、たとえばエホバの証人を思わせる宗教団体や、ヤマギシ会(名前を思い出すのに時間かかった)らしき団体が出てくる。オウム真理教風味でもある。

リトルピープルって?空気さなぎってだから何?

これSFだったの?でもパラレルワールドなんてものじゃないんだと言われてしまうし。青豆が“失われた時を求めて”を読んでいる、するとマドレーヌを差し入れようなどというギャグ?出てくるし。

なるほどこれがいずれノーベル賞をとると言われる小説家の書くものかと思うのであります。面白い。でも着地してない、この物語はまだ。

ねえ、私の感覚だと、少数のファンに激しく支持されるカルトな物語、という感じなのだけれど、でもすごく売れているんだよね、ちょっとそれが不思議な気が。しない?

BOOK
comment(3) 2010.12.08 12:30

金色の野辺に唄う

ファイル 158-1.jpg著者 あさのあつこ
小学館文庫

今頃何をぬかしやがる、と、一瞬湯だったのが二日前の話。久しぶりの店で、今更だけど、と前置きされてオーナーから昔男の言葉が伝わったとき。私事で失礼。

何十年と生きていれば、思い出したくない(傷ついたこと、傷つけてしまったこと)過去が無いわけがない。

92歳で死の床にある女性のモノローグ。その松恵には3人の子があり、娘の一人奈緒子は、父母どちらにも似ていない美女に生れついた。松恵の夫の今はの際の言葉が、“奈緒子は誰の子だ?”だった。

疑いをかけられ、父に受け止められずにそだった奈緒子は、愛を求め続ける恋多き女になる。

大ばあちゃんからひ孫の代まで、そしてひ孫の継母となる女性や、母殺しの罪を犯した男の、そこへ至る背景、など、そのどれかが、読む者にとって、生きてきた道のどこかの傷につながるだろう。

ああ、それにしてもほんとうに、いいお日和です。
とても美しい一日です。
と、終わる物語。
ジャケ買い(という言葉も、レコード時代の死語となったけれど)ならぬタイトル買いした一冊。

BOOK
comment(0) 2010.11.01 12:08

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