2025年3月10日(月曜日)
著者 阿部暁子
出版社 講談社
死んだ弟の元恋人を、カフェで待つ姉。元恋人は遅刻している。現れた女、小野寺せつなは、デニムのつなぎ服、コンバットブーツ姿。遅刻を詫びることも無い、不躾な質問にいら立っていた姉、薫子がその場に倒れる。倒れた薫子をマンションまで送ったせつなは、強引に部屋に入り込み、そこにあった豆乳とコンソメなどで温かいそうめんを作り、薫子に差し出す。
妊活を頑張っていたのに夫に離婚され、溺愛していた弟に死なれ、アルコールに逃げていた生活であったことがわかってくる薫子。職業は法務局の供託官。
『カフネ』という家事代行サービス会社に勤めるせつな。薫子の片付けの腕を見込んだせつなが、サービスチケットで2時間業務を行う部分の相棒としてスカウトするのだ。
登場人物それぞれに、それぞれの事情がある。と、言うことが、だんだんに見えてくる。弟・春彦は自然死だったのか?自殺ではなかったか?という、ミステリーな気配も漂う。
2024年5月初版発行、この、今の時代、が、さまざま現わされる。
ところどころで涙腺緩む。誰かの姿に自らを投影させたりする人が多いだろう。が、もうちょっと先取りしてほしかったかなあ…と、感じる私は何者?
第一回あの本読みましたか大賞、その番組を見ていたので読みたいと思った作品。
2025年3月1日(土曜日)
著者 茨木のり子
ちくま文庫
茨木のり子さんの詩のファンの一人だけれど、エッセーを読んだのは初めて。1976年という時代に、ハングルを学び始めていらしたとは。1926年生まれということは50歳で始めて、韓国の詩の翻訳までに!尹東柱という若くして亡くなった詩人がいるという。1945年、日本で、獄死。独立運動の嫌疑をかけられて。韓国では詩というものが人々の身近なものであるらしいことを、ハン・ガンの『引き出しに 夕方を しまっておいた』という詩集を読んだ折に知った。日本では短歌・俳句は身近にあるけれど現代詩を読む人はそう多くは無いと思う。そんな国でもあるのだ、韓国は。
朝鮮の古代の史書『三国史記』を読んで、それは事実の羅列であった、日本書紀は、と言うと、詩歌の数が多い、と。日本の古典は散文と詩が交互に現れる、『源氏物語』など。なにやら事実の叙述だけに耐えられない性格を日本人が持っているのかも、と指摘される。ほう、と思う。日本人、日本語のあいまいさ、って日本書紀時代からの遺伝子?韓国との比較で言われているのは、日本では野の花一つ一つに名前がついている、韓国で聞いても野の花ですまされる、なども。
山本安英という女優さんの『夕鶴』を、観たことがあったなあ。いつのことだったか。その山本安英さんとお付き合いがあった話、木下順二さんの話。令和の時代の人が知らない演劇人の、佳い話。
閑話休題ちょっと寄り道。軽佻浮薄目を掩わしむ という一節があったのですが、読めますか?わたくし読めず、調べました、おおわしむ だそうで。書けないけど読む方は、なんて口にするのはやめます。
ちょっと嬉しかったのは、吉野弘の『祝婚歌』の章、昔々、私も友人の結婚式でそれを朗読したことがあったので。
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ
とうたった詩人の、背骨の伸びる思いの、文章でした。40代半ばで中国語を学び始めたけれど中級入口付近でずっとうろうろしている身、bakamonoですわ。
2025年2月22日(土曜日)
監督 パウル・ネゴエスク
出演 コリアン・ポステルニク ヴァシㇾ・ムラル アンゲル・ダミアン ダニエル・ブスイオク
広々と土地が広がる静かな田舎の村。凡庸な、部屋を売って果樹園を営む夢を抱いている警察官イリエ。若い新人が赴任してくる。新人警官ヴァリが、ゴミが落ちていると指摘する、イリエはそんなに気になるなら自分で拾え、と返す。後々、それがこの美しい土地の内情を現している会話だったことが見えてくる。
何もない何も起こらない田舎の村。ミスマープル物でよく描かれるように、そんな夢の村など存在しない。いつの話?100年前ならありそうだが、スマホを持ち、パソコンを使っている現代で、ひどい腐敗が淡々と何事も無いように蓋をされていることが次第に露わになってくる。そこに慣れ、おこぼれにあずかって生きていると見えたイリエだったが。殺人事件が起こり、一人で聞き込みを続けていたヴァリが、重傷を負ったことにより。
映画紹介のブログをサッと読み、良さそうだな、と頭の隅に入れる、ブログの中身はほぼ忘れている。で、途中まであーこれは観なくても良かったかなー、と感じていた。ちらちら笑えたりする部分もあるがなんだかなー、一見、人が良さそうだがその実おぞましい爺さんたち、村のトップ2。
ルーマニアだったのか。
秀作。ハッピーエンドでは無いが、後味は悪くない。なんだかねえ、あの戦いぶり、最後…。
2025年2月19日(水曜日)
監督 ジン・オング
出演 ウー・カンレン吴慷仁 ジャック・タン
マレーシア、最下層であろう人々の生活。
たまたま夜中のラジオでアグネス・チャンのユニセフの活動の話を聞いたばかりだった。タイで貧困という理由で売られる女の子たち、少女売春、その結果、病気になると山に捨てられる、という話。いまどき。テレビタイのBLドラマを見る、また、アジアからの旅行客をよく見かける、少し異質なお洒落をしている女の子たち、などとは全く別の世界の貧困。初めの画面でそのことを思い出していた。
聾啞者である兄と、半グレのような弟。身分証を持たず、普通の権利を与えられずに過酷な生活の中にいる兄弟。銀行口座も作れないので、空き缶の中に稼いだお金を入れている。彼らと昔から親しい女装のマニー、IDを持たない人々を助けようと頑張る女性ジアエン、兄と親しいミャンマー難民の女性、など。
後半、事件が起こる。殺意など存在しなかったのに、ジアエンのただただ親切な、行為からの始まりが、彼女を死に至らしめてしまう理不尽な経緯が。
長距離バス?に乗り逃げる兄弟。
弟を置き去りにして自首する兄。
刑務所で、僧侶に向かって手話で強く気持ちを吐露するシーン。今まで地道に辛抱強く生きていると見えた彼の中に溜まっていた不毛の想い。
ゆで卵の殻を互いの額に打ち付けて割るシーン。子供の頃からの習慣。残り三日、となった時にもそれをする。
ジアエンに対しての気持ちは?とかおい弟!とか割り切れないものはありつつ、ビーと涙しました。吴慷仁、台湾の俳優さんだそうです。いい俳優さんです。音楽が片山涼太という日本人、台湾で活動している人だそう。
マレー語・英語・北京語・広東語、そして手話、多民族国家マレーシア、IDを持たない流れ者たちがそれ以外の言語で話していたかもしれない。ポスター(チラシ)見ただけでは『ブエノスアイレス』系の作品を想像しそうだ、血のつながった兄弟ではないが、そいうことではない。
2025年2月17日(月曜日)
著者 恩田陸
出版社 筑摩書房
バレエマンガは昔からたくさんある。いにしえの『アラベスク』など、いくつか読んでいる。バレエ小説は?私は初めてだった。
バレエのワークショップで、JUNには目に留まって仕方がない参加者がいた。HAL。純は両親がバレエ教室をやっている。春はある日バレエの側から捕まえに来た、ような、バレエの師との出会いがあり、8歳から始めた。いわゆるバレエの申し子。いや別に天才と努力の人などと、単純に描かれたりはしない。
萬春よろず・はる 男性。バレエダンサーにして若い時から振り付け家である春を巡り、純を始め、叔父の志田稔、滝沢七瀬、そして春本人が語る形で描かれる。それ以外もそれぞれ魅力的な出演者たち。
私の身内に踊る人がいたから、バレエも少しは観ている。どちらかというとコンテンポラリーが好きだ。ずいぶん昔のことだがこの本にも出てくるジョルジュ・ドンやショナ・ミルクの公演を見たこともある。そのレベルの人間が一番楽しめるかもしれない。七瀬が作曲し春が振りつけた作品を観たい!存在しないけど。あたかも実際にあるもののように思える。“紅天女”なんてのも出てくる。話の中でもまだ創られていないけれど『砂の女』を映画化の時の武満徹の音楽で、とか、おーい、どんな作品になるんだよ、と思う。『アサシン』とか『蜘蛛女のキス』とか製作された(この小説の中で)ものはどんな?
ずーっと、なにやら人間離れしている存在(まあ例えば羽生弓弦か)に感じられた春だが、本人の語りになってにわかに生々しくなる。ちょっとお!おーい…。な、気分でもある。
『蜂蜜と遠雷』はクラシック音楽の世界の話だった、あれもピアノコンクールのことを何年も取材しただろうことがしのばれた。こちら『spring』の帯には構想・執筆10年とある。そりゃそうだろう。
踊る人だった身内は、もう地上にいないので、ねえ、あれ読んでみて、踊り手としてはどう思う?と聞きたいのだが答えは返らない。
この単行本、真っ白のカバーを外すと本体の表紙がカラフルです。
2025年2月12日(水曜日)
著者 ハン・ガン
出版社 クオン
表紙デザインが良い。その帯に、これは小説なのか、それとも実話なのか。と、ある。
数ページずつしか読み進められない。厳しい内容だ。光州事件 1980年5月18日から27日にかけて光州市を中心に発生した、市民による、軍事政権に対する民主化要求の蜂起。そのさなか、運動に参加した、あるいは巻き込まれた、誰かや誰かの、エピソード。
1980年に、隣の国では、軍事政権により民主化を求める人民が虐殺された、という現実。作家は一人一人のことをきちんと取材したのだろうドキュメンタリーのような描き方。インタビューはしなかった、見られる資料はすべて目にした、と作家は話しているという。現実に15歳中学三年生で殺された少年がいた、そのありようを中心に進んでいく。自国民を相手にしてかくも残虐な行為が。
映画『タクシー運転手』などで光州事件について多少のことは知っていた。文字によって、事細かくあらわされる陰惨さ。もう一度さっと読み返そうと思ったが、できない。このドキュメンタリータッチでありつつ幻想的でもある小説を、読み返せないただの読者の私がいるのであれば、書き手であるハン・ガンが、このあとたまたま縁があったポーランドで時を過ごし、『すべての白い物たちの』を書きあげたことを、ああ、そうか、と思う。書くことで負った傷をいやすための、時間と表現が必要だったと。
2025年2月10日(月曜日)
監督 フェリックス・チョン
出演 トニー・レオン アンディ・ラウ シャーリーン・チョイ
梁朝偉、劉徳華20年ぶりの共演、そりゃあ観に行きますよ。
が、いつものように何の知識も無く観たら…初めの方ではもっとコメディになりそうな絵柄だったのだけど、あれ?まあ私に経済の知識が無さすぎたり時代設定いつ?になったりそのICACって何?どんな組織?どっち側?とかとっ散らかってしまいましたのさ。
後半になって、さすがにわかってきてから、ああこれ最初からもう一度観たい、と思ってしまいましたわ。この映画を観る人はだいたい『インファナルアフェア』を知ってるはず。そのインファナルアフェアトニーとアンディの立場が逆転した状況、トニーさん凄腕詐欺師、アンディが汚職対策独立委員会ICAC捜査官、というくらいの基礎知識を持って観たらよかったなあ…。
80年代の香港はバリバリに好景気、そういう時代はどちらのお国でもずいぶんお下品なお遊びが、とか昨今の某TV局騒動未だにあの時代気分のまま…など思い起こすものであったり。
この女性見たことある気はするけど、と思ったら、ツインズの蔡卓妍シャーリーン・チョイか。若い時の映画しか知らないし。そしてサイモン・ヤムがあーさすがにおじさん、えーと知ってる人そうそうアレックス・フォンだった、など。
これが実話を基にしているってのがすごい。いずれネットフリックスとかで観られることを願うものなり。広東語を聞き取ろうとすることに気を取られていてなんだよさっぱり、と思っていたのも理解が遅れた理由の一つだったけど、きっと福建語部分が多かったんだろうなあ。頓狂な額の詐欺であの程度の罪かー。
2025年2月6日(木曜日)
監督 ソイ・チェン アクション監督 谷垣健治 音楽 川井憲次
出演 ルイス・クー、サモ・ハン、リッチー・レン、レイモンド・ラム、フィリップ・ン
九龍城砦、かつての香港に実在した、間違って一般人が入り込んだが最後、と噂された治外法権継ぎはぎ迷路状スラムのビルのを舞台に、80年代黒社会が張り合う中で。
密航して来た陳軍洛は、格闘試合で勝ち進んで賞金を手に入れようとする。身分証を手に入れるために。が、試合を取り仕切るのはやくざの親分、強い男を手下として取り込むことだけが目的だった。だまされて逃げる途中に金の袋と思って引っ掴んだものには麻薬が入っていた。九龍城砦に逃げ込んだ陳洛軍。
もうねえ、30回ぐらい死んでるだろう(それぞれが)、って香港王道アクション映画久しぶりに観ましたよ。何の知識も無しに観に行った私、古天楽ルイス・クー、任賢斎リッチー・レン、ああかつてのお兄さんたちがおじさんになられて、しかしバッシバシのアクションなさって!御大サモハンは言わずもがな。ん?この人は?郭富城アーロン・クォク!いちいち嬉しいご対面感。陳洛軍役の林峯レイモンド・ラムは若く見えたが彼ですら1979年生まれだって。
悪の砦のような九龍城砦にも、生活があり子供も暮らしていて、助け合う仲間達がいて。浮かび上がる過去のしがらみ。
気功で全身が刀も銃弾も通さないというトンデモ悪役、誰?フィリップ・ンと。この作品でブレイクしたとか。
九龍城砦、クーロンと、よく呼ばれるけれど、広東語でも北京語でももちろん日本語読みでも無いのだが、何語読み?元々は清朝の時代に建設された城砦なのだそうだ。前日譚、後日譚と3部作の予定とか。それは嬉しい。写真はおまけについてきた4枚つづりのハガキから、陳洛軍バージョン。
追記 クーロン読みは、ウイキペディアによると日本兵がそう呼んだ、兵隊シナ語なるものだそうだ。ピジン言語と。
2025年1月31日(金曜日)
著者 レティシア・コロンバニ
出版社 早川書房
パリで弁護士として活動している女性、ソレーヌは、ある日、判決が出た直後のクライアントの自殺を目撃する。そのことで(もう一つ、男との別れを引きずっていることも)鬱になり、休職する。医者は彼女に、恵まれない女性たちの代書人というボランティア活動を勧める。気が向かない彼女だったが、さまざまな理由で住む場所の無い女性たちの保護施設で、代書人を務めることになる。家庭内暴力、故国のひどい因習(女性器切除)、麻薬中毒etc.から逃げてきた女性たち。
それと並行して描かれる、1920年代に生きた救世軍女性ブランシュ・ペイロンの人生。貧困、差別の中で生きる女性たちの居場所を作るために、戦い続ける。まだまだ女性は権利を持たない時代、結婚し、6人の子供を夫と協力しながら育てつつ、病を押して挑んでいく。
ソレーヌは、女性たちの外側から補助するという立場から、次第にその内側で共感を覚えながら代書するように変わっていく。
そして、長い時間とたゆまぬ努力と協力への呼びかけの積み重ねの上に、ブランシュが創った女性会館が、現代のソレーヌが出入りしている場所であることがわかる。実在した女性らしい。
なーんて書き方ではこの本の魅力を伝えられないのだが、これ、某公共施設の図書コーナーで一気読みしたもので手元になくて。同じ作者の『三つ編み』は、困難な状況にある女性たち本人を描いていたが、こちらは彼女たちにかかわっていく立場から描かれる。少し気持ちが落ちているときに読むと、ちょっと私も頑張ろう、と思える気がする。ブランシュのパートを読みながら、実際にホームレスの人たちに手を差し伸べている知人を思った。
2025年1月15日(水曜日)
著者 松下洸平
出版社 角川書店
ずいぶん久しぶりに、タレント本の棚に並んでいた本を手にした。フキサチーフとは、描きあがった絵に吹き付ける定着液のことだと。“ダ・ヴィンチ”に連載していたそうだ。
この松下洸平という俳優さん、NHKの『スカーレット』でパッと有名になったけど、その2年ぐらい前?だかいつだったか、BSで結構前のドラマをやってるでしょ、伊原剛志が妙なぼさぼさヘアでヘンな警視、その警視の相棒というか秘書というかそんな役で出ていて、全然知らない俳優だけどこの人は新人じゃないでしょう、と思って調べてみたら、なんだそのシンガーソングペインターって?と、印象に残っていたのですよ。『トクボウ 警察庁特殊防犯課』ってものだったらしい。
まあそれで軽い贔屓の俳優さんで。イラストも本人だというし。
とても普通に、日常の軽い発見だったり、経験、子どもの頃、など綴られる。サクランボの種を外して実の部分だけ口に入れてもおいしく感じないそうだ。あんまりマンガを読んでいないけれど、『ハチミツとクローバー』はお気に入りだそうだ。
なんてことは無いのだけれどなんとなく、ちょっといい、エピソード、文章。
イラスト、うまいのだけど、どうして目が縦長?口元もなんだか誰かの影響?誰?
調べたことがすべて記憶に残るものなら…。今朝の新聞で、高校入試に、まさに茨木のり…