セデック・バレの真実

真実セデック・バレの監督 湯湘竹

昨年の魏大聖監督作品「セデック・バレ」、日本が台湾を統治していた1930年代に、原住民セデック族が抗日暴動事件を起こした霧社事件の映画だった。https://art-container.net/movook/archives/173参照。

そして、その事件の首謀者モーナ・ルダオの子孫や、そのほか被害者・加害者双方の関係者、遺族に話を聞き、また、セデック族の発祥の地とされる巨石を探す旅を追う。

日本語が標準語だった時代に育って、今でも会話の中に日本語の単語が出てくる人たち、けっこん、けっこんしき(中国語でも同じ字を書くが、発音は全く違う)、お墓に向かって、とうさん、かあさん、と話しかける子孫。セデック語は聞き取れるけれど話せないセデックの若者たち。セデック語で話している途中で中国語になり、日本語が混じり、またセデック語になり。

霧社事件において、各地の駐在所や学校が襲われ、日本人が襲われた。警官の中には、セデックから選抜されて教育を受け、花岡一郎、花岡二郎と日本名を与えられた若者もいた。兄弟ではない。彼らはどちらに加担することもできず、逃げた後集団自殺した。その妻は、妊娠していたために生き残るよう言われ、子孫が残った。

日本軍の激しい反撃により、1000人ほどのセデック族が死亡、生き残ったセデック族は、移住させられた。その、移住した土地で、着物を着て盆踊りのような日本舞踊を踊る同好会のようなものが今でも存在しているって、何だろう。その踊りのシーンでうるうるしてしまった。文化の違いを認めず、統治者の正しいと信じる文化を押し付けたことが、この悲惨な事件の根本の原因、だったはずだが、着物を着て育った時期があった、それもまた身についたものか。

なにしろあまりにもいろいろな証言、険しい道なき道の旅、など詰め込んであり、長い作品で、うるうるしつつもまたうっかりうとうとしてしまう。これほど長くなければ、もう一度人間関係を確かめながら観たいと、思ったが、長い…。

 

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