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「原発事故はやっぱり防げた」地震学者の決死の法廷証言を聞け

明らかに人災、とまで断言

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55654

2018.05.15

「明らかに人災」と断言

新聞によると、先週水曜日(5月9日)、福島第一原子力発電所事故を巡る業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電の旧経営者3人の第11回公判が東京地裁で開かれ、原子力規制委員会の元委員で地震学者の島崎邦彦・東京大学名誉教授が「福島第1原発事故は防げた」と証言した

あの事故を巡っては、国会が設置した東京電力福島第一発電所事故調査委員会(国会事故調)が「何度も事前に対策 を立てるチャンスがあったことに鑑みれば、今回の事故は『自然災害』ではなくあきらかに『人災』である」として「明らかに(歴代の規制当局及び東電経営陣による)『人災』だ」と断定するなど、東電の原子力事業者としての資質に落第点を付けた例が多い。今回の島崎証言も規制当局や東電の問題を改めて裏付けた格好である。

それにもかかわらず、政府は、地震・津波を巡る甘いリスク管理が祟って経営破綻が避けられなかった東電を経済・資本主義の論理に抗って救済、そのツケを国民に回すばかりか、柏崎刈羽原発の再稼働を後押しして、東電が「原子力事業者として復活する」ことも容認する構えだ。

着々と準備が進む柏崎刈羽原発の再稼働の流れを押しとどめることができるのは、地元・新潟県だけだ。が、その新潟県では、再稼働に慎重だった米山隆一前知事が女性問題で辞任、次の知事を選ぶ選挙は6月10日に行われる。結果次第では東電が原子力事業者として復活する日が大きく近づくだけに、新潟県民でなくてもその選挙の行方に関心を払わざるを得ない。

もう一度、受け止めるべき

福島第一原発事故は、東電が2011年3月11日の東日本大震災の地震と津波の影響で原子炉の冷却に必要な電源をすべて失い、メルトダウン(炉心溶融)や放射性物質の放出を起こした原子力事故だ。1986年に旧ソビエト連邦(現:ウクライナ)で起きたチェルノブイリ原発事故と並び、国際原子力事象評価尺度 (INES)で最悪の「レベル7(深刻な事故)」に分類されている。

事故原因については、すでに2012年7月、国会事故調が公表した報告書で「この事故が『人災』であることは明らかで、歴代及び当時の政府、規制当局、そして事業者である東京電力による、人々の命と社会を守るという責任感の欠如があった」とした。

政府が閣議決定で設置した東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会も、同月の最終報告書で「確立していないものであっても新たな知見を受け入れて津波の想定を見直し、それに対して十分な準備がしてあれば、又は予期せぬ事態の出来に備え十分な準備がしてあれば、今回のような大事故には至らなかった可能性がある」と結論付けた。

また、この事故の損害賠償を求める民事裁判としては、約1万2千人が18都道府県で約30件の集団訴訟を起こしており、2017年3月に最初の判決を下した前橋地裁が「津波の到来を予見でき、事故を防ぐことができた」として東電の賠償責任を認めただけでなく、東電に適切な安全対策を取らせなかった点を違法として、国の賠償責任も認めている。

島崎名誉教授が証言した刑事裁判は、福島県民ら1万人の告訴・告発がきっかけだ。検察は繰り返し不起訴としたが、検察審査会は2015年7月、東京電力が事故の3年前に15.7メートルの津波が押し寄せる可能性があるという試算をまとめていたにもかかわらず、対策を怠った点を問題視、2度目の議決でも「起訴すべき」とした。

この結果、2016年2月、裁判所が選任した5人の指定弁護士が検察官役をして、東電の勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長3人の強制起訴に踏み切った。

二つの大きな争点

裁判では、①巨大津波の襲来を予測できたか(予見可能性)、②有効な対策は可能だったか(結果回避可能性)――の二点が大きな争点となっていた。

島崎名誉教授は原子力規制委員会の委員長代理を務めた人物だ。あの事故の9年前、地震学者として政府の「地震調査研究推進本部」の部会長を務め、福島県沖を含む三陸沖から房総沖にかけて、30年以内に20%の確率で巨大地震が発生するという「長期評価」を公表しており、5月9日の公判に証人として出廷した。

ちなみに、この長期評価は、あの震災の3年前に15.7メートルの津波が押し寄せる可能性があるという試算を東電自身がまとめることになった原資料だ。

今回の島崎証言のポイントは、被告の元会長ら3人が「『長期評価』には専門家の間で異論があった」として「津波は予測できなかった」と主張していることに対し、「当時、部会の専門家の間で、信頼性を否定するような議論はなかった」と反論したことだ。

さらに、国の中央防災会議で、「長期評価」を災害対策に生かすよう求めたにもかかわらず反映されなかったと証言、当時の国の怠慢ぶりを指摘した。そのうえで「『長期評価』に基づいて、「(国や東電が)対策をとっていれば、原発事故は起きなかった」と結論付けたのだ。

原子力発電は本来極めて危険な技術で、一歩間違えば大惨事を招くことは、福島第1原発事故でも浮き彫りになっている。

また、「長期評価」とそれに端を発する各種の試算の存在や、東電がそれらの試算に基づいて当然講じるべきだった安全対策を怠ってきた問題は、国会事故調や政府事故調の報告書に先立つ2012年6月出版の『東電国有化の罠』と、その後の2014年2月に出した『電力と震災』で、筆者も指摘し続けてきた。今だに東電のガバナンスやリスク対応能力が極めて低いことは、大きな問題だ。

あの震災で福島第一原発より震源に近く、福島第一原発を襲ったものに匹敵する地震と津波に遭遇しながら、ボヤ程度の事故しか起こさず、ピーク時には周辺住民364人の避難所になった原発(東北電力女川原発)の安全対策や事故対応と比べでも、東電の原子力事業者としての劣後は明らかだろう。東電は原子力事業者として失格である。このレベルの会社には、二度と原発を運転させてはならないはずだ。

間接的な表現とはいえ、今回の島崎証言も、その事実を示唆したものと言える。

事業者失格では

そうした状況にもかかわらず、政府と東電は相変わらず事故に対する反省が乏しく、今なお、次々と間違った政策や誤った経営判断を積み重ねており、懸念せずにはいられない。

そもそも、東電は2011年3月の段階で、甘い判断から巨大津波への対応を怠った結果、世界最悪レベルの原子力事故を起こし、巨額の損害賠償責任を背負い込んで、経営破たんが避けられなかった企業だ。

政府がそんな企業をあえて国有化という形で救済して生き永らえさせてきたことは、経済と資本主義の原理に反する行為だ。

経済産業省の試算で最大21.5兆円、民間シンクタンク「日本経済研究センター」の試算で最大70兆円という巨額の事故処理費用の大半を国民にツケ回す政策判断も無茶苦茶だ。

さらに、東電に対する巨額の公的資金の注入が続いているにもかかわらず、並行して電力自由化を進め、国営企業の東電がライバルから顧客や収益を奪うことを政府・経済産業省が奨励していることや、その意向に従って東電が競争に参加していることは、政策的にも経営的にも、自由競争と市場メカニズムの機能を損ねる行為である。

もう一つ懸念すべきは、近い将来、東電が原子力事業者として復活しようとしていることだ。

島崎名誉教授の退任から約2年半後、古巣の原子力規制委員会が2017年秋に下した判断も、首を傾げざるを得ない。同委員会の役割を技術面の審査に限定してきた従来の姿勢を突然かなぐり捨てて、東電が同社の保安規程に「『安全文化を向上させる』という文言さえ書き込めば、原子力事業者としての適格性が保てる」という判断を打ち出し、同委員会として柏崎刈羽原子力発電所(6・7号機)の再稼働にお墨付きを与えたからである。

本来、原子力事業者の適格性というのは、その電力会社の経営が信頼に足るか、企業としてのガバナンスが効いているかなどを含めて総合的に判断すべき問題だけに、この決定には不透明感が付き纏った。

そもそも、最悪の原子力事故を引き起こしたのだから、本来ならば、事業者としての責任を問い、その資格をはく奪すべきところだろう。原子力規制委員会はそれまで権限外としていたにもかかわらず、そうした東電の責任も一切不問に付したのである。

この乱暴な決定の影響の持つ意味は大きく、東電による柏崎刈羽原発の運転再開に待ったをかけられる存在は、立地自治体の新潟県だけになってしまった。

ところが、遺された砦とでも言うべき新潟県では、泉田裕彦元知事の路線を引き継いで「再稼働より事故の検証が先だ」と言っていた米山隆一前知事が女性問題で辞任した。次の知事になる人物の考え方次第で再稼働が大きく進みかねない状況になっている。

万全の安全対策を前提に、巨額の設備投資をしてきた柏崎刈羽原発を有効利用したいという議論は理解できなくはない。しかし、東電は原子力事業者失格の会社だ。その東電が運転するのでは、必要な安全対策が講じられたと言えるのかに重大な疑義が生じて来る。

新潟県知事選は6月10日に投開票される予定だが、次の知事には「東電による柏崎刈羽原発の運転再開は断じて認めない。売却でもして、他事業者が運転する形にしたうえで、万全な安全対策を講じなければ、絶対に駄目だ」と主張するような人物が求められているのではないだろうか。