台湾人生

台湾人生監督 酒井充子

2008年制作

日清戦争後の1895年から1945年まで日本の植民地だった台湾で、日本語で教育を受け、日本人として育った世代、『日本語世代』の5人の台湾人が語る、その後の人生、日本に対する思い。

たとえば侯孝賢監督の映画『非情城市』『好男好女』などで、日本統治時代の日本から蒋介石の国民党統治へ、その後の2・28事件(台北で闇煙草を売っていた女性を、中華民国の官憲が摘発、銃剣で殴打し、品物、金銭を没収したことをきっかけに、事態が暴動化、中華民国により多くの市民が殺害された)、白色テロと言われる恐怖政治時代(共産党シンパが多かった知識人に対する迫害など)があり、なんと1987年まで戒厳令というものが敷かれていた、という、知識はあった。

それゆえに、台湾のある世代の人の中にいる日本統治時代を懐かしみ、日本製は優秀だと主張する、そんな叔父さんがてくる映画、あれは何だったか。1960年代を舞台とする映画で、とうさん、と父親に呼び掛ける、そこだけ日本語だったり。今に至っても、3.11の東北の大地震の折に、台湾から多くの義捐金が寄せられたなど、親日家が多いことが知られているのだが。

自身が2・28事件で拷問を受けたり、兄弟が殺された人が出てくる。

チャンコロと差別語で呼ばれた経験がありつつも、すぐれた日本人教師に出会い、いい教育を受けた誇りを、ずっと持ち続けている。けれど、自分たちは日本人として教育を受けたのだ、なのに日本政府は自分たちを見捨てた、と、日本に対する相反する感情がある。

ドキュメンタリーで、体験者たちの生の声を聞くのはやはり、格別のものだ。

そして、こういう、台湾のこの時代の人の声を聞く時、いつも思うのは、なぜ韓国とはかくも違うのか、ということである。台湾にいた為政者たちの質が総じて高かったのか?暖かい台湾と寒い朝鮮半島とで為政者たちの態度も変化するのか?或いは、少数民族が多く、一つ山を越えれば言語が変わる台湾にあって、日本語という統一言語ができ、インフラ整備し、文明を持ち込むことが、当時から歓迎される傾向もあったのだろうか?

やっぱり、意識の高い政治家・教育者が多く台湾に渡ったのかなあ。当時、よその国の西洋支配に対し、日本人の誇りを持って開拓にあたった?でもなぜ朝鮮半島では?大陸ではあんなひどいことを、と、ぐるぐる回ってしまうのだが。

マルヤガーデンズシネマで台湾特集。このあと、『あの頃、君を追いかけた』同じく酒井監督『台湾アイデンティティー』『セデック・バレ』と続きます。

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