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映画「教育と愛国」観てきました。

昨日、映画『教育と愛国』を観てきました。
久しぶりのガーデンズシネマ。雨にもかかわらず、ほぼ満席でした。

映画「教育と愛国」公式WEBサイト
https://www.mbs.jp/kyoiku-aikoku/

『教育と愛国』予告編

TBSラジオ『アシタノカレッジ』に、監督である斉加尚代さんが出演され、教育問題を取材し続けてきたこと、この映画を撮るにいたった経緯など話されています。
そのお話を聞いて、私も劇場に行きたくなりました。
子育て終わったから今さら教科書の問題なんて関係ない、とは到底言えない、とても大事な国の在り方の問題です。

26:36 【ゲスト:#斉加尚代】 ←ここをクリックすると斉加尚代さんのインタビューコーナーにジャンプします

政治が教育に介入すると、歴史が改ざん、もしくはなかったことにされる。例えば、第2次世界大戦において日本国にはまったく加害的な事例はなかったことにされる。
「美しい国日本」を標榜する政府としては、国の黒歴史は消してしまいたいのでしょうが、歴史を改ざんしていいはずない。

2006年に第一次安倍政権下で教育基本法が改変され、「愛国心」条項が戦後初めて盛り込まれました。すると、「愛国心」のもと、「教科書にパン屋のイラストはふさわしくないから、和菓子屋に変えろ」ってことになったりする。
「愛国心」の使い方、おかしくないですか?
「新しい教科書を作る会」、教職員への日の丸・君が代斉唱の強要、日本学術会議任命拒否問題、「表現の不自由展」、「日本会議」の問題、様々な問題に「愛国心」が絡みついています。

映画の中には、ギョッとさせられるというか意味不明な発言をするエラい人たちが何人も登場します。
伊藤 隆(いとう・たかし)さんもその一人。
東京大学名誉教授の歴史学者であり、「新しい歴史教科書をつくる会」の元理事。
現在「日本教育再生機構」の顧問。「国家基本問題研究所(理事長:櫻井よしこ)」の理事。育鵬社の歴史教科書編集会議座長を務める方です。

斉加尚代さんから「教育の目的は何ですか?」と聞かれて、
「ちゃんんとした日本人をつくることです」と答える。
「ちゃんとした日本人とはどういうことですか?」という問いかけには、
「左翼ではない、ということかな」と応じる。

インパクトありましたよ。このシーン。
世の中の大半の人は右翼でも左翼でもないと思うんですけどね。
おそらくこの方は、自分と考えの合わない人たちを「左翼」と呼んでいるのかもしれませんね。
この方は「歴史に学ぶ必要はない!」という迷言も残している歴史学者ですので、一般人にはなかなか理解しがたいです。

斉加尚代さんは、2012年、当時の橋下徹市長記者会見において橋下徹市長から罵倒され、その後多くのバッシングを受けることになりました。

以下の事案について橋下市長に取材するための記者会見の場です。

2012年3月2日にあった大阪府立和泉高等学校の卒業式で、中原徹校長が教頭らに指示して、約60人の教職員が国歌斉唱時に起立しているかだけでなく、歌っているかについて口の動きを確認した。中原は、大阪市長の橋下徹の友人で、橋下が大阪府知事だったときに民間人校長として就任していた。同年3月9日、大阪府教育委員会は国歌斉唱時に起立しなかった教員のうち17名に対し懲戒処分(戒告)を行った。5月8日、橋下の記者会見で斉加が「一律に歌わせるのはどうか」と尋ねたところ、橋下は「ふざけた取材すんなよ」「勉強不足」「とんちんかん」と斉加を面罵。30分間にわたる言い合いとなり、注目を浴びた。このやりとりは動画で出回り、非難メールが斉加の勤務先に1千件以上届いた。

ウィキペディア斉加尚代」から引用

下の動画は、タイトルの付け方から見て斉加尚代さんをバッシングした側のチャンネルだと思われますが、橋下元市長の言説を検証できるデータとして貴重ですね。
橋下徹さんという方も、まともに議論はできない人だと思われますが、この動画のコメント欄には彼を絶賛するコメントが溢れています。「愛国心」ってこんなところで使われるんだなあと、、、、

『教育と愛国』
2022/6/18(土)~24(金)※21(火)休館
24㈮は斉加尚代監督オンライントーク付(要予約)
ガーデンズシネマにて

余談ですが、

武田砂鉄さんの『ワダアキ考 〜テレビの中のわだかまり〜』が連載されているコンテンツ配信サイト『cakes』が、2022年8月31日をもってサービス終了となります。
私は武田砂鉄さんのコラムを毎回楽しみに読んでいます。といっても無料期間中(1週間)に読むだけで課金することはなかった
なので、廃刊になって残念だと言う資格が私にはないかも。

ああ、可処分所得が増えればなあ、あちこち課金したいんだけどなあ、、、と、ただぼやくだけ。



「『ほとんどない』ことにされている側から見た社会の話を。」「さよなら、男社会」 2冊のジェンダー論を読んで

「『ほとんどない』ことにされている側から見た社会の話を。」小川たまか 2018年

「さよなら、男社会」
尹 雄大(ゆん うんで) 2020年

「『ほとんどない』ことにされている側から見た社会の話を。」
出版社からのコメント

性暴力被害、痴漢犯罪、年齢差別、ジェンダー格差、女性蔑視CM、#metoo運動などを取材し、おもにウェブで発信してきたライター・小川たまかはじめての著作。
2016年から2018年に起きた、性犯罪やそれにまつわる世論、性犯罪刑法改正、ジェンダー炎上案件などを取り上げ、発信してきた記録です。

Amazonの商品の説明から

「さよなら、男社会」内容(「BOOK」データベースより)

僕らはいい加減、都合のいい妄想から目を覚まさなければならない。圧倒的な非対称を生きる僕らは、どうしてその事実に気づけないのか。真に女性と、他者とつながるために、乗り越えねばならない「男性性」の正体とは何か。

Amazonの商品の説明から

たまたまジェンダー論を2冊立て続けに読んで、昭和の時代の記憶がバラバラと蘇ってきた。

中学3年の時、理科の先生(男性)が授業中に、一人の男子生徒を竹箒で何度も何度も殴りつけた。かなり強烈な暴力の光景を思い出す。
現在ならSNSで大炎上案件だと思う。しかし当時、先生が処罰されることはなかったし、なぜ先生がその男子生徒を殴ったのか、理由を知らされることもなかった。

先生が暴力を振るっている間、皆暗く押し黙ったままだった。その教室の重苦しい空気を今も覚えている。「先生やめてください」と言えなかった自分の意気地なさも、悔しくて忘れられない。

漫画やテレビで「スポ根もの」が流行っていた時代だった。
「スポ根もの」といえば、「集団」「厳しい訓練」「根性」「耐え抜き」「やればできる」と煽られ、「できないのは努力が足りないからだ」とパワハラコーチにしごかれ、スランプに陥れば殴り合いの「暴力」が始まり、試合に勝てば男同士抱擁して涙を流す。そんなパターンもあった。
これって軍隊みたいじゃない?ってシラケた視聴者もいただろうと思う。今思うと、いったいどんな世代に受けていたのだろう?と不思議でならない。

「スポ根ドラマ」には女子マネージャーが登場し、道具や飲食を用意したり掃除、洗濯をしたり、時には男子生徒の心の傷を癒したり。男子をサポートしケアする役周り。それはそのまま社会の構図を反映したものだった。

男性は働いて家族を養う経済力が求められ、女性は家事・育児・教育・地域参加・親たちの介護等を担うという、性別による偏った役割分業があった時代だった。

稼ぎの少ない男性は「甲斐性なし」と言われ、女性の賃金が低いのは、男性より能力が劣るからだと決めつけられた。
思い出してみると、いろいろ凄い時代だったなあと思う。いや、まだ過去形になっていないことばかりだけど。

差別用語が書き換えられたからって差別の中身が無くなったわけじゃない。むしろ差別が見えにくくなったかもしれないとも思う。

性別、貧富、能力、容貌、人種、職業、年齢、出自、出身、思想、宗教、などなど、、諸々の偏見・差別・ハラスメントは、学校でも家庭でも会社でも政治でも、あらゆる場所に、今も当たり前のように存在している。(まだ可視化されていないものもあると思う)
全ての人を細かくカテゴリ分けしていくと、誰だってどこかで少数派になるはずなのに、社会的な偏見や差別の対象となってしまう少数派がいるのは本当におかしなことだ。
偏見や差別はないものだという建前から、人はそういう対象の少数派がいること自体をないことにしてしまう。

小川たまかさんの「『ほとんどない』ことにされている側から見た社会の話を。」は、このタイトルにとても気持ちを揺さぶられる。”『ほとんどない』ことにされている側”を考えさせる本だ。

尹 雄大(ゆん うんで)さんは、「社会は厳しいのだ 。甘えるな」という物言いが共通言語としてある男社会の中で、子どもの頃から違和感や苛立ちを感じ苦しんできたという。
「さよなら、男社会」では、いったい何故こんな社会があるのか、男性の暴力性はどこから来るのか、などを深く考察している。