一本の茎の上に

著者 茨木のり子

ちくま文庫

茨木のり子さんの詩のファンの一人だけれど、エッセーを読んだのは初めて。1976年という時代に、ハングルを学び始めていらしたとは。1926年生まれということは50歳で始めて、韓国の詩の翻訳までに!尹東柱という若くして亡くなった詩人がいるという。1945年、日本で、獄死。独立運動の嫌疑をかけられて。韓国では詩というものが人々の身近なものであるらしいことを、ハン・ガンの『引き出しに 夕方を しまっておいた』という詩集を読んだ折に知った。日本では短歌・俳句は身近にあるけれど現代詩を読む人はそう多くは無いと思う。そんな国でもあるのだ、韓国は。

朝鮮の古代の史書『三国史記』を読んで、それは事実の羅列であった、日本書紀は、と言うと、詩歌の数が多い、と。日本の古典は散文と詩が交互に現れる、『源氏物語』など。なにやら事実の叙述だけに耐えられない性格を日本人が持っているのかも、と指摘される。ほう、と思う。日本人、日本語のあいまいさ、って日本書紀時代からの遺伝子?韓国との比較で言われているのは、日本では野の花一つ一つに名前がついている、韓国で聞いても野の花ですまされる、なども。

山本安英という女優さんの『夕鶴』を、観たことがあったなあ。いつのことだったか。その山本安英さんとお付き合いがあった話、木下順二さんの話。令和の時代の人が知らない演劇人の、佳い話。

閑話休題ちょっと寄り道。軽佻浮薄目を掩わしむ という一節があったのですが、読めますか?わたくし読めず、調べました、おおわしむ だそうで。書けないけど読む方は、なんて口にするのはやめます。

ちょっと嬉しかったのは、吉野弘の『祝婚歌』の章、昔々、私も友人の結婚式でそれを朗読したことがあったので。

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

とうたった詩人の、背骨の伸びる思いの、文章でした。40代半ばで中国語を学び始めたけれど中級入口付近でずっとうろうろしている身、bakamonoですわ。

 

コメント (2)

atcon2025年3月5日(水曜日) at 1:45 PM

「掩」←この字、最近YouTubeの『ゆる言語ラジオ』で聞いたばかりだったので、必死で読み方を思い出そうとしたのですが、、、、それは、「えんごしゃげき」という漢字は元々「掩護射撃」と書くのだって話でした。今は「援護射撃」と書いても間違いとはしないとか。、、、、しかし、ついに訓読みは思い出せず。
今考えてみると、元の意味は味方をおおってかばう、みたいな説明をしていたっけなあ。
聞いたときは勉強になるなあって思ったのに、そう簡単には身につかないものですね。

あある2025年3月6日(木曜日) at 3:52 PM

調べたことがすべて記憶に残るものなら…。今朝の新聞で、高校入試に、まさに茨木のり子さんの詩『自分の感受性くらい』が出ていたと知りました。詩は読んで味わえばそれでいい、感じない人もいていい、変に分解しないでほしい、と思うのですが。

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