量子コンピュータ、興味ありますか?おすすめの理系YouTube

以前、読んだサイモン・シンの「暗号解読(上・下)」の最終章に、
「量子コンピュータが実用化されれば、今使っている暗号は難なく破られ、新たな量子暗号を開発する必要があるだろう」
と書かれていて、量子コンピュータって何?いや、その前に量子って何?と関心を持ちました。
ブックオフにて学者によって書かれた新書を入手し読んでみましたが、まったく文章が頭に入ってこず、途中で投げ出していつしか7年経ちました。

最近ネットで、量子コンピュータ関連の記事を目にすることが多くなっています。2030年代には実用化されるとか、現在私たちがPCで使っているRSA暗号は使えなくなる、とか。
そうなると、どうなるの?

暗号については提供するサーバー側の問題だから、末端のユーザーである私が心配する必要はないですよね?とは思けど、古い技術から新しい技術に移行する際には、予想してないような混乱が起きるものだし、便乗詐欺も横行するかも。10年なんてもうすぐそこ、って感じがする。
この際「量子コンピュータ」「量子」について学んでみたいと、YouTubeであれこれ視聴して聴き比べてみました。
その結果、まったく理系に疎い私が面白いと思った動画を下記に紹介します。

エンタメとしても楽しめる理系YouTube

20分弱にコンパクトでテンポよくまとめていて、耳に入りやすい動画でした。視聴している側が疑問に感じるところもちゃんと抑えていて、とても丁寧に作られているなあと思います。
まずはざっくり理解してから、分からない部分は別の動画を探してみる、といった感じで理解を深めていきたいものです。
とりあえずは、量子コンピュータを使って便利な社会が作られるまでに、まだまだ数十年はかかりそうな感じですね。

私のように数学も苦手だと、数字とか計算とか、ほんっとに「嫌いだーーー!!」と叫びたくなるRSA暗号の仕組みが紹介されています。
おっしーの最先端テクノロジー and サイエンス」に上がっている動画は、どれも興味深いタイトルばかりで、私が疑問に思っていたことにぴったり刺さるというか、ついつい夢中になって全部見てしまいました。
たいていの動画は10分程度にまとめられています。


こちらも10分~30分程度にまとめられています。物理に特化したコンテンツですが、「難しい理論や方程式が理解できなくても物理は楽しい!」をコンセプトにされていて、数式はあまり出てきません。
物理の話を楽しそうに話すのもとさんのキャラクターのおかげで、聴いているこちらも楽しく聴けます。
物事を知らない人にも分かるように教えることができて、しかも楽しませることができる人って凄いなあって思います。
学校の先生が皆こんな感じだったらなあ、、、、、、、。
いやいや、高校や大学の受験を目標に授業していた先生たちに言わせれば、「出来の悪い生徒を楽しませる余裕はないよ!」「数式も必要だから覚えろ!」って感じかもしれませんが。

量子コンピュータ研究者のYouTube

本格的にがっつり勉強したい、数式が出てきても平気という人には、大阪大学基礎工学研究科 藤井研究室の配信動画がおすすめです。おそらく本気の人は既にこういう動画を観ていると思いますが。

「量子コンピューティング」2回~14回の配信は、私にとっては、数式、方程式、使ったことのない単位、耳慣れない用語などで構成されている動画でしかなく、、、。なので第2回を聞き流しただけで継続視聴を諦めました。
この配信を14回まで完全視聴できて理解できる人、きっとそういう人たちに人類の未来は託されているんだろうなあ、なんてことを思わずにはいられませんでした。

前編・中編・後編の3部構成になっている「阪大教授が解説する量子力学と量子コンピュータ」は、図解入りで比較的分かり易く、一般人向けの動画になっています。
自宅で手作りできる量子干渉実験装置の作り方なども紹介されています。


以上、量子コンピュータ関連のYouTubeサイトを3つ紹介しました。
実際はもっとたくさんのサイトを視聴したのですが、いくら数多く視聴してみても、「量子の重ね合わせ」って何とも理解しにくくて、もやもやが残ります。
「量子の重ね合わせ」は見えないところで起こっていて、観測すると消えちゃう。
誰も見たことないけど、実験の結果から「量子の重ね合わせ」が在ると分かっている。
量子は「粒子でもあり波動でもある」と考える人もいれば、「粒子でも波でもない何かである」と考える人もいて、実のところよくは分かっていない。
とにかく量子とはそういうもんだと受け容れてください、ということなので受け入れるしかないのですが、、、そんなもやもやした量子で私たち人間も、世界も造られているって話ですね。

「線は、僕を描く/砥上裕將」私の知らない水墨画の世界

「線は、僕を描く」

著 者: 砥上 裕將 (とがみ ひろまさ)
出版社 ‏ : ‎ 講談社
発売日 ‏ : ‎ 2019/6/27
単行本 ‏ : ‎ 322ページ

第59回メフィスト賞受賞
2020年本屋大賞第3位!
「ブランチBOOK大賞2019」受賞!
「未来屋小説大賞」第3位
「キノベス!2020」第6位

先月、姉から薦められて読んだ本です。
メディアで話題になったということで、図書館でも貸し出し中が続いていて、年明けにようやく借りることができました。

著者の砥上 裕將(とがみひろまさ)さんは、1984年生まれの水墨画家。
水墨画の絵師さんが書いた小説というのは、とても珍しい。というより、水墨画というジャンル自体、現代では馴染みが薄いように思います。
ウィキペディアによると日本における水墨画の全盛期は室町時代だったらしい。全盛期は過ぎたとはいえ、現在に至るまでその技術・技法は伝統文化として継承されているようです。
私は美術の教科書で目にした程度の知識しかなく、学校で習った覚えもないので、未知の世界への好奇心を持って読み始めました。

粗方のストーリーを書くと、

主人公の青山霜介は高校生の頃事故で両親を亡くし、突然独りぼっちになってしまった。それ以来、大学生になった今も自分の心の内側にガラスの部屋を創りあげ、その中に自身を閉じ込めている。
ある日偶々水墨画の大家篠田湖山と出会い、半ば強引に弟子にさせられてしまう。そうして水墨画の修行が始まり、虚無の中にいた彼の生活が少しずつ変化していく。

といったところ。表現することで喪失感から立ち直っていく再生の物語という、どちらかというとありがちな構図なのですが、本書の読みどころはそこではない。
いや、そこだよ!っていう感想の声も多いと思いますが、私は絵師による指導と修練、その丁寧な描写に惹きこまれました。
いわば水墨画の指南書として、この本を読みました。

一本の線に水墨画特有の型があり、何度も何枚も描き続けてその技術・技法を習得していく。
一度描いてしまった線は消すことができない。描くスピードにも墨にも筆に含んだ水分にも、否応なしに左右されてしまう。
作品はいつだって下書き無しの一発勝負。「勇気がないと線なんて引けない」と言う。
一本の線を描くことさえどんなに難しいか、緊張感を持って伝わってくる。そんな水墨画の世界を描いた物語です。

講談社のウェブサイトに本書の紹介ページがあるので、興味のある方はそちらをご覧ください。水墨画に必要な道具や用語、著者からのメッセージなども掲載されています。

https://senboku.kodansha.co.jp/

実技の動画。必見です。

 instagram.com/yokotanji/

本書の表紙は、イラストレーター丹地陽子さんのイラストです。私はこの方のイラストも大好きで、時々インスタを覗いたりしています。

通畠義信氏が「第76回南日本美術展JAL賞」を受賞されました!!

本サイトでご紹介しています通畠義信氏が「第76回南日本美術展JAL賞」を受賞されました!

おめでとうございます。
JAL賞は2005年以来2度目の受賞になります。

『Godzilla island-来歴-』

2017年から2019年は 「ハエの家シリーズ」 で3回続けて海童賞を受賞されていた通畠氏。「ハエの家シリーズ」は2019年で完結したと聞きました。
今回は「ゴジラ島」です。今までとはがらりと作風が変わった感があります。
島の周りをぐるっと回って表から裏から見える景色を鑑賞したい作品です。
現在この島は市立美術館にありますが、「やはり野外にあって欲しいなあ」などと思いながら観ました。

第76回南日本美術展は今日から開催です。

 2021年 11月20日(土)-12月5日(日)

黎明館/鹿児島市立美術館


詐欺メールは進化していた

使っているヤフーメールに、アマゾンの名を騙る詐欺メールが送られてきました。先月から3度も。

メールの最後に書かれた「私たちと一緒に買い物をありがとう」というフレーズは、日本人には出せないフレンドリーな味があって、ちょっと楽しい文章ですね。

このメールはヤフーのフィルタリング機能によって迷惑メールにフォルダに入れられているし、そもそも私はアマゾンプライムの会員ではないので、これがなりすましメールであることは明らかです。

そのまま削除してしまえばいいのですが、どんな偽メールアドレスが作られているかなあとちょっと好奇心が湧き、送信元アドレスを見 てみました。

from:を開いてみると、送信元アドレスが「no-reply@amazon.co.jp」となっていて、アマゾンのドメインが使われていることにびっくりしました。
これまでのなりすましメールは正規のアドレスとよく似ていて紛らわしいドメインだったり、フリーメールだったり、英語のoを数字の0にしてあったりみたいなものでしたが、今回の偽メールのドメインは正規のamazon.co.jpと全く同じでした。

そもそも正規のドメインで詐欺メールを送るなんて、そんなこと可能なの?
と疑問に思い調べてみると、なんと”可能”でした。

迷惑メール対策に関する情報を公開している「財団法人インターネット協会」のサイトに、なぜ、嘘のメールアドレスが書けるのか?本当の差出人のメールアドレスを知るにはどこを確認すればよいのか?などについて丁寧な解説がありました。

メールのFrom:だけを見て本物かどうか判断するのは危険なようですね。
本当の差出人を知るには、メールのヘッダーを開いて、Return-Path:に続くアドレスのドメインを確認しましょうということです。

私にきたなりすましメールのヘッダーは以下の通り。

ヘッダー部分がいつもオープンに表示されていれば、なりすましもしにくくなるだろうになあと思ったりしましたが、情報量が多すぎて表示が難しいのでしょうか。分からないけど。。。。

私が知らなかっただけで、ドメインの偽装なんて当たり前に行われていて、こういうなりすましメールは、だいぶ以前から出回っているようです。

日本データ通信協会の「迷惑メール相談センター」⇒要注意メールサイトには、注意すべき迷惑メールに関する情報が随時掲載されています。
おかしなメールがきたら、このサイトで確認してみるのもいいと思います。
文章を眺めるだけでも結構面白いです。

『アート・ヒステリー/大野左紀子』「自由」「個性」「創造」の幻想

『アート・ヒステリー』—なんでもかんでもアートな国・ニッポン

著者 : 大野左紀子

出版社 ‏ : ‎ 河出書房新社

発売日 ‏ : ‎ 2012/9/26

著者の大野左紀子さんは、以前はアーティスト活動をされていたが、それをすっぱりやめて現在は文筆活動をされているという経歴の方です。
図書館でたまたま手にして、『なんでもかんでもアートな国・ニッポン』という副題に惹かれて表紙をめくると、
表紙の裏にはこう書かれていました。

アートは”希望”の灯火ではない。
人々を結ぶ”絆”でもない。

「アート=普遍的に良いもの」ですか?そこから疑ってみませんか?
アートが分からなくても、それは当たり前。
民主主義の太陽が生んだ「自由」と「個性」を掲げる美術教育と、
資本主義の飴がもたらした増殖、拡大し続けるアートワールド、
それらを通して、アートと私たちの関係を読み解いていきます。

たまに現代アートとかポップアートとか紹介される作品をニュースか何かで観て、「これもアートなの?」「これがなんで何十億円?」と驚くことがあります。

単にきれいな作品というだけではアートではない、とも言われるし、デュシャンの「泉」のように社会への問題提起というかメッセージが込められていれば、既成の便器がアートだ、芸術だ、となる。
それまでの既成概念を覆すこと、そのこと自体がアートなのか?
作品に物語性を込めることはそんなに大事なのか?説明されなければ分からない物語でも必要なのか?
アートについて日頃疑問に思うことはたくさんあるし、そもそも、「アート」と「芸術」の境界線が私には分からない。

誰かが、たぶんその時代の権威ある誰かが、これは「芸術」であると認定した作品を、私は「芸術」として観ているだけだと思う。
「芸術」と言われると単に好き嫌いで語られるものであってはならないし、何か意味のあるものだと思ったりするし、理解できなくても当たり前だと思ったりする。
とはいえ、周囲を見渡すとそんなに誰もがアートに興味があるわけでもなさそうだし、私が働いてきた職場でアートが話題になったことはないし、アートに興味があるのはアート業界の人たちだけなのかな?って思ったりする。

という様々な思いを巡らしながら、本書を読み始めました。
本書の目次は下記の通り。


「第一章 アートがわからなくても当たり前」

  1. ピカソって本当にいいですか?
  2. 疎外される「わからない人」
  3. アートの受容格差
  4. 「美術」はどこから来たのか

「第二章 図工の時間はたのしかったですか」

  1. 芸術という「糸巻き」
  2. 日本の美術教育
  3. 夢見る大人と現実的な子ども
  4. 問い直される理想

「第三章 アートは底の抜けた器」

  1. 液状化するアート
  2. 空想と現実の距離
  3. 村上隆の「父殺し」
  4. アートの終わるところ

本書は西洋美術がいかにして日本に取り入れられてきたか、民主主義や資本主義の観点から、児童に対する学校教育の観点から、そして現在の商業主義的なポップアートの事象などから、読み解いていて、”アートを語りたい!”という著者の熱意を感じる本でした。

ヒロ・ヤマガタやバンクシーのエピソードも面白かったですが、特に興味深かったのは、「第二章 図工の時間は楽しかったですか」です。

明治時代、小中学生の図画教育は、ひたすらお手本を模写し、図形や立体物を描写する「臨画教育」と言うもので、これの目指すところは「富国強兵と近代工業の発展に寄与する実用的な”眼と手の訓練”」だったという。
その後、社会の変革に伴う諸々の思想に影響されながら第二次世界大戦を経て戦後50年代に登場したのが「創造主義美術教育」(略して創美)。
「創美」の理念は「児童の想像力をのばすことは児童の個性をきたえる。児童の個性の伸長こそ新しい教育の目標」というものだったそうです。

そして70年代以降、図画工作・美術の学習指導要綱に次々と新メニューが盛り込まれ、それらを総合すると「創造性の育成」「豊かな発想」「造形的創造活動」「自由な表現力」「つくりだす喜び」「豊かな人間性」などといった目標が並びます。
そのあまりにも高い目標に、私は驚いてしまいました。

そして、本書によると小中学校では指導要綱の中に「絵の描き方を教える」という項目はないという。
「子どもの中にあらかじめ表現したい欲求があることが前提になっている」ので「教えるのではなく子どもが主体的に行うことを支援する」というのが学校側のスタンス。
子どもは誰もが皆生まれながらにしてアーティストだ、と大人は思っているのでしょうか。
子どもは皆自由で豊かな発想ができてそれを表現できる力を持っているはずだ、という幻想を抱いているように思えます。
ましてや、美術が「豊かな人間性」を育成するなどと、何を根拠にそう考えるのか、、、、、
学習指導要綱なんてお題目だけで、まあ、別にアーティストを養成しようと考えていたわけではないとしても、観念的なものを求め過ぎじゃないでしょうか。

著者は子どもへの教育について、
「美術についての知識や理解を深める「美術の教育」が不十分なまま「個性」「自由」「創造性」を賞揚することによって、子どもは美術を「無論理」的で「説明不能」なものと捉えるようになる」と危惧し、「美術の方法論を理解させる教育」、鑑賞することや知的理解も必要と書いています。

私も中学生の頃に、絵の描き方や方法論というものも学んでみたかった。あの頃はネットもYouTubeもなかったし。
画家とか彫刻家とか陶芸家とかイラストレーターとか漫画家とか、アニメーターとか、とにかくいろいろな美術業界の方たちが実際にどうやって制作しているのかを、子どもの頃に知ることもできたら面白かっただろうなあと思う。
「豊かな発想」や「自由な表現力」という、私にはハードルの高い「才能」と言えるものの有無に捉われず、もっと幅広い美術の楽しみ方も見つけられたのではないかと、今更ながら考えました。