著者 池井昌樹
出版社 思潮社
第43回三好達治賞。
この詩人の作品を初めて目にしたのは、中学三年の時、当時の受験雑誌“中三コース”の文芸欄だった。山本太郎(俳優をイメージした人、もちろん別人、もう亡くなった詩人です)選。ぬるぬるとした湿度のある日本家屋で育まれたような感性の詩、私はその詩を切り抜いてしばらくスクラップしていた。その後、彼は“高一時代”文芸欄の常連になった。高一コース(と、高三コース)の文芸欄は、その当時寺山修司の選によるもので、なかなか異質な雰囲気だったのだ。池井昌樹はずっと山本太郎のもとで育っていた。私は勝手に、高三コース文芸欄のA・Aという人をスーパースターと呼び、池井昌樹を詩職人と呼んでいた。
しばらくしてある詩誌でこの二人が友人であることを知り、あー、こーんなに違うタイプでもお互い認め合っているのかー、と思ったものであった。かつて、天文館の春苑堂書店には『歴程』なんて詩誌が置いてあって、その同人であることを知った。
久しぶりにその名前を耳にしたのは、この六月TV番組NHK週刊ブックレビューの中。懐かしく嬉しく、さっそく注文しましたさ。ちょっと時間がかかったので、現代詩文庫にも入っていたのか、あーずいぶん詩集のコーナーから離れていたものだ、と思いつつ先に買った。読んで、その素敵な大人になり方にうるうるしたのだった。
でもやっぱり、詩はちゃんと一冊の詩集の中で読むほうがいい。ほとんどの詩はひらがな。タイトルだけ漢字のものが多い。中にたくさんの漢字の散文詩もある。とても美しいひとであるらしい奥さんが介護で不在であるときの詩を、こんな風に書く人になっている、と、それだけで私はしみじみする・・・のだが、なんのこっちゃでありますね。詩人は私のことなど何も知らない。
管理人atconさま、短い詩をひとつ紹介します。
「亡」
ないものはない わかっていても
かえりたいまち あいたいひとら
いまもこんなに いきているから
かえれないまち あえないぼくが
なにもしらずに まっているから
atcon 2009.07.14 16:24 edit
やはり読むだけで泣いてしまう詩です。
私は辛い時は詩や短歌の本を何冊も読みました。必ずその時の自分の気持ちを代弁してくれる1編に出会え、心慰められるから。
詩や短歌は、そういう人のためにあるのだとさえ思います。