たちどまって考える
著者 ヤマザキマリ
中公新書ラクレ
「テルマエ・ロマエ」のヤマザキマリさん、イタリア人と結婚してイタリアに家族がいるヤマザキさんの目を通して見るコロナ禍の日本。
江戸末期の日本にペリーと共にやってきた外国人が、「ピュアで客人を快く受け入れ、清貧で家の中に余計なものは無く・・・」といったことを書き残しているそうな。まあ今となっては清貧と言う言葉は雲散霧消したと思うが、よく言えばピュア、はっきり言うと幼い、外国で言うところのナイーブ(世間知らずの、だまされやすい、という意味に使われることが多い)性質はずっと続いているだろう。
で、不要不急の、というどこまでが不要不急だか範囲のはっきりしない言語、自粛を要請する、というトンチンカンな言い方、などが受け入れられる国ニッポン。素直に足並みそろえて従い、なぜ外国人はマスクをしたがらないのだろうと思う。
マスクに対して、イタリア人であればペスト・天然痘などのパンデミックを思い起こされるのだそうだ。ローマ帝国の時代から起こってきた歴史上の疫病を、境域過程で学ぶのだそうだ。で、マスクはそれを思い起こさせる、そのことを嫌がる。
日本では、地震や戦争などによる、形で見える崩壊で無ければ歴史にあまり残らないのだって。
明治維新で突然日本に入ってきた民主主義、自分で判断すること、が、日本には定着していない、日本の民主主義は幼い、と、言われると、なるほど、と思う。上意下達が行き届き、言われたことはちゃんとする、が、それはおかしいのではないか?という声を上げない。上げにくい。マスク警察おじさんが現れて、マスクをしていない人に怒鳴る、ならまだマシ、近頃はウレタンマスクをしている人に食って掛かるオジサンがいるとか。
イタリアには80年代から中国資本が入っていて、コロナ禍の中にあってもあまり中国人差別はおこらなかったらしい。フランスなんかアジア人差別がひどかったと目にするけど。
今、日本ではオレノイウコトヲキカナイヤツハトバス首相がいて、国民主権ということに異を唱える馬鹿が政治の中枢にいて、どこに転がっていく気だか。
で、その人たちを選んだのが日本国民であり。
だから、ほんと、いろいろとたちどまって考えよう。
「令和の昭和感」という表現に嵌りました。 なんかそういう感じ、日頃、感じること…