『中田敦彦のYouTyube 大学 』が面白い

令和元年も足早に過ぎ去ろうとしています。
令和上半期は、忙し過ぎてあまり読書する時間がなかった。
秋からは新しく得た趣味作業に熱中しているために、さらに読書時間がなくなりましたが、代わりに作業BGMとしてYouTyubeを視聴することが増えました。

そこで今回は、今月聞いて面白かった『中田敦彦のYouTyube 大学 』を紹介してみます。

正直、タレントユーチューバーなんて、ヤラセのバラエティ番組みたいな動画を配信しているんでしょ、とこれまで観ることはなかったのですが、 申し訳ない、それは偏見でした。

『中田敦彦のYouTyube 大学 』は、オリエンタルラジオの中田敦彦さんが、あらゆる分野の専門書(もしくは専門書の解説書)を読み解いて、学校の授業みたく解説する動画です。
スタイルとしては、テレビの『池上彰のニュースそうだったのか!! 』に近く、 池上彰さんの著書を取り上げることも多いようです。もちろん、池上さんよりはうんと砕けた口調ですね。
テレビと違って、取り上げるテーマに制約が無いからか、政治、経済、情報文化、歴史、文学、芸術、などなど多岐にわたります。
どの分野も無知な人間としての立場で、好奇心を持って猛勉強しているようで、聞いている方も分かり易く楽しく聞けます。

最近、1年振りにあった友人が、自分のガラケー携帯をみつめながら、
「5Gになったら、ガラケー使えなくなるんだって」と言うので、「え?どういうこと?」と私。
そのあと二人とも無言。
私も友人も、5Gという言葉は聞いたことあっても、それが何だか説明することはできなかったのです。
私はスマホを使っているので、5Gになったらナンカ今より通信速度が速くなるんだろうな、ぐらいの認識であまり興味もなかったのですが、急に気になって家に帰ってからPCで検索。そして 『中田敦彦のYouTyube 大学 』 を知ったわけです。

5G、確かに通信速度が速くなるのだけど、それはただスマホが便利になるっていうだけの話ではなかった。まさしくこれからの世界が変わる話でした。
そう遠い未来じゃない。
孫たちが大人になっているぐらいの未来。
その未来は幸せなんですか?って考えてしまいます。
たぶん幸せの価値観も変わっていくのでしょうから、今の私には想像がつかない未来です。

5Gになるとガラケーが使えなくなるか?という疑問については、この動画では分からなかったので、さらに検索してみると、下記サイトに答えがありました。

【ガラケー終了はいつ?】廃止のお知らせは本当?使えなくなったらどうするの?ドコモ/au/ソフトバンクの現状を解説

これによると、「2022年でガラケー終了」というデマが出回っているらしいです。
2022年にauの3G回線を停波するために、そんなデマに繋がったようです。使えなくなるのは「auの3G回線端末」を使った機種のみということですが、ユーザーは極少数。マニアレベルだそうです。気になる方は上記サイトを参照してみてください。

追記: 『中田敦彦のYouTyube 大学 』では、原発についての解説動画もありました。
政治】まだ解決していない「原発問題」〜原発の歴史編〜①
政治】国家や大企業の利権が絡む「原発問題」〜真相追求編〜②
これも分かり易く、秀逸です。当サイトの「原発は要らない」ページに掲載しました。

追記:2020.07.13

上記の動画
【政治】まだ解決していない「原発問題」〜原発の歴史編〜①
【政治】国家や大企業の利権が絡む「原発問題」〜真相追求編〜②
は非公開になり、閲覧できなくなりました。

通畠義信氏、南日本美術展にて海童賞受賞しました!

画像は第74回南日本美術展カタログより転載

当サイトで紹介しています「鉄の作家」通畠義信氏が、第74回南日本美術展にて海童賞:空間造形部門優秀賞を受賞されました。おめでとうございます!
この賞は2017年、2018年に続き3回目の受賞となります。

今回の作品は「ハエの家2019 -冥界ニュース -」

会場には応募作品についてのコンセプトをまとめたファイル「一次審査用書類ファイル」が展示されています。
これから観に行かれる方には、是非そのファイルも手に取って開いて読んで欲しいです。
作品に関する基本コンセプトのほかに「仮想劇~冥界ニュース リアルタイム~」という寸劇の脚本がファイルされています。

舞台は「地底界放送局スタジオ」
出演者は、ニュースキャスター、コメンテーター、お天気屋お姉さん、そしてリポーターとしてハエ男が登場する劇です。
2ページくらいの短い場面でしたが、面白かったですよ。もっともっと読みたかったです。
通畠氏のマルチな才能を知ることができるファイルです。

第74回南日本美術展

2019年11月16日(土)~12月1日(日)
黎明館・鹿児島美術館


この「ハエの家シリーズ」は今回で最後になるそうです。
また新たな作品の登場を心待ちにいたしましょう。

「絶叫委員会(著:穂村弘)」を再読した

穂村弘さんの「絶叫委員会」を再読しました。
再読と言っても本棚から取り出して読み直したわけではなく、ブックオフで見つけて、愚かにも2冊目を購入してしまったわけで。

「未読の穂村弘発見!」と小躍りしてレジでお金を払い、寝る前に読み始めて1ページ読むごとに既視感を感じながらも読み進め、「読んでいる」「いや、読んでない」と自問自答を繰り返しつつ読み終わりました。

読書リスト」で確認すると、どうやら3年前の2016年11月に既読しているようです。二重購入を避けるために作成した「読書リスト」だったのに、頼りにならないヤツです。

本棚を見直してみると、1冊目の 「絶叫委員会」 が見当たらない。
おそらく3年前の11月と言えば、職場が辛くてもう辞めたい!けど辞められない!って時期だったから本を読みながら暖まろうと、お風呂読書に使ったため、ボロボロになってしまって捨てざるを得なかったに違いありません。
取り敢えず、本棚に同じ本が2冊並ぶことは避けられました。

それはともかく、何度読み直しても、穂村弘さんのエッセイは面白い。
お風呂が冷えた体を温めるように、穂村弘さんのエッセイは私の心を温めてくれます。

「絶叫委員会」は著者が日常の中で遭遇した印象的な言葉について書かれたエッセイです。
普段は聞き逃してしまいそうな何気ない言葉や、パニックに陥った時に思わず発してしまう意外な言葉、あるいは「それを言っちゃあお終いよ」的な致命的発言などなど。
一見、無意味にしか聞こえない言葉であっても、無意味さの中から面白さや愛や悲しさを取り出したりして、世界の奥行を垣間見せてくれる一冊です。

日頃、何かの言葉に違和感を持っても、それを言語化できない私はモヤモヤしながら、そのうち忘れてしまいます。
例えば、
「万一ご満足いただけない場合は全額ご返金致します」
というフレーズ。何だか不快に感じるのだけど、どこがどう嫌なのか言葉にすることができなかった。このフレーズについて誰かと意見交換することもなかった。それを本書の中で見つけたときには、あっ、と思いました。

「他人の主観に対してそこまで強気になれるのは自信の現れというレベルを超えている。サービスの顔をした恫喝に思えるのだ。」

P161「サービストーク」

そうそう、それ。私もそれを言いたかったのです。

「償いの雪が降る」健気な主人公を応援しながら読んだミステリ

大学生のジョーは、授業で身の回りの誰かの伝記を書くことになった。適当な身内がいないため訪れた介護施設で、末期がん患者のカールを紹介される。カールは30年前に少女暴行殺人で有罪となった男で、仮出所し施設で最後の時を過ごしていた。カールは「臨終の供述」をしたいとジョーのインタビューに応じる。話を聞くうちにジョーは事件に疑問を抱き、真相を探り始めるが……。バリー賞など三冠獲得、衝撃のデビュー・ミステリ!

(「BOOK」データベースより)

小説というのはシリーズ物でなければ、主人公が魅力的な人物なのか、自分好みなのか、読んでみるまで分からない。
テレビドラマだったら、好きな役者が出演しているとか、配役情報だけで観る気になったりするのだけど、小説はそうはいかない。

特に本書のようにこれが作家のデビュー作となれば、登場するのは全員未知の人物ばかりです。
読みながら登場人物の顔や性格を、書かれている情報を元に自分なりに想像して新人俳優に育てていくのは、これも読書の楽しみ方の一つです。
本書『償いの雪が降る』の主人公ジョーは、結構魅力的な若手俳優でしたよ。
イケメンではないけど、健気で勇気があって、優しく、まっすぐで。
性別こそ違え、ジブリ映画に出てくる女の子みたいに、応援したくなるキャラクターではないかと思います。

酒とギャンブルと男に溺れている母親。今で言う「毒親」の元で育ち、自閉症の弟の面倒をみながら、自立し明るい未来を手に入れるために、孤軍奮闘する主人公。私も応援しながら読み進みました。

同じ主人公で2作目も書かれているということなので、シリーズ化されるかもしれませんね。

シリーズ物と言えば、私は以前、パトリシア・コーンウェルの『検屍官シリーズ』と、スー・グラフトンの『キンジー・ミルホーンシリーズ』に嵌って、新作を見逃さず読んでいた時期がありました。
でも、『検屍官シリーズ』の方はある時から、たぶん10作目かその前あたりからか、全く読まなくなってしまいました。何故か主人公のケイ・スカーペッタに魅力を感じなくなってしまったのです。
ケイ・スカーペッタが人気女優に育ち過ぎたのか、私の好みが変わったのかは分かりませんが、シリーズ物といえど惰性で読み続けることはできないようです。

一方、女探偵『キンジー・ミルホーンシリーズ』については、キンジ―に飽きることはなく、1作目『アリバイのA』から始まって、18作目『ロマンスのR』まで読みました。
『S』で始まる次回作の刊行をずっと待ち続けたけれど、何故か日本では『S』から後は翻訳されることはなく、2017年、スー・グラフトンは亡くなってしまいました。
今では既刊分も全て絶版だということです。本当に残念です。
できることなら、アメリカでは既に刊行されている『S』から『Z』までを、日本でも翻訳刊行して欲しい。

女探偵キンジーは社交的なことが苦手で、人と会った時天気のことぐらいしか話題がない。キンジ―が「この世にお天気があって、ホントに良かった」と自嘲気味に思う場面が、何故かいまだに妙に忘れられない。

『選んだ孤独はよい孤独(山内マリコ)』

まず表紙の絵に惹きつけられました。
「装画:長谷川潾二郎 タイトル:アイスクリーム」
存じ上げないお名前だったので画像検索してみると、他にも心惹かれる絵が多く、嬉しい発見となりました。
勝手に若いイラストレーターを想像していましたが、 長谷川潾二郎は明治生まれの画家であることに驚き、さらにウィキペディアによる長谷川潾次郎の生涯について、あまりにも簡素な記述に驚きました。

1904年、父・長谷川清(後に淑夫に改名)、母・長谷川ユキの二男として函館に生まれる。長兄に、牧逸馬・林不忘・谷譲次の三つのペンネームを用いて活躍した作家の長谷川海太郎がおり、弟には、ロシア文学者で詩人の長谷川濬(三男)、作家の長谷川四郎(四男)がいる
旧制函館中学(現・北海道函館中部高等学校)卒業。中学の同級生に、探偵小説家・編集者の水谷準がいた。その後、画家を志して1924年に上京し、松本泰が大家をつとめる下宿で、水谷と共同生活を送る[2]
1931年、画の勉強のためパリへ渡る。数年滞在する予定だったが約1年で帰国。
1988年、84歳で死去。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E3%82%8A%E3%82%93%E4%BA%8C%E9%83%8E

表紙の装画も彼の生涯記述同様に「簡素」というイメージがぴったりです。
たぶん私が惹きつけられたのも、その飾り気の無さかも知れませんが、はっきりしたことは分かりません。簡素な絵は他にいくらでもあるのですから。
ただ本書のタイトルにある「孤独」という言葉が上乗せされることで、1個のアイスクリームと1冊の本と1冊のノート(かな?)、ピンクの色鉛筆とメガネと煙草が、誰かの人生の孤独を象徴しているかのように見えてくるから不思議です。

とは言え本書「選んだ孤独はよい孤独」には、「選んだ孤独」というのがどんなものなのか、いま一つはっきりとは書かれていません。

地元から出ることなく遊び仲間とつるむ失業中のヨシオとか、自己中な女子に振り回される男子高校生とか、同棲生活が1年で破綻した理由が分からない彼とか、仕事ができない男の話とか、、などなど、日常をちょっとだけ切り取った、物語と呼ぶには断片過ぎる19個のお話です。

そして、どのお話もまた孤独と呼ぶには日常的過ぎる。
それは、孤独が特別なものでなく日常そのものなのだ、とでも言っているかのようです。

19個のお話の中の一つ、「おれが逃がしてやる」は、ちょっと泣けました。

人は、その時々にどこかのコミュニティに所属していて 、そこに順応しきれない自分を感じながら順応した振りをして生きていくんだよなあ。
それは私だけではないんだよなあってことを、今さらながら、しみじみ思いました。