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  • 「紋切型社会-言葉で固まる現代を解きほぐす」/武田砂鉄・・・違和感を表明すること

    monnkirigata 2015年発行/朝日出版社
    第25回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞

    フリーライター武田砂鉄さんの名前は、Yahoo !ニュースなどでたびたび目にしていました。
    面白いことを書く人だなあと憶えていたので、本書が出たとき、古本価格になるまで時を待てず新刊を購入してしまいました。

    武田砂鉄さんは1982年生まれというから、現在33歳。
    昨年、10年近く勤務していた出版社を退職。本書はフリーになって初めての著作となるそうです。

    本書は「誰からか強制されたわけでもないのに、既存の選択肢にすがる緩慢さが閉塞感を補強する」社会を『紋切型社会』と定義し、著者が『紋切型社会』を象徴していると考える言葉を拾いあげて考察している、コラム集です。

    「特に言葉。フレーズ。キーワード。スローガン。自分で選び抜いたと信じ込んでいる言葉、そのほとんどが前々から用意されていた言葉ではないか。紋切型の言葉が連呼され、物事がたちまち処理され、消費されていく。そんな言葉が溢れる背景には各々の紋切型の思考があり、その眼前には紋切型の社会がある。(「はじめに」から抜粋)

    目次には著者が違和感を持っている20の紋切型フレーズが並べられています。
    「あ、それ!」と気になるフレーズはありませんか?

    1.  乙武君・・・障害は最適化して伝えられる
    2.  育ててくれてありがとう・・・親は子を育てないこともある
    3.  ニッポンには夢の力が必要だ・・・カタカナは何をほぐすのか
    4.  禿同。良記事。・・・検索予測なんて越えられる
    5.  若い人は、本当の貧しさを知らない・・・老害論客を丁寧に捌く方法
    6.  全米が泣いた・・・<絶賛>の言語学
    7.  あなたにとって、演じるとは?・・・「情熱大陸」化する日本
    8.  顔に出していいよ・・・セックスの「ニュートラル」
    9.  国益を損なうことになる・・・オールでワンを高めるパラドックス
    10.  なるほど。わかりやすいです。・・・認め合う「ほぼ日」的言葉遣い
    11.  会うといい人だよ・・・未知と既知のジレンマ
    12.  カントによれば・・・引用の印鑑的信頼
    13.  うちの会社としては・・・なぜ一度社に持ち帰るのか
    14.  ずっと好きだったんだぜ・・・語尾はコスプレである
    15.  ”泣ける”と話題のバラード・・・プレスリリース化する社会
    16.  誤解を恐れずに言えば・・・東大話法と成城大話法
    17.  逆にこちらが励まされました・・・批評を遠ざける「仲良し子良し」
    18.  そうは言っても男は・・・国全体がブラック企業化する
    19.  もうユニクロで構わない・・・ファッションを彩らない言葉
    20.  誰がハッピーになるのですか?・・・大雑把なつながり

    章のタイトルを見ただけで、うん、うん、わかる、「いいね!」押しちゃおう、なんて早まってはいけません。
    そう簡単に分かった気になってもらっちゃ困る、「言葉は人の動きや思考を仕切り直すために存在するべきで、信頼よりも打破のために使われるべき」っていうのが著者のスタンスだから。一つのフレーズから、話はぐいぐい奥へ突き進み、横に広がっていく。
    だからまあ、頷いたり突っ込みを入れたり、こんなフレーズも違和感あるよねと自分なりの章立てをしてみたり、可能な人はテレパシーを使って、著者と遠隔対話することが、この本の読み方ではないかと思います。

    私は日常生活の中で、世の中に大量に流通している物事に対して「これって変だよね」と違和感を表明することは、意外とむずかしいことだと思っています。

    たとえば職場で、本書に書かれているような違和感をかたっぱしから口にしていたら、職場の人たちは目を合わせてくれなくなりそうな気がする。
    ”泣ける”と話題のバラードに泣いたり、『24時間テレビ』や『情熱大陸』や『プロジェクトX』に感動したり、「育ててくれてありがとう」という子どもの感謝の言葉に涙したり、それらは素直で優しい人だからこその感動なのだから、「10歳の子どもに『両親に感謝します』と言わせる『半成人式』なんて、気持ちが悪いよね」と私が言ったとき、職場でだれの賛同も得られなかった。
    『半成人式(1/2成人式)』は出席した親の9割近くが「満足」と答えているそうだから、私はきっと感動に難癖をつけるひねくれものと思われたにちがいない。

    たとえば職場では、省エネやエコロジーについて話題にしても、原発反対を強く表明することはできない。「国益を損なうって何よ。」なんて会話はしにくい。
    実は言いにくいことだらけ。職場ってところは。
    そもそも職場はおしゃべりをするような場所ではないし、突っ込んだ話をする暇もない。
    職場では型どおりの言葉をどれだけ衒いもなく使えるか、がコミュニケーション能力だと思われている感があります。

    じゃあ、どこでみなさん、違和感の表明をしているのか?
    たいていは夫や妻、気の置けない友人との会話の中ででしょうか。
    あるいはデモに参加したり、ブログに書いたり、本を出したり、音楽や映画やアート作品に仕上げたり、でしょうか。
    手段はどうあれ、違和感を表明できない社会とは、ジョージ・オーウェル『1984年』で言えば、『2+2=5』を受け入れてしまう社会だし、違和感を持たなくなることは、穂村弘『本当はちがうんだ日記』で言うところの、《「この世」の大穴》に吸い込まれることだと、私は思っています。

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    武田砂鉄(Satetsu Takeda) 1982年生。ライター/編集。
    webサイト→http://www.t-satetsu.com/
    Yahoo!個人 連載 武田砂鉄の「極めて遺憾」(現在はリンク切れ)

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    「本当はちがうんだ日記/穂村弘」を再読。 たぶん4回目。

    7月中旬からブログの更新ができないまま、気が付けばもう秋です。
    働く、家事する、疲れる、寝る、のループから抜け出せず、ほぼ思考停止状態のこの頃。
    時間は容赦なく流れ去り、巷に年賀状予約の広告チラシが貼ってあるのを見つけて驚いたのだって、もうひと月前の話。準備のいい人なら、今夜は猿の絵を描くのに忙しいかもしれない、そんな時期になりました。

    何も考えないまま年を越してしまうのは避けたいので、生活のループを断ち切って、読書メモを一つ、あまり肩の凝らない一冊を紹介したいと思います。


    hontohatigau03
    本当はちがうんだ日記/穂村弘

    集英社文庫 /2008年9月発行

    日々に疲れて何も考えたくない、
    とがった言葉は聞きたくない、
    誰かにダメだしする文章は読みたくない、
    あまりポジティブに励まされたくない、
    そんな時に私がフラッと読み返してしまう本、それが穂村弘さんのエッセイ『本当はちがうんだ日記』です。

    総務課長で兼業歌人で独身で、のちに専業歌人になり結婚もした穂村弘さん(40代)。

    「今はまだ人生のリハーサルだ。
    本番じゃない。
    そう思うことで、私は『今』のみじめさに耐えていた。」

    という彼が、「今」はもう本番に入っていることに気づいてしまう。そんな人生の過渡期にある日々の小さなわだかまりを綴ったエッセイ集です。

    いつも風景を眺めるように読んでいた本ですが、今回はどうしたことか、ところどころ胸がグッと詰まるような切なさを感じる場面がありました。

    独り言のような、詩のような、《クリスマス・ラテ》では、母親から
    「おまえ、将来何になるんだい?」
    と聞かれて
    「いやだなあ。お母さん。もう今が将来なんですよ。」
    と答える。
    どうってことないセリフなのに、私はじわっと泣けてきました。
    過ぎた人生の長さより、今後の人生の方がかなり短いということが確定してしまっているからでしょうか。「将来」というワードに過剰に反応してしまうようです。

    若い頃には私にも「将来」があり、将来私はどうなるんだろうという不安や焦りや憧れや欲望に振り回されて、「早く30歳になりたい」と願ったものです。30歳になった時、もうこれで無理な望みを抱いて悩んだりしなくていい、とホッとしたことを覚えています。自分の無能さを年齢のせいにすり替えただけの話ですね。

    この頃やたら国は「すべての女性が輝く社会づくり」(首相官邸ウェブサイト参照)を推進しています!なんて大言壮語していますが、全て の女性が輝く生き方(って、そもそも何?)を手に入れるなんて、現実世界ではありえない絵空事です。
    「非力で軟弱で、容姿が平凡で、あだ名が無くて、才能のない人間」にとって、現実世界は、女性にも男性にも、生きにくいのです。

    《「この世」の大穴》の項も、私にとっては身につまされるものでした。

    「世の中には、いろいろな長所や魅力があるんだなあ、という感想を持つ。普通だ。だが、勿論、そちらが正しいのだ。心から他人を認められるようになったことを嬉しく思う。
    それなのに、ときどき不安になるのだ。(略)
    なんとなく、入賞しなかったパチンコ玉が、最後に同じ場所に吸い込まれるように、ひとつの大きな穴に向かってゆくところを想像する。
    何ひとつ知らず、どんな考えも持たず、泣きながら産まれてきた自分の全てが、最後は世界の多様な豊かさという、「この世」の大穴に吸い込まれてゆく。これは錯覚か、妄想か。

    『本当はちがうんだ日記』は、非力な自分にダメだしを続ける軟弱男の自虐エッセイ、と見せかけて実は、現実世界の大穴に落ちまいと抵抗を続ける、40歳を過ぎようが踏ん張っている、著者の姿がみえてきます。
    そしてなお、解説で三浦しおんさんが書かれていることですが、

    「すぐれた観察眼で、世界を見据えつづける。観察の結果、残酷で理不尽なこの地上に、このうえもなく美しく貴いものが宿る瞬間があることを発見する。(三浦しおんさんの解説から抜粋)」

    《それ以来、白い杖を持ったひとをみつめてしまう》の項を読むと、著者は世の中の真に美しい部分を見逃さず、それを言葉で伝えてくれている。歌人とは、あるいは詩人とは、そういう能力を持った人なのだなあと思います。

     

    唐突ですが、最近、奇妙礼太郎が歌うCMソングが耳について離れない。
    「なつかしい痛みだわ」って出だしから、もう泣きそうになります。最近の私のこの涙もろさ。
    現実圧に負けてしまっているのか。それとも秋のせいなのか?

    「短歌の友人/穂村弘」

    tankano河出文庫/2011年
    『短歌の友人』は、歌人・穂村弘さんが自分以外の人の作品を読み続けてきて、「頭の中に面白いなと思う短歌が少しづつたまって」いった作品について論じた、初めての歌論集です。伊藤整文学賞受賞。

    第1章 短歌の感触
    第2章 口語短歌の現在
    第3章 <リアル>の構造
    第4章 リアリティの変容
    第5章 前衛短歌から現代短歌へ
    第6章 短歌と<私>
    第7章 歌人論

    目次だけを並べてみると、お堅い学術書的装いです。
    取り上げている短歌は、現代短歌を代表する穂村弘さんならではのチョイス。ニューウェーブ短歌とか、前衛短歌とか言われている現代歌人たちの作品が多い。例えば、一番最初に掲げられているのは、

    電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、て言って言って言ってよ
    東 直子

    この一首目に私はたじろぎました。苦手だな、というのが正直な感想です。
    現代短歌の中には、日常語を使って表現されているにもかかわらず、私の住む日常とは別の世界の出来事のように感じられる歌があります。一言で言えば、私には共感しにくい歌。面白さが分からない私が無粋なのか?と自問したくなる歌。
    著者は作品の面白さを論理的に構文解析したりしていますが、読み始めは、歌を作ることのない私には、歌人による歌人向けの指南書みたいに思えました。

    しかし、「第3章<リアルの>の構造」あたりから俄然面白くなってきましたよ。
    「酸欠世界」、「棒立ちの歌」、「言葉のモノ化」、「モードの多様性」、「モードの乱反射」、「『私』の価値の高騰」といった分析が、素人にも分かりやすい。
    あるいは、「小さな違和感の強調が現実の手触りをアリバイ的に保証している」とか「<心>とは限りなくレベルダウンしてゆくものなのか」や「寿司屋を回転寿司屋に変える力」といった言い回しで、短歌を通して現代(戦後)社会を鋭い観察者の目で分析してみせる。
    なおかつ著者はとても客観的にそして正直に短歌と歌人としての自分を語っています。
    その辺も読んでいて面白く、いつものエッセイとはまた一味違う穂村弘さんの魅力を感じました。

    穂村弘さんは、思いのほか説得力ある短歌の伝道師のようです。
    読み終わったころには現代短歌を、逆に戦後社会の在り様を通して読み直すと、そこにリアルな共感以外の面白さを感じることができる、、、ような気がしてきました。少なくても私は、最初感じたような苦手意識は無くなりました。

    monogatari01ところで、最近、短歌エッセイ集「物語のはじまり/松村由利子」を再読したばかりなので、ついつい2冊の本を比べてしまうのですが、面白いことにどちらも表紙は河川に架かる鉄道橋がモチーフになっています。
    これは単なる偶然なのか?と思ったらどちらも同じ装丁家(間村俊一氏)によるカバーデザインでした。

    とはいえ受ける印象はずい分違いますね。
    『物語の始まり』の鉄道橋には電車が走り、青い空、草茂る土手。イラストレーションなのに、すがすがしいリアルな日常が感じられる。
    一方、『短歌の友人』は薄ら淡く背景に同化したような風景。この鉄道橋に果たして電車が通ることがあるのか。いったいどことどこを繋ぐ橋なのか。写真なのに本物の橋なのかと疑わしくなるほどリアル感が薄い。

    2冊の本に掲載されている短歌は、ほとんど被ることのない作品が並んでいたのですが、例外が4首。しつこく読み比べて、見つけました。
    どんなに感性が違って見える世界の住民たちでも、同じものを見て「ああ、これいいね」と言う時があるんだと、ちょっとほっとするような、少しさびしいような複雑な気持ち。なんだろう?自分でもよく分かりませんが・・・。二冊の本のどちらにも取り上げられていた、その4首をここに記しておきます。

    大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋
    俵 万智

    馬を洗はば馬のたましい冱(さ)ゆるまで人戀(こ)はば人あやむるこころ
    塚本 邦雄

    死に近き母に添寝のしんしんと遠田(とほた)のかはづ天に聞ゆる
    斎藤 茂吉

    日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも
    塚本 邦雄

     

    「整形前夜」穂村 弘

    seikei出版社:講談社 (2012/7/13)

    『現実入門』を書いていた穂村弘さんも、結婚という生々しい現実を手に入れ、いまや「現実上級」資格取得者。
    もはやイノセントな少年のままではいられなくなったからか、この『整形前夜』には、
    「「今」をきっちり生きることができないために、そこから先の未来が次々に腐ってゆく。(非エレガンスのドミノ倒し)」
    だとか、
    「普通に真面目に働き続けることで幸福になれた時代は終わって、同じ道が今では「絶望」に繋がっているのではないか。(「普通列車「絶望」行」)」
    なんていう、極めて現実を見据えたセリフも出てきたりします。
    今回は妄想の天使も現れない。
    ただし、のっけから、彼の留守中に部屋を整頓してくれるという「妻」が登場します。「結婚したんだもん!」というアピールでしょうか?いや、単にノロケたいだけでしょう。
    妻と古本屋めぐりをしていることとか、一緒にグアムに行ったこととか、もう臆面もなく書いちゃっています。「人生はぴんとこない戦いの連続だ」と、怯え戸惑いながらも、しあわせなんですね。きっと。

    それはさておいて、「中身がどんなものでもこれなら即買う、という傑作タイトル」の話が面白かったので、私も真似して、これまで読んだ本の中からタイトルが気に入ったものを書きだしてみました。
    が、・・・・案外、思い出せないものです。

    「幽霊の2/3」ヘレン・マクロイ
    「時計じかけのオレンジ」アントニイ・バージェス
    「幻の女」や「私が死んだ夜」/コーネル・ウールリッチ(=ウィリアム・アイリッシュ)
    「10月は黄昏の国」/レイ ブラッドベリ
    「月は無慈悲な夜の女王 」/ロバート・A. ハインライン
    「笑う警官」/ペール・ヴァールーとマイ・シューヴァル共著
    「箱男」や「壁」/安部公房
    「限りなく透明に近いブルー」/村上龍
    「摩天楼の身代金」/リチャード・ジェサップ
    「すベてがFになる」/森 博嗣
    「潜水服は蝶の夢を見る」ジャン=ドミニック・ボービー
    「意思ばかり生む夜」/小西 啓
    「ハルビン・カフェ  」/打海 文三
    「あなたの人生の物語 」/テッド・チャン
    「ここがウィネトカなら、きみはジュデイ」大森望編
    「冷たい方程式」/トム・ゴドウィン

    穂村弘さんの本もタイトルに魅かれます。「世界音痴」や「本当はちがうんだ日記」も好きなタイトルで、中身もタイトルのイメージを裏切らない。
    しかし、この『整形前夜』はちょっと予想外でした。
    タイトルから私が想像したのは、常日頃、素敵男子になることを熱望してやまない作者のことだから、ついに整形したか!小心者だから、たぶんプチ整形に手を出したに違いない、というものでしたが、全くハズレ。
    『整形前夜』はノーマ・ジーンがマリリン・モンローに変わる、その前夜について語ったものでした。
    「男たちは多くを期待しすぎるけれど、私には応えてあげることができない。彼らは、鐘が鳴るのを、汽笛が鳴るのを期待する。でも私の体は他の女性たちと同じなの」
    マリリン・モンローの言葉だそうです。
    「分かる、分かる」と、言ってみたい。

    「もしもし、運命の人ですか。」穂村 弘

    mosimosi出版社: メディアファクトリー (2010/12/21)

    (内容紹介Amazon.co.jp)
    黙々と働く昼も、ひとりで菓子パンをかじる夜も、考えるのは恋のこと。あのときああ言っていたら……今度はこうしよう……延々とシミュレートし続けた果てに、〈私の天使〉は現れるのか? 人気歌人による恋愛エッセイ集が、待望の文庫化。解説は、『臨死!!江古田ちゃん』の漫画家・瀧波ユカリ。

    穂村弘さんといえば、『世界音痴』『現実入門~ ほんとにみんなこんなことを?』『本当はちがうんだ日記 』『にょっ記』といった、いかにも大人気ないタイトルからも分かるように、永遠の青二才、いえ、永遠の“まだ中”(まだ中学生)。
    妄想の中で妖精だか天使だかを連れて歩き、夕餉にコンビニの菓子パンをかじる、結婚しない、できない男の代表だったはず。
    なのに、この『もしもし、運命の人ですか。』というエッセイの中には

    「外国にいる間中、妻の背後にぴったり貼りついて隠れている私とはえらい違いだ。」

    と、さりげなく妻という一文字が挿入されています。
    はあ?妻?妻の背後?ええっ?
    思わず本をめくる手が宙に浮いてしまいました。
    そういえば以前『にょっ記』を読んだときにも「妻」と会話しているみたいなシーンが出てきて、「印刷ミス?」と疑問に思ったけど、「ああ、妄想の妻ね、きっと」と勝手に解釈してスルーしてしまったんですが・・・。
    裏付けをとるしかない、とネットで検索してみると、「WEB本の雑誌」、 「作家の読書道」に本人が肯定している言葉がありました。

    まあ、作家が結婚しようがタレントが離婚しようが、私には影響のない話なんですけど。
    しかし、もう「運命の人」見つけたのなら、いまさら〈私の天使〉探しも説得力に欠けますね。先の「妻」に関する一文も何だかのろけみたいに聞こえるじゃないですか。いや、きっとそうです。
    結婚という生々しい現実を手に入れてしまった穂村弘さん、どうか私生活をあまり晒すことなく、さらなる妄想力を磨いていって欲しいものです。