「エンジェルズ・フライト」マイクル・コナリー

angels

出版社: 扶桑社 (2006/01)
内容(Amazon.co.jp「BOOK」データベースより)
LAのダウンタウンにあるケーブルカー、“エンジェルズ・フライト”の頂上駅で惨殺死体が発見された。被害者の一人は、辣腕で知られる黒人の人権派弁護士ハワード・エライアス。市警察の長年の宿敵ともいえる弁護士の死に、マスコミは警官の犯行を疑う。殺人課のボッシュは、部下を率いて事件の捜査にあたるが…。緻密なプロットと圧倒的な筆力で現代アメリカの闇を描き出す、警察小説の最高峰“ハリー・ボッシュ”シリーズ第六弾、ついに待望の文庫化。単行本『堕天使は地獄へ飛ぶ』改題。

いつだったか、子供の頃、仏教に基づいて描かれた「地獄絵図」というのを見たことがあります。水木しげるの漫画だったような覚えがあるけど、あまり定かではありません。見たくて見たわけでなく何かの拍子にうっかり見てしまい、口にするのもおぞましい、文字にするのも恐ろしい、残虐でグロテスクな刑罰の数々、亡者の姿に衝撃を受けました。
とにかく私はすごい怖がりなので、ホラーなものは受け付けません。「これはただの絵なんだ、誰かの妄想で作り上げたニセモノの世界なんだ」と自分に言い聞かせ、「天国」というのもないけど「地獄」だってないんだから!(何故か天使と閻魔様・・・和洋折衷なんですけど)と現世以外の存在を否定してきました。

しかし、現世にこそ「地獄」があるのだ、と容赦なく突きつけるのが、この本、マイクル・コナリーの「エンジェルズ・フライト」です。
「エンジェルズ・フライト」とはロサンゼルスのバンカー・ヒルという再開発された丘の頂上(高級住宅地&最新オフィス街)から丘の下を結ぶ、短距離ケーブルカーのことだそうです。美しいネーミングです。
そのケーブルカーの中で黒人弁護士の射殺死体が発見されるところから物語は始まります。その後の展開は、1992年に起きたロス暴動の事件と推移をなぞる形になっています。さらに、物語には1996年に起きたジョンベネちゃん事件を想起させる児童殺害事件が加わり、、、、

マイケル・コナリーの筆致は劇場映画を観ているような臨場感にあふれ、迫力があるだけに、本当にこのまま映像化されたとしたら、私はとても直視できないと思う。読書しながらも、目を覆うような凄惨な場面にはボカシをかけて、細部まで想像しないようにして読んでしまいました・・・。

しかし、この本に書かれていることは、決して誰かの妄想ではない。現実にあることをなぞっているのであり、ロサンゼルスの町に地獄を作り出している一番の要因は人種差別であり、人種差別からくる貧困であるということを考えさせます。

ところで、私は長いこと、ロサンゼルスの名前はLoss Angelsで、「天使たちのいない」という意味だと思い込んでいました。日本にある「神無月」みたいに、本当は天使のたまり場なんだけど、他の街に天使たちが出払っているからこんな名前になったのだ、というエピソードも勝手に作っていたんですけど。
本当はLos Angelesで「天使たち」そのまんまの名前だと、実は今日初めて知りました。ロサンゼルスを舞台にしたハードボイルド小説などでは、「天使のいない街にようこそ」なんてセリフがあったりするんですが、あれはただの掛けことばによる皮肉だったようですね。(いまごろ・・・)

面白いアート

日本最大のオンラインニュースマガジンサイトと称されるGIGAZINE(ギガジン)見ていますか?

「日本の影響力のあるブログとして第1位」だそうです。
一日の更新回数も多く、多種多様な情報が満載のサイトです。

その多様性と情報量の多さに、私は圧倒されてしまうので、毎日見るのは無理なのですが、たまに見るとやっぱり次々ページをめくってしまいます。

アートのジャンルに絞って覗いてみました。とても全部の「続きを読む・・」ことはできないので、気になる見出しだけを拾い読みです。

「MSペイントで2時間30分かけて「モナ・リザ」を描くムービー」という動画には驚きました。MSペイントは簡易なお絵かきソフトだと思っていましたが、「弘法筆を選ばず」ってことですね。

私が気に入ったのはこれかな。「鉛筆スケッチで写真に妄想をはめ込んだ「Pencil Vs Camera」」。

他にも美しいアート、驚愕のアート、不可解なアートなど、面白いアートがいっぱいです。

並はずれた想像力と優れたデッサン力、そして忍耐力があれば、人はどんなものからでもアートを生み出すものだと、つくづく思いました。

そんな才能を、偶然手に入れた人もいるようです。本当に人間って、人間の脳って、不思議なものですね。
「脳手術後にアーティストとしての才能が目覚めた男性」

「木曜日の子供 」テリー ホワイト

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出版社: 文藝春秋 (1991/09)


木曜日の子供は遠くまで行く―。マザーグースはそう歌う。たまたまそんな星の下に生まれたために旅に出なければならない家出少年が、ひとりの殺し屋に出会う。が、この凄腕の殺し屋も、よくよく聞けば両親を航空機事故で失い、たった一人の弟を植物人間にされて敵討ちを心に誓っている。彼もまた“木曜日の子供”なのだろうか?

内容(Amazon.co.jp「BOOK」データベースより)


ブックオフでたまたま見つけた本です。テリー・ホワイトの処女作「真夜中の相棒」も、やはりたまたま古本屋で購入して、随分以前に読んだことがありました。どちらも中年の殺し屋と無垢な若者または少年との疑似家族愛が切ない物語です。

「木曜日の子供」というタイトルはマザー・グースの歌からとられているそうで、あとがきにその歌が紹介されていました。

            「マザー・グース」

月曜日の子供は顔がきれい、
火曜日の子供は気品にあふれ、
水曜日の子供は悩みが多く、
木曜日の子供は遠くまで行き、
金曜日の子供は愛情ゆたか、
土曜日の子供は働いて暮らしを立てねばならぬ、
けれども、安息日に生まれた子供は、
かわいくて、賢くて、人がよくて、ほがらかだ。

何でしょうね、この歌は。不思議な内容です。でも何だか気になります。私は土曜日の子供なのか?

「あなたの誕生日は何曜日ですか?」で誕生日の曜日を調べてみました。私は月曜日の子供でした。・・・で?

追記:何曜日生まれかを調べるのに、占い関係でないサイトにリンクを張っていたのですが、何故か次々リンク切れしてしまいました。以下に万年カレンダーサイトをリンクしておきます。

あの日は何曜日?  10000年カレンダー

追記:2023年7月20日

曜日調べのサイトが次々リンク切れになってしまいました。
今日見つけたサイトは「みんなの知識 ちょっと便利帳」の「その日は何曜日?」。
名前の通り、 “ちょっと便利” で “ちょっと役に立つ” いろんなコンテンツをてんこ盛りに詰合わせた面白いサイトです。

【みんなの知識 ちょっと便利帳】⇒その日は何曜日? [曜日調べ]
https://www.benricho.org/nenrei/youbi.html参照

生現!

先日イタリア×スロバキア戦を見ていて思ったのですが、外国の選手はとても目立つタトゥを入れている人が多いですね。昨夜のイングランド×ドイツでも、ベンチにいるベッカムの腕からチラリと覗く青い模様が気になりました。

日本ではタトゥと言えば刺青。刺青と言えばその筋の人という連想があるから、反社会的でマイナーなイメージが強い。海外のノリでサブカルチャーだとかファッションだとか、スキンアートだとか言われても、なかなか受け入れがたいのが実情だと思います。
私はすごい怖がりなので、丸太のように太い二の腕に蠍だとかムカデだとかタトゥをいれている人がいたら、たぶん3mも近づくことができないでしょう。あの手のタトゥは人を威嚇するために入れているのだと思います。
しかし、「日本文化に影響された外国人のタトゥー 」という動画に紹介されている人達は、人を怖がらせる意図はないように見えます。
座右の銘とか自分の信条とかを生涯忘れることのないよう、体に刻みこんでおこうとしているか、あるいは私みたいな、おっちょこちょいな方々なのか。どうしてその字を選んだのか、尋ねてみたい気もします。

「日本文化に影響された外国人のタトゥー 」

以前聞いたので面白いと思ったのは、項に「祖母」というタトゥ。生きているおばあちゃんならほのぼのですが、亡くなったおばあちゃんを偲んでなら、しんみりした気分になりますね。でも本当は「祖国」といれたかったのでは?
検索していると、「漢字の意味を間違っているよ!」と指摘しているアメリカのタトゥ屋さんがありました。
それによると「色」を何故か“Wild”と勘違いしてタトゥしているとか。
他にも「子」を“spirit”。
「夕」を“child”。
「天」を“To Die Young”(これは夭折の夭と間違えているらしい)。
「荒」は“Passion”だと思っている人がいるようです。

それから、「生現」というタトゥ。これは“Live For Today” って意味だと思っているとのことです。「生」は「live」「現」は「now」、そこからできたアメリカ熟語らしいです。
そのタトゥ屋さんは「生現とは「生きて現れる」、あるいは「生き返る」って意味で、ゾンビを見るみたいなことだよ」と注意しています。

話はそれますが、“Live For Today”っていい言葉ですね。私も座右の銘にして、体でなく心に刻んでおきたい。
昔、ザ・テンプターズが「今日を生きよう」というタイトルで歌っていたのを思い出します。私は原曲の方が好きでした。バンド名は知らなかったけれど。
今調べてみると、原曲はアメリカのバンド“ グラスルーツ ”原題は「Let’s Live for Today 」です。懐かしの曲をYOU TUBEで。時代を感じますねえ。

「探す」飯島 耕一 

生活居住圏も生活パターンも全然重なることのない人と、予期せぬ場所でばったり出会って、驚くことがたまにあります。

そんな時、「あの店をあと1分出るのが遅かったら、あるいは早かったら、決して出会うことはなかったのだ」などと思うと不思議な気持ちになりますよね。BGMにはあの曲が流れてきそうです。

~あの日 あの時 あの場所で 君に会えなかったら
僕らは いつまでも 見知らぬ二人のまま~

昨日の夕方がそんな日でした。と言っても偶然出会ったのは親戚の女の子。「ラブストーリーは突然に」は流れてこなかったけれど、やっぱり不思議だな、偶然ってやつは、と思わずにはいられません。

人との出会いは、考えてみるまでも無く、偶然のなせるものです。あの時、思い切って会社を辞めなければ、出会うことのなかった人、あの駅で乗り換えなければ、会うこともなかった人、、、、、、
自分の力の及ばないところで用意されている出会いの積み重ねで人生は形成されていくのだと、つくづく思います。

そういえば「出会う」がキーワードの、好きな詩があったっけ、と思い出して古いノートを引っ張り出してみると、飯島耕一さんの「探す」という詩を書き写してありました。改めて読んでみると、「出会う」というよりは「はぐれてしまった」詩のようですが、好きな詩なので思い出したついでに紹介します。

「探 す」

飯島 耕一

おまえの探している場所に
僕はいないだろう。
僕の探している場所に
おまえはいないだろう。

この広い空間で
まちがいなく出会うためには
一つしか途はない。
その途についてすでにおまえは考え始めている。

これは、出会った二人の愛がはぐれてしまった詩なのか、それとも人生の中ではぐれてしまった自分自身を探しているのか。短い詩というのは、思わせぶりです。