02.1.12

自由葬でお願いします

昨年末に引き続き、冠婚葬祭についてこだわっています。
「冠婚葬祭」の”冠”と”婚”に関しては、成人式には出席しなかったし結婚式も挙げなかったし、今までもこれからも私個人には関係のないセレモニーです。
今後私に関係してくるのは人生最後のセレモニー、私自身の葬式です。自分の葬式にはこだわってみたい。

「葬式なんてそうこだわるものでもないでしょう。世間並みにしてくれればいい」と考える人には、全くどうだっていい話ですが、私にとっては最後の自己表現、ささやかな抵抗。どうか世間並みにはしないでくれ、と言いたいのです。
黙って死んでいくと、間違いなく世間並みの葬式になっちゃいます。

「世間並みの葬式」とはどういうものか?
現在の日本の場合、90%以上は仏式で執り行われるようです。
今まで私が列席した葬式も、ほとんどは仏式。たまーに神道あり、でした。
「信教の自由」が憲法で謳われているにも関わらず、この国にはこんなにも仏教徒が多いのか!と驚きます。
しかし実態は、

「現代の日本人の大多数は、実際にはいわゆる宗教儀礼に参加してはいるものの、特定の宗教組織に対する帰属意識は薄く、自分のことを「無宗教」と考える日本人も多い。これは日本人が神や仏を否定しているわけではなく、何かしらそれなりに信じているが、特定の宗教組織に全人格的に帰属してはいないということである。出典《ウィキペディア/日本の宗教》」

とあるように、たいていの人は「無宗教者」であることを自覚しながらも、「世間的なしきたり」として宗教儀礼を受け入れているのが実情でしょう。

それにしても、何故葬式は仏教なのか?
「冠婚葬祭のひみつ/斎藤美奈子」によると、元来仏教は葬送儀礼を重視する宗教ではなく、葬式は村社会が執り行うことが一般的でしたが、寛永十二年(1635年)頃から、お寺が葬式に関与する傾向が強くなったという。

「すべてのはじまりは、1635(寛永12年)ごろ、江戸幕府がキリシタンの弾圧のためにもうけた寺請制度である。日本人全員を近くの寺に帰属させ、寺には寺請証文(キリシタンでないことを証明する身分証書)を発行し、宗門人別張(各人の宗旨と檀那寺を記した一戸ごとの住民基礎台帳)に捺印する権限を与える。」

寺請制度以降、僧侶が寺に定住するようになり、自分とこの檀家の葬儀や法事を営むことで定期的な収入を得られるようになり、布教の必要もなくなり、そして

「寺請制度が確立した1700年頃には、位牌、仏壇、戒名といった制度が導入され、葬式には必ず僧侶が関与しなくちゃダメとか、戒名をつけろとか、何年かごとに年忌法要をやれといったルールが設けられた。」

つまり、このころから葬式はビジネスとして育てられてきたのでしょう。

「世間並みの葬式」には、自動的に戒名がついてきます。
戒名は本来、「仏門に入った証であり、戒律を守るしるしとして……多くの場合、出家修道者に対して授戒の師僧によって与えられる/ウィキペディア:戒名」というもの。
しかし葬式さえすれば、故人に生前信仰があろうがなかろうが、戒名が与えられます。これがまた料金によってランク付けがあるという困ったしろもの。
グレードの高い戒名にすると、あの世で何かいいことがあるとでもいうのかしら?
死後の世界も現世同様格差があるってわけだろうか?
人間死んだら皆平等ってわけにはいかないの?
遺族にしてみれば、グレードの低い戒名、つまり安い仏門入門証を購入することは、故人をないがしろにしているような気になったりするし、「戒名は結構です」とも言いにくい雰囲気が、「世間並みの葬式」にはあります。

故人と生活を共にしていた家族であれば、故人が生前「葬式はこういうのがいい」と言っていたことなどを考慮して、精一杯故人の趣向に沿った葬式になるようにしたいと思う。
しかし、葬式に関しては結婚式ほどには好き勝手できない。ことに宗教色の無い葬式(自由葬と呼んだりするらしい)は、まだまだ市民権を得てはいないようです。
「私の葬式には、お線香も玉串も十字架も要らないから。」
と娘に頼んだところ、「それらを全て文書で残して欲しい。できたらFacebookで。」と言われました。
「母の遺言により、このような葬儀スタイルになりました。」と説明しなければ、「こんな葬式をするなんて、なんて親不孝な!」と世間に非難されるのは、残された子供たちだと言うのです。

そんなわけで、自分の葬式にこだわるなら、遺言状を準備した方が良さそうです。いえ、遺言状というとちょっと物々しい。まあ「私の葬式についてのお願い」という程度のことを、今年はFacebookに残しておこうと考えています。

 


 

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12.31.11

「冠婚葬祭のひみつ/斎藤美奈子」「日本人のしきたり/飯倉晴武」

仕事納めの28日夜から風邪を引き、貴重な正月休みも台無しになっています。
起きているのも辛いが、寝てしまうには哀しい大晦日の夜。せめてブログの一つも書いておきたい。

最終日までついていない今年一年を振り返ってみると、春から、お葬式やお墓、宗教について考えさせられるいくつかの祭事があったため、関連した本を数冊読みました。
その中で面白かった2冊をメモしておきます。

「冠婚葬祭のひみつ」斎藤美奈子/岩波新書
 冠婚葬祭、それはきわめて不思議な、そしておもしろい文化である。
まれにしかないビッグイベントだからだろう、冠婚葬祭に遭遇すると、人はみな、そわそわと浮き足立つ。日頃は気にもしない「しきたり」「作法」「マナー」「常識」「礼儀」などが急にパワーを発揮するのも冠婚葬祭。日頃は信じてもいない宗教が急に必要になるのも冠婚葬祭。日頃は忘れている「家」の存在を強烈に意識するのも冠婚葬祭だ。(「はじめに」より抜粋)

 私は無宗教者である上に、「しきたり」「作法」「マナー」「常識」「礼儀」という言葉自体に、軽く拒絶反応を持つ者です(ついでに言えば「品格」なんてのも)。
こんな私でも社会生活を営む以上完全に避けることのできないのが「冠婚葬祭」。
そして何故かしら、親戚付き合いにおいてもめごとの種を生み出し、火を点けるのも「冠婚葬祭」の場。

そもそも最初にその、「作法」や「マナー」とかを思いついたのは誰なんだ?冠婚葬祭の「常識」とか「礼儀」とか、いったい誰がどうやって決めているの?って疑問に思いませんか?

気持ちをカタチであらわしたものが「作法」「マナー」になっていくんでしょうけど、それが「しきたり」となっていくと、何故かしら気持ちよりカタチが大事と押し付けがましくなっていくように思います。
この本は、「しきたり」に逆らうのは難しい、と思っている方が読むと、ちょっと気楽になれる1冊 です。 

 もう1冊は、 「日本人のしきたり」飯倉晴武[編集]/青春新書

日本人の信仰のルーツや人生の節目節目で執り行われる行事の由来やしきたりなどを、簡潔に、また、中国や韓国から移入された思想や宗教がを日本的にアレンジされ、時代の変遷とともに廃れたり、形を変えていく様をさらりと、紹介しています。

「正月行事のしきたり」の項を読むと、「初日の出」を拝む習慣は、古来からの習慣かと思っていたら、意外と近年に始まったことのようです。
おせち料理はもとは正月料理ではなかった」とか、「年男とは、もともとは、正月行事を取り仕切る男のこと」とか。
クイズ番組で出題されているようなトリビアが満載ですね。

年末最後の大晦日は、「新年の神様である年神様が来るのを、寝ないで待つ」のがしきたりだそうです。でも、もうこれ以上起きて居られない。年神様を万全の体調でお迎えできなくて残念です。

皆さまはどうぞ良いお年をお迎えください!!

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12.11.11

「本の本」斎藤 美奈子

最近、“斎藤美奈子”に嵌って、ブックオフで見つけるや必ず購入しています。
きっかけは、『打ちのめされるようなすごい本』(米原万理/文春文庫)の中で米原万理さんが「斎藤美奈子の本は全部読んでいる」とファンぶりを披露していたので、じゃあ、私もちょいと1冊読んでみるかと『モダンガール論 』に手を出したのが始まり。
気が付くと
『誤読日記』
『読者は踊る 』
『物は言いよう』
『冠婚葬祭のひみつ』
『それってどうなの主義』
『文章読本さん江』
『妊娠小説』
『文壇アイドル論』
『文学的商品学』
と読み続け、もう一冊、あと一冊、もう無いのか?もっと読ませろ!と酒乱気味になっていました。

文庫化されている作品が少ないせいか、売れっ子作家ではない(たぶん)せいか、大型書店でも棚に無く、取り寄せ扱いの物が多く、結局はアマゾンで中古本を購入。
ついに、コップ酒じゃあ満足できず一升瓶をラッパ飲みするアル中(実際にはこんな人見たことないけど)さながら、厚さ5cm、ページ数にして730ページの『本の本』まで手に入れてしまいました。
そしてそれを一気読み・・・というわけにはさすがにいきませんでしたが、読んでいる間の数日間の楽しかったこと。気持ちよく酔わせていただきました。

『本の本 1994-2007』(筑摩書房 2008年)は、斎藤美奈子さんが「1994年7月から2007年3月まで、新聞、雑誌など各種媒体に発表した書評および読書エッセイの詰め合わせ」というものです。
『本の本』の索引をもとに私が数えたところ、この本の中で名前が挙がった作家の数は633人。(数え間違いがあったらお許しください。)
取り上げられた作品数は、面倒なので数えませんでした。

私は新聞を取っていないし、最近では雑誌もめったに読まないので、「書評欄」というものを目にする機会があまりありません。だから「新聞や雑誌の書評欄なんて、評論家が出版社や作家の意向に沿った提灯記事を書いているに過ぎないのだろう」てな冷めたイメージを勝手に持っていたのですが、世間知らずでした。

斎藤美奈子さんは小説・随筆はもとより、学問書、歴史書、文化論、文化史、趣味・教養系と幅広いジャンルの大量の本と一冊一冊、真摯に向き合って、その作品の上っ面を読んだだけでは見えてこない面白さを的確な言葉で読者に伝え、ここまで言っていいのか?仕事が来なくなるのではないか?と読者が心配になるほどの毒舌でもって作品のダメだしをビシバシとやってのける。この毒舌が痛快です。くせになりますよ。

それにしても、仕事とはいえ大変な読書量です。
日頃私は”趣味は読書”なんて放言していますが、この『本の本』の中で、読んだことのある本はたった12冊でした。
『平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺信彦博士、並びに、』(石黒達昌/福武書店)という奇抜なタイトルの本が存在することにも驚きました。
聞いたこともない作家名も盛沢山。
すぐにでも読んでみたい気になる本も20冊ほどリストアップできて、収穫の多い1冊となりました。

私ではこの『本の本』の魅力を十分にお伝えすることができないので、興味のある方は『松岡正剛の「千夜千冊」遊蕩編』(1927夜)を読まれることをお勧めします。 

 

 

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11.23.11

引っ越しの理由

先月、築25年の我が家を売却し、築45年の中古家に引っ越しました。
25年ローンを組み家族四人で住み始めた家を、売ってしまって一人で出て行く日が来るなんてね。想像したことはありませんでした。

いずれは夫婦どちらかが一人残されるのが世の常だとしても、日本人の平均寿命通りなら、定年後夫婦二人の長い老後があり、女性の方が6、7年は長生きするらしいから、年上女房の私の場合、晩年は4、5年ほど独居老人生活を余儀なくされるかもしれない。でもまあ、それは考えたところでどうなるわけでもない、ずっとずっと先の話。と高をくくっていました。
しかし私は、想定よりもずっと早く、そして想定以上に長い年数を独りで暮らし、生計を立てていかなければならない運命を与えられたようです。

私の生活設計はシンプルです。
「体が続く限り働くだけ働く」、「年齢とともに生活を縮小していく」
この二つだけ。

家族四人で住んだ家も庭も、私には手に余るし、郊外の暮らしは豊かな自然があるというわけでもなく、車が無ければ生活できない、ただ不便なだけの地域です。
町に行けば車無しで生活できるだろう、仕事だって田舎よりは見つけやすいだろう、ここよりはマシだろう、と都会に流れて行くフリーターのごとく、山を二つ超えて市街地に引っ越してきました。

「家族で暮らした思い出のある家を売るなんて!」と何人かの人から驚かれたり、呆れられたりしましたが、「あの家は家族で暮らすための家だった。家族四人が揃うことはもう絶対あり得ないのだから、あの家に独りでいる意味は無い」と考え、自分で納得しています。
引っ越しを自分の意思で決定し、自分で行きたいところに強制されることなく移動できるということは、なんにせよ恵まれた、幸せなことだと思います。今年は特にその思いを強くしました。
 

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10.2.11

引っ越し料金三社見積もり

彼女のマンションを訪ねてみると、そこはもぬけの殻だった・・・。ミステリー小説なんかによくあるシチュエーションでは、驚くほど短時間で引っ越しが行われていることがあります。
彼女はかなり引っ越し慣れしている人物のようです。できたらその引っ越し過程を細かく描写してもらえるとありがたいのですが、たいていのミステリーではその辺を端折ってしまうので本当に残念です。

私は今月、人生において5回目の転居をします。
中学・高校を卒業してからのヒトの平均的な引っ越し回数ってどのくらいだろうと考えてみると、進学、就職、転職、結婚、転勤、離婚、再婚、、、人生の山場谷場を一通り経験したとしたら6、 7回ってとこでしょうか。
5回程度の転居経験ではまだまだ、人生のエキスパートとは言えないでしょう。

引っ越しのエキスパートと言えば、やはり転勤族の方たちですね。引っ越し業者選びについて3年毎に転勤を経験している方にアドバイスしてもらいました。

「単身程度の引っ越しなら赤帽が安くつくけど、家族分の引っ越しはやはり大手に頼んだ方が仕事が丁寧で時間も短く、結果満足いくものになる。」
「おすすめはA社だけど三社くらいは見積もった方が良い。」

というわけで、本日13:30から16:30まで順番に三社続けて見積もりをしてもらうことにしました。
以下、鹿児島市内距離にして10kmほどの見積もり結果です。

13:30 A社。営業員は30代男性。
「小物の箱詰めはお客様でやっていただき、全部の荷物を積んで4t車1台、スタッフ4名、67,000円。」
「大きな家具だけ運ぶ場合は2t車1台、スタッフ2名で45,000円。」
それ以外のプランの提案もなく、サービスやオプションの説明も無く「お安くしますよ」というささやきも無く、気のせいかあまり営業熱意が感じらず。薄い熱意とは裏腹に厚い立派なパンフレットを差し出し「月曜日までに返事をください」とそそくさ帰って行きました。
たいして利のない物件だということでしょうか。我が家の引っ越しは。・・・そんな侘しくも拗ねた気持ちになりました。 

15:20 B社。60歳男性。
「小物の箱詰めはお客様で。家具も小物も全部まとめて3t車1台、スタッフ2名で54,060円。」
「大きな家具だけ運ぶとしても2t車では運びきれないから、3t車で小物も全部運んだ方がお得ですよ」
「もし3t車で積み残しが出たら、料金内で2度運びますよ。」とサービス精神旺盛なところをアピール。また、いかに荷物の取り扱い方が丁寧であるかもきっちりアピール。世間話をひとしきりして地元感もアピール。A社より安いですよとアピール。洗濯機の設置サービスを声高らかにアピール。もっと安くなりませんか、と言えば負けてくれそうな雰囲気。
A社とは対照的だなあ、これぞ昭和の営業マンという印象です。熱意あり。パンフレット無し。

16:30 C社。40代後半か?女性。(女性の年齢って判断つかない。)
「箱詰めはお客様で。引っ越し先の道路幅を考えると、4t車は交通の妨げになります。2t車2台でスタッフ3名。全ての荷物を積んで保険がついて49,250円です。」
仕事の手順、サービス内容を一つ一つ丁寧に説明してくれる。押し付けがましさがなく、こちらが質問しやすい雰囲気のあるところが好感の持てる方でした。(料金が一番低かったから言うわけではありません。)他社の見積もりはどうだったかなどと訊ねることはなく、「他社との競合はしません」と料金の妥当性をアピール。世間話なし。パンフレットあり。

確かに三社三様。
ちなみにC社の場合、箱詰め料金は66,000円追加です。箱詰め作業が一番手間がかかるってことですね。これは何としても自分でやらねば!

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