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「おいしいごはんが食べられますように/高瀬 隼子」もやもやが残ったので読み返してみました

「おいしいご飯がたべられますように」

著者:高瀬 隼子
発行日:2,022年3月
発行:講談社

第167回芥川龍之介賞受賞

どちらかというと普段、文学ジャンルの本は読まないのですが、おもしろいという評判を聞きアマゾンで試し読みをしました。

「一日一粒で全部の栄養と必要なカロリーが摂取できる錠剤ができるのでもいい。それを飲むだけで健康的に生きられて、食事は嗜好品としてだけ残る。酒や煙草みたいに、食べたい人だけが食べればいいってものになる」
という文章に共感して購入ボタンをクリックしました。

私も子供の頃、ずっと思っていました。ご飯を食べずに生きられたらどんなに楽だろうと。
食事を楽しむことができない子供でした。だから主人公の二谷が、おいしく食べることを世間から押し付けられていると感じる気持ち、私もよく知っている。勝手に同類意識を持って物語を読み進めました。

しかし、なんだろう。この小説。とっても読みやすい文体なのだけど、読むほどにもやもやしてきます。

主要な登場人物は職場の同僚、二谷、芦川さん、押尾さんの男女3人。
二谷と押尾さんの内面や、ふたりが芦川さんのことをどう思っているか、ということは随所に書かれていますが、芦川さんの内面はいっさい書かれていません。
芦川さんは他者の目や口を通して描かれるだけの女性です。それがこの物語にどことなく不穏な居心地の悪さを与えています。

芦川さんは、男性目線と女性目線と仕事と食べることを通して、多様な要素を詰め合わせて作られた女性。芦川さんのことをどう思うかは読む人によってそれぞれですが、彼女の心の内は分からないので、何を考えているのか読者が勝手に推測することになる。そういうところも、もやもやさせられる一因かもしれません。

最初、二谷にも押尾さんにも他の登場人物の誰にもあまり感情移入できず、この職場の空気も嫌だなあと。まあでも現実、職場ってこんなもんだし、何だかイヤな気持ちにさせる物語だなと思いました。
「おいしいごはんが食べられますように」というタイトルだって、食べることが面倒くさいとか思っている二谷にとっては、押しつけがましい呪いの言葉にも聞こえそう。そう思いながら本を閉じました。

だけど、それだけではないような。何か読み落としているような。消化されない感じが残り、後日読み返し、言葉を拾い直したりして考えていくと、登場人物への印象も変わり、そんなイヤな気持ちにさせる物語ではなかったと思えました。
心に刺さる言葉がいくつもあり、さらっと読んで捨ててしまってはもったいない小説だと思いました。

ネタバレになるのであまり具体的なことは書きませんが、
「二谷さん、わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」と言った押尾さん。私は押尾さんへの印象が一番変わりました。悪い方からいい方へ。
そして「二谷さんと食べるごはんは、おいしい」と言う。このセリフにぐっと来ました。結末を知っているとちょっと悲しく響く言葉ですが、それでも押尾さんには幸せな時間が確かにあったのだと思えて、それはとても良かったなあ、、、と。

人は生きるためには食べなければならない。大方の人は食べるために働かなければならない。
食べる、働く、食べる、働く、、、延々と続くその循環は楽なものじゃないです。
そんな日々の中で、「ごはんが、おいしい」と思えるとしたら、それはきっと幸せなことに違いない。たとえ束の間でも。独りであっても。

まあ、でも、二谷が「芦川さんと食べるごはんは、おいしい」と思う日がいつか来るのかどうか。それは誰にも分からないことだけど。