ミナリ

監督・脚本 リー・アイザック・チョン
出演 スティーヴン・ユァン ハン・イェリ ユン・ヨジョン

ミナリとは韓国語で芹のこと。
1980年代、韓国からアメリカに移民としてやってきた家族。農業で道を開こうとする夫、アーカンソーの広い土地とトレーラーハウスを見た妻は、話が違う、と言う。夫婦共にひよこの雌雄を判別する職場で働く。
息子は心臓に問題を抱えていて、子どもたちの世話のため韓国から妻の母親を呼び寄せる。子供に花札を教える、おばあちゃんらしくない、と孫から言われるあまりお行儀よろしくもない庶民のおばあちゃん。おばあちゃんは離れた水辺で芹を育てる。

広大な土地。井戸を掘って水を供給、トラクターで耕し、隣人の手助けはあるもののほぼ一人で
野菜を育てる。
井戸が枯れる。

狭い日本の片隅でそこそこの菜園をやっている私としては、その広大な土地は、魅力的なものとして映る。が、無理でしょ一人でその作業は。肥料はどうするんだろう、など思うよ。

息子の心臓が良くなってきてるんだよね、それって今の環境が向いてるってことでしょ、そこへさあ・・・と、ちょっと思うが。夫の側、妻の側、どちらに肩入れするにせよ、イラっとする場面あれこれ。

そして事件が。

おばあちゃんを演じるユン・ヨジュンさんはドラマで見慣れた女優さん。

好きな映画でした。様々な映画祭で受賞、さて、アカデミー賞前夜です。
基本、美形も出ないし淡々と生活が進む、という作品なので、退屈する人がいるのはわからないでもない、というところ。

我らが少女A

著者 高村薫
出版社 毎日新聞出版

この作品で合田雄一郎は57歳、警察大学校教授になっていた。
久しぶりに高村薫を読み始めて、緻密だなあ、うまいなあ、と、思っている。初期のものだって、何だろうこの銃の取り扱いについての詳しさ、とか、思った記憶があるが。うまいなあ、なんぞ一介の読者から言われる筋合いはなかろうけれど。

上田朱美という女性が殺された。同棲していた男が出頭する。朱美が使い古しの絵の具のチューブを持っていたエピソードが、供述の中で出る。前に野川公園で殺された人が持っていたものだと言っていたと。

コールドケースを扱う特命捜査対策室(って実在する?虚構?)に連絡が行き、当時担当していた合田へとつながる。

長身、ショートカットで女優志望と言っていた上田朱美、その中学高校時代の同級生たち、それぞれの視点で当時の思い出が描かれる。同級生の母たちや合田の記憶もまた。そして忘れていたこと、改めて知ったこと、少しずつ繋がって焦点を結んでいく先に。

それぞれ登場人物の嫌な部分も描かれるが、中でも一番最低な奴は、高校時代の朱美と付き合っていたらしい今では電通マンの玉置悠一だね。会田誠愛を自負するスノッブ変態男。東京高裁判事となっている加納祐介が澁澤龍彦など好きでも、それはさもありなむ感はあれど汚さは感じない。その加納祐介は、悪性リンパ腫を患い治療中。

収斂の先の結論は描かれない。推測を任される。
ADHDの男子同級生が、うーん……。それにしても薬の名前までしっかり調査して書くんだね。府中・三鷹・調布、武蔵野界隈をよく知る人には店の名前なども懐かしかったりするのだろう。

だいぶ前にactonさんもブログで紹介している『われらが少女A』、遅れ馳せの感想文?でした。ああ、高村薫サンは私と同学年という年齢だと思いますが、67歳の元美術教師・栂野節子を、老婆として扱っているね。だから何だって?いやいや。
直木賞作家だけれど、直木賞と芥川賞の違いは?を、問いたくなる作家の一人です。

飛ぶ孔雀

著者 山尾悠子
文春文庫

シブレ山の石切り場で事故があって、火は燃え難くなった。
と、始まる、火が貴重な世界、日本の、京都のようなどこかが舞台の話。
次の章で、四季咲きの桜などと言う馬鹿なものがあって、 とか、馬鹿馬鹿しいほど毒々しい取り合わせのツツジの満開 とか、同意!まことに!という思いで乗せられる。始まりは散文詩のようだ。
が、Ⅰ 飛ぶ孔雀 Ⅱ 不燃性について で構成されるこの物語、たいそう好みではありながら、2回読んでもわからない。なにがどうなったんだっけ?
普通、文末にある解説というものは、読者の理解を助けるものだが、解説者が金井美恵子と来ては、何の解説にも助けにもなりませぬ。ちなみにこの本は友人から貸し出されたのだが、その友人は解説を金井美恵子が書いている、という理由によって、手を出したらしい。

まあ、ある種のSFであり、異世界の物語である。
泉鏡花文学賞・日本SF大賞・芸術選奨文部科学大臣賞の三冠達成!と帯にある。それもわかる。が。もうしばらく借りておいてあともう一回読む日を待とう。その前に、この作家の別のものを読みたい。この作家の名前は記憶にあるのだから、何かを読んでいるはずなのだが。

なんのこっちゃな紹介文で申し訳ないが、なんだか地面がぐらぐらしている世界の、稀有な物語であるのは確かです。

春江水暖

http://www.moviola.jp/shunkosuidan/
監督・脚本 グー・シャオガン
出演 チェン・ヨウファー ワン・フォンジュエン スン・ジャンジェン
音楽 ドウ・ウェイ

杭州富陽、大河・富春江が流れている。再開発の只中にある街。
母親の誕生日の祝いの席に集まった4人の兄弟、親戚たち。祝宴のさなかに母親が脳卒中で倒れてしまう。介護が必要となった母を、誰が介護するのか、という問題が起こる。黄金飯店というレストランを経営しているが金に困っている長男・漁師の次男・ダウン症の長男を一人で育て、あちこちに借金がある三男・独身の四男。
長男夫婦のもとにやってくる母親。世話をするのは長男の妻。

中国の地方のどこだろうと思いながら観ていたのだ、方言なのでまるで聞き取れない。広東語に似た言葉もあるが、イントネーションは北京語に近い。孫権がいたのはどこ?杭州だって。

どこの家庭にもありそうな地味なドラマはあるけれど、ストーリー展開を追いたい人には退屈そうな流れ。そうか、絵巻的なのか。長回しのカメラ。長男の娘の恋愛に、反対するその母。なぜなら自分が目論む別の相手となら、金銭問題が片付くから。地方都市はやっぱり論語の教え、親には孝行しなさい、なんだね。

そうは言っても時は移り、世は変わり行くのさ。

なにがびっくりって、その恋愛する娘カップルと倒れた母親は俳優経験があるが、そのほかのほとんどは、監督の親戚だったり知り合いだったり、演技の素人だったということ。

蘇東坡の詩の一節、竹外桃花三両枝 春江水暖鴨先知 から取られたタイトルだそうだ。そして、元の時代の画家、黄公望の『富春山居図』にインスパイアされた作品とのこと。侯孝賢・楊徳昌・賈樟柯作品などを思い起こさせる、のはまあそうだが、やはり別の個性が描く世界。どうやら続編制作のつもりらしいよ。

音楽を竇唯が担当、あの王菲が最初に結婚した、かつてロックバンド黒豹にいたことがある竇唯は、今では私がとても好きなタイプの音楽を創る人になっているのだなあと、終わりに流れる音を聞きながら思う。
1988年生まれの若い監督による、2時間半の映画です。2019年カンヌ国際映画祭クロージング作品。

私はあなたのニグロではない

監督 ラウル・ペック
語り サミュエル・L・ジャクソン

黒人文学のレジェンドであり公民権運動家でもあったジェームズ・ボールドウィンの視線で、アメリカと言う国の人種差別を見つめるドキュメンタリー。フランスで生活していた彼が、アメリカに戻る。アメリカ南部シャーロットの高校に黒人として初めて入学するドロシー・カウンツ、白人に囲まれ唾を吐かれる写真を見たことがきっかけだった。1957年の事。
メドガー・エバース(私はこの人について知らなかった)・マルコムX・キング牧師という公民権運動家たち(三人とも暗殺される)との会話、また、ロバート・ケネディとの対話なども出てくる。

2017年、異例のヒットをした作品だという。
Black Lives Matter 黒人の命も大切だ という運動、そしてコロナ禍以来目立って明らかになっているアジア人差別、公民権運動の60年代と、根っこのところで何も変わっていなかったことに気づかされる近年。カンフルって何だ?と思ったら、カンフーとインフルエンザをくっつけた造語、アジア人差別語だそうだ。
1960年代にあっては、ニグロと言う言葉は差別語ではなかったようだ。ニガーはその頃でも蔑視語だっただろうが。ネグロイド・モンゴロイド・コーサソイドなど人種の区別用語としてあったのだろう。

近頃の日本でも、韓国人・中国人に対する蔑視をあからさまにしたい人が増えているらしい。NET上では馬鹿な発言を繰り返す人々がいる。試しにDNA鑑定をしてみましょう、日本人のほとんどに中国、朝鮮半島の遺伝子があるはずだよね。なにかのきっかけで、蹴飛ばす、唾を吐きかける、出会い頭に殴る、という行為にまで至るのだろうか。

えーと。
確かに、“今”の映画なのだろう。幼稚園から人種やLGBTファミリーや職業や様々な混合の中で育つのでない限り、人は慣れないものに違和感を持ち、区分けしてしまうだろう。だから少なくとも知識として教養として、差別はノータリンの所業であると認識しなくては。教育は大事!だからちゃんと機会均等に教育を!あーこの日本でも塾に行けて十分な環境を与えられる人と、給食が無いとご飯すら食べられない子供との差が広がっていて、堂々巡りになってしまうけれど。教養の無い大統領が一人現れただけで、アメリカのおかしな部分がより露わになるし。最低限、本を読む人に政治家になって欲しいものだよ、ふん。

歴史を振り返りましょう。
GYAOで観ました。

詩人の恋

監督・脚本 キム・ヤンヒ
出演 ヤン・イクチュン チョン・ヘジン チョン・ガラム

看板に偽りあるような無いような無いような有るような、このタイトル。
舞台は済州島、職業・詩人 の、見た目冴えない男。ねえ、日本だと、詩人という職業で生活している人と言えば谷川俊太郎さん以外に思いつかないんだけど、韓国ではそうでもないの?という疑問を抱きつつ、時々クスッと笑いながら観る。その、詩が・・・微妙なんですけど、私から見ると、の話ですが。中原中也の時代か、と。

生活を支えるのは妻です。やっぱり。その妻が子供を欲しがり、妊活。詩人の精子が乏しいことがわかる。詩もスランプ。の、中、ぶち当たったようにドーナツ屋で働く青年を知る。ぶち当たり方がね、トイレの個室でもつれ合ってる男女を目撃、という、カタチなのさ。あれ?俺この男?女?いや、元から顔知ってるこのきれいな男の姿に興奮したのか?と、なる詩人。
その後、青年の恵まれない家庭環境を知り、なにかと手を貸すようになる詩人。

そりゃあね、形而上的な言語を操る詩人は現実社会をたくましく生きる妻との関係にずれを感じるでしょうよ、乏精子症という自分の身体的問題にもグラリと来たでしょう、妊活に励む妻から逃げたくもなることはあるでしょう。で、より弱い者を守りたくなる方へ、心が動くのですね。

で、それは恋なのか?そもそも詩人のくせにあんまり恋しないで結婚しちゃったらしいのがおかしくないかあ?
女性監督だから、ちょっと女性に対して意地悪な感じもあり、そうは言っても生活を担うのは大変なんだし。稼いでもいないのに詩人そんな・・・おーい。

コメディー粉まぶしの大人のおとぎ話仕立てな映画でした。

たちどまって考える

著者 ヤマザキマリ
中公新書ラクレ

「テルマエ・ロマエ」のヤマザキマリさん、イタリア人と結婚してイタリアに家族がいるヤマザキさんの目を通して見るコロナ禍の日本。
江戸末期の日本にペリーと共にやってきた外国人が、「ピュアで客人を快く受け入れ、清貧で家の中に余計なものは無く・・・」といったことを書き残しているそうな。まあ今となっては清貧と言う言葉は雲散霧消したと思うが、よく言えばピュア、はっきり言うと幼い、外国で言うところのナイーブ(世間知らずの、だまされやすい、という意味に使われることが多い)性質はずっと続いているだろう。
で、不要不急の、というどこまでが不要不急だか範囲のはっきりしない言語、自粛を要請する、というトンチンカンな言い方、などが受け入れられる国ニッポン。素直に足並みそろえて従い、なぜ外国人はマスクをしたがらないのだろうと思う。
マスクに対して、イタリア人であればペスト・天然痘などのパンデミックを思い起こされるのだそうだ。ローマ帝国の時代から起こってきた歴史上の疫病を、境域過程で学ぶのだそうだ。で、マスクはそれを思い起こさせる、そのことを嫌がる。
日本では、地震や戦争などによる、形で見える崩壊で無ければ歴史にあまり残らないのだって。

明治維新で突然日本に入ってきた民主主義、自分で判断すること、が、日本には定着していない、日本の民主主義は幼い、と、言われると、なるほど、と思う。上意下達が行き届き、言われたことはちゃんとする、が、それはおかしいのではないか?という声を上げない。上げにくい。マスク警察おじさんが現れて、マスクをしていない人に怒鳴る、ならまだマシ、近頃はウレタンマスクをしている人に食って掛かるオジサンがいるとか。

イタリアには80年代から中国資本が入っていて、コロナ禍の中にあってもあまり中国人差別はおこらなかったらしい。フランスなんかアジア人差別がひどかったと目にするけど。

今、日本ではオレノイウコトヲキカナイヤツハトバス首相がいて、国民主権ということに異を唱える馬鹿が政治の中枢にいて、どこに転がっていく気だか。
で、その人たちを選んだのが日本国民であり。

だから、ほんと、いろいろとたちどまって考えよう。

侍女の物語

著者 マーガレット・アトウッド
早川epi文庫

そんなに古い時代ではない、おそらく21世紀初めの、キリスト教原理主義者が政権を獲った設定のアメリカであるらしいギレアデ共和国。
出産数が減ってきて、人類は先細り、ということを解決しようという手段は、SF小説ではさまざま目にしている。人間を少しずつサイボーグ化して長生きにするとか。ここでは、「侍女」と言うシステムが作られている。その名前はオブフレッドとかオブグレンなど、オブが付く。ofである。つまり誰々の所属、誰々の物。出産することが目的の、国家財産。妻という人はちゃんといる。ofフレッドであれば、両脚を開いて横たわるフレッドの妻のお腹に頭を乗せる形で重なって横たわり、フレッドと性交する。

オーウェルの「1984」とか、ハックスリーの「すばらしい新世界」とか、私が最後まで読むことができなかったディストピア小説に連なる物語。

数年前?十数年前?まで夫や子供と暮らしていた彼女は、男性中心で支配され、監視される社会の中で、服従しながらも自由になる機会をうかがっている。

最終章で、後の世、2195年のシンポジウムで、この時代のギレアデ研究について語られた資料として「侍女の物語」が存在するということになっている。

誇張した形だけれど、従軍慰安婦の時代から現在のme tooの運動まで、こういう、女性を性交なり出産なりの道具とするある種の男たちは無くなっていない。日本の政治家の言い草ときたら。
そして、ギレアデでも特権階級の人々にはある種の享楽が供されていたように、政治の中枢にいたら現在のこのコロナ禍でもすぐに入院できるんだね、一般の下々の者たちが入院できなくて何日も自宅療養を余儀なくされているのにさ。

WOWOWでドラマが放映されたり、映画化されたりしているそうです。

猫だましい

著者 ハルノ宵子
出版社 幻冬舎

よしもとばななのお姉さん、吉本隆明の長女、で、本業は漫画家。
で、昔、ちょっと彼女のマンガ読んでいたので、書店で目に付く。帯を読んで、買う!

まずは大腸がんが見つかったところから。闘病エッセーですが。もう、引用するのもはばかりたい単語がー。笑いながら読む頓狂な闘病記。
そもそも乳がんで片方の胸は無い、自転車酔っ払い運転で、だったと思うが大腿骨骨折。の、上に、大腸がん。
なのになぜ、どーすりゃそんなに能天気、な。
よしもとばななさんも、例えばバリで何か霊を感じたりする人だから、この姉妹にはそういうスピリチュアル系の感覚があるのか、自分の癌のタイプがわかるらしいのだけど。

あの、吉本隆明大先生と長女宵子さんとの会話ときたら、うっそー、ありえねー!何がって書けない!ほーんとに下町育ちなのねー、と言ったってそれは無いだろー!!

このあっかるい闘病には救われる。

両親の介護を20年、というのはかなりの事だ。しかもその対象は吉本隆明とその妻だ。格別のストレスを自覚していなくても、心身はくたびれ果てている。なにかしら病むさ。

後半は猫の話中心。
この本一冊あると、落ち込みそうな時に引き上げてくれそうな、佳い本です。

ミッドナイトスワン

監督 内田英治
出演 草彅剛 服部樹咲

途中までは、バレエ経験者に見せたい、など思っていたのだ。
草彅くんは、トランスジェンダーの役を頑張っている。子役の子も、なかなか良い。
ネグレクトの子供を無理矢理預からされ、可愛くないその子との間に、少しずつつながりができてくる。までは。

映画ではよくわからないがほとんど見様見真似で身に着けたのだろうか、と言うバレエが、そんなに短期間に伸びるとは思えないとは思いつつ。

いろいろあってほとんど衝動的にタイに行き生適合手術を受ける。
その後。
ひどいだろ、それはさ。そんなになるまでほっとかないだろ。失敗することがある、または術後のケアをほったらかした、その両方、だとしても、他人がかかわらなければ生活できないほどになっていたら、もう絶対病院に連れていかれるよ。

草彅くんも、樹咲ちゃんも、映画賞の受賞候補に挙がると思う。そのくらいには、よくやってる。そしてこの場合、日本でも、主演男優賞、と言う位置付けにはならないんじゃないの?主演俳優省と言わなきゃいけないんじゃない?と、問題提起になるだろう。

なんかね、原作を読むと何か納得できるものがあるかもしれないけれど、私にはこの映画の展開が納得できなかった、のだよ。ごこかで母親になりたいと思い始める、それは自分が実の母親との関係で得られなかったものを求めたのかも、とか、なんかそこも、唐突に描かれる気がしたり。