幻愛 愛の向こうに

監督 キウイ・チョウ

出演 テレンス・ラウ セシリア・チョイ

2020年に香港で公開された作品。

統合失調症を患いながら、小学校で働いていた男。ある日、同じ病の知人女性が、街中で幻覚によって服を脱ぎだしたところに遭遇し、手を貸す。同じくその場にいて助けてくれた若い女性、ヤンヤンに恋をする。

が、その女性も、幻覚が見せた像だった。症状は悪化していき、休職する。

治療のために受けているセラピーの場で、臨床心理士を目指している大学院生イップ・ラムと出会う。彼女はヤンヤンにそっくりな女性であり、『恋愛妄想』を研究していた。男は、彼女の研究に協力することになる。

私自身の、親しかった同級生で、20代初めに発症した女性がいる。ある芸能人と恋愛関係にあると主張していた。美人だし頭も良かった彼女を思い出しながら観ることになった。そのほかにも、かつて親しかった人、同じクラスだった、同じ店の客だった、知人の連れ合い、など、数人の統合失調症患者を知っている。結婚が長く続いている人もいる。緩解しているとは言え、にぎやかなところでは運転したくないという人を知っている。人が自分を見ている、と感じるそうだ。100人に一人か二人、と言う発症率だというから、珍しいものではない。

大学院生の彼女も実は、すくすくと育ってきたわけではない。

『トワイライトウォリアーズ 決戦!九龍城砦』によるテレンス・ラウ人気のせいだろう、以前の作品だが今になって公開された。そしてこの主演二人は、この映画がきっかけで交際し、去年日本で結婚したのだそうだ。恭喜恭喜!

最後の、シーン。あれはやっぱり幻想?

 

 

 

三頭の蝶の道

著者 山田詠美

出版社 河出書房新社

河井理智子と言う作家の告別式、から始まる。その河井理智子と、森羅万里、高柳るり子、その三人の女流作家を、蝶にたとえたタイトル。

今では死語となった女流と言う言葉が、普通に冠された時代の、大作家たち。河井理智子と高柳るり子は、女性として初めて夏目賞(現実世界では芥川賞ですね)の選考委員になった、というところから、河野多恵子、大庭みな子をモデルとして描かれていることがわかる。森羅万里は、瀬戸内寂聴だ。モデルの骨子であるけれどもほかの女流作家の要素も混入しているに違いない。誰も出家していないし。

オーディオブックAudibleとして書かれたせいか?週刊誌目線、ミーハー目線、な、感じ。が。もう一度読み直してみると、見方が変わってくる。

書かざるを得ない、過剰なものを生まれ持った女性たち。もう少し前の世代の、岡本かの子は夫岡本一平のほかに愛人の男性と同居していたというが。恋人ぐらいは(男女問わず?)いて不思議ではないような、エネルギーたち。その、伴侶たち。

私は瀬戸内晴美時代の小説なら読んでいた時期があったが、河野多恵子のものは、『美少女』だったと思うが、一冊のみにとどまったし、大庭みな子は?何を読んだか記憶に無い。今更ながら読んでみようかという気になる。

そして、男の作家たち、このモデルは誰?世代が違う女性作家たち、これは誰?山下路美が著者本人なのはすぐわかるけれど、そのほかの作家が気になる、よね、やっぱり。また、編集者と言う職業、あーなんと大変な!介護士心理士ヘルパーなにやかやの能力。

某女流美術展というものに出品しながら、女流ってもう死語だよなあ、と、思っていたらほどなく無くなった、のでしたよ。

愛がきこえる

監督 沙漠シャー・モー

出演 張藝興チャン・イーシン リー・ルオアン

警察沙汰になった聴覚障害者の女性、冤罪であるらしいが、意思疎通の難しさもあり、主張をあきらめようとしている。手話通訳の女性が、それを押しとどめる、と言う始まり。

聾者のコミュニティのような場所で暮らす父と娘。父の通訳の形で、7歳の娘は父の仕事を手伝い、学校に通っていない。ヤングケアラーと呼べるだろう。ある日、離婚して出て行った母が、娘を引き取りたいとやってくる。娘に普通の生活をさせるために。

父も娘も離れたくない。なので、父はより金を稼ぐために仕事を増やすが、コミュニケーションがうまく取れないことにより問題を起こし、立ち退きを命じられる。そして、車でわざと事故を起こして保険金を受け取る、という詐欺行為に加担することとなってしまう。

イマドキの都会的な中国と、その詐欺行為の荒さひどさ、その落差。

父親シャオマー役の張藝興は、韓国人中国人で構成されているアイドルグループEXOのメンバーであり、EXOではレイと呼ばれているのだそうだ。EXOのメンバーと言えばルハンしか知らなかった。ルハンがいかにもアイドル顔であるのに比べ、この人は幅広い役柄ができる見た目。

この映画、その悲惨な経過にもう嫌だと思うかもしれない、と言うか私はそう思った、が、まあ頑張って最後までご覧ください。

 

 

 

長安のライチ

監督 大鵬ダーポン

出演 ダーポン ヤン・ミー テレンス・ラウ アンディ・ラウ

唐の時代、下級官吏の李善徳、その名の通り実直に働いている。ある日、数千キロ離れた嶺南の、新鮮なライチを長安へ届けるという無理難題を押し付けられる。楊貴妃の誕生日に間に合うよう、と。妻と娘と住む家をやっと手に入れたばかりだというのに。

コメディで始まるが、まあそれはそれは大変な事態。算術が得意の善徳は、その能力を駆使して、かつ体力も極限まで!

権力者の気まぐれで命じられた、品物としてはささやかなお届け物、傷みやすいそれを、どうしたら期限内に新鮮な状態で届けられるか?大変な人数、馬を使っていくつものコース経由で何度もシミュレーションする。

悪い小役人、クソ悪い暴力役人、性質悪い宦官、どうにかこうにかかいくぐり、進む進む善徳の後ろには死屍累々。人も馬も。

テレンス・ラウが出ていると知っていなければ、わからなかっただろう造形。時代劇ドラマや仙界ドラマで麗しのお姿ばかり見ていたヤン・ミーの、庶民姿がなかなか良いと思う。

元々小説があって、ドラマにもなって、そして今回の映画、だそうだ。実は現代の政治批判をこんな形で描いているのでは?と、まあ思わないではないよねえ。こーんな大変なスケールで。ドラマも観たい。ぜひ放映してほしい。

 

安楽死特区

監督 高橋伴明

出演 毎熊克哉 大西礼芳 加藤雅也 筒井真理子

現在の日本では安楽死は認められていない。“安楽死法案”が可決され、安楽死特区として施設が建設され、ヒトリシズカと名付けられた、近い未来の話、か。

ラッパーとして活動している章太郎は、若年性のパーキンソン病に加えてコロナ後遺症により症状が悪化、余命半年と宣告されている。彼は安楽死法に反対しており、恋人でジャーナリストの歩と、内部告発をするつもりでヒトリシズカに入居する。

同じく毎熊克哉主演の「桐島です」でもそうだったが、全共闘世代の高橋伴明監督は青臭い恥ずかしい(と感じさせる)主義主張を主人公にしゃべらせたいようだ。まあそこはなんとか耐えて観よう。

末期ガンの男、認知症だがまだ亡くなった息子のことを忘れないうちに死にたい元漫才師の女、など、入居者の事情はさまざまだし、その態度もそれぞれだ。末期ガンなのにそんな大きな声でしゃべれるのか?余命宣告される頃にはずいぶん痩せているものだと思うのだが、病の種類にもよるか?緩和ケア病棟の患者ほどに末期でない?なんだかんだの違和感もまあこだわらずにおこう。

次第に映画館の客席から涙の気配が伝わってくる。パーキンソン病も、癌も、認知症も、年齢を重ねれば身近に存在しているだろう。自身で経験している人もいるだろう。

『PLAN75』よりもざらざら粗削りな印象。

医者との面談のシーン。外科医の役で加藤雅也。玉三郎が監督した『外科室』で外科医だったよね、などと思い出す。その離婚する妻を鈴木砂羽、どうしてこの人?と思ったが、彼女のデビュー作『愛の新世界』は高橋伴明監督だった。

終わり近くに突然ダンスシーン。インド映画みたいに。

そして、最後の最後、実際にスイスで安楽死しようとした、と言う女性と監督の対談。

監督が軽い脳梗塞で倒れた、と、妻の高橋惠子が言っていた。本当に軽くて、復帰の日がありますように。

黒の牛

監督 蔦哲一郎

出演 李康生 田中泯 須森隆文 ケイタケイ

ほぼ予備知識無く、台湾の李康生が出る、というだけで観た。十牛図 という禅に伝わる物に触発されて作られたものと初めに説明がある。

山の民が押し寄せる文明と共に生きる場所を無くす。皆は文明の方へ移住し、男は一人残る。

時代がいつなのかわからないし、国もどこなのか判然としない。台湾の少数民族かな、という言葉が語られる。山の民は狩猟で生活の糧を得る者だが、ある日、一匹の牛に出会う。牛を追いかけ捕まえ、手なずけようと格闘する男。

ずーっと遠景。

江戸時代末期から明治にかけての一人の男の一生と見えるが、人類の他文化・文明とのかかわり、変化の長い時間を描くようでもあり、また、人類に限らず生物の変遷とも感じられる。原爆のきのこ雲?も、出現する。

モノクロの遠景、美しい自然、音楽、眠くなる。まあちょっとばかり眠っても良いか。四角い画面が、終わり近くに広がり、カラー画面へ。男の姿もアップになる。ミニシアターでなく、大画面で観たかったなあ。

李康生の映画でヘンじゃないのってあったっけ?などと、眠くなりながらつらつら、蔡明亮監督作品ばかりに出ているわけじゃないから、そりゃ普通の役だってあったよね、と、途中経過ではテーマがなにやら哲学的らしいことしかわからない身は脳内独り言。

終わりが近づいて、身につまされる。観終わって、もう一度最初から観たいと思った作品。監督の名前、シマ?ツタ?どっち?と思ったが、池田高校野球部蔦監督、と言えばある年代以上の人は知っている、その人の息子さんだって。フィルム撮影にこだわってずっと撮っているそうだ。

 

本なら売るほど

著者 児島青

HARTA COMIX

金曜日に、この『本なら売るほど』1と『壇蜜』(清野とおる著)を買った。月曜日に、近所の書店に本なら売るほど2があったので求めた。そして、『壇蜜』と共にマンガ大賞2026にノミネートされていることを知った。

古本屋ねえ、今ではわざわざ出かけて行かないなあ。古本屋街があるなら、ぶらぶらするかもしれないが。ブックオフだって近所にあった頃は覗いたけれど、私の通り道にあったものは閉店した。

が、これを読んでしまうと古本屋が恋しい気分になる。寺田寅彦のエッセー?読んだっけ?森茉莉はまだ持ってる。新潮文庫の天だけギザギザなのか。2で大漢和辞典を買うバイオレット淳一さんは、まるごと明らかにタブレット純さんの風貌だ。かっこいい着物姿のお婆さんと着物をあだっぽくゆるく着たい若い女が出てくる章の半七捕物帳(岡本綺堂)はドラマでしか知らない。読んでみようか。

ともかくこれは新刊が出るたび手を伸ばすだろう。あと、先日亡くなった久米宏さんのテレビ番組『久米書店』の店員として出演していた壇蜜の発言、センスを私は好きだったが、まあここまでヘンな人だったか、と思う『壇蜜』も、次が出たら買うに違いない。

 

カストロの尻

著者 金井美恵子

中公文庫

スタンダールの『カストロの尼』って読んでる?私は読んでいない。

だからこのタイトルはパロディなのだが。

私はこの本をものすごーく時間をかけて読んだ、と言うより3頁とかそのくらいしか一回に読み進めなかったのだ。二つのエッセーの間に10編の小説と、あとがきにかえて1、あとがきにかえて2、付録、と、そこまでが作者の文章となっている文庫。金井美恵子は読みにくい。わかりにくい。そんなことは知っている。でも出会うと読んでしまう。なぜかというと長ーい散文詩のようだから。わっかりにくく知識量があまりにも付いて行けないにもかかわらず。そしてもう一回読み直そうと思って挑戦中なのだが、いや、そんなことしたって理解が進むことは無いと気付き。

時にその何かのパロディ、何かのもじり、見事な勘違い当て字、などに笑うのだが、私が気づいたのは、実際に散りばめられているものの何パーセントなのだろう。書物、映画、出ているものを全部読んだり観たりしていたら。昭和ノスタルジー的な部分なら私の世代にはわかるが。

谷崎潤一郎の『鍵』の老人の年齢が数え年56歳なんだってさー。

私がまだ十代だった頃に詩人として知った作者は、何かの雑誌で確か澁澤龍彦の隣にいた、と思う。ショートカットの少女…ったって私より年上なのだから少女なはずは無いが、極端に賢い少女っぽかった。そのイメージのまま、これが単行本で出たのが2017年、1947を引くとその時点で70歳の作。芸術選奨文部科学大臣賞受賞作ですと。

で、『カストロの尼』本家の方もそのうち読みます。

ひとつの机 ふたつの制服

監督 ジュアン・ジンシェン(荘景燊)

出演 チェン・イェンフェイ(陳妍霏) シャン・ジエルー(項婕如) チウ・イータイ(邱以太)

1997年、受験に失敗、母の勧める第一女子高校の夜間部に進学した小愛。全日制の方で同じ机を使う敏敏と、机の引き出しに手紙を入れる方法で文通を始めるこの高校では机友(デスクメート)という言葉が存在している。

全日制と夜間部では、制服は同じだが、胸の刺繍の色が違う。

敏敏から、学校をさぼる目的で制服を交換することを提案される。その後、小愛も全日制の制服を着て二人で出かけるようになる。敏敏は優等生だから、それでもやっていけるらしいが、夜間部に行きたくなかったのでそもそもあまりやる気の無い小愛の学校での成績はどうなる?

卓球場でアルバイトしている小愛は、男子高校生と知り合い好意を抱くが、実は敏敏が思いを寄せているのも同じ人で。

私が通った高校にも、その当時夜間部があり、それは高校名も別の名前だった。昔のことだから、働きながら高校に通っている、という人たちだった。

夜間部や通信制の学生というと、全日制に比べて学力は下と、周りからは見られる。2025年の今は、進学した学校に合わない、向かない、或いは何かしらのいじめ、などで通信制高校を選ぶ人はたくさんいるが、この映画の舞台は1997年である。全日制の側からはやはりレベルが低いものと見られ、夜間部の側では劣等感を抱く者が多い。その中で、いつかはちゃんと言わなきゃ、と思いながら進学校生徒気分を味わっていた小愛。が、ドンと差別視とぶつかることがあり。

さてさて、いろいろあってちゃんと大学受験して合格した小愛は、どういう学部を選んだのか、気になったな。敏敏にも事情があったことも最後に明かされる。

で、この高校生役の俳優たち、1999年とか2000年生まれなんだよね、去年公開の作品だから、24~25歳で演じていたのねー。高校生にみえたけどね。

 

 

 

二つの月の記憶

著者 岸田今日子

出版社 講談社

小説現代増刊「メフィスト」に連載された短編集、ということだが、メフィストと言うものの存在を知らなかったな。

最初の『オートバイ』、その後半に、マンディアルグの『オートバイ』と言う小説を、かつて愛した若者がくれた、というエピソードがあって。1968年の映画ではアラン・ドロンとマリアンヌ・フェイスフルで『あの胸にもう一度』と言うタイトルになった、けれど、原作では禿げた中年の哲学者で、などと思い出す。そしてそこからインスパイアされたかという物語を岸田今日子さんはこんな形に紡ぐかー…。

メフィスト はミステリー・伝奇小説・SFなどの分野のものだそうで。でもこの短編集をどんなジャンルにくくるかというと、むずかしい。かつて「子供にしてあげたお話してあげなかったお話」を読んだ、そのあと私はなぜこの人のものを読まなかったかなあ、と、思う。女優の書いた物語ではない、本物の書き手による(女優としての物語が、最後の『引き裂かれて』であるが)、稀有な作品だと思う。

2005年に連載されて、2006年12月には76歳で亡くなっている。