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擦り傷治療と中桐雅夫の詩

昨年の話で恐縮ですが、暮れも押し迫ったある朝、私は路上で転倒。左足打撲と膝に大きな擦り傷をこしらえました。
出勤ラッシュの車が渋滞している真っただ中での出来事で、派手に転んで血はダラダラ。
恥ずかしさで、その場から逃げるように立ち去ったのは、言うまでもありません。
まったく!いいトシした大人が、なんてザマ!と我が身に罵声を浴びせながらも、こんな大きな擦り傷をこしらえるのは久しぶりだなあと、ちょっと懐かしい気分がしました。

子供の頃はよく転んだものでした。なんせ運動能力が劣る子供だったので、何度も転んでは足の両膝を擦りむき、今でも痕が残っているのです。
大人になっても能力は向上せず、3年前にも大転倒した経験があります。その時は擦り傷はなく、全治2ケ月の打撲のみ。しかも周囲に他人のいない場所だったので、羞恥心もなし。
そう、誰も見てなきゃ、ちょっと転ぶくらい、どうってこともない話なんですよねえ。

しかしまあ、転んでもただでは起きないのが大人のたしなみです。せっかくの機会だから擦り傷の治療法についてネットで検索してみました。すると、今までの私の常識を覆す意外な治療法が出てきました。

これまで、傷の手当てと言えば、傷口を水で洗ったのち消毒液でしっかり消毒し、ガーゼ等を当てて傷口を保護。かさぶたが出来るのを待つ、というものでした。
実際、消毒液を買いに行った薬局でも同様の説明を受け、消毒液と傷当てパッドとステロイド系軟膏を勧められて購入しました。
しかし従来の傷当てパッドって取り替えるときに、痛いんですよねえ。かさぶたができるときはモゾモゾと痒いし、うっかり剥がれるとまた出血して、何度でも痛い思いをしますね。
それが私の常識だったのですが、ネットによると、消毒しない、かさぶたをつくらない、痛くない、治りが早い、傷あとが残りにくい、「閉鎖湿潤ラップ療法」という治療法があるそうです。
これには食品用ラップを使うというから驚きです。

「正しいケガ(傷)の治し方 ~消毒をしないうるおい湿潤治療(ラップ療法)~」http://homepage2.nifty.com/treknz/wound_care.html

上記のサイトによると、「閉鎖湿潤ラップ療法(うるおい療法)のポイントは、消毒薬は決して使わないこと」とあります。その理由として
「消毒薬は要は細菌(細胞)を殺す”毒”であって、当然人間の正常な細胞に対しても毒性があります。傷を消毒するということは、傷を治そうと活躍している人間の細胞をも殺すことになり、かえって傷の治りが遅くなります。消毒をすると傷が滲みて痛いのはまさに細胞が悲鳴を上げている証拠。はっきり言ってキズの消毒なんて自傷行為とおなじです」とのこと。

そういえば以前読んだ、立花隆の「がん 生と死の謎に挑む/文藝春秋」にも、こんな記述がありました。
「通常、傷口ができると、体から盛んに救援を求める信号物資が放出されます。この物質を感知するとマクロファージなどの免疫細胞が集まります。マクロファージは細胞の移動や成長を促す物質を放出します。こうした物質に刺激を受けて皮膚の細胞が移動を開始し、傷口を修復します」

傷を治すのはヒトの免疫細胞の力。確かに消毒は必要ないかもと思い「湿潤治療(ラップ療法)」を試してみることにしました。

治療手順は次のとおり

  1. 傷を水でよく洗う。消毒はしない!
  2. 傷を被うように少し大きめのラップをあてて、縁をテープで留める。可能ならどこかに隙間を残しておく。
  3. 翌日から毎日傷を水洗いし、ラップを交換。夏場など発汗の多い季節は日に1-2回程度繰り返す
    (「正しいケガ(傷)の治し方 ~消毒をしないうるおい湿潤治療(ラップ療法)~」参照)

いったんは消毒をしてガーゼの傷当てパッドを当てていたのですが、さっそくパッドを外して(痛かった)、傷口を水洗いし、軽く水気を取ってラップを、テープが無かったため、膝にひと巻きました。
その上からレギンスを着用。
ラップをすると傷口からドロドロの体液が浸み出してくるのが分かります。これは結構匂います。人に気づかれるることはなかったけど、このままで大丈夫なのかと不安になるくらい。
シャワーで傷口を水洗いしてドロドロを洗い流す。水気を取る。ラップを取り換える。それを毎日、浸出液がなくなるまで2週間余り、繰り返してみました。
傷口を洗うたびに、周囲から皮膚がきれいになって、傷の範囲が小さくなっていくのを実感できます。
途中からラップはやめて、市販されているハイドロウェットという医療パッドを使用しました。膝にも楽に貼れて剥がれない。手間いらずで便利な物です。使用上の注意を読むと、「浸出液の少ない傷に使用すると疼痛を引き起こすことがあります。このような場合には、水道水等で事前に傷口を十分に湿らせて使用してください」とありますので、そのへんは注意が必要です。

擦り傷範囲が大きかったせいか、傷が1cm大くらいになるまで1か月ほどかかりました。
傷口を水洗いする際、まったく痛みがない。ラップやパッドを取り換える際にも、もちろん痛みはない。かさぶたができないから痒みや突っ張りもない。最初から最後まで傷の痛みを感じないですむところが何よりもよかったです。
もちろん傷の状態、怪我の原因によっては病院に行くべきだったり、薬が必要だったりしますが、通常の擦り傷ならこのラップ療法はおすすめです。

もっとも、この治療法、私が知らなかっただけで、もうすでに世間では常識なのかもしれませんね。遅まきながら、ハイドロコロイド材の救急絆創膏のコマーシャルが、テレビで流れていることにも気が付きました。

ところで、「擦り傷」という言葉から、中桐雅夫の詩を思い出しました。確か、擦り傷ができたっていう詩があったなあと古いノートを開いてみると、それは「誘拐」というタイトルの詩でした。擦り傷ではなく、かすり傷でしたが。

「誘拐」

中桐雅夫 「夢に夢みて」より

心の子供がかどわかされて
おれにはつらく激しい日々が続いている
二月の夜の二時 ひとり壁に向かって飲む
ウィスキーはよもぎのように苦い。

ふと気がつくと
右手の甲にかすり傷ができて
薄い血がにじんでいた

いつ怪我したのか わからない寂しさ。

五年たったら英雄の死も忘れられる
十年たったら戦争もなかったのとおなじだ
おれももっと早く記憶を棄てるかもしれん。

人さらいよ 骨の細い哀れな子供を
どこかで大事に育ててくれ
おれも生きてゆくだけは生きてゆくから。

身体の傷ならラップでうるおい湿潤治療、心の擦り傷にはお酒でうるおい治療、なんて。今読むと、ちょっと茶化したくなる”70年代の男の香り”がします。

「生、死、神秘体験」立花 隆

rinsitaiken 出版社: 講談社 (2007/5/15)
内容(Amazon.co.jp「BOOK」データベースより)

「私はいかにしてここに存在するようになったのか」という自分の存在根拠を追い求めた立花隆は「生命」とは何か、「私」とは何か、「臨死体験」とはどういった現象かを追求し、生と死の境界点を探して漂流する。死のプロセスを知ることにより、彼の考えはどう変化したのか。10人の碩学との対話が明らかにする。

立花隆さんの本を、わりと好きで読んでいます。
以前読んだ『21世紀知の挑戦』の中で立花隆さんは次のように語っています。
「私は自分の天職は、難しいことをやさしく語ることにあると思っているが、そういうことができるのも、恥ずかしい過去をいっぱい持ちながら、さらに恥をかくのをものともせず、徹底的に無知をさらけだしながら質問するからである。そして、書くときは、かつての無知なる自分にもわかるようにやさしく語ろうとするからである。」

時には、周囲の顰蹙を買うような言動もあり、バッシングされることも多い方です。私も彼の女性蔑視的発言には思わず「なんですと!」と片膝が立ちました。しかし、それでも、立花隆さんには、世間の目や口を恐れず、知的欲求の赴くまま「人間探求」を続けて欲しいと願っています。ま、私が願わなくても、彼は世間にひるむことの無い方であろうし、そこのところが好きなのですが。

ところで、人の死に「心臓死」以外に「脳死」という新しい死の判定が生まれ、その後ドナーカードが発行されました。自分がもし脳死状態になったら、臓器提供をします、あるいはしたくありません、という臓器提供意思表示カード。
私も死後に誰かの役にたつならば、少しはマシな人生の終わり方に違いないと思い、カードが発行されてすぐ郵便局で手に入れ、この10年あまり携帯してきました。

しかし、今年7月臓器移植法の改正があり、本人の意思表明が無くても家族が同意すれば、脳死患者から臓器を取り出し移植することが可能になりました。
この法改正をきっかけに、私は「脳死」と「臓器移植」について再度しっかり考えてみようと、その視点でこの本を読み始めました。
「脳死」とはどういうものか。「脳死」の判定はどうやるのか。死後の臓器を移植することが、そのまま移植された人の幸せに繋がることなのか。なぜ法改正が必要になったのか。こういった疑問をちゃんと検討したうえで「提供する・しない」の意思表示をしたいと思っています。

「死後の体」については、宗教や民族、文化、加えて個人的理念による違いなどから、それに対する思いもその扱いもさまざまであることに驚かされます。
中でも一番驚いたのは、「いまの人間の葬り方は間違っている」と主張する人(生物学者なのかな?)が、「人間が死んだあと、その死体を焼くのはもったいない、焼けば公害は起きるしエネルギーも使う。これはエコロジーに反する。いちばんいいエコロジカルな人間の葬り方は死体から堆肥(コンポスト)をつくることだ」という考えのもと、コンポスト葬(堆肥葬)を提唱し、具体的な技術開発のための実験(動物を使って)を始めたという話です。
具体的な技術というのは、死体を切り刻んで、堆肥の発酵槽に入れて、いい堆肥を作る。想像すると頭がクラッとするホラーなシーンですが、人間が自然と融合して人類の食糧供給に役にたつ、究極のリサイクルシステムというわけですね。