藍色夏恋

監督 易智言イー・ツーイェン
出演 陳 柏霖チェン・ポーリン 桂綸鎂グイ・ルンメイ

女子高校生のモンは、親友ユエチェンがずっと思いを寄せているシーハオにそのことを伝える。学校の夜のプールで一人で泳いでいる彼に。
ラブレターを渡してほしいと懇願され、渡すのだが、差出人の名前がモンになっていた。
シーハオは、ユエチェンなんていないんだろう、と言う。そしてモンに好意を抱き、アピールする。

この時点で観客の私はもどかしい。自分で言えや!

2001年の台湾のこの高校は、男子と女子が別のクラスで、校内で男女が手をつないだら校則違反であるらしい。校外ではよいのか?

モンも、なんだか変な子だ。シーハオに、自分とキスしたいか?と聞く。たまたまばったり会った体育の先生にも、同じことを聞く。

彼女の行動不審ぶりには理由があった。

台湾の青春映画によくある、と言えばまあそうなのだが、3人の誰かが誰かを好き、その→がずっと一方通行、双方向にならない。

昔この映画をレンタルビデオで見ているはずだし、私の手元にDVDもある。のだが。
今見ると、なんとみずみずしい作品、なんと良き男の子であることよ、シーハオくん!こんな男の子はなかなかいないよ!と、モンに言いたい。
彼女が真正の同性愛者であるのか、この時期特有の、同性に向かう恋愛的感情なのかは、どうなんだろうね。

私はルンメイちゃん(今やチャンではないが)のファンであって、この作品以来、彼女の出る作品にハズレは無いと思っている。が、いやいや、陳 柏霖くんこんなに素敵だったんだ。
なんで気づかなかったかなあ。デビュー当時、第二の金城武、と言う扱いだったからかなあ。その後何人かいるけどね、第二の、は。
日本でもいくつかの映画やCMに出ている。

ユエチェンが、ボールペンのインクが無くなるまで好きな人の名前を書くと、思いが叶う、と、書き続けている。
結局、ゴメン、と振られてからも書いているが、途中でその名前が木村拓哉になる。台湾で日本のドラマがブームだったころだ。
フランス・台湾合作映画。

妻の愛娘の時

監督 張艾嘉(シルビア・チャン)
出演 張艾嘉 田壮壮

老いた母が死んだ。先に亡くなった父は、田舎に前の妻を置いて出稼ぎに来て、そのまま帰ること無く母と結婚したのだ。
娘は父と同じ墓に弔ってやりたいと思う。田舎の墓を近くに移そうと画策する。父の故郷を訪れるが、前の妻や村人によって強硬に抵抗される。

あたりまえだろー!と思うのだよ。そんな勝手なことがあるか。激動の時代の中国だから、田舎の戸籍制度や届け出がちゃんとしたものだったか、あいまいなものだったから離婚という手続き無しに次の結婚に行ってしまったのではないか?前の妻は、半年かそこらの結婚生活のあと、なにがしかの仕送りを受け取りながら一人で家を守ってきたのだ。

そこは中国人の自己主張の強さと言うものなのか、シルビア・チャン演じるこの女性の強さなのか、母親が父と同じ墓に入りたいと遺言を残したと主張して止まない。そしてその娘、亡くなった人の孫娘は、テレビ局勤務であり、お墓の問題をテーマにしている番組でそのことを取り上げることとなる。そのやり方も強引だ。ずかずかと踏み込んでいく無神経な取材ぶり。

あっちの手続きこっちの役所となにかしら書類が不備などで振り回される。役所の男を演じているのが、王志文、かつては身勝手なぼんぼんとか優男の役でお見掛けするものだった人が、普通のおじさんで出ている。女性の夫役が、田壮壮さんだもんね、中国第5世代の監督。李雪健さんがどの人だったかとうとう良くわからなかったけれど、田壮壮監督作品『青い凧』に出ていた役者さん。字幕にあったから注意していたのだが。
第5世代の監督は、俳優の訓練も受けているのだろうか?陳凱歌、張芸謀も俳優として出演した作品があるが、田壮壮も地味な目立たない役だがとても良かった。

マスコミ勤務の孫娘のボーイフレンドはロックバンドをやっていて、演奏する曲、これなんだっけ?よく知ってる曲、と思ったら、香港のロックバンド“ビヨンド”の黄家駒の『海闊天空』なのだった。黄家駒は日本のバラエティ番組に出ていた時に事故死したのだ。転落死。こんないい曲を作っていた人が。

孫娘ばかりかそのボーイフレンドの歌手の男までも、田舎の“おじいちゃんの前妻”の家に入り込んで親しくなっているってなかなか理解を越える状況だ。前妻は子どもがいないまま一人で年を取っていったから、孫のような感覚だったのだろうか。前妻を演じた吴彦姝さんはこの役で最優秀女優賞を獲ったらしい。

終わりに近づくほどにしみじみしてくる佳作でありました。田壮壮お父さんが急に素敵に見えてきて。

ガンジスに還る

http://www.bitters.co.jp/ganges/
監督 シュバシシュ・ブティアニ
出演 アディル・ フセイン ラリット・ベヘル

ある日、父が自分の死期が近いことが分かったと言う。同じ夢を何度も見るのだと。だから、ガンジスのほとりのヒンドゥー教の聖地バラナシに行くと主張する。その決意は固く、息子が付き添って『解脱の家』に行く。そこには最長15日滞在できる、解脱つまり死を迎えるための宿である。
父はそこで周りの人々となじみ、穏やかに解脱に向かおうとしているが、息子は携帯で仕事の連絡をしなければならないし、顧客を失いたくない、帰りたい。

その宿は15日間が期限のはずだが、なぜか夫と共にそこに来たけれど、夫が先に往き、残されたまま何年もそこにいる女性とも知り合う。

うらやましい。死期が自分でわかる、ことがあるとしたら。医療の発達によって寝たきりでも長らえる、この時代に。

親子の、というか父とそのほかの家族の、さまざまな思いのすれ違いやずれ、あるいはずれながら通い合う時。
良い解脱への道でございました。

山中傳奇

http://sanchudenki.com/
監督 胡金銓
出演 石雋 徐楓 張 艾嘉

宋の時代、若い男が、戦いで亡くなった者たちの鎮魂のため、写経を頼まれる。そのための静かな環境を紹介され、はるか山深い城跡へ向かう。途中、幻のように現れてはふっと消える女性の姿。
たどり着いたところで出会った男、そして世話好きなんだか押しつけがましいんだかしつこいばあさん、と、美しい娘出現。

まだビデオテープの時代に、レンタルで観たのだが、まあほぼ何も覚えていない。それは2時間バージョンだったらしいが、この度の上映はデジタル修正完全前兆版だそうだ。

仏教の坊さん、道教の道士、キョンシー・ゾンビ乱れ打ち。それが、武器は鼓やシンバルのような打楽器、その音によって追い詰め苦しめ相戦う。まあドイツには『ブリキの太鼓』って小説、映画もある、声によってガラスが割れたりした、あの作品でも。そう珍しいわけでもないのだが。その音によって、あるいは水辺にたくさんの鳥が遊ぶ景色が現れたり。兼高かおる世界の旅か?
そこの男、学習するってことを知らんのかおい!ぐらいに何度となく引っかかる主人公。
そして、杜子春・竹青・邯鄲の夢、って世界だったか、と思いきや、まだ話は続いた。

うーむ、1979年のアジア世界が求めるもの、これでもか、と詰め込んだか。すんばらしくカルトの極致なお話でございました。

で、キン・フーと言う名前なんだけど、金の字は北京語読みだとジン、広東語だとカム、で、台湾語読みなのかな?

侠女

監督 胡金銓(キン・フー)
出演 徐楓 石雋 白鷹 田豊 喬宏 

2部構成の作品を一つにまとめているので、3時間の長丁場。
聊斎志異の中の作品から映画化。宦官の陰謀で殺された忠臣、その娘による復讐、それを助ける男たちが絡んで、前半はどうにも関係がすっきり理解できない(私個人の問題か)。妖しだか現実の女だかわからない描き方だし。
が、後半はその風景美しくアクションはキレ良く、後年の『グリーンデスティニー』や『ラヴァーズ』などの竹林の中での戦い、その元祖がここにある。
その映像で、1975年のカンヌ国際映画祭で高等技術委員会グランプリに輝いた。

うん、元祖なんだよ。香港や台湾や韓国の武侠映画はこの作品無くしては今のかたちにならなかっただろう、と思われるぐらいの。竹林や林の中での戦いもそうだし、足場の悪い岩がごろごろある場所で、と言うのも。

が、何といってもラストシーンです。見た顔だよな、と思っていた、喬宏(ロイ・チャオ)さんだ、高僧のそのお方が、最終兵器のような刺客との闘いで、だまし討ちにあったその時。前の席の観客がけたたましく笑ったのだよ。それで気づいたのだが、流れる血が・・・ああ言わない方がいいよね、これから見る人がいるかもしれないもんね、言わないけど言いたい!
そして、その刺客が連れていた二人の若い者は、息子と言う設定だったのだけど、一人がサモハンだった。太った方、と呼ばれていても今よりずっと体重が少ない若きサモハン。ユンピョウも出ていたという。痩せてる方はもしや?それとも別の役?

ティエ!と呼びかけるから、ああ二人は息子だったのか、と分かったけれど、字幕には父上!とかあったっけ?錯乱して息子を手にかけた、と観客にわかったのかな?

龍門 客棧  残酷ドラゴン 血斗竜門の宿

監督 胡金銓(キン・フー)
出演 上官霊鳳 石雋 白鷹 苗天

1967年台湾作品。明の時代が舞台である。忠臣の将軍に濡れぎぬを着せて処刑した悪い太監、流刑となった将軍の子どもたちまで亡き者にしようとする。それを阻止せんとする者たち。
それが中国辺境の龍門の宿でチャンチャンバラバラ。

香港で武侠映画を撮っていたキン・フーが、台湾に渡って撮った第一作。お名前だけはよーくうかがっておりました有名な、作品、にしては、何と申しますか、突っ込みどころ満載過ぎてああびっくり。
中華圏の武侠ものに不可欠な男装の女剣士、上官霊鳳さんは割合小柄なのね。むちむちだし。

初期の仮面ライダーとか死神博士とか、何なら月光仮面ぐらいまで遡ってもいいぞ、ぐらいの手作りワイヤーアクション感。いろんなところでうっかり笑ってしまうのでありました。ヘンな気功のところのヘンな音響!とか。

キャストの中に苗天と言う名前があり、それはあの蔡 明亮映画で李康生の父親役とかやっている人のことだよね?年取ってからの姿しか知らないけど、なんとか見つけたい、と思っていた。顔の輪郭から、この人かなあ、と思ったその悪役ナンバー2で当たり。へーえ、でありました。

次の日、前年に香港で撮った『大酔侠』を昔録画したものを観た。ちゃんとした武侠片だ。鄭佩佩さんは現代でも通用するチャーミングな女剣士、同じように京劇風の音響だけれど自然。

おそらく、台湾では全くそういう武侠アクションの素地が無いそういうものを撮るカメラマンもいない、ところから作り上げたんだな、きっと。少なくとも俳優たちはキン・フーが育てた新人だという話だ。

アジアでは流行ったそうですよ、これ。お馬鹿アクション、な、わけではない、けれど、その系統がお好きな方、いかがでしょうか。

僕の帰る場所


監督 藤元明緒
出演 カウン・ミャッ・トゥ ケイン・ミャッ・トゥ アイセ テッ・ミャッ・ナイン

政治情勢が不安だったミャンマーから日本へやってきて、子供たちは日本育ち。けれども、難民申請をしても許可が下りない。不法滞在ということになる。

ドキュメンタリーかと思うほど自然だが、演技経験のない、日本在住のミャンマー人の母子と、日本で暮らしていたことがあるミャンマー人が演じているそうだ。

不法滞在ということで父が入国管理局に拘束される。母は生活の不安で精神的に不安定になり、ミャンマーへ帰国したいと思う。家族の葛藤。
結局、母子3人はミャンマーへ向かう。

ミャンマーで暮らし始めても、兄はその生活に慣れることが難しい。汚い、と。リュックを背に家出する。日本に帰りたい。町をさまよっている途中で、なぜか日本語を話す少年二人と知り合って遊んで、結局家に戻る。
その家出シーンあたりで、佐々木昭一郎と言う、昔NHKの演出家だった人の仕事を思った。ドキュメンタリータッチで、深刻で、どこか詩的。

まあそれにしても、外国人労働者を歓迎するんだってねえ、政策で。日本のお役人は、四角定規に物事を判定して、実情を加味して温情判決、ってなかなかならないようだけど、どうなるもんだろう。

 

エリック・クラプトン 12小節の人生

http://ericclaptonmovie.jp/

監督 リリ・フィニー・ザナック
出演 エリック・クラプトン ジミ・ヘンドリクス ジョージ・ハリスン B・Bキング

ボヘミアン・ラプソディと違って、こちらは実際の映像によるドキュメンタリー。ヤードバーズの映像なんて初めて見ましたよ。

天才というのは、まあその初めから天才なのね。ギターを初めて手にした時から、ものすごい練習量をこともなくこなす力を含めて。
母親が、未婚で産んだ後、祖父母によって育てられ、祖母を母親だと思っていた、という事情は知らなかった。

音楽の道に入ってからの交友関係がすごい。ジミ・ヘンドリクスが亡くなった時には取り残された気持ちでなぜ連れて行ってくれなかった?ぐらいの感情だったみたい。たくさんのミュージシャンの良い音を聞けただけでも良き日でございました。
デレクアンドドミノスの名曲『レイラ』が、ジョージ・ハリスンの妻に横恋慕してできたことは有名だが、うーん、のちのちややこしいことになっていたのね。
それにしてもそこまで薬中、アル中がひどかったのか。あの時代のミュージシャンは、ほとんどみんな手を出していたと思うが。そしてその最悪の時期を除けば、クラプトンは静かな“いいやつ”だったようで、それは嬉しい。

かわいい盛りの息子の転落死という、極度の不幸によって、アルコールや薬物からの回復に向かうことになった事情がすごい。『ティアーズ・イン・ヘヴン』にやはり涙する。

そして、今はアルコールと薬物からの回復のための施設を作ってかかわっている、そのためにギターをオークションに出したシーンも。

『ボヘミアン・ラプソディ』より客席がまばらだった。ああもったいないことでございます。

ゲンボとタシの夢見るブータン

監督 アルム・バッタライ ドロッチャ・ズルボー

幸福な国ブータンの、ドキュメンタリー映画。 みんなスマホを持っているし、フェイスブックでガールフレンドができたりする。 サッカーをやっている。

急激に現代化したブータンの小さな村で、先祖代々引き継いできた寺を息子に継がせたい親、思い悩む息子。 自分を男の子だと認識している娘。 仏教国で、輪廻の教えが浸透しているから、娘の性同一性障害についても、前世は男だったのだろうと、受け止めているらしい親。 親のほうはちゃんとした修行をしないまま寺院を継いだ、ということだったが、それって激動の時代だったから?よくわからないが。

青春真っ只中の16歳の少年に、今の学校をやめて僧院の学校に行く、という決定をするのはそれは難しい。 僧になったら一生独身、ということになるのだ。 父親だって、信仰心が無いのなら行かなくていいと、口では言う。 母親は、英語をちゃんと勉強した方が寺を訪れた外国人観光客に説明ができるから、あと2年は今の学校に行かせた方が、と考えている。

途中ちょっと眠くなりながら見ていたのだけれど、終わったとたん、もう一回この映画を最初から見せてくれ、という気分になってしまった。 観光客に向かって、仮面をつけて説明する父親、その手に“男根!”な形状のものを持って、「神も人も動物も、みんなこれが好きだ」というような話をしているなかなかのシーンからもう一度。

いつか深い穴に落ちるまで

著者 山野辺太郎
出版社 河出書房新社

いやはや。
荒唐無稽にもほどがあるだろ。落語の頭山とかちょっと思い出す。

地球に穴を掘る。なぜ?だって近道だから、地球の裏側に行くのに。
第二次世界大戦の後、運輸省の若手官僚が思いつく。底の無い穴を地球に掘ることを。そして、数十年後に正式決定し、秘密裏に掘り始める。発案者はとうに故人となり、担当は別の若手。ブラジル側からと日本側から。温泉を掘る技術を使って。実際温泉が出てしまって中断することなどありつつ。

えーと、まずその掘り進む経過の土はどこに置くのだろう?時々火山が噴火するよ、地球の内部のマグマは超高温だよ、どうするの?とか、ふっとばしてとにかく地球を下へ下へ掘る。

妙にリアルな、某国要人とディズニーランドで待ち合わせる話とか、サラリーマン社会のいろいろとか、ブラジル側の担当女性との恋心とか。

計画はホラ吹き男爵も負けそうだけれど、それぞれのエピソードや、取り組み方は大変に生真面目でもあり。一体どういう着地を?と気になる。

着地?それがねえ。

この作家、次はどこへ行くのだろう。東大文学部、大学院、という人。文系だよねえ、と言ったって東大だし、地球内部の知識なんかたっぷりあるさ。はああ。
第55回文藝賞受賞。