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【元記事】「原子力ムラ」の良心が動き出した? 新安全評価基軸の導入を! 信頼回復に向けた小さな一歩となるか

2015年09月08日(火) 町田 徹
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45163

「原子力界のスーパーマリオ」に学べ

東京電力福島第一原発事故で失われた原子力発電に対する社会的な信頼をどうやって回復するのか――。

その具体的な手段として官民が改めて取り組んでいるのが、システムや行為の安全性(あるいはリスク)を数量化して評価・分析する「確率論的リスク評価」(Probabilistic Risk Assessment、PRA)の普及だ。

PRAは、すでに欧米を中心に食品、薬品、消費財などの分野で幅広く使われている。日本でも原子力規制庁が新規制基準の一部で採用したほか、経済産業省の審議会も電力会社経営陣にリスク管理やステークホルダーとのリスクコミュニケーションの手段として活用する提言をまとめた。

しかし、日本では、過去にPRAが根付かなかった失敗の歴史がある。当時明らかになった課題の克服は容易なことではない。

電力中央研究所が今度こそPRAを根付かせようと設立した原子力リスク研究センター(NRRC)が9月2日に都内で開催したシンポジウムで飛び出した議論を踏まえながら、PRAに対する期待と現状、課題について紹介してみたい。

シンポジウムを取材したところ、国会を取り巻く反原発派のデモに動員人数では遠く及ばないものの、真剣に原発の信頼回復を目指すPRA推進派の意気込みと熱気はなかなかのものだった。

「電力の鬼」と呼ばれる松永安左エ門が、戦後まもなく創設した電力中央研究所が、昨年10月に新たな研究開発施設としてNRRCを設立した狙いは、PRAの手法の開発やその利用と普及を通じて、原発への社会的信頼の回復を目指すことだったという。

原発事故は滅多に起きないとされるものの、ひとたび発生すれば大事故に繋がりかねない。そのため、事故リスクの科学的な解明と、恒常的に事故リスクを減らしていく努力が欠かせないのである。

そこで、電中研は思い切ってNRRC所長に海外から経験豊富な大物を招聘した。マサチューセッツ工科大学名誉教授のジョージ・アポストラキス博士だ。同博士は、米原子力規制委員会(NRC)委員や、NRCの原子炉安全諮問委員会(ACRS)委員、同委員長などを歴任してきた。

現在は年5、6回、1回あたり2週間程度の日程で来日。電中研やNRRCのスタッフたちが驚くほど電子メールでのやり取りも頻繁で、決して“お飾り”所長ではないらしい。

余談だが、スタッフたちは 密かにアポストラキス所長を“スーパー・マリオ”と呼んでいる。精力的な活動ぶりと、口ひげをたくわえた容豹が、ゲームのキャラクターと似ているからだ。

満席となった「原発シンポジウム」

9月2日に開かれたシンポジウムは、電力会社や原発メーカーの社員だけでなく、中央省庁の官僚、地方公務員、シンクタンク、NGO、マスコミなどの関係者で溢れていた。

当初、250人の参加を想定して東京大学武田ホールで開催する予定だったが、聴講希望者が殺到したため、急きょ500人を収容できる東京・大手町の産経プラザホールに変更。それでもほぼ満席と言う盛況ぶりだった。

日本のシンポジウムでは、パネルセッションや講演が終わって会場から質問を募る段になると、聴衆が黙り込んでしまうケースが珍しくない。が、このシンポジウムは違った。パネリストだけでなく、会場からも失敗を繰り返さない覚悟についての発言が相次いだのだ。

「原発村」と言うと、すっかり悪者イメージが定着してしまった感がある。しかし、それほど悪者ばかりでもない。福島第一原発事故を見て、子や孫の時代に再び大きな事故が起きないか、なんとなく不安という多くの人々に、きちんと科学的な説明をして信頼を得たいという者も少なくないようだ。

では、原発の信頼性を高めるためのPRAとはいったい何なのだろうか。冒頭で、一般にPRAとは、システムや行為の安全性(リスク)を数量化して評価・分析するものだと書いた。

単純な例を提示しよう。例えば、全日本交通安全協会によると、昨年1年間の交通事故の死亡者数は4113人だ。一方、昨年10月1日の日本の総人口は1億2708万3千人である。そこで、交通事故で1年間に死ぬ確率、つまりPRA流に言うリスクは、0.0032%ということになる。

0.0032%というのは、リスクとしてかなり小さい。しかも、交通事故死者数は14年連続で減っている。しかし、決してゼロではない。0.0032%のリスクが残っており、このリスクを「残留リスク」と言う。

原発関係者の間では、PRAを活用し、あらゆる原発事故を類型化、それぞれの残留リスクの計算手法を確立する試みが進められている。これを羅針盤に安全対策を一段と強化して、社会的な信頼回復に繋げようというのだ。

経営トップが 嫌がっている!?

すでに、原子力規制庁は一部でPRAの考え方を取り入れている。新規制基準の炉心関連部分などに導入し、残留リスクを許容できるほど小さくすることで、再稼働に必要な要件の1つである原発の耐震強度の確保に役立てようとしたのである。

ところが、新規制基準の適合性審査では、規制庁が提出された残留リスクの根拠を質したところ、「アメリカのデータを孫引きしたのでわからない」と答えて、審査を止められた電力会社もあったという。

一方、昨年5月、経済産業省「総合資源エネルギー調査会」の「電力・ガス事業分科会原子力小委員会」のワーキンググループは「原子力の自主的・継続的な安全性向上に向けた提言」をまとめ、電力会社に、内部的な原発事故リスク管理や、立地住民とのリスクコミュニケーションの手段としてPRAを活用するよう促している。

電力業界も、前述のように電中研が研究拠点を設けるなど、PRAの本格的な活用への機運が盛り上がっている。

だが、大きな課題もある。

第一に、電力会社の経営の問題だ。9月2日のシンポジウムでパネリストや聴衆から出たのが、トップ経営陣に残留リスク低減のための安全対策という、コストのかかる話を真摯に考えさせるのは容易ではない、という指摘だ。日本の原子力分野でかつてPRAが根付かなかった原因の一つがこれで、原子力担当役員が説明に行くたびに経営トップに疎んじられたというのだ。

PRAを活用した原発の安全管理を浸透させるのは、以前より難しいと懸念する声もあった。これまで電力業界では、宴会費用でさえ、かかったコストをすべて料金に転嫁して回収できる仕組み(「総括原価主義」)だった。

この総括原価主義の下ですら実現できなかったのに、今後は発送電分離を手始めに電力自由化が始まるため、益々、トップ経営陣がコストに敏感になり、PRAなど相手にされない懸念があるという。

こうした中で、「今すぐできる話ではないが」との前置きをしたうえで、規制機関関係者から出たのが、PRA導入になんらかのインセンティブを与えるという議論だ。

「将来、PRAを活用した残留リスクの算出が十分な説得力を持つようになれば、がんじがらめの規制を緩めて、例えば、安全確立の具体策・手法は当該電力会社に委ねるような政策的なインセンティブを与えることも可能だ」という。

PRAは、様々な残留リスクを明らかにし、安全対策の優先順位を示す可能性がある。そうなれば過剰な安全対策を止めて、限られた資金を、緊急性の高い安全対策に回すことができる。

まずは民間企業の自主性を尊重し、それで駄目ならば、ある程度のインセンティブを与える普及策が必要だろう。自主的な取り組みが進まないようならば、法的に義務付ける手もある。

信頼回復のためには必須

この点、シンポジウムにおけるアポストラキス所長の講演は興味深かった。黎明期の米国でも、PRAを巡る相互不信や対立があったというのだ。

当時は、「規制強化の根拠にしようとしている」という民間の政府への不信と、「規制逃れの口実にしようとしている」という政府の民間への不信がぶつかり、なかなかPRAの活用が進まなかった。

そして、打開のきっかけになったのは、試行錯誤の後、説得力のあるPRAで残留リスクを算出してみせた、ある電力会社に政府が信頼を寄せ、具体的な安全対策を民間に任せる姿勢に転じたことだったそうだ。

第二が、社会的な信頼回復の切り札になり得るかという疑問だ。10年前に普及に失敗したもう一つの原因は、原発立地住民に残留リスクという形で「危険」が存在することを明かすのに、電力各社の立地担当者が猛反発したことにある。わざわざ、不都合な真実を言いたくないというのだ。

だが、真実を隠したまま地元の信頼を得ようというのは、間違った姿勢だろう。まず残留リスクを十分許容できるレベルまで下げたうえで、さらに今後も下げていく姿勢を示して、信頼を得る努力をすべきである。

その際、専門用語だらけの難解なPRAを一般にわかり易いものに熟成させたうえで、個人や社会が享受する便益をある程度数量化して、背負うリスクと比較できる形を示すことも必要だろう。

シンポジウムにパネリストとして参加したある原発立地の首長は、「他の地域の人には理解し難いだろうが、ウチの有権者は自分たちがリスクを受け入れた原発が、国の経済に貢献していることにおおい誇りを持っている」と胸を張っていた。耳を傾けるべき事例ではないだろうか。

筆者は、PRA万能主義に与する気はない。原発に対する社会的な信頼の回復を、PRAだけで実現できるという楽観論を持っていないからだ。

原発の信頼回復のためには、他にも解決しなければならない問題が山積みである。例えば、いざ事故が起きた時の避難体制の確立や、問題だらけの補償の枠組みの見直し、廃炉技術の確立といった直接関連する諸課題への対応と、使用済み核燃料の中間貯蔵、最終処分の手法・用地確保などは、避けて通れない課題である。

とはいえ、原発に対し、なんとなく不安という感情をもっている人が多いのは事実だろう。政府は川内原発を手始めに、なし崩し的に原発再稼働を進める構えだが、そうしたやり方は、いたずらに人々の不信を招く懸念がある。

限界と制約はあっても、他にこれといった決め手が無い以上、PRAを通じて原発が社会的に許容される土壌作りをすることは大切である。