著者 穂村弘
河出文庫
はじめに というところに最初に出てくる短歌
電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、て言って言って言ってよ 東 直子
に始まって、引用されるいろいろな短歌がおもしろくて、しばらく短歌部分だけを目が追いかけてしまった。時折大御所の短歌も引用されるが、おそらく1960年代以降に生まれただろう歌人たちの(多くはおそらく若い時の)歌がたくさん例に挙げられている。
私が書店の詩集や歌集コーナーによく立ち寄っていたのは、例の中に出てくる加藤治郎や萩原裕幸が著者穂村弘とともに短歌ニューウェイブとして紹介されていたころまでだったらしい。ああこんなにも短歌の表現は様々にかたちを変え息づいているのだと、読み手でなかったことを残念に感じる。
そして、この穂村弘の短歌の読み方、分類の仕方、なるほど、これが読むということ、評するということか、と思う。
火の玉のような普通さ という章に、『現代詩手帖』1991年7月号からの引用があり、谷川俊太郎が“普通の人ってのは、要するに『現代詩手帖』なんか全然読まない人ですよね”に始まる発言をしていることが紹介されている。普通の生活をしている人たちの言葉で書きたい、と言っている(もちろん谷川俊太郎は“普通”じゃないだろう)。
で、穂村の言うには、歌人のハートは普通の庶民の十倍庶民なのだそうだ。たとえば俵万智の歌に「普通の人たち」が爆発的に共感した、けれども、平凡さのありがたさ を表現するにはハートの庶民濃度が十倍必要なのだと。そこは詩人と違うらしい。
私は91年ごろまでは時々現代詩手帖を読んだが、そのころはヘンな人だったにせよ、今は普通のヒトである。庶民濃度も普通だ。が、この本を読み終えて、歌詠みのまねごとをしたくなっている・・・ごめん。
atconさまに教えてもらった穂村の著書を探す前に、書店で文庫として目に入ったので、まずこれを読みました。次は彼の最初の詩集「シンジケート」を読んでみたい。
2008年伊藤整文学賞受賞作品。蛇足、上智の英文科卒、どこかの会社のシステムエンジニアとして入社、今はその会社の管理職であるらしい。ずるくない?なんか。
atcon 2011.02.25 12:27 edit
穂村弘さんは「作家の読書道」(http://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi83.html)を読むと、
5~6年前(推定)に会社を辞め、このころ結婚もなさっているようですよ。
私はこの「短歌の友人」は読んでいませんが、“詩は詩人のためにある”というような皮肉を誰かが言ったのを聞いたことがあります。
穂村弘さんの「歌人のハートは普通の庶民の十倍庶民なのだ」という言葉には共感できます。