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  • 「僕の人生には事件が起きない/岩井勇気」幸せというハンデ

    「僕の人生には事件が起きない」

    著者:岩井勇気
    発行:2019年/新潮社


    昨年の小晦日には米粒写経・サンキュータツオさんの「もっとヘンな論文」で締めくくりましたが、2021年の始まりもお笑い芸人繋がりで、ハライチ・岩井勇気さんの「僕の人生には事件が起きない」を紹介したいと思います。

    岩井勇気さんといえば、ハライチの澤部”じゃない方”という認知のされかたで、腐れ芸人とも呼ばれる。漫才については、正直言って印象に残っていないのだけど、「マジ歌選手権」では、かなり毒のある替え歌が面白い人。というのが私の持っている知識の全てです。

    本書を読むと岩井勇気さんは、

    • 都会でも田舎でもない埼玉出身。
    • 実家は多少貧しい時期もあったけど、自慢できるほどの貧乏はない。
    • 中高生時代、いじめられたこともなければ特にクラスの人気者でもなかった。
    • 芸人になって3年程度でテレビに呼ばれるようになり、下積みの苦労がない。
    • 30歳になるまで実家住まいで、家族仲もよい。
    • 実家を出て一人暮しを始めて現在に至るまで特に苦労はなく、アニメやアート鑑賞や音楽や料理など趣味を楽しんでいる。

    一般人であれば、いい家族の元に育ち苦労なく社会生活を送り好きなこともできて幸せな人生と言えるけど、芸人としては面白い話や波乱万丈の苦労話もなく、バラエティ番組などにおいて語るべきエピソードがない。
    不幸要素がないことは芸人にとってハンデとなる場合もあるようです。

    しかし、岩井勇気さんは何もない人生に事件が起こることを望むわけでなく、話を盛ることもない。「普通に生活している日常を面白がる」という才能を開花させ、今では「ハライチの”じゃない方”が面白い」と評価されるまでになっています。

    そういうわけで、本書「僕の人生には事件が起きない」は、ほんとに何でもない日常のささいなことを書き連ねているエッセイです。
    いやいやホントにどーでもいい話ばかりなのですが、それが、ちょっとだけ面白い。
    「ルイ・ヴィトンの7階にいる白いペンギンを見張る人」とか、「通販の段ボールを切り刻んで感じた後味の悪さ」とか、私は好きなエピソードでした。





    「珈琲のある風景」エッセイコンテスト2017の募集要項ができました。

    薩摩川内市にある自家焙煎珈琲店「珈琲倶楽部船倉」が毎年開催している「珈琲のある風景」エッセイコンテスト。今年も募集要項を作成しました。
    私はコンテストの二次審査まで参加していています。
    締切後には1ヶ月かけて応募作品の全てを読ませていただいていますが、毎年必ず、いくつかの心打つ作品に出会え、5月は私には刺激的な月となっています。
    今年もたくさんのご応募をお待ちしています。
    募集期間は4月30日までです。
    募集要項のpdfファイルは、こちらからダウンロードできます。→pdfファイルessay2017

    珈琲倶楽部船倉のウェブサイトはこちら→「珈琲倶楽部船倉」
    エッセイコンテストのページはこちらから→第8回エッセイコンテスト

    「紋切型社会-言葉で固まる現代を解きほぐす」/武田砂鉄・・・違和感を表明すること

    monnkirigata 2015年発行/朝日出版社
    第25回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞

    フリーライター武田砂鉄さんの名前は、Yahoo !ニュースなどでたびたび目にしていました。
    面白いことを書く人だなあと憶えていたので、本書が出たとき、古本価格になるまで時を待てず新刊を購入してしまいました。

    武田砂鉄さんは1982年生まれというから、現在33歳。
    昨年、10年近く勤務していた出版社を退職。本書はフリーになって初めての著作となるそうです。

    本書は「誰からか強制されたわけでもないのに、既存の選択肢にすがる緩慢さが閉塞感を補強する」社会を『紋切型社会』と定義し、著者が『紋切型社会』を象徴していると考える言葉を拾いあげて考察している、コラム集です。

    「特に言葉。フレーズ。キーワード。スローガン。自分で選び抜いたと信じ込んでいる言葉、そのほとんどが前々から用意されていた言葉ではないか。紋切型の言葉が連呼され、物事がたちまち処理され、消費されていく。そんな言葉が溢れる背景には各々の紋切型の思考があり、その眼前には紋切型の社会がある。(「はじめに」から抜粋)

    目次には著者が違和感を持っている20の紋切型フレーズが並べられています。
    「あ、それ!」と気になるフレーズはありませんか?

    1.  乙武君・・・障害は最適化して伝えられる
    2.  育ててくれてありがとう・・・親は子を育てないこともある
    3.  ニッポンには夢の力が必要だ・・・カタカナは何をほぐすのか
    4.  禿同。良記事。・・・検索予測なんて越えられる
    5.  若い人は、本当の貧しさを知らない・・・老害論客を丁寧に捌く方法
    6.  全米が泣いた・・・<絶賛>の言語学
    7.  あなたにとって、演じるとは?・・・「情熱大陸」化する日本
    8.  顔に出していいよ・・・セックスの「ニュートラル」
    9.  国益を損なうことになる・・・オールでワンを高めるパラドックス
    10.  なるほど。わかりやすいです。・・・認め合う「ほぼ日」的言葉遣い
    11.  会うといい人だよ・・・未知と既知のジレンマ
    12.  カントによれば・・・引用の印鑑的信頼
    13.  うちの会社としては・・・なぜ一度社に持ち帰るのか
    14.  ずっと好きだったんだぜ・・・語尾はコスプレである
    15.  ”泣ける”と話題のバラード・・・プレスリリース化する社会
    16.  誤解を恐れずに言えば・・・東大話法と成城大話法
    17.  逆にこちらが励まされました・・・批評を遠ざける「仲良し子良し」
    18.  そうは言っても男は・・・国全体がブラック企業化する
    19.  もうユニクロで構わない・・・ファッションを彩らない言葉
    20.  誰がハッピーになるのですか?・・・大雑把なつながり

    章のタイトルを見ただけで、うん、うん、わかる、「いいね!」押しちゃおう、なんて早まってはいけません。
    そう簡単に分かった気になってもらっちゃ困る、「言葉は人の動きや思考を仕切り直すために存在するべきで、信頼よりも打破のために使われるべき」っていうのが著者のスタンスだから。一つのフレーズから、話はぐいぐい奥へ突き進み、横に広がっていく。
    だからまあ、頷いたり突っ込みを入れたり、こんなフレーズも違和感あるよねと自分なりの章立てをしてみたり、可能な人はテレパシーを使って、著者と遠隔対話することが、この本の読み方ではないかと思います。

    私は日常生活の中で、世の中に大量に流通している物事に対して「これって変だよね」と違和感を表明することは、意外とむずかしいことだと思っています。

    たとえば職場で、本書に書かれているような違和感をかたっぱしから口にしていたら、職場の人たちは目を合わせてくれなくなりそうな気がする。
    ”泣ける”と話題のバラードに泣いたり、『24時間テレビ』や『情熱大陸』や『プロジェクトX』に感動したり、「育ててくれてありがとう」という子どもの感謝の言葉に涙したり、それらは素直で優しい人だからこその感動なのだから、「10歳の子どもに『両親に感謝します』と言わせる『半成人式』なんて、気持ちが悪いよね」と私が言ったとき、職場でだれの賛同も得られなかった。
    『半成人式(1/2成人式)』は出席した親の9割近くが「満足」と答えているそうだから、私はきっと感動に難癖をつけるひねくれものと思われたにちがいない。

    たとえば職場では、省エネやエコロジーについて話題にしても、原発反対を強く表明することはできない。「国益を損なうって何よ。」なんて会話はしにくい。
    実は言いにくいことだらけ。職場ってところは。
    そもそも職場はおしゃべりをするような場所ではないし、突っ込んだ話をする暇もない。
    職場では型どおりの言葉をどれだけ衒いもなく使えるか、がコミュニケーション能力だと思われている感があります。

    じゃあ、どこでみなさん、違和感の表明をしているのか?
    たいていは夫や妻、気の置けない友人との会話の中ででしょうか。
    あるいはデモに参加したり、ブログに書いたり、本を出したり、音楽や映画やアート作品に仕上げたり、でしょうか。
    手段はどうあれ、違和感を表明できない社会とは、ジョージ・オーウェル『1984年』で言えば、『2+2=5』を受け入れてしまう社会だし、違和感を持たなくなることは、穂村弘『本当はちがうんだ日記』で言うところの、《「この世」の大穴》に吸い込まれることだと、私は思っています。

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    武田砂鉄(Satetsu Takeda) 1982年生。ライター/編集。
    webサイト→http://www.t-satetsu.com/
    Yahoo!個人 連載 武田砂鉄の「極めて遺憾」(現在はリンク切れ)

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    「物語のはじまり/松村由利子」

    monogatari01中央公論新社/2007年

    「1. 働く」
    「2. 食べる」
    「3. 恋する」
    「4. ともに暮らす」
    「5. 住まう」
    「6. 産む」
    「7. 育てる」
    「8. 見る」
    「9. 老いる」
    「10. 病む、別れる」

    以上、10のテーマに分けて、松村由利子さんが113人の歌人を選び、180首余りの短歌を紹介しつつ、一つ一つの作品に著者なりの解釈と想いを綴ったエッセイです。
    未知の歌人や短歌に多く出会える短歌集としても楽しめますし、松村由利子さんの解説が面白く、エッセイとしても読みごたえのある一冊でした。

    「三十一音という短い詩型がもつ力、それは物語を内包する力ではないかと思う。こんなに小さな形なのに、人生のいろいろな場面が凝縮されていて、読む者の胸に届いた途端みるみるうちに感情をあふれさせる。」

    (「おわり」から)

    日々に何かしらひどく屈託があるとき、平たく言えば落ち込んでいるとき、私は詩歌集を読んで、ずいぶん慰められたものでした。
    短歌は言葉が少ないから、感情までの距離が短い。そこが魅力です。
    即座に感情を刺激してくれる。
    言葉がストレートに心に届く。
    私が言葉にできないでいる日々の屈託を、たった三十一の文字で鮮やかに表現してくれる。
    全くただの日常の一場面でしかない光景でさえ、心に沁みる歌になり、ハッとさせられる。

    私が住んでいる狭くて小さい日常にも、実はたくさんの窓があって、もっといろんな風景が見えるんだよ、と感じさせてくれる作品。短歌に限らず本でも映画でもアートでも音楽でもなんでも。
    そんな作品に出会うと嬉しくなり、縮こまっていた気持ちが解れていくようです。

    今回特に印象に残った作品を少し挙げてみます。
    何度も落ち込むので何度も開いてしまう本ですが、それを読むときの生活状況とか(ころころ状況が変わるので)それに伴う自分の心境とかで、作品の印象もずい分変わります。この次読むときは、また別の作品に心惹かれているかも知れませんが。

    もし豚をかくの如く詰め込みて電車走らば非難起こるべし

    奥村 晃作

    水桶にすべり落ちたる寒の烏賊いのちなきものはただに下降す

    稲葉 京子

    日本のパンまづければアフリカの餓死者の魂はさんで食べる

    山田 富士郎

    わが使う光と水と火の量の測られて届く紙片三枚

    大西 民子

    安売りの声がはじけるスーパーでいらないものを買って帰ろう

    船橋 剛二

    駅前に立ち並ぶ俺 お一人様1本限りのしょう油のように

    斉藤 斎藤

    のちの世に手を触れてもどりくるごとくターンせりプールの日陰のあたり

    大松 達知

    サバンナの像のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい

    穂村 弘

    たちまちに涙あふれて夜の市の玩具売り場を脱れ来にけり

    木俣 修

     

    著者の松村由利子さんは、2010年より沖縄県石垣島に住んでおられ、ブログで島の生活やいろんな歌人の作品を紹介しています。
    そらいろ短歌通信  松村由利子の自由帳 (http://soratanka.seesaa.net/

    絶望名人カフカの人生論/カフカ・頭木弘樹翻訳

    kafka

    『絶望名人カフカの人生論』
    (新潮社/2014/10/28)

    カフカは偉大な作家です。
    「現代の、数少ない、最大の作家のひとりである」とサルトルは言い、日本のカフカと称される安部公房は、「フランツ・カフカが存在しなかったとしたら、現代文学はかなり違ったものになっていたはずだ」と言う。
    カフカ以後の作家や芸術家たちに大きな影響を与えた作家です。

    私も若い頃、カフカの長編『審判』や『城』を読んで衝撃を受けました。
    カフカの作品は、それまで読んでいた文学作品と呼ばれる小説とは、まるで違っていました。

    何故か理由がわからないまま何かに振り回され、迷路のような世界をぐるぐると彷徨い、来た道へも戻れず出口も見つからないKの物語。
    『審判』ではヨーゼフ・Kという名前がありましたが、後の作品『城』ではKとしか書かれていない。Kがどんな人物なのか詳細な説明もなく、記号のような存在の主人公。それは他人ではない私自身の物語のように思えました。
    誰かの人生でない、誰かの恋愛や私生活や思想や哲学、夢や希望や苦悩、などではない物語です。

    本書『絶望名人カフカの人生論』は、カフカの日記や、友人や恋人たち、父親などに宛てた手紙から、ネガティブなものを抜粋した断片集です。
    例えば、恋人に宛てた手紙の中に、こんな文面があります。

    「ぼくはしばしば考えました。
    閉ざされた地下室のいちばん奥の部屋にいることが、
    ぼくにとっていちばんいい生活だろうと。
    誰かが食事を持って来て、
    ぼくの部屋から離れた、
    地下室のいちばん外のドアの内側に置いてくれるのです。
    部屋着で地下室の丸天井の下を通って食事を取りに行く道が、
    ぼくの唯一の散歩なのです。
    それからぼくは自分の部屋に帰って、ゆっくり慎重に食事をとるのです。」

    同じ恋人にはまたこんな手紙も送っています。

    「ずいぶん遠くまで歩いてきました。
    五時間ほど、ひとりで。
    それでも孤独さが足りない。
    まったく人通りのない谷間なのですが、
    それでもさびしさが足りない。」

    あるいは、日記にはこんな言葉が。

    「ぼくが仕事を辞められずにいるうちは、
    本当の自分というものがまったく失われている。
    それがぼくにはいやというほどよくわかる。
    仕事をしているぼくはまるで、
    溺れないように、できるだけ頭を高くあげたままにしているようだ。
    それはなんとむずかしいことだろう。
    なんと力が奪われていくことだろう。」

    引きこもり精神、孤独志向、ニート願望をうかがわせる言葉ですが、でも、これって本音のところでは誰もが心のうちにあることではないでしょうか。
    え?そんなこと一度も考えたことはない?そう言えるあなたはとても幸いです。

    まあ、でも実生活のカフカは、引きこもりでもニートでもなかったようです。
    ウィキペディアの「フランツ・カフカ」などを合わせて読んでみると、カフカは「労働者傷害保険協会」という役所に8時から14時まで病気退職するまでずっと働き続け、真面目で有能な職員としてどんどん出世もしています。
    午後の時間は小説の執筆にあて、「亡くなる前日まで作品の校正刷りに手を入れていた」そうです。
    生涯独身ではあったけど、恋愛経験も数多く、心のうちを吐露できる生涯の友人、恋人もいました。
    周囲の人の評判は良好で、物静かでユーモアがあり、「職場では常に礼儀正しく、上司や同僚にも愛され、敵は誰一人いなかった」という。
    心優しく穏やかな人物の日常を思わせるようなエピソードもいろいろ残っています。

    カフカのネガティブな言葉と、こういう実生活とのギャップが面白い。
    もしカフカが今の時代に暮らしていたら、きっとツィッターで毎日つぶやき、『ツィッター名人』と呼ばれていたかもしれません。

    《参考サイト》

    本書の編集・翻訳をされた頭木(かしらぎ)弘樹さんについての記事
    「カフカの言葉に支えられ 頭木弘樹さん」

    頭木弘樹さんの著書『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』を紹介した記事
    「光り輝くゲーテの言葉を、いちいち暗闇で塗りつぶすカフカ、文豪たちの絶望対話が凄まじい」

    カフカの名言をまとめた記事
    →「カフカの迷言がネガティブすぎて笑える

     

     

    「整形前夜」穂村 弘

    seikei出版社:講談社 (2012/7/13)

    『現実入門』を書いていた穂村弘さんも、結婚という生々しい現実を手に入れ、いまや「現実上級」資格取得者。
    もはやイノセントな少年のままではいられなくなったからか、この『整形前夜』には、
    「「今」をきっちり生きることができないために、そこから先の未来が次々に腐ってゆく。(非エレガンスのドミノ倒し)」
    だとか、
    「普通に真面目に働き続けることで幸福になれた時代は終わって、同じ道が今では「絶望」に繋がっているのではないか。(「普通列車「絶望」行」)」
    なんていう、極めて現実を見据えたセリフも出てきたりします。
    今回は妄想の天使も現れない。
    ただし、のっけから、彼の留守中に部屋を整頓してくれるという「妻」が登場します。「結婚したんだもん!」というアピールでしょうか?いや、単にノロケたいだけでしょう。
    妻と古本屋めぐりをしていることとか、一緒にグアムに行ったこととか、もう臆面もなく書いちゃっています。「人生はぴんとこない戦いの連続だ」と、怯え戸惑いながらも、しあわせなんですね。きっと。

    それはさておいて、「中身がどんなものでもこれなら即買う、という傑作タイトル」の話が面白かったので、私も真似して、これまで読んだ本の中からタイトルが気に入ったものを書きだしてみました。
    が、・・・・案外、思い出せないものです。

    「幽霊の2/3」ヘレン・マクロイ
    「時計じかけのオレンジ」アントニイ・バージェス
    「幻の女」や「私が死んだ夜」/コーネル・ウールリッチ(=ウィリアム・アイリッシュ)
    「10月は黄昏の国」/レイ ブラッドベリ
    「月は無慈悲な夜の女王 」/ロバート・A. ハインライン
    「笑う警官」/ペール・ヴァールーとマイ・シューヴァル共著
    「箱男」や「壁」/安部公房
    「限りなく透明に近いブルー」/村上龍
    「摩天楼の身代金」/リチャード・ジェサップ
    「すベてがFになる」/森 博嗣
    「潜水服は蝶の夢を見る」ジャン=ドミニック・ボービー
    「意思ばかり生む夜」/小西 啓
    「ハルビン・カフェ  」/打海 文三
    「あなたの人生の物語 」/テッド・チャン
    「ここがウィネトカなら、きみはジュデイ」大森望編
    「冷たい方程式」/トム・ゴドウィン

    穂村弘さんの本もタイトルに魅かれます。「世界音痴」や「本当はちがうんだ日記」も好きなタイトルで、中身もタイトルのイメージを裏切らない。
    しかし、この『整形前夜』はちょっと予想外でした。
    タイトルから私が想像したのは、常日頃、素敵男子になることを熱望してやまない作者のことだから、ついに整形したか!小心者だから、たぶんプチ整形に手を出したに違いない、というものでしたが、全くハズレ。
    『整形前夜』はノーマ・ジーンがマリリン・モンローに変わる、その前夜について語ったものでした。
    「男たちは多くを期待しすぎるけれど、私には応えてあげることができない。彼らは、鐘が鳴るのを、汽笛が鳴るのを期待する。でも私の体は他の女性たちと同じなの」
    マリリン・モンローの言葉だそうです。
    「分かる、分かる」と、言ってみたい。

    「結婚の条件」小倉千加子

    「結婚の条件」小倉千加子/朝日新聞社
    発行/2003年11月

    以前、斎藤美奈子さんの「モダンガール論」を読んで、女性史というジャンルに興味を持ったのですが、その斎藤美奈子さんが「本の本」で以下のような書評を載せていたのが、小倉千加子著「結婚の条件」。

    kekkon女性の憧れをかきたてるカリスマミセスにもはやりすたりがあるらしく、ハイソ系の君島十和子の次に来ているのはナチュラル系の雅姫である。(・・中略・・)ままごとみたいな家庭生活の一端を見せるのが、いわば彼女の仕事であり、ロンドンやパリへの取材も娘同伴。それで麻と木綿と毛糸が好き、とかいってんだからいいわよねと凡人はひがむ。
    にしても、なぜこんなカリスマミセスが次々登場してくるのか、そんな疑問にズバリと答えてくれるのが小倉千加子『結婚の条件』だ。(・・中略・・)男は収入、女は容貌。結婚とはカネとカオの交換だと小倉はいいきる。
    「本の本/斎藤美奈子」より抜粋

    カリスマ主婦ねえ。なんでそんなのが受けるのか、私も不思議に思っていました。
    この本は、女性の結婚観の変遷を検証し、現在の晩婚化、少子化の原因を読み解く、真面目でちょっとミーハーな学問書です。
    本にはたくさんの女性が登場しますが、その一人、ある未婚女性ディレクターはきっぱり言います。
    「女は真面目に働きたいなんて思っていませんよ。しんどい仕事は男にさせて、自分は上澄みを吸って生きていこうとするんですよ。結婚と仕事と、要するにいいとこどりですよ」
    平成の未婚女性も、昭和に結婚して現在中高年となった既婚女性も、「分かる、分かる」と頷ける現実が、ある意味身も蓋も無い本音が、満載の本です。

    先日、小学2年生の双子女児と、映画「ジョン・カーター」を観ました。
    この映画は100年前に書かれた、南北戦争の元南軍騎兵大尉ジョン・カーターが、火星のプリンセスを救うため、異星人たちと戦う勇者の物語です。
    映画を観終わったあと、双子姉がポソっとつぶやきました。「男って女のために頑張るんだね」
    恐るべし、7歳児。見るところは見ている。

    この子が結婚する時代には、どんなことが「結婚の条件」になっているのか、気になります。
    小倉千加子さんは、日本は晩婚化国、少子高齢国というより、将来は非婚国に移行していくと予想していますが、果たして?

    まあ、どんな時代であろうと、勇者は 「上澄みを吸って生きていこうとする女」を、わざわざ命をかけて救いには来ない。それに、火星のプリンセスだって「絶世の美女で、勇気と情熱のある戦士」という設定だし。

    「もしもし、運命の人ですか。」穂村 弘

    mosimosi出版社: メディアファクトリー (2010/12/21)

    (内容紹介Amazon.co.jp)
    黙々と働く昼も、ひとりで菓子パンをかじる夜も、考えるのは恋のこと。あのときああ言っていたら……今度はこうしよう……延々とシミュレートし続けた果てに、〈私の天使〉は現れるのか? 人気歌人による恋愛エッセイ集が、待望の文庫化。解説は、『臨死!!江古田ちゃん』の漫画家・瀧波ユカリ。

    穂村弘さんといえば、『世界音痴』『現実入門~ ほんとにみんなこんなことを?』『本当はちがうんだ日記 』『にょっ記』といった、いかにも大人気ないタイトルからも分かるように、永遠の青二才、いえ、永遠の“まだ中”(まだ中学生)。
    妄想の中で妖精だか天使だかを連れて歩き、夕餉にコンビニの菓子パンをかじる、結婚しない、できない男の代表だったはず。
    なのに、この『もしもし、運命の人ですか。』というエッセイの中には

    「外国にいる間中、妻の背後にぴったり貼りついて隠れている私とはえらい違いだ。」

    と、さりげなく妻という一文字が挿入されています。
    はあ?妻?妻の背後?ええっ?
    思わず本をめくる手が宙に浮いてしまいました。
    そういえば以前『にょっ記』を読んだときにも「妻」と会話しているみたいなシーンが出てきて、「印刷ミス?」と疑問に思ったけど、「ああ、妄想の妻ね、きっと」と勝手に解釈してスルーしてしまったんですが・・・。
    裏付けをとるしかない、とネットで検索してみると、「WEB本の雑誌」、 「作家の読書道」に本人が肯定している言葉がありました。

    まあ、作家が結婚しようがタレントが離婚しようが、私には影響のない話なんですけど。
    しかし、もう「運命の人」見つけたのなら、いまさら〈私の天使〉探しも説得力に欠けますね。先の「妻」に関する一文も何だかのろけみたいに聞こえるじゃないですか。いや、きっとそうです。
    結婚という生々しい現実を手に入れてしまった穂村弘さん、どうか私生活をあまり晒すことなく、さらなる妄想力を磨いていって欲しいものです。

    「外科医須磨久善」海堂 尊

    gekai出版社: 講談社 (2009/7/23)

    (内容紹介Amazon.co.jpから)
    “海堂ワールドの新展開、外科医の謎に迫る。” 世界的権威の心臓外科医はいかにして誕生したのか。旧弊な学界から若くして認められるため、どんな奇策をとったのか。現役医師作家にしか書けない、医者の秘密。


    須磨医師は中学二年生の時、自分は普通の会社員にはとてもなれそうもないから、医者になろうと決めたそうです。

    • 「人を押しのけたり、競争はしたくない。
      小さくささやかな人間関係の中で生きていけたらいい。
      理想は最小単位の人とのかかわり合いだ。仲の良い友達から「君がいてくれてよかった」と思われるのがいい。
      競い合いではなく、ほのぼのとした人間関係ができたら幸せ。
      いいやつと悪いやつが入り交じる雑駁な世界はイヤ。
      自分ががんばってもトップが愚鈍なせいで路頭に迷うのもイヤ。
      他力本願でうっとうしいのもイヤ。
      よくも悪くも自分の責任で仕事できないのもイヤ。
      つきあう相手とはケンカをするのも足の引っ張り合いをするのもイヤ。
      自分が誰かを不幸にするのもイヤ。」

    だから、患者と医者という1対1で向かい合う職業を選んだ、というところに思わず感動しました。

    自分の心許せる狭い範囲で、しがらみなくささやかに生きたい、という気持ちは私も全く一緒なんですけどね。子供の頃から、何々になりたいと職業を真剣に考えたことが一度もないまま生きてきました。そのことを今更ですが、反省しました。
    須磨医師は外科医になろうと決めてから、一度も気持ちがブレることなく突き進んでこられたようです。ブレないこと、は大事ですね。