湾生回家

監督 黄銘正

戦前、台湾で生まれ育った日本人のことを湾生と呼ぶということだ。1895年~1945年の50年間日本の植民地だった台湾には、かつて公務員・駐在員・開拓農民など、たくさんの日本人がいた。湾生は20万人前後いたという。敗戦で、ほとんどは日本に強制送還される。

今や高齢となった湾生たちに取材、6人の湾生たちを中心に、彼らの故郷に対する思いを描いている。

子ども時代を過ごした地で、その頃の友人を探す人は、ほとんどその死を知らされる。台湾人の、原住民の、幼友達の名を呼ぶ。幼いころにはみんな一緒に遊び、差別と言うことを知らなかった。でも、時に生存していて会えた人が、日本人の家にはたくさん食べ物があった、果物の木も多かった、という話が出る。

日本に引き揚げて後、台湾では支配する側であった日本人と台湾の民との間には差別があったことを知る湾生。例えば、女学校にごく少数の台湾人がいたが、それは大変に学業優秀な人だったこと。

混血の人がよくアイデンティティの不安定さを口にする。湾生の人にとっても、自分は日本人だけれど故郷は台湾で、台湾の地で生まれ育ったからこその性格を身にまとっていたり、日本にあっては、なにか自分は他人と違う、という意識を、持ってしまうものらしい。

少しの北京語と、時々の台湾語と、大体は日本語で進んで行くこのドキュメンタリーが、台湾でずいぶんロングランとなったという。

ああまた台湾に行きたい!という気分にさせる作品でした。

 

 

 

この世界の片隅に

監督 片渕須直
声 のん 細谷佳正 尾身美詞

ん?なにかのCMかな?と思ったらもう始まっていた。クレヨン画のような素朴な雰囲気の、いかにも単館上映作品として作られた気配の映像。
ほんわか危なっかしいような女の子がお使いに。

1944年、ほんわか大丈夫かいな、な、雰囲気のまま、18歳で呉へお嫁にいくすず。港にはあの戦艦大和も。

元々のん(能年玲奈)に当ててこの映画を作っだかのよう。ふんわりほんわか、頼り無いようでいて結構ちゃんと工夫して戦時の物の無い大変な時期を乗り切っていくすず。

呉という場所だ。その時代だ。次第に、何に向かって行っているかは、観客にはわかっている。

道に迷って、遊女のリンと出会ったり。小姑に嫌味を言われて禿げができたり。なんだそれは、と思うのが、水兵になった幼馴染水原哲が訪ねてきたとき、納屋に泊め、すずをその部屋に行かせる夫。なんだ?ほんとになんかあってもいいのか?

空襲はひどくなり、小さな命が失われ、すずも負傷し。

昭和20年の8月がやってくる。

戦時を描いている、泣いてしまう、けれど、柔らかい暖かい雰囲気を失わないままの、稀有な作品になっている。

最後に、クラウドファンディングに参加した人々の名前がずっと出てくる。あら私に似た名前、と目について変に嬉しい。

こうの史代の原作も読もう!

 

 

冬冬の夏休み

監督 侯孝賢
出演 王啓光 李淑楨

1984年台湾作品。デジタルリマスター版。
映画館で観たのは初めてだけれど、元々とても好きな作品。

最初のシーンが、中国語の「仰げば尊し」が流れる卒業式。小学校を卒業した冬冬が、妹の婷婷と、おじいちゃんの家に行く。母親が病気で入院しているので、回復するまで、ということで。欧米などと同じ、夏に卒業式。同級生の中には、東京ディズニーランドに行くという子もいる。

一緒に行った叔父さんが途中で一度降りた時に乗り遅れるなどあったけれど、無事おじいちゃんの家に着く。日本家屋の雰囲気の家、医者のおじいちゃん。

駅で知り合った村の子どもと川などで遊びまわる冬冬。幼い女の子の婷婷は仲間に入れてもらえず、男の子たちの服を川に投げ入れる。裸ん坊のお尻を葉っぱで隠して家に走る子どもたち。村には知的障害のある若い女がいて、おかしな服装で歩いている。

台湾なのだけれど、まだ日本統治時代の名残を感じる家でもあり、懐かしい景色。昔はこんな風だった、と思う。なるほど『となりのトトロ』と同じ匂いでもある。

チラッと出てくるお父さん役は、2007年に59歳で亡くなったエドワード・ヤン監督。
終わりのほうに流れる『赤とんぼ』の歌、中国語でもほぼ日本語のものと同じ歌詞です。『仰げば尊し』のほうはだいぶ違うみたいだけどね。

湯を沸かすほどの熱い愛

監督 中野量太
出演 宮沢りえ 杉咲花 オダギリジョー

銭湯を営んでいた家族、の、父がある日、湯気のごとく蒸発し(営業お休み中の貼紙にそのように)、明るい母はパートの仕事で高校生の娘を育てている。
体調を崩した母が病院に行くと、余命2ヶ月を宣告される。

ありがちな話ながら、あり得ない展開。失踪した父を探偵に頼んで探しあてた、ら、小さな娘と二人で住んでいて、娘の母はいなくなっていた。二人を家に連れてきて、銭湯再開。
高校でいじめられていた娘を、言うべきことを言えるように仕向ける。
そして、もっと大事な、ずっと秘密にしてきたことを。

俳優という仕事は体に悪いなあ、と思う。ガン末期の役の宮沢りえが、だんだん痩せていくのがわかる。

タイトルの 湯を沸かすほどの熱い愛 の所以が、最後のあたりでわかるのだけれど、そりゃあね、無理だけどまあそこんとこはファンタジーということで。

もう、ボロ泣きでござんす。
近い身内を癌で亡くした方には、お薦めはできないけどね。

 

 

二人の桃源郷

http://www.kry.co.jp/movie/tougenkyou/
監督 佐々木聡
出演 田中寅夫 田中フサ子

山口放送が25年にわたり、山の中で暮らす夫婦とその家族を追いかけたドキュメンタリー。

山口県の山奥で、戦後まもなく自分たちの手で開墾して米や野菜を作っていた家族。子どもの成長などのため一時は大阪で暮らしたけれど、夫婦共還暦を越えて、また山の暮らしに戻る。電気も水道も通っていない場所。家はあるけれど、寝る時は、古いバスの中。

映画の始まりあたりではまだ70代、見た目は老人だけれどまだまだ力がある。水は湧き水を、燃料は薪を斧で割り、窯でご飯を炊く。
そのあたりでは、私は自分の将来をその姿に重ねていた。親の死後、私は父の育った家・土地の管理をし、自分の食べる分程度の野菜を作っている。ほったらかしておくと草が生える、というぐらいの理由から始めたのだけれど、今では週に2回は別宅(と呼んでいる)に出かけ、体力を使うことが息抜きになっている。

一年一年、老いていく。子どもたちは、そろそろ親を近くに迎えたいと思っている。それでも、やはり山がいいと、不自由になっていく体で山の暮らしを選ぶ夫婦。月に一度、親族が集まるようになる。

おじいさんが病気になる。夫婦で山のふもとの老人ホームに入る。でもやっぱり山で体を動かすのがいいのだ、施設から山に通うようになる。どこからそんな力が出るかと思うが、おばあさんも腰の曲がった体で急な坂を上り、おじいさんが好きなマツタケを探す。
三女夫婦が、両親の世話のため近くに引っ越してくる。

おじいさんの死。
認知症を患うおばあさんは、山でおじいさんはどこかと問う。おじいさーん、と呼ぶ。どこに行ったかねえ、と答える娘。

おばあさんが、床に就いた。娘が童謡を一緒に歌う。おばあさんも小さな声を出す。病室で童謡をかけている。

うちもそうだった。父が先に逝き、時にそれがわかっているようでもあったが、早くに認知症になっていた母は、お父さんは?とよく聞いた。いつも童謡をかけていた。まだ歩いて買い物に行く頃は、何かしら歌いながら歩いた。

高齢者の多い客席で、きっとみんな身につまされていただろう。

不自由ながら豊かな暮らし、良い家族の姿。
ナレーターは吉岡秀隆。

 

私の少女時代

http://maru-movie.com/ourtimes/intro.html
監督 フランキー・チェン陳玉珊
出演 ビビアン・ソン宋芸樺 ダレン・ワン王大陸 ディノ・リー李玉璽

なんだか不器用であるらしく仕事を押し付けられてバタバタしているOLの林真心、昔大ファンだったアンディ・ラウの歌が流れてきて、90年代の高校時代を思い出す。
その頃、好きだった優等生の男の子には美人のガールフレンドがいて、離れて彼の姿を見ているばかり。そこへ不幸の手紙が届いて、誰かに出さないと不幸が訪れる、ってどこでもあったのね、不良の暴れん坊の男の子にも出してしまう。

で、そこからいろいろあって急に女の子がきれいになるとかさ、優等生と不良の間で、とかさ、でもその子が不良になるについては実は…とかさ、好きな男の子の恋を応援したり、とか、ありがち満載なんだけど、そりゃあかっわいい!青春映画。台湾の青春映画は、『あの頃、君を追いかけた』『GF・BF』などほんとにハズレがない。90年代半ばの話だから、台湾の女の子が日本のNon・noを読み、酒井法子や内田有紀の話をしている。

アンディ・ラウ劉徳華がプロデュースしたこの映画、回想シーンが終わって今の生活に戻り、アンディのコンサートのチケットを取ろうとしたら瞬殺売り切れ、そして・・・ゲスト出演のアンディさん、そして、クレジットにジェリー・イェン言承旭の名前があったけどどんな形で?と思ったらああそうなるんですか、そうですか、そりゃびっくり。

不良役の王大陸がとてもいい。そのまま良い俳優になっていい作品を見せて下さい。

あ、好意を寄せる相手に自分のプロフィールを渡す、ってよくあること?渡そうとするその中の、好きな人(当然渡したい相手の子の名が書いてある)という意味の中国語だったら喜歓的人、と書くところを、喜歓の人、と書いてある。ひらがなの“の”は、台湾では結構よく見かけるものなんだって。ちょっとおしゃれになる感じなのかな?

チューリップの誕生日

%e3%83%81%e3%83%a5%e3%82%a6%e3%83%aa%e3%83%83%e3%83%97%e3%81%ae%e8%aa%95%e7%94%9f%e6%97%a5著者 楡井亜木子
ピュアフル文庫

作家の名前もこんな小説もこんな文庫も知らなかった。友人から回ってきたヤングアダルト。

時は1990年バンドブームの頃、ライブハウス「キューリとミカン」に13歳から出入りしていたユーリに、オーナーの三原さんは、バンドをやってみろ、ユーリにはベースが向いてるな、と言う。中三の夏の終わり。
一人ベースの練習を始めて半年、チェルシーというガールズバンドがベースを募集しているから行けと、また三原さんに言われ、高校生にしてベーシスト生活を送ることとなる。

その文章のあちこちに、とても新鮮な表現がある。例えば、軽く小さなふわふわとした洋菓子のような彼の声は、私の耳元までやっと届いたと思うと、力尽きてぽとりと肩の上に落ちた。とか。学生時代にミスのタイトルを二度手にしているという美貌の母親を形容するのに、重箱に入った正月料理のように由緒正しい顔だち とか。「よく覚えとくんだよ。どんな男でも、好きな男は好きな男だよ」と言う、実はみんな高学歴のバンド仲間、エミさんの言葉とか。どうしようもない、という言葉が、波に打ち上げられた海草のようにあたしの頭に放り投げられた。あたしはその海草を拾い上げた。とか。

煙草もお酒も恋人も手にしている、でも高校生でもある。危ういけれどピーンと張った糸のような何かが身内にあると見えるユーリ、そして、周りにいる正しくないけれども汚くならない大人たち。

もしもこれを読んでいいなと思ったら、続編「夜が闇の内に」もどうぞ。ある種のおとぎ話ではあるだろうけれど。そして、そのあと3冊目を読んだら?な感じだったのだけど。私はユーリの2冊はとても好きでした。

あなた、その川を渡らないで

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監督 チン・モヨン

韓国の田舎の村、98歳のおじいさんと89歳のおばあさん、結婚76年目の夫婦。おそろいの韓服を着て、二人で枯葉を掃き集めると、おじいさんがせっかく集めた枯れ葉をおばあさんに向かって投げる、おばあさんも投げ返す。雪が降れば雪玉を投げ、投げ返し、水辺で洗い物をするとまたもおじいさんがおばあさんに水かけ、お返し。なんともチャーミングな、理想の老夫婦の姿。

おそろいの韓服姿なのは、ドキュメンタリーカメラを意識しているのか?と思ったら、普段からおそろいの民族衣装で出かけている姿が、新聞記者の目に留まり、新聞記事になった、そこからネットで広まった、そしてTVでも取り上げられ…という経過で監督が知ったことから、15か月にわたる撮影が始まったという。

おばあさんは14歳で結婚したけれど、幼すぎるのでおじいさんが待ってくれて、17歳になったおばあさんのほうから抱き着いていった、のだって。そういう頃からだからか、いつも手をつないで歩く。

ある日、子どものパジャマを買いに行く二人。ひ孫のためかな?と思ったら、12人子供ができたうち、6人が幼いうちに亡くなった、パジャマを買ってやることもできなかった、今なら買えるから、先にあの世に行った方がその子供たちに渡すために買ったのだった。

段々とおじいさんの咳がひどくなっていく。弱っていく。おばあさんが、きれいな韓服を火にくべる。おじいさんがあっちの世界に行ったあとの服を、そうやってあの世のほうに届けているのだ。

世のすべてのご夫婦に、これを観てほしい。若い独身の人たちにも見てほしい。こんな世界、こんな老い方が、現実にあったんだ。

傷だらけのカミーユ

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文春文庫

「その女アレックス」「悲しみのイレーヌ」に続く身長145cmのカミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズ第三作。時系列に従えば「悲しみのイレーヌ」が第一作だが。
妻イレーヌを失ったカミーユに、恋人ができていた。その女性アンヌが、カミーユへのプレゼントを買いに出かけた先で強盗に襲われ、重傷を負う。
その襲撃事件からたった3日間の、物語。

おそらくこれを手に取る人は、すでにカミーユを知っているだろう。このシリーズの面白さをすでに知っているはずだ。裏切らない。
もしも知らないなら、「悲しみのイレーヌ」から読んでください。でないとカミーユの感情がわからないから。

長編はこれで終わりだって。おそらく警察を辞める気配だし。惜しいことだがまあいい、中編が残っている。

…例えば資産家の御曹司刑事ルイを主人公にしたサイドストーリーとか、だめですか?

シアター・プノンペン

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監督 ソト・クォーリーカー
出演 マー・リネット ディ・サヴェット ソク・ソトゥン

女性監督によるカンボジア映画。
日本の昭和20年代後半~30年代初めあたりの映画にある街の雰囲気。いかにもチンピラな若い男(ピストルを持っている)、夜遊びする女子大生。横暴な父親、病んでいる母親。

ある日、駐輪場として使われている古ぼけた映画館に入りこむ。スクリーンに写る自分によく似た美しい女優は、若いころの母親だった。

映写していた男と知り合い、その男を監督と思う娘。結末の部分が無くなって観られないというその映画を、自分が主役を演じてその部分を完成させたいと願う。

それはポル・ポト率いるクメール・ルージュによってカンボジアが支配される前年に作られた映画だった。そして、1975年から4年間の、映画人、文化人、知識人の粛清を始め、一般人を巻き込んだ暗黒の圧制時代があった。

映画の出来としては、粗い感じがあるのだが。

不覚にも、ラスト近くでうるうる。
踏みつけられた側はもちろん、踏みつけた側にも深く傷を残していることがある。

仇やおろそかにカンボジアに観光旅行になんて行けません、と思った映画。母親役の女優は、現実に1960年代からの女優で、’75年にフランスに亡命、93年に帰国したのだそうだ。