「2046」 「花様年華」

監督 王家衛

2046 出演 トニー・レオン 木村拓哉 チャン・ツィイー コン・リー フェイ・ウォン

「欲望の翼」を観ていて、かつ「花様年華」を観てからじゃないと、煙に巻かれそうな2004年作品。ま、観ていても、現実社会と、梁朝偉演じる作家が描いた小説の中であることを飲み込むのに時間がかかるけど。

昨年天文館シネマパラダイスでのWKW4Kレストア版特集で観なかった2作を、今回ガーデンズシネマで観た。なーんと贅沢なキャスティングであることよ。こんなだったっけ?木村拓哉はこんなに出てたんだっけ?董潔がチラッと、張震がホイッと顔を見せて、何それだけ?タイのアイドルさんとかそういえば出てたんだったと思い出す20年近くも昔のこと。

梁朝偉はホテル暮らしをしている作家。ホテルオーナーの娘が王菲、彼女は日本人木村拓哉と恋愛中、父親にはその交際を反対されている。いいわ、行きましょう、など、日本語の練習?願望?の言葉を一人で発している場面が数回。大反対されて、恋人は日本に帰って行く。

作家には忘れられない恋人がいるらしい。どうやら「花様年華」のストーリーの張曼玉のようだ。2046号室に住む章子怡とはお金を介在させる関係のまま続いているが、彼女のほうは次第に作家への思いを募らせていく。

シンガポールで出会う巩俐といい、旗袍(チャイナドレス)姿の美しいことよ。コン・リーの役名は、花様年華のマギーの役名と同じだったそうだが、それはただの偶然か?カリーナ・ラウが「欲望の翼」と同じルルという名前なのは、同一人物?

で、作家はオーナーの娘に手伝わせながら小説を書き進める。それが劇中劇として描かれ、木村拓哉はそちらでは作家自身の役、というややこしさ。未来SFの形で、列車に乗って、何も変わらない、という場所2046を目指す。そこから帰ってきた者はいない、作家一人を除いて。

ずーっと、想いはすれ違う、ということを描いている監督だが、香港と日本で遠距離恋愛の若い二人はなんとか結婚したようで、お幸せでお過ごしを祈りたい。

花様年華

2000年作品。隣り合わせた部屋に、同じ日に引っ越してきた夫婦二組。

次第に、互いの連れ合い同志が、不倫関係にあることを感じる。傷つき、互いを慰めあうような空気が漂い、次第に色濃くなっていく。肉体的には何も無いまま。

一言で言うならそれだけの話なのだ。人目を避けるため、ホテルの部屋を借りる。片側が深紅のカーテンで覆われたホテルの廊下、深紅のコートでそこに立つマギー。こんな色合わせをほかの誰が・・・あ、鈴木清順なら!などと思って。そうしたら、最後、曲名が流れたらそこに『夢二のテーマ』って。鈴木清順監督作品の「夢二」は観ていないので、気づかなかった。昔見た時も、たぶん気づかなかったのだろう。鈴木清順監督作品へのオマージュと受け止めよう。

マギーや、アパートオーナーの着ているチャイナドレスがまことに美しい。なんと、アートディレクター張淑平の母上が、60年代に着ていたものをリメイクしたんだって。中の上クラスの生活と思われ、それでも60年代香港の住環境はこんな感じなのか。

プラトニックなまま、一緒に、という誘いにもすれ違うまま、時が過ぎ、シンガポールで仕事についている彼の部屋に、赤い口紅がついた煙草の吸殻が。最後も、子連れになっている女が昔のアパートを借りる、そこでもすれ違う男と女。カンボジアのアンコールワットを訪れている男は、壁の穴に向かって何かをささやく。

・・・こんなお話ですが、王家衛作品の中でも「ブエノスアイレス」と並ぶ名作だと、改めて感じました。毎度のことながら、ストーリーを追いたい人には向かない王家衛。匂い、色彩、音、頭ではなく五感に届くなにか。あ、花様的年華という流行歌があったんだね。

 

カンフースタントマン 龍虎武師

映画『カンフースタントマン 龍虎武師』公式サイト (kungfu-stuntman.com)

監督 魏君子

出演 サモハン ユエン・ウーピン ドニー・イェン ユン・ワー チン・カーロッ アンドリュー・ラウ エリック・ツァン トン・ワイ ウー・スーユエン

70年代~80年代の香港カンフー映画全盛期のスタントマンたちの記録と、現在の彼らの言葉で綴られる。

そこそこ香港アクションシーンのことをわかっているつもりだった私をお許しください、ぐらいにとんでもなかった。今となってはあり得ない、許されない撮影風景。子供の頃から京劇の訓練をした人たちがまずカンフーアクションの世界に入ってきたことは、「七小福」など観た者は知っている。あの過酷な訓練を経てきたからこそ、とは、知っている。その先が・・・。

サモハンが北京語を流暢にしゃべることに驚いてしまったよ。そしてサモハンはスタントにおいてそんなに偉大な存在なんだね。誰がどのくらいまでできるか分かっているから、指示する、それにNOと言ったら次からは声がかからない。高ーいビルからガラスを突き破ってスケートリンクに落ちるとか。氷のスケートリンクだよ、でかいスポンジとか置いてないんだよ。タタミという言葉が広東語の中で使われていた、受け身のマットとして使われていたようだが、そういうものを使える状況とそうでないものが、あるのだー!

70年代、香港は貧しかったのだ。そしてその頃スタントマンの稼ぎは凄かったらしい。あのブルース・リーの時代、稼いでは博打で使い尽くしていたらしい皆様。そしてブルース・リー急死。数年のブランク、そしてジャッキー・チェンの時代。サモハンは初めてアクション指導をしたのが18歳と言ったと思う。スタントマンから俳優の道へ行く人、アクション指導の道へ行く人、そういう道を切り開けるなら良いけれど、スタントだけしかない人にはその時間は短い。あらゆる骨折をしながらも無事に年を取っている人が残り、車椅子生活になったり、運が悪ければ命を失ったりという人々が累々といて香港アクションを支えてきたということで。

仇やおろそかに、生身の人間が動く香港アクションは(ハリウッドのCGを駆使したものと比べて)面白い、凄いと、口にしちゃいけなかった。

そして、今の香港は大陸の資本無しには映画を作れない。大陸には少林寺があるから、スタントがやれる人間を見つけることは難しくない、でもスターはいない、らしい。需要の少なくなった香港でもスタントマン養成をやっているシーンがあった。大学を出て務めていたけれど、映画に魅力を感じて訓練を受けている女性がいて、なんとか頑張ってほしいと思う。保険とか保障とかそういう仕組みはちゃんと整えてくださいませ。

天文館シネマパラダイスのお兄さんが着ていた、映画スタッフ名がたくさん白抜きになっていた黒Tシャツ、ちょっとうらやましかった。

 

一汁一菜でよいという提案

著者 土井善晴

新潮文庫

年末、空港にいた。飛行機が延着、暇な時間にこの本を買った。土井さんの料理番組でその提案については聞き及んでいたので、興味はあったのだ。機内で音楽を聴きながら読むには良い選択だった。

揚げやベーコン、肉類などと野菜を火が通りやすいサイズに刻み、野菜は手でちぎってもよく、煮干しや干しエビをそのまま入れてもよく、それらをまずお椀に入れるのが分量、水もお椀に一杯、小鍋に入れて煮る。味噌を溶く。具だくさんの味噌汁はしばらく煮込む。以上。それにお漬物があってご飯。格別お出しを取らなくてもよい。

年末年始をハレの日の御馳走三昧で過ごした。だから帰宅後はケの一汁一菜実験がぴったりだった。里芋は手で軽くつぶすと味噌汁になじむ、とか、仰せの通りにしてみた。なるほど。

数日後、葉っぱが何も無いし、ベーコンも使い切ったし、買い物した。夕飯の支度にひき肉を出した。わあ、肉だ、と思ったわが身にびっくり。3品目が年末に買っておいたアボカドのわさび醤油だったり、別にそんな地味感はなかったのに。

どうせ外食もするし、頂き物のお菓子があったりするし、そんなに地味に生活している感は無いだろう。基本はこれでよいと思うと気楽、次第に出汁を取らなくてもおいしいお味噌汁になりましたよ。今年は基本これを心がける所存であります。

えーえんとくちから

著者 笹井宏之

ちくま文庫

Eテレの『理想的本箱 君だけのブックガイド』という10代向けの番組で見かけて、そのみずみずしい言葉たちに打たれた。26歳で亡くなった若い歌人の短歌集。

タイトルは えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力をください という短歌より。

この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい

「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい

野菜売るおばさんが「意味いらんかねえ、いらんよねえ」と畑へ帰る

どうしても声のかわりに鹿が出る あぶないっていうだけであぶない

祝祭のしずかなおわり ひとはみな脆いうつわであるということ

ランダムに開いたページから。声に出して読みたい、人の声で読まれたものを聞きたい、誰か朗読劇にしてくれないか、と思ったら、とっくに(2011年)オーディオドラマや舞台劇になっていたのだった。

重度の身体表現性障害 と言う病名で長く療養生活だったという。それ、症状の名前であって病名ではないんじゃないの?と思うが原因のはっきりしない難病だったということか。インフルエンザによる心臓麻痺で夭折と。

土を喰らう十二ヵ月

監督 中江裕司

出演 沢田研二 松たか子

長野の山荘で、愛犬さんしょと共に暮らす作家、ツトム。十三年前に妻は亡くなり、その遺骨はまだ墓に収めないままである。時折、編集者で恋人の真知子が訪ねてくる。山の恵みや畑の作物で作る料理を、真知子と一緒に食べることが格別の喜びである。

雪降り積もる中、茅葺きの家に真知子がやってきて、囲炉裏にあたっている。私の小さい頃、まだ祖父母の家は茅葺きで囲炉裏があった。囲炉裏って、体の前側は暑くなるが背中は寒かった、と思う。そんなんで暖まるか?とか、60代の男と言う設定のツトムがランプの明かりで原稿を書くのか?とか、まああちこち疑問符は湧くが。ともかく、ツトムの作る素朴な食べ物がまことに美味しそうで、午前11時20分からの回を観ている私はお腹が空いてくる。畑で育てた大根や芋、山のキノコや実などで、少年のころ寺に預けられたツトムが身に着けた精進料理の手法で作る。皮がついたままの里芋を囲炉裏の炭火で焼く。皮がおいしいのだと言う。真知子がまたそれをうまそうに食べるのだ。料理は料理研究家の土井善晴さんが手がけたもの。映画のためにスタッフが畑を作って作物を育てたという話だ。

時代設定は昭和だろうけれど、あちこちファンタジーな気配。奈良岡朋子演じる頑固な義母が亡くなったあと、義弟夫婦がお通夜の場所をツトムの家に、と押し付けてくる、遺影のサイズを写真屋にまかせたら、巨大なものができてくる、通夜振る舞いも読経もすべて、ツトムの役割となる、など。お葬式はどうしたんだろうね。

あいよ、という返事と共に通夜客のためのごま豆腐作りやミョウガ入りのおにぎりやいろいろと手伝う真知子。その後、ツトムは自分のための骨壺を焼くことになる。焼きあがった窯に入るツトムに声をかける真知子。窯の中で倒れているツトム。

九死に一生を得たツトム。そして。

私はほとんど雪が降らない地で、畑の真似事をやっているし、そこには父が趣味で焼き物を焼いていた窯がまだ残っている。灯油窯だけど。だから、あの地で、心筋梗塞だったか何かで倒れた男が一人で今まで通りに暮らすのは、どうなのよ、と思うし。真知子さん、ねえ。まあ、いろいろファンタジーと受け止めよう。

今の沢田研二、をイメージして脚本を書いたのかなあ、と思うほどの、はまり役だと思う。ちゃんとじいさんになっているからできる役。

最後に流れるジュリー沢田研二の歌声が艶やかで、泣きそうになる。

帰りに水上勉の原作『土を喰らう日々』新潮文庫を買いました。

 

ゆうじょこう

著者 村田喜代子

新潮文庫

明治36年、鹿児島の硫黄島から熊本の遊郭・東雲楼に売られてきた15歳の少女イチ。やってきた娘はまず、肥えた男から股を割られ、性器を入れられ、10数えて引き抜かれ、評価される。

それぞれに新しい名前を 与えられ、寝床における性技を始め、女紅場と呼ばれる娼妓の学校で修身・読書・習字・作文・活け花・裁縫を習う。

小鹿という源氏名を与えられたイチは、鹿児島弁をしゃべる。「こけー、けー」はここへ来い、「こー、けー」は飯をこの茶碗によそってくれと言う意味。けー は来いと言う意味のほか、食えと言う意味にもなる。九州でも熊本と鹿児島では方言はだいぶ違う。で、私が小学校6年で転校した薩摩半島の南端ぐらいの小学校の校歌に、硫黄島 と言う歌詞が出てきたのだが、開聞岳のどっち側のどのあたりに目を向けるとそれが見えたのか、知らないまま卒業したなあ。地続きのその南端の地区でも、鹿児島市の方言とはずいぶんと違った。島だと、もっと違うんじゃないか、と鹿児島育ちならではの疑問がよぎる。まあ、薩摩硫黄島出身の知り合いはいないので確かめようがないのだが。

経血を自力で止める方法を習うシーンがあるのだが、それはまことでござりましょうか?

天は人の上に人を造らず と説いたはずの福沢諭吉が、芸妓などについては人外としてさげすむ文章を書いていることに、女紅場の教師、鐵子さんは激しく欺瞞を覚える。士族に生まれながらこの世界に入ることとなった鐵子さんであった。

がんばって人より働いて、体を壊して亡くなる女、親に転売され、よその廓に移る女、花魁なのに子を宿して、稼業をやめる道を選ぶ女。そうは言っても、東雲楼は環境の良い方なのだろうと察せられる。

16の春、イチはほかの女郎たちと脱走、小舟で海へ出る。薩摩の女3人は済州島を目指す、海女になるために。

福岡生まれの作家による、骨太な九州女たちの物語。表紙が、ゆうじょこう と言うひらがなのタイトルに対して、なんだ?と思われたが、読み終わるとまあ合わないでもない気がする。

眠れる美男

著者 李昂

訳 藤井省三

出版社 文芸春秋社

川端康成の『眠れる美女』は、性的機能を失った老人男性のための秘密くらぶがあり、薬で眠らされた若い女性に添い寝する、という話だった。若かった私にとって、手元に置きたい小説ではなかった。

で、こちらはその川端康成作品を意識して、女性側が若い男性に対して思いを募らせ、という、台湾の女性作家による小説。

川端作品がある種幻想的な、デカダンスと言う言葉であらわされる状況なのに対し、若い男になんとも切実に恋心を抱き、肉体を切望する、50代更年期の、教養あるお金持ちの台湾女性。

女性作家が、フィットネスジムの更衣室のロッカーに残された携帯電話を見つけた、そこにはその作家宛ての言葉、男女二人のLINE、長文が残されていた、と言う設定。

ジムのトレーナーは、鍛えた肉体を持つ若い美男子、台湾の少数民族の血を引く男。外交官だった夫はバツ1で、彼女が40歳間近で出会い、家柄、教養など釣り合いの取れたカップルとして、格別に熱愛があったわけではないがすぐに一緒になった。夫やそれ以前の恋人たちとまるで違う若い肉体を持つ男に惹かれるが、男には嫉妬深い婚約者がいることも知っている。

しれっとチャタレー夫人の方向に進むわけではない。一人想う心と焦がれる肉体のご婦人である。台湾はアジアで初めて同性間の結婚が認められた国だが、実際、映画などで同性愛者が出てくることが多い。で、日本で言うところのタチであるマニッシュな女性と知り合い、性具によって快感を与えられる場面があったり、上海ではビジネスで出会った男と、オプションでこんなことも、とでも言うようなセックスをしたり。オプションの分は金を取るくせに、お母さんとセックスするようだ、なんぞと文句垂れる男。銭が介在するならサービスするもんじゃないんかい。

そもそも途中で横書きのラインのやり取りが挟まれている、各章のタイトルのページ下に、小さな文字で横書きの文章がある、型を外した形であるのだが。このような内容にしては訳文が格調高い、ような気がしたそばから日本語がどうもおかしい。内容自体が、川端康成へのオマージュとして、レイプドラッグらしきものを男に与えて眠らせる(そりゃ犯罪だ)、妙な設定なのだが。男性の訳だからか?女性の翻訳の方が良かったのか?だけどこの翻訳者、藤井省三さんは名を知られた人で・・・と思ったら、元々の中国語の文章が、本来の文法を外したまことに翻訳しにくいものであったらしい。訳者の解説に縷々と。

アンバランスさは狙いなんでしょうねえ。中華圏の古典が引用され、最近の流行り言葉が使われ。なーんだか梯子を外されるみたいな読後。

高齢女性(いや、この小説ではまだ更年期女性だ)の性を描くことがちょっと流行りなのかな。でもね、そこ言うなら、我が日本には『源氏物語』ってものがありますね、源典侍なる色好みの年増女官が出てきますよね。年増ったってその時代の事だから40歳に届くか届かないかぐらいのところかと思っていたら、Wikipediaによりますと初登場ですでに50代後半、最終的に70歳前後、だそうで、ちょっとした誘いにもすーぐ乗っちゃうぞと言う姿勢のままでしたよね。

なので、上野千鶴子サンが帯で推薦しているけど、そこまで新しいことも無いかも、と私は思ふ。

細い目

監督 ヤスミン・アフマド

出演 シャリファ・アマニ ン・チューセン

金城武が香港の映画スターとして認識されていた頃、と言うのは1995年頃から2000年頃か。その金城武のファンのマレー系少女オーキッドが、露店で香港映画VCDを売る華人少年ジェイソンと出会う。互いに一目惚れ。そこでオーキッドが買うVCDは『報告班長』だったが、これは台湾アイドルとして出演している台湾映画。オーキッドは『天使の涙』が大好きで、まだ『恋する惑星』は持っていなかった。追いかけてきて、『恋する惑星』VCDを渡すジェイソン。日本ではビデオテープだったけれど、中華圏ではVideoCD、荒い画面の海賊版が多かった。

デートするようになり、クローゼットの裏にたくさん貼っていた金城武のポスターや切り抜き(日本の雑誌からの物が多くて、私もだいたい目にしたことがあった)を外し、二人で撮った写真に替えるオーキッド。

マレーシアという多民族多言語の国の話は、日本人からすると驚きが多い。オーキッドとジェイソンは基本的に英語で会話する。中華系でも広東語圏の人が多いマレーシアだが、ジェイソンが声に出して読んでいるのが北京語、それは、インド人の詩人の詩を翻訳したものだった。それぞれの言語を、日常会話レベルなら聞き取ることはできるだろう。プラナカンと言う言葉があり、数世紀にわたって移住してきた中華系の移民の末裔を指すそうだ。そしてその多くは福建省からの移民だとかで、福建語も使われている。

本来の住人であるマレー人の方が、移民よりも恵まれた生活をしているようだ。民族、宗教以外に生活格差の問題もあり、異民族の交際や結婚には障害が多い。オーキッドの家は、お手伝いさんと母親が友達のように接している珍しい家庭であり、かなり理解があるのだが。

そのお母さんとお手伝いさんが、周潤發の『上海灘』のテーマ曲を歌ったり、香港映画好きにはなかなか楽しいシーンいくつか。

ロミオとジュリエット、ウエストサイドストーリー、日本では泥だらけの純情、まあその系列のお話じゃないか、と思うか、それはそうなんだけど、と思うか、分かれるだろうな。

2009年7月25日に急逝したマレーシアのヤスミン・アフマド監督、母方の祖母は日本人だと言う。『タレンタイム 優しい歌』の次回作としてその祖母をモデルとした企画があったそうだ。惜しいことだ。

 

こちらあみ子

著者 今村夏子

ちくま文庫

ヘンな女の子、あみ子のお話。これが、アルバイト先で明日休んでくださいと言われ、突然、小説を書いてみようと思いつき、思いつくままに書き始めた、半年後に出来上がったって…。

そのヘンさが、誰にも似ていない。巻末で穂村弘が書いているように、『長靴下のピッピ』に似ていなくもないが、ピッピにあった怪力などあみ子には無いし。自閉スペクトラム症と言われるような発達障害があるのだろうが。本人は何も困っていないようだし。まあ、家族やクラスメートにとっては困ることが多いのだろうが。良かれと思って行動したことが母の心を傷つけ、一途な思いがのり君には迷惑で、好きじゃと言ったら殴られて前歯を3本失ってしまう。なんだか隣の席にはあみ子に風呂入れ、食べろ、とちゃんと言ってくれる男の子がいるのだが、一途なあみ子にはその子の名前も記憶に残らない。ほかからは奇行に見えることもあみ子にはちゃんと理由がある。

良かれと思ってのことや一途な思いが、人を傷つけ迷惑になることは、格別障碍の無い普通の人々(だと思っている)の中でもいくらも起こる。私たちはそのことによって自らも傷ついてその記憶が残る。が、あみ子にはそんな昔の記憶など無い。いっそすがすがしくも見えてくる。

この文庫に収められている『ピクニック』も『チズさん』も、ちょっと乾いていて切なくて、とても佳い。解説で町田康が書いているように、名作だと私も思う。だからこれが、アルバイトしながらでも短い小説なら二週間ぐらいで書けるのではないかと書き始めた、なんて。なんて。映画化されてる。いつか観たい。

161回芥川賞受賞作『むらさきのスカートの女』も、必ず読もう。

 

天使の涙

監督 王家衛

出演 黎明レオン・ライ 李嘉欣ミシェール・リー 金城武 楊 采妮チャーリー・ヤン

原題『堕落天使』。WKW特集第二弾。スクリーンで観るのは初めてだが、四半世紀前、私はこの映画で王家衛に落ちたのだった。しっかし大画面で観るとあの部屋汚い!そりゃ雑巾がけするわ。

何度もTVサイズでは観ているのに、こんなに頓狂なキャラクターたちだったか、と思う。殺し屋レオン・ライは周潤發ばりに二丁拳銃ぶっ放し、失恋女チャーリー・ヤンは「恋する惑星」のモウの鏡写しのようなことをやってる、「恋する惑星」ではブリジット・リンがクールな金髪だったが、ここでの金髪女カレン・モクは手のつけようもないようなハイテンション、クールな美女エージェントの李嘉欣は一人ベッドであれだもんなあ(どれだよ)。そしてクリストファー・ドイルの手持ちカメラ大暴れ。使われていない時間の店をこじ開けて勝手に営業する、口のきけない金城武が、豚さんにマッサージする場面はチャーミングでかつての私のお気に入りシーンだったのだが、王家衛・クリスのスタイルに慣れて(たぶんね)好き勝手に動いている。台湾出身と言う設定で、心の声は彼だけ北京語。父親役は広東語だが、確かチョンキンマンションの実際の管理人だかなんだかだったはず、寿司屋の日本人も本物をその役に当てたのだろう。

想いのすれ違い、孤独が浮かび上がるのは王家衛作品はいつものことだ。

みんな若い。1995年の俳優たち、私が知った頃の彼ら。「恋する惑星」は初め3部作の予定だった、3番目の話を独立した作品として制作したそうだ。3部作だったら金城武ではない誰かが演じる別の話になっただろう。そもそも「楽園の瑕」の製作が遅々として進まなくて途中で別の映画を作ったんだし。「楽園の瑕」のキャストが暇になったので別の監督で作られた「大英雄」という脱力映画もある。

音楽が良い!この映画、映像と音楽が、同時進行で生まれたかのようだ。初めの方でタタッタタン で切れるフレーズがあんなに何度も使われたんだっけ、と思うのは、ちゃんとつながってるサントラを繰り返し聞いたせいか。