MOVIE+BOOK - 死んだら何を書いてもいいわ‐母・萩原葉子との百八十六日              

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死んだら何を書いてもいいわ‐母・萩原葉子との百八十六日

ファイル 202-1.jpg著者 萩原朔美
出版社 新潮社

学生の頃、著者・萩原朔美のエッセーのファンだった。
最初のエッセー『赤い自転車』にはfor mother and tei と、母・葉子さんと当時の奥さんに献詞があった、という記憶も間違っていなかった。その頃まだ寺山修司の劇団“天井桟敷”の演出部の美青年として一部に名高かった彼の、う、うつくしい横顔と。[友人が、ある劇場で若き朔美氏を見かけた、その頃茶色の服しか身に付けないので知られていた彼、そこだけ光っていたわよ、と、聞かされたことがある]

高校生の時に朔太郎を読み、その後、葉子さんのエッセーや小説『天上の花』や『蕁麻の家』を知り、三代にわたる彼らの読者であり、そこそこの消息は目にし耳にしてきた。葉子さんがダンスに熱中しているとか、オブジェ制作をしているとか。
しばらく見かけることがなくなっていた朔実は、ある日多摩美の先生としてTVに出ていた。ブルーの服を着ていて驚いた。

前置きが長くてゴメンね、葉子さんが体調を崩し(老い)、朔実家族と同居することになるところからのお話です。
62歳でダンスのレッスン場のある家を建て、一人暮らしをしてきた母・葉子から弱々しい声で電話が来る。行ってみると、玄関ドア全体に「ベルは鳴らさないでください」などの張り紙だらけ、コンセントにはコードが入り組んでいる。どの部屋もモノに占領されている。パッチワーク・コラージュ・オブジェなどの素材、工作道具、大工道具。
涙ぐむほど笑うほど私には身につまされた。去年、最後までたくさんの遊び道具と楽しく過ごして突然亡くなった父が残した山のようなモノどもといかに戦ったか、そして我が身も、そうなりかねないいやほとんどそうなってしまうものすごくよくわかる。

老いた80歳過ぎの母にも、介護する息子にも、老いの意識というのはなかなか無いものだということ。

葉子さんの母、朔太郎の妻だった人は、姑との関係などもあって出奔し、奔放な生活をして、後に葉子さんが探し出して再会するのだが、さもありなむ、という綺麗な姿が写真に残っている。そりゃあ原稿用紙にばかり向かっている朔太郎と暮らしても・・・と、思わなくはない。

朔美の奥さんに向かって「一緒に食べてもいい?」と聞き、二階で暮らしていた葉子さんが一階で一緒に食事をしたというときに(朔美自身は不在だった)、「人生最良の日」と、猫のイラストと共に弱々しく書いてある紙切れを渡したというエピソード。それは、朔美の後悔と共に書かれている部分であるが、普通の家庭生活に恵まれなかったけれど、自分の人生を存分に生きた女性が、最後に自力では望み得なかったその普通を手ににしたのだなあ、良かったねえ、と、読者としては思う。けれども子としては、たくさんの後悔が思われることも、身にしみる。

そういえば朔美がチラッと顔を出していたにっかつロマンポルノがあった、タイトルを思い出せない。ググッてみたら『マル秘色情めす市場』というものであります。タイトルはすごいですが、田中登監督の名作でした。

BOOK
2011.10.29 09:20

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