MOVIE+BOOK - 「我が手に拳銃を」「李歐」 高村薫 著              

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「我が手に拳銃を」「李歐」 高村薫 著

ファイル 19-1.jpg 「我が手に拳銃を」第一刷は1992年講談社より出ています。が、現在は古本しか手に入りません。これを元にしてあらたに書き下ろした作品が「李歐」講談社文庫。

 「我が手に…」たまたまブック○フで目にしたのです。元々「李歐」は大好きな作品、なので読み比べてみました。
 なるほど…なるほどこういう風に、と思いますよ。小説の成り立ちと言うのはこういう風に、と。

 1992年初版ということは、改革解放政策実施から時はたったものの1997年の香港返還までまだ時間がある中国、この時代背景でしか成り立たないかもしれないのではないかというつくりになっているのが「我が手に…」。
 リ・オウも李歐も複雑な政治のからむスパイでありやくざ社会に身を置く者として描かれることは同じ、一彰と李歐の、互いの一目惚れ(限りなく恋のような)から広がる物語であることも、さまざまな背景・道具立ても同じような物であって、で…。  「我が手に…」の方だと、なぜその一目惚れが起るのか、どうもそこの化学作用がうまく描かれていないのです。必ずしもゲイではない男二人が、出会いの初めから魂が惹かれあう、ということが、「李歐」では映像的に読者を納得させる描き方になっています。
 そして、桜の木。どちらにも、一本の桜の老木が出てくるのだけれど、そうそう、この「李歐」に出てくる桜の木の下の花見、これが出てこなくちゃ、この妖気をまとう満開の桜のもとに、これが物語を支える大きな軸なのだから。そして、最後の章で、大陸の大地に五千本の桜を植樹したという櫻花屯へ。この壮大な映像によって、幾多の悪事に手を染めながらも、その生が美しいものとして受け止められるのですよ、李歐。
 そして、かの○○ファンドや○○○ドアに似た形で巨額のお金を手にしたけれどもその後大陸で農地開拓をしているのです!ぼろもうけしたあとのお金の使い方。1999年初版の「李歐」が、この2006年のIT成金たちに警告している感があるのでした。
またつい最近、我が日本でかつて民社党という政党が結成されたのは、社会主義勢力の拡大を懸念したアメリカCIAが当時の有力政治家に資金協力して社会党右派を分裂させた結果、という報道なんてねえ、事実は小説よりも…でしたね。魑魅魍魎。
 
 あー、二作とも中国語の表記に問題があるのではないかと思われます。私のつたない中国語力で確実に指摘できるのは「我が手に…」の方の簡体字(中国大陸で使われている漢字)にひとつ存在しない文字があること。 
 
 「李歐」は、WOWOW開局10周年記念ドラマとして放映されたことがあります。李歐が香港のダニエル・ウー(呉 彦祖)、日本語ぺらぺらのはずなのにあーひどい日本語、だけどあれだけ美しいから許そう。一彰役のRIKIYAは、あの時点では演技がへたくそ過ぎました。李歐に彦祖を、というのは高村薫さんのたっての希望だったとか。

 ところで、高村薫原作の『レディ・ジョーカー』を映画でしか知らない方、合田刑事はあんなに若いおとこではありません。もしお読みになるなら『マークスの山』『照柿』と順に読んでくださいね、でないと「李歐」とよく似たあの△△と◇◇のあの・・・に!!!とならないと思うので。

BOOK
2006.07.23 14:02

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