すべての、白いものたちの
著者 ハン・ガン
河出文庫
文庫に入ってるんだ、と思った。白いものについて書こうと決めた と始まるその文章を2頁ほど眺めたところで、すでにお気に入りだった。
短い、散文詩のような文章。それぞれに表題がある。自分が生まれる前に、母はたった一人で早産で女の子を産み、その女の子は2時間で死んでしまった、ということが、テーマとして根底に流れる。1 私 では作家ハン・ガン自身の語りで。2 彼女 に於いては、その2か月で亡くなった彼女の視点として、作家の目が重なるような、描かれ方。3 すべての白いものたちの で、作家の想いのようなもの、と言ってよいか。
ワルシャワに滞在しているときに書かれたものだそうだ。繊細な、静かな、この文章を、原文で読む能力があれば・・・と無理なことを思う。韓国ドラマで自己主張の強い会話をしている家族、映画ではしばしば激しい暴力が描かれる、そういう韓国に慣れていると、一方でハングルでこんな感覚、こんな表現が存在するのだ、と思う。
年末から少しずつ読み進め、読み終えて、またもう一度読んだ。そして、書店で、次にどれを・・・と迷って、『引き出しに 夕方を しまっておいた』というタイトルがあまりに美しいので、詩集であるその本を買ってしまった。
昨年、ノーベル賞受賞で初めて知った作家だが、今年はハン・ガンにはまることだろう。困ったことに、借りて読もうと思う種類のものではない。たぶん残りの翻訳が出ているものは単行本だろう。
物語を一気に読み進めたい人には、あまりお勧めできないかもしれない。
「すべての、白いものたちの」はエッセイなのかな?心惹かれるタイトルですね。
『引き出しに 夕方を しまっておいた』、このタイトルもいいなあ。
美しい言葉で刺激されたい。
エッセイのような、散文詩のような、私小説のような、物語。これの前に『少年が来る』という光州事件(民主化運動の弾圧で多数の犠牲者が出た)をテーマにした小説を書き、それから回復する必要があったのだあそうです。次はその 少年が来る を読みたいと思っています。『タクシー運転手約束は海を越えて』という韓国映画を、だいぶ以前に紹介していると思いますが、光州事件の映画です。