私たちの話し方
監督 黄修平(アダム・ウォン)
出演 ネオ・ヤウ ジョン・シュッイン マルコ・ン
聾者である3人の若者それぞれの生き方、聾であることへの向かい方を描く。
手話だけを使っているジーソンは、スクーバダイビングのインストラクターを目指している。その幼馴染の広告クリエイターのアランは、手話と口話の両方を使う。ソフィーは、人工内耳を着ける手術を早い時期にしたので、口話のみで会話する。大企業に就職、人工内耳のアンバサダーにも就任している。
それぞれの難聴者にとってどのように聞こえているか、を、音響でも表そうとしている作品。
1880年のミラノ会議と言うものにより、手話排除、口話推進と言う時期が日本でもあったらしい。祖父母の店の近くに聾学校があって、子どもの頃は手話で話している姿をよく見かけた。香港の場合、比較的遅くまで口話教育中心だったのだろうか。
“普通であること”を求める母の元、口話のみで育ったソフィーは、就職の際には聾者の客に手話対応できるかを問われる。大企業に就職したものの、手伝い程度の仕事しか任されない。
両親も聾者で、手話のみで不自由を感じないジーソンは、スクーバダイビングのインストラクターのクラスを受講することはできたが、その先の資格を取るための講習を受けられないことを知る。
アランを演じるのは実際に中程度難聴で手話口話両方を使う演技未経験者だそうだ。そしてジーソンとアランの子ども時代を演じるのは、中程度難聴の子、コーダ(聾者の親の元で育った)の子だそうだ。
教室で手話を禁止されるシーンで、かつて小学校で方言を使ってはいけません、という時期があったことを思い出した。中学校を卒業すると多くが県外に就職していく、という地区でまず始まったことのようで、その頃には必要なことだったのだろう。今では方言を守る必要が出てきたようだが。
人工内耳の企業が、アンバサダーでとしてのソフィーが手話を会得して口話と両方で話すことを許さないこととか、『普通』とは?平等とは?また、無音の世界で手話が交わされる時の豊かさ、など、考える。観客にも聾の方が多かった。
追記 日本でも、教育の場ではかなり最近まで口話だけで行われていたと、今日聞きました。










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