としまえんと東京タワーとグリルつばめ②

tokyo06東京タワーに登りたい、と言うと「馬鹿と煙は高いところに登りたがる」と笑われそうですが、確かに私はその部類です。
高所恐怖症のクセに、屋根と壁に囲まれて、床が透けていないこと、という条件さえ合えば、高ければ高いほど登りたくなってしまいます。

地上250mの展望台から見下ろすと、以前より高層ビルがかなり増えたというのが実感できました。
竣工年代順・東京都(23区)・超高層ビルデータベースによると、1968年に高さ100m以上のビルは1棟だったものが、2010年1月現在で402棟ほど。9月の今ではさらにその数を上回っているはずですし、さらに現在建設中もあるようです。

東京の街も上へ上へと登りたがっている・・・ひょっとして街を挙げて私と同類でしょうか。
この高層ビルの全てが、「としまえんカルーセル エルドラド」のように100年以上の月日を、果たして生き延びていけるのでしょうか。
そんな老婆心を抱きつつ、街の風景を上空から鳥の目で俯瞰できる東京タワー。この3月には日本一高い建造物のポジションをついに東京スカイツリーに譲ってしまいましたが、私はデザイン的には東京タワーのAラインが好きです。

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※写真は娘の撮ったもの

グリルつばめについては、また明日。

としまえんと東京タワーとグリルつばめ①

連休に東京に行ってきました。
東京に行く機会があったら是非寄ってみたいと思っていたところが3つありました。
「としまえん」と「東京タワー」と「グリルつばめ」です。

 としまえんには2010年度の「機械遺産」に認定されたというメリーゴーラウンドがあります。
私は子供の頃からメリーゴーラウンドが好きでしたが、わが町のそれはとてもコンパクトで、言い換えればショボイ回転木馬もどき・・・その遊園地さえ潰れてしまって今は無い。
映画で観るような本格的なメリーゴーラウンドに乗ってみたいと、大人になってからは声には出さず心密かに願っていました。
先日、テレビで”としまえん機械遺産認定”のニュースを見て、いつか観に行こう、と心に留めていたところ、思いがけず早くその機会に恵まれ、ディズニーランドとは比べ物にならない、とても庶民的で昭和的なこの遊園地へ行ってきました。
としまえんメリーゴーラウンドは期待通りの美しさでした。

(※以下、写真は娘の撮ったものです。)

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  としまえん カルーセル エルドラド
日本機械学会「機械遺産」  機械遺産 第38号

わが国に現存する遊戯機械の中で最古、かつ、世界でも最古級のものが、この「としまえん カルーセル エルドラド」である。回転木馬の設計技師として名を馳せたドイツ人、ヒューゴー・ハッセが、1907(明治40)年に造ったもので、機械仕掛けの芸術的乗り物として100年以上の歴史をもつ、世界的に貴重な文化遺産である。
20世紀初頭のアール・ヌーヴォー様式の装飾が施された芸術作品と機械技術がみごとに融合した、顕著な例を見ることができる。原動機部は当初のものではないが、上下運動を伴わないシンプルな構造の回転木馬で、3つのステージが摩擦駆動により異なる回転速度で動く特徴をもつ。
ヨーロッパ各地で巡回営業された後、1911(明治44)年に米国東海岸の行楽地コニー・アイランドへ渡り、1964(昭和39)年まで運用された。その後、廃棄される直前に豊島園が買い取り、原形どおり忠実に修復され、1971(昭和46)年から現在地で動き続けている。
乗る人・見る人を魅了し、親しまれ続けているこの回転木馬は、所有者の高い保存・継承・活用の意志のもと、わが国のみならず、訪れる世界の人々に夢と楽しみを与え、生活文化の向上に大きく貢献し続けている。
「機械遺産」http://www.jsme.or.jp/kikaiisan/data/no_038.htmlより

 日本では回転木馬とかメリーゴーランドとか呼んでいますが、英語ではカルーセルと呼ばれることが多いそうです。エルドラドは 黄金郷という意味。
カルーセル エルドラド、カルーセル エルドラド、続けて言うと何かが出現しそうな、呪文のようですね。

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tokyo04メリーゴーラウンドの一番人気はやはり馬ですね。私も乗りたかったのですが、争奪戦に破れ、気がつくと豚さんにまたがっておりました。
ここの乗り物は上下運動はしませんが、外側のステージの回る速度は半端でなく、しっかり豚さんにしがみついていなければ、振り落とされそうな勢いです。

「まわる まわるよ ぼくらを乗せながら
まわる まわるよ 地球はメリーゴーラウンド
悲しみ よろこび すべてのせてゆくよ」

詞:山上路夫
曲:日高富明
編曲:東海林修

ガロの「地球はメリーゴーランド」の曲が、心の中でリフレインして・・・・
としまえんカルーセルエルドラドは、9月4日(土)~10月11日(月・祝)まで無料開放されています。
そろそろ出勤時間になりましたので、続きはまた今夜。

ジュール・シュペルヴィエル

フランスの詩人です。小説家でもあるようです。
いいにくい名前です。
古いノートに私はジュール・シュペルヴェールと書き写していたので、その名前で検索してみましたが、シュペルヴェールでなくシュペルヴィエルの方が通りがよいようです。ウィキペディアもジュール・シュペルヴィエルと表記されていました。フランス人の名前を日本語表記するのは難しいですね。
ま、来日中のミラ・ジョヴォヴィッチも表記しにくいし、フランスに限ったことではないですね。
日本人の名前だって海外ではどういう発音や表記をされるのか興味あるところですが、その話はさておいて。

インターネットなんて言葉がまだ世の中に存在しない昔、ジュール・シュペルヴィエルの詩をどこかで目にして、いくつか書き留めていました。
シュルレアリスム (これもまた表記しにくい!)の詩にハマっていた時期があったので、ロートレアモンやなんかと合わせて読んだ記憶があります。

シュルレアリスムの詩は、意味を読み取ろうとすると難解(=面倒)なので、むしろ意味など考えずに自分勝手にイメージできるところが好きです。

ジュール・シュペルヴィエルの詩からは、荒涼とした孤独な風景が美しい絵となって目の前に現れるような、そんな作品があります。

当時、「動作」という詩が広く知られていたように覚えています。

「動作」

               ジュール・シュペルヴィエル

その馬はうしろを振り向いて

誰もまだ見たことのないものを見た。

それからユウカリの木の陰で

牧草をまた食べ続けた。

それは人間でも樹でもなく

また牝馬でもなかったのだ。

葉むらの上にざわめいた

風のなごりでもなかったのだ。

それはもう一頭の或る馬が

二万世紀もの昔のこと

不意にうしろを振り向いた

ちょうどその時に見たものだった。

そうしてそれはもはや誰ひとり

人間も馬も魚も昆虫も

二度と見ないに違いないものだった。大地が

腕も脚も首も欠け落ちた

彫像の残骸にすぎなくなるときまで。

「難破船」

      ジュール・シュペルヴィエル

こちらのここにテーブル あちらのむこうにランプ

空気がいらいら波立っているから どうにも一緒になれないで

人っ気のない海岸 水平線まで突き出ていて

腕をあげて男が沖で叫んでいる 「助けてくれえ!」

すると木魂が答えている 「どういう意味なんだ いったい」

 

若いある時、私が「名前が思い出せないんですが、馬が振り返る、詩がありますよね」と誰かに聞いたところ、近くにいた見知らぬ人が「それは、ジュール・シュペルヴィエルですね」とサラッと応えて、周囲が「おおっ」とどよめいたことがありました。なんてかっこいい!若い私は、感動しました。
その後、私は「アーノルド・シュワルツェネッガー」の名前を繰り返し口にして覚え込んだものです。
アーノルド・シュワルツェネッガーは発音でも表記しにくさでも最高レベルの名前ですね。

「下から目線で読む『孫子』」山田 史生

sonsi出版社:筑摩書房 (2010/7/7)

内容(Amazon.co.jp 「BOOK」データベースより)
歴史上、数々の支配者たちに熟読されてきた兵法書の古典『孫子』。人間心理への深い洞察をもとに必勝の理を説いた同書を、視点をひっくり返して読んでみたら、何が見えてくるのか。自明とされた「勝ち」というものが、にわかに揺らぎ始めるかもしれない。『孫子』のなかから、これぞという言葉を選び、八方破れの無手勝流でもって解釈しながら、その真意を探る。

キャッチコピーは「下々に捧ぐ」

「孫子」なんて全く興味もなかったのですが、「下々に捧ぐ」というこの言葉がぐさりと胸に刺さり、購入してしまいました。
だいたい「孫子」については、孔子や孟子みたく中国の偉人の名前だろうと思っていたくらいですから。
実際は人の名前ではなく、「孫子」というタイトルの兵法書、いわば「戦争マニュアル書」の名前でした。知らなかったなあ。本を読むたびに己の無知さ加減を思い知ることになる今日この頃です。
しかし、「孫子」など知らなくて当然。恥じることはありません。「孫子」は下々の者が読むような書物ではないらしいのです。

戦国時代にあっては武将たちが、国家統一が成された現代においてはプレジデントたちが、「敵に勝つための手引書」として、「上に立つものが下に居るものをどう動かすか」というノウハウ本として使うものらしいです。

「兵とは詭道なり。」
「戦いのコツは、相手をダマすことにある。」と山田史生さんは訳しています。
孫子的漢文調で「兵とは詭道なり。」ときっぱりと声に出して言えば、騙すことにも大義があるように聞こえてきて何だか可笑しいですね。

「利なればこれを誘い、乱なればこれを取り、実なればこれに備え、強なればこれを避け、怒なればこれを撓(みだ)す。」
山田史生さん訳:「欲張りならエサで釣り、お調子者ならスキをつき、真面目なら様子を見て、短気なら刺激せず、単純なら挑発する。」

「必死は殺され、必生は虜にせられ、忩速(ふんそく)は侮られ、廉潔は辱められ、愛民は煩わせさる。」
山田史生さん訳:「ガンバると殺され、逃げると捕まり、短気はバカにされ、真面目はダマされ、優しいと苦労する。」

戦術というよりは、処世術に読み替えることができそうです。人生そのものが戦いだとすると戦術も処世術も似たようなものかもしれませんね。

ところで、来月は民主代表選があります。元来が好戦的なお上たち。たぶん、一度ならず孫子を読んでいることと思いますが、私からも僭越ながら「お上に捧ぐ」一文を。

「亡国はまた存すべからず、死者はまた生くべからず。」
滅びた国家は立て直せないし、死んだ人間は生き返らない。

「外科医須磨久善」海堂 尊

gekai出版社: 講談社 (2009/7/23)

(内容紹介Amazon.co.jpから)
“海堂ワールドの新展開、外科医の謎に迫る。” 世界的権威の心臓外科医はいかにして誕生したのか。旧弊な学界から若くして認められるため、どんな奇策をとったのか。現役医師作家にしか書けない、医者の秘密。


須磨医師は中学二年生の時、自分は普通の会社員にはとてもなれそうもないから、医者になろうと決めたそうです。

  • 「人を押しのけたり、競争はしたくない。
    小さくささやかな人間関係の中で生きていけたらいい。
    理想は最小単位の人とのかかわり合いだ。仲の良い友達から「君がいてくれてよかった」と思われるのがいい。
    競い合いではなく、ほのぼのとした人間関係ができたら幸せ。
    いいやつと悪いやつが入り交じる雑駁な世界はイヤ。
    自分ががんばってもトップが愚鈍なせいで路頭に迷うのもイヤ。
    他力本願でうっとうしいのもイヤ。
    よくも悪くも自分の責任で仕事できないのもイヤ。
    つきあう相手とはケンカをするのも足の引っ張り合いをするのもイヤ。
    自分が誰かを不幸にするのもイヤ。」

だから、患者と医者という1対1で向かい合う職業を選んだ、というところに思わず感動しました。

自分の心許せる狭い範囲で、しがらみなくささやかに生きたい、という気持ちは私も全く一緒なんですけどね。子供の頃から、何々になりたいと職業を真剣に考えたことが一度もないまま生きてきました。そのことを今更ですが、反省しました。
須磨医師は外科医になろうと決めてから、一度も気持ちがブレることなく突き進んでこられたようです。ブレないこと、は大事ですね。