2025年11月6日(木曜日)
著者 岸田今日子
出版社 講談社
小説現代増刊「メフィスト」に連載された短編集、ということだが、メフィストと言うものの存在を知らなかったな。
最初の『オートバイ』、その後半に、マンディアルグの『オートバイ』と言う小説を、かつて愛した若者がくれた、というエピソードがあって。1968年の映画ではアラン・ドロンとマリアンヌ・フェイスフルで『あの胸にもう一度』と言うタイトルになった、けれど、原作では禿げた中年の哲学者で、などと思い出す。そしてそこからインスパイアされたかという物語を岸田今日子さんはこんな形に紡ぐかー…。
メフィスト はミステリー・伝奇小説・SFなどの分野のものだそうで。でもこの短編集をどんなジャンルにくくるかというと、むずかしい。かつて「子供にしてあげたお話してあげなかったお話」を読んだ、そのあと私はなぜこの人のものを読まなかったかなあ、と、思う。女優の書いた物語ではない、本物の書き手による(女優としての物語が、最後の『引き裂かれて』であるが)、稀有な作品だと思う。
2005年に連載されて、2006年12月には76歳で亡くなっている。
2025年10月8日(水曜日)
著者 山田詠美
講談社文庫
山田詠美のデビューからファンだった。
いつの間にかあまり読まなくなった。何かで今は日本人と結婚していると知って驚いた。
かつての彼女の作品で、基地の黒人の恋人との奔放な真摯な恋愛模様、別れなど描かれていた、それが非難されるべき生き方などとは微塵も思わなかった。が、当時、一部のオジサンたちには面白くないことであったらしい。へーえ。実に、へーえ。確かにクラブのホステスなどの職業、黒人と付き合う女たち、恋愛の合間に軽食のような関係を持ったり、私の知らない世界で物語は動いていたけれど。
野坂昭如が言ったそうだ。「そりゃ嫉妬だよ、だってあなた小説うまいじゃないの」何かに秀でた女に嫉妬する男は何かしらケチつけるものを見つけようと躍起になる、のだって。令和の今、芥川賞であれ直木賞であれそのほかの文学賞であれ、女性の受章者は多いよね、実に隔世の感。
半村良、久しぶりに目にした名前だ、彼の言葉に“作者は読者のなれの果て”というのがあるそうだ。なるほどね、作家の皆さんどちら様も、どこにそんな時間があるんだか、誠にによく読んでいらっしゃると思う。例外として先日見たテレビ(あの本読みました?)の中で若い理系の作家さんが、読まずに生きてきて、突然ストーリーが湧いた、デビューしてから読んでいる旨の話をしていて、驚いたが。詠美さんも本ばかり読んでいないで、と言われる子どもだったようだ。フランソワーズ・サガンの『悲しみよ こんにちは』に出会って酔う中学生…今では存在しないだろうなあ。えーと、現国の教科書読むのが楽しみだったのは、私も同じ。
湾岸戦争が勃発し、「湾岸戦争に反対する文学者同盟」と言うものができて誘われた時の話。夫がアメリカ軍人なのに行けるわけない!という、まさに当事者だった彼女の叫び。
宇野千代ファンなのは知っていた、さもありなん、な気がするが、河野多恵子が都度都度適切なアドバイスをくださった、と言う。そしてうっかり河野先生、と呼んだら、あなたの先生は宇野千代だけじゃなかったの、と意地悪な声音で言われた、って。
田中小実昌、水上勉、ほかいろいろな作家の名前が出てくる。ストリップ小屋でのアルバイトを終わる時の、そこの主のようなオジサンとの話も良い。
1959年生まれの詠美さんだったか。そうか。
2025年10月3日(金曜日)
著者 ルシア・ベルリン
講談社文庫
書店のお薦めコーナーに並んでいて、手に取った。予備知識無し。
短編集。読み進むと連作のようになっていることに気づく。その一作一作、ずしりと響く。作家の自伝的なものであるようだ。父親が鉱山技師で、北米の鉱山町を転々とし、成長期の大半をチリで過ごした、のだそうだ。3回の結婚と離婚、4人の息子を育てながら教師、掃除婦、電話交換手、看護助手などをして働く。アルコール依存症だった。書くことの才能が有るなら、ネタは満載の人生。
一作目が、メキシコのもとは工場だったらしいところでたくさんの女たちと堕胎手術を・・・受けないで帰る。堕胎を勧めた女友達に、あきれた、と言われながらもなんだか空気が澄んでいるような話、『虎に嚙まれて』。最後の作品は、実際晩年に書かれたものらしい。70歳で酸素吸入していて関節炎を患っている女性が、トイレの床のタイル貼り工を探して電話し、答えてくれた男の声が、ハスキーでノンシャランで、笑いとセックスが見え隠れする声、だった。来たのは大男でとても太ってとても年取って臭くて、一発で気に入った。418頁から424頁までの短い話。
本作より先に、2019年に『掃除婦のための手引書』が出版されていて、それは全作品76編の中から43編を選んで、2015年に出版された『A Manual For Cleaning Woman』の中から24編を訳したものだった。本作でそのすべてが日本語訳された、ということだ。
かつて知る人ぞ知る、という作家だった人が、広く知られた、ということになった。私はまーったく知らなかったが、『掃除婦のための手引書』は本屋大賞翻訳部門で2020年の第二位だったそうだ。寝る前に本を読む習慣の私は、一晩一遍読んだら本を置き、たっぷり時間がかかることになった。かなり悲惨な状況も描かれるが、その孤独に、自己憐憫が無い。
2025年9月29日(月曜日)
著者 ハン・ガン
出版社 クオン
ハン・ガンを今まで3冊かな、読んできたが、4作目…う、何?
ブラジャーを着けたがらない、ということはあったが、夫にとってごく平凡な、良い妻だった。ある日、夢を見た、と言って、一切の肉料理を放棄するようになった。血塗られた夢たち。眠ると血まみれの夢を見るから眠らなくなる。
無理やりに娘の口に肉を詰め込もうとする父親。家族。
野菜しか食べられなくなった、植物になりたいと思う女の『菜食主義者』、その義兄である舞台?映像?の演出家であるらしい男が主役の『蒙古斑』、演出家の妻、菜食主義者の妹による『木の花火』の連作。
阿部公房を思い出すような世界の飛び方。だがある種の韓国映画の世界でもあるなあ。
なるほどこの作家はノーベル賞受賞者なのだ、と。
儒教的家父長制の残る韓国、その抑圧、無理解、などで説明してもあまり意味は無いかもしれない。
『蒙古斑』の話の中で、ある意味救われそうになる。バタバタと叩き壊されていくが。私にはこの話が一番、何がしかわかる気がした。
作家の後書きに、これを書いていた頃のメモが紹介されている。慰めや情け容赦もなく、引き裂かれたまま最後まで、目を見開いて底まで降りて行きたかった。もうここからは違う方向に進みたい。
作家の父親も韓国では著名な文学者・漢勝源であり、中上健次と親しかった、のだそうだ。なんと中上健次。
2025年9月25日(木曜日)
著者 白川尚史
宝島社文庫
舞台は古代エジプト。
死んでミイラになった(そのように加工された)神官のセティ、心臓に欠けた部分があり、死後の審判を受けられない。なので心臓の一部を取り返すため、地上に戻ることになる。腰から下はミイラとなるために木でできた義肢、義体というかたちのまま。期限は3日間。
で、現世の紀元前14世紀エジプトではその身体の彼を、驚きながらも普通に受け入れるのだ。と、いう設定を作家が想起したところで成り立った物語で、そしてこの物語の最後あたりで腰から下が木製であることの意味が…。
先王アクエンアテンの遺体が消えた。多神教のエジプトにあって唯一、アテンという一神のみが神だとした王。
古代エジプトと言えばクレオパトラ、ツタンカーメン、ネフェルティティぐらいしか名前を知らないが、古代エジプト物のマンガも結構あり、出てくる神の名などはまあまあ聞き覚えがある。アクエンアテンの息子が、トゥクトアンクアテン改めトゥクトアンクアメン、つまりツタンカーメン、だって。
幾重にも頓狂な設定の中を淡々と(かな?)物語が進み、解き明かされていくファンタジーなミステリー。私は楽しく読みましたよ。
東京大学工学部卒の作家で、ほかに職業があって取締役兼執行役、だそうで、このミステリーがすごい!大賞受賞作。
2025年9月16日(火曜日)
監督 エンジェル・テン
出演 テレンス・ラウ 劉 俊謙 フェンディ・ファン范少勳
ポスターでは一人の青年がもう一人の肩に頭をあずけている。そういう話?と思わせて、ちょっと違う話。
香港の人気作家である天宇に盗作疑惑が浮上。傷ついた彼は、台湾のどこかにあるという“鯨が消えた入り江”を探しに行く。かつて文通していた台湾の少年がそのことを教えてくれたのだ。
台湾の繁華街で酔いつぶれた天宇を、チンピラの阿翔が助ける。彼の部屋にはレスリー・チャンの映画のポスターがあれこれ貼られている。阿翔が“鯨が消えた入り江”に案内すると言う。初めはバイクで、後には旧型の車であちこちに連れまわすが、目的の入り江ではない。チンピラ仲間にも追われている。
台湾の田舎の深い緑、海の美しさ、そして誰かさんが亡くなったシーンの90年代香港映画っぽさ(90年代だったらこうやってアンディ・ラウが死ぬ)!、ファンタジーな作り、どれを取ってもわたくし好みなのであり。そういうお方に観てほしい、レスリーファンに観てほしい、ので、ネタバレ的説明は致しません。韓国物によくある時空が飛ぶ形なのだけど、どちらかと言うとタイ風味な気がする。墾丁という場所は、台湾最南端だって。
テレンス・ラウって『トワイライト・ウォリアーズ 決戦! 九龍城砦』の時とずいぶん印象が違う。端正な顔立ちで欠点が無いとなかなか顔を覚えられない私であるせいか。相方の台湾俳優フェンディ・ファンもきれいな顔立ちなのが荒れたチンピラ役、この人もほかの作品で観たい。
観終わった夜の街、トワイライト・ウォリアーズの時とは違う浮かれ気分で帰途に就く。。ネットフリックスでやってるらしいよ、張国栄ファンのお方、観ましょ。
2025年9月5日(金曜日)
著者 乃南アサ
新潮文庫
家裁調査官という職業については、この文庫の解説で説明している。少年非行に対応するために、心理学・教育学・福祉学・社会学・法律学と言う5領域から選抜されるものだという。そして、この連作の最初の『自転車泥棒』の中にも説明がある。「少年」と呼ぶが、女子も含まれること、問題を起こした少年の「問題の原因を探る」ために存在するのが家庭裁判所調査官であること、など。
例えば親の過干渉、発達障害、ドメスティックバイオレンスそれも性的な、etc.。
庵原かのんはホテル業界で3年働いた後、裁判所職員採用総合職試験を受けて家裁調査官補に採用されたという経歴を持ち、遠距離交際中の恋人がいる今年35歳になる女性。ビアンキという(イタリア製の)自転車に乗っている。この仕事は3年おきに転勤がある。だから、彼女が担当した少年のその後を知ることはまず無い。
こういう職業に就くには、自らの精神のバランスがぶれない、揺るぎが少ない人でないと難しいだろうなあ…と、何かと揺らぐ私は思う。
動物園に勤めている恋人とか、弟とかがチラッと出てくるのだがこれがなかなか魅力的。恋人との関係の中で、ちょっと心が揺らぐシーンがまああるけどね。
乃南アサは、東京家裁で家庭裁判所委員を2期務めた後、これを執筆したそうだ。かつてこの作家の作品を『凍える牙』を始めいくつか読んだ。庵原かのんの続編やそのほかのものにまた手を伸ばそうという気になっている。帯には乃南ミステリー新シリーズとある。広義にはミステリーかな?
2025年8月19日(火曜日)
著者 王谷晶
河出文庫
7月に英国推理作家協会賞・ダガー賞の翻訳部門で日本人初の受賞!とニュースになった作品。ダガー賞というものは目にしたことがあるけれど、王谷晶という日本の作家のことは初めて知った。そしてニュースで知ったその姿はなかなかのインパクトがあった。
暴力団排除条例とか法律上の規制が厳しくなる前の時代、ヤクザの組に路上でスカウトされてしまう女、新道依子22歳。組長の娘・内樹尚子の運転手兼ボディガードとして。
最近は血腥い小説を読まないが、かつて読んだ裏社会物のどれよりひどい気がする暴力と下卑た言葉の暴力と下卑た男達の頭の作りたるや、実に!なんだかんだ言って、男性が書くと同じ事でももう少し理屈つけカッコつけた任侠世界っぽくなるんじゃないか。女性作家だからこその身も蓋も無さ。
なんだけど。
そもそもババヤガって何?ググったら、スラブ民話に出てくる魔女バーバ・ヤーガ、日本の山姥に似て、人をさらって食うこともあるが人助けもする、というものだそうだ。ムソルグスキーの『展覧会の絵』の中に『鶏の足の上に立つ家 バーバ・ヤーガ』と言う楽曲があるって。なんだか祖母を指す意味もあるとか。で、もう一度この暴力小説を読み直すと、そう、新道依子は祖父からは暴力の使い方を教えられ、青灰色の目をした祖母からはお話を聞いて育ったのだが、依子が一番好きだったのは鬼婆の話で、鬼婆は鶏の足が生えてる家に住んでる、というのをお嬢様尚子に聞かせる部分があるじゃないか。
四十年後、というところに及ぶのだが今から読む人のために詳しくは申しません。トンデモな破壊力、でも読後感は悪くない。映画化したくてもキャスティングが厳しい、セリフが(だけじゃないが)汚すぎる、たとえ映画化されたとしても、決して地上波で放映できないね。
2025年8月7日(木曜日)
監督 高橋伴明
出演 毎熊克哉 北香那 山中聡 原田喧太
ちょっと気にはなっていた作品を、高く評価している人がいたので、映画館へ。
東アジア反日武装戦線、腹腹時計、古い記憶の隅にはある。70年代のその過激な活動を語るシーンにはイライラうんざりしてああ間違ったかな、と思っていた。が。
70年代の連続企業爆破事件により指名手配されていた男、桐島聡。2024年1月、末期の胃癌で神奈川の病院に入院していた男が、桐島です、と名乗ったというニュースに驚いた。指名手配ポスターで長年目にしていた男。内田洋と名乗って、土木関係の仕事に就いて普通に暮らしていたのだった。
ライブハウスでもあるバーのマスター役を原田喧太がやっていて、お、と思った私であります。原田芳雄さんの息子のギタリスト。今でもたまに演技もやっているのか。まあこの役は役名もケンタ、芝居は要らないけど。その店でキーナと言う女性が歌った『時代おくれ』を聞いて、店を飛び出して涙する内田洋。北香奈が演じるキーナの澄んだ声のその歌は、河島英五の歌であることをちょっと忘れる雰囲気。
淡々と普通に、カラオケで歌ったりバンドの演奏に浮かれていたりする生活、だけれどキーナに寄せられる思いに答えることはできない。テレビ画面でしゃべる安倍首相に耐えられず画面に物を投げる。そこは監督の感情だったかもしれないが。
過激派の理屈の部分が過ぎたら、その地味な生活に引き込まれていた。
出自がロマンポルノやピンクの役者さんが何人か出ている。ちょっとした感慨。
2025年7月20日(日曜日)
監督 ニック・チェク
出演 ロー・ジャンイップ ロナルド・チェン ショーン・ウォン
高校教師のチェンが勤める学校で、自殺を思わせる遺書のようなものが見つかる。“私はどうでもいい存在だ”というその言葉が、チェンの子供の頃の記憶と重なっていく。弁護士の父は、躾と言えば体罰しか頭にない厳格な親だった。勉強もピアノでも良くできる弟と、どちらも頑張ってもできない兄。兄が書き綴っていた日記。
初めの方に、兄が屋上から飛び降りる映像、が、そこにはもう一段低い部分があって、その上に立っている兄。
眠れないから精神科に連れて行って欲しい、と、親に頼むだけの判断力がある子供、その要求を蹴る親。父だけではなく、母もまた夫からのドメスティックバイオレンスの犠牲者でもあり、それから逃れるために兄を責める。
ある日、とうとう身を投げる兄。母は家を出て行く。
地味な教師になっているのは兄だと思って観ていたのは勘違いだとここでわかる。親の言うなりに何も考えず優等生の道を進んでいた弟も、その道を行くことはできなくなる。
たいへん優秀な兄妹の間で、そこまでではなかった同級生、とか、よくある話だよね。勉強が好きではない人から見れば、それでも十分良い学校に行ってるじゃないか、と思えるのに、何かしら心を病んだ噂が伝わってきたりしたことが、私の周りでもかつてあった。
この映画の場合、そんなに大昔の話でもないのにどうしてそこまで?と思ってしまう両親の在りよう。父親役のロナルド・チェン鄭中基を、昔、歌手として知ったのだった。
この先観る機会があるかもしれない誰かさん、その後がどうなるかは、ご自分で確かめてください。良くある話、ではありますが、佳作だと思います。ニック・チェク監督のデビュー作。主演のロー・ジャンイップは監督もする人だそうです。
2頁で終わる夜もあるし、しばしば友人が渡してくるミステリーを、今は読み進むことが…