台湾 九份を歩く

九份九份という地名は、少し中国語をかじった者が見ると、ちょっと変。たとえば一份飯というと食事一人前、九份報だったら新聞9部のことだ。日本で“九人分”とかいう地名があったら、何が?と思うよね?それが、ガイドの鮑さんの、“昔、9世帯しか無く、物を買う時はいつも9世帯分まとめて買った”という説明で納得できた。

で、その九份へのシャトルバスのバス停近くにいた、犬。長くブラシなどかけられたことも事もない様子の、薄汚れて毛先が太いねじねじになっている部分がある、放し飼い?野良犬にしては人間慣れしている、その姿に、都会を離れるとやはり日本ではありえない状況があると感じる。

たどりついて。

夜市がすごい人込みなのはまだわかる。故宮博物院の行列も、まあ許そう。ここはまた、すごかった。周りではアメ横みたい、という声が聞こえる。年末のアメ横なんて行ったことのない私は、照国神社の六月灯の屋台の並びがもっともっと様々延々続いている感じに思えた(そう口にしたことをしっかり記憶にとどめた同窓会ネットワーク管理人Mさんは、私に九份感想文を命じることとなった訳だ)。照国神社の初市と六月灯が合体して、夜中の初詣くらいの人出、が広くもない坂道にひしめく。

2008年、ほんの5年前に、大陸からの観光が自由になったそうだ。中国人観光客の群れと、しばしば日本語が聞こえ、時にそれ以外の外国人。

 

ここがこんな観光地になる最初のきっかけとなった侯 孝賢(ホウ・シャオシエン)監督映画「悲情城市」を、もう一度見てからこの文を続けようと、近所のツタヤに行ったら、見当たらない。聞いてみたけど無いそうだ。1989年ベネチアの金獅子賞作品が。

YouTubeで探した。2時間39分の作品を2時間6分見たところで切れたぜ、おい!

1945年夏、終戦、ラジオから天皇の玉音、で始まる。明らかに小津安二郎の影響を受けたでしょう、という同じ位置からのカメラで、病院の受付あたりが映ると、入り口の向こうに長い石段。1947年、2・28事件(闇タバコ売りの女性を摘発した官憲の横暴に対し、台湾人の不満が爆発、が、政府側は無差別に攻撃、その後台湾全土へ広がる争いへ)、1949年、実効支配していた蒋介石の中華民国政府が台北に政府機能を移す、その間に、山間の町にも起こる悲劇。赤い提灯は出てきません。朝鮮楼という名の料理屋の看板が見える。料理屋さんが多かったようだ。まだ金採掘でにぎわっていた時代だろう。

香港俳優トニー・レオンが若い。台湾語ができないから口がきけない役。

あ、私が見たYouTubeは、繁体字字幕版、中で中国語同士の通訳場面があって、どうやら上海語から台湾語へ、ということのようだった。

余談の余談、歌手・一青窈のお父さんは九份の金鉱主だったんだって。

 

は、さておいて。

時に妙な臭いも漂ってくる狭い赤い提灯の坂道、アジアな臭気をも楽しんでいる私だが、立ち寄りたいのは山々ながら、ふだんでも迷子になりやすいわが身、なんとか集団を見失わないようについて行くので精いっぱい、買い物どころではありませぬ。

やっと、少し人との間に隙間がある場所に、そしてここで一度解散、○分後にまたここに集合、と、下に静かな景色が広がる(この景色がいい!)てっぺんの、道案内表示のある三叉路(だったかな)へ。傍らにいたKさんと、横の道に入って店を眺め、下の景色を眺め。すると、ずっとmagoちゃんへのお土産にあれがいいこれがいいと言っていたKさん、猫の絵のグッズがかわいいと、入った。なんとそれは、彼女が東京で前に買ったものと同じ作家さん、ヘンリー・リーさんという人の店だった。

九份老街と看板があって、古い町ってこと、と説明すると、老人の町じゃないのね、とKさん。老歌は、つまり懐メロのこと。

そして、また元の集合場所に戻る。そこへ、いつもひっつき虫夫婦のNさんたち。妻K子さんが買ったものが指のマッサージ器と知ったKさんは、集合時間が近いにも関わらず、パッとその店に走った。

なかなか帰ってこない。みんな、あーあ、集合写真でも撮ろう、と、なる。

 

後にわかったのだが、Kさんのご主人は身体が不自由になられて、指が思うように動かない。マッサージ効果があるのでは、と、何も考えずに体が動いたものだったそうだ。

自分の物差しで人を計るな、というが、まさに、勝手な物差しでKさんを計ってしまっていた。ごめんね。愛だね。

 

その後、まさにこれだよ、いろんな案内に載っているのは、という石段を下りていくと、「千と千尋の神隠し」のまんまの建物。もう少し下りたあたり、「戯夢人生」というレストラン?があった。侯 孝賢が「悲情城市」の前の時代を描いた映画のタイトルと同じだ。布袋戯という台湾の人形劇の名手が出てくる映画。

 

はー、どこか入りたかったなあ、なんか買うとか、食うとか・・・。

 

またバスに乗り込み、戻る道すがらのガイドさんの説明の中に、キールン (基隆)山の名前の由来があった。海から見てニワトリカゴの形に似ているからついた地名だということ。鶏籠も基隆も北京語読みでは同じジーロンと発音する。中国語の知識が無いとわかり難いだろう。

ガイドさんの日本語が少し聞き取り難い部分があったのは、中国南方人の発音ではそもそもナ行・ラ行・ダ行の区別があいまいだという特徴があるせいが大きい。你好ニイハオを、香港人はレイホウと言うし、台湾語ではリーホーというそうだ。

 

“蒋介石の政治が民主主義だなんておへそがお茶をわかすよ”と、ドキュメンタリー映画「台湾アイデンティティー」の中で言っていた台湾人老人の言葉を思い出しながら、蒋介石像を見上げる。日本語で日本人として育ったから、日本人には親近感があるけど、日本政府は私たちを見捨てたから嫌いだ、と、同じく日本人女性監督によるドキュメンタリー「台湾人生」の中で語った80代女性。忠烈祠の衛兵の交代の最後の動きを見ていると中国武術のように美しいが、この国には徴兵制があるのだ、2・28事件以降、80年代後半に至るまで戒厳令が敷かれていたのだった、と思う。さらに、日本統治時代に実際に起こった、少数民族による対日蜂起事件を描いた「セデック・バレ」を見た後だけに、衛兵の中に原住民らしい顔立ちがあるような気がしてしまう。あれだけ日差しの中にいれば色も黒くなるし、なに人?な顔にもなるってもんだろうけど。

 

帰宅後、某中華芸能サイトの掲示板に台湾旅行報告。何度も台湾に行っているそこの管理人さんは、“連休の台湾行きねえ…”と、思っていた、そうで。

故宮博物院は素晴らしかった。2度3度行きたいところだ。必ず平日に!

以上、同窓会ネットワーク向けに書いたものから抜粋しました。

コメント (2)

atcon2013年11月28日(木曜日) at 11:14 PM

もう~、今すぐにでも行きたい!台湾!
金城が台湾観光のCMに出てた頃から、いつかは行ってみたいと願っているんですが・・・

aar2013年11月29日(金曜日) at 8:43 AM

エバー航空のCMでやっていた台東とか、日月譚とか、まだ行きたいところはたくさんあります。
日本・大陸・台湾どこも平日であることを確かめて行こう!

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