大きな鳥にさらわれないよう

著者 川上弘美
講談社文庫

連作の短編集。最初の『形見』で、・・・今まで見たことが無い種類の、怖さ、すごさ、ショック、のようなものを、それもふわりと、投げられ受け止める感。

ジャンルは、というとSFとなるだろう。SFファンタジーか。レイ・ブラッドベリでも森博嗣でも上田早夕里でも、未来の、人類が現在の在り様ではない姿を描いているけれど。工場で食料を作り、そして子供たちを作る、ということでもまあ似たような設定はあったけれども。
子供の由来はランダムで、牛由来・鯨由来・兎由来、いろいろ。夫の最初の妻は鼠由来、次の妻は馬由来、三番目はカンガルー由来だったって。

穏やかで、透明感に満ちて、怖い。
最後まで読むと、あれ?どこが始まり?ここは終わりの始まり?始まりの終わり?そして最初の『形見』のショックは何だった?

川上弘美はとても良い、ことは知っているが、たくさんは読んでいない。もう少し読も。このひとの異界は、形容できない。第44回泉鏡花賞受賞だって。なるほど。

パラダイスネクスト

監督 半野喜弘
政策顧問 余為彥
出演 妻夫木聡 豊川悦司 ニッキー・シエ

何か姿をくらます必要があって台湾に逃げてきて、地元のボスの世話になっているトヨエツ、彼が食べている店の同じテーブルに座ったチンピラにいちゃんがブッキー、俺の事覚えていないか、と聞く。
かつて同じ事件にかかわっていたことが次第にわかってくるのだが、その二人に台湾人の女の子が加わって、古典的なと言うか、よくあるよね、女の子一人に男二人のロードムーヴィーに。

関係性とか状況とか、なんだかあまり説明の無いまま話が進んでいく。そのやり方が成功してるんだかどうなんだか、というと、わかりにくいでしょう。が、私にはこの、ふた昔ぐらい前の香港映画とか台湾やくざ社会がらみ映画の色がなかなかに好ましい、もしくは懐かしい。90年代香港チンピラ映画、例えば『古惑仔』シリーズとか、狭いごちゃごちゃした路地の雰囲気。
そして、緑の濃さがむせるような台湾の田舎。

少し前に、トヨエツ若き日のドラマでの、あーこんなきれいな顔だったのか、という姿を見たところだった…。は、ともかく、台湾が好きなお方、どうぞ。

心の故郷 ある湾生の歩んできた道

監督 林雅行

日本の統治下にあった時代の台湾に生まれた人のことを、湾生という。湾生の人たちに取材したドキュメンタリーは、前にも別のものを観ている。
今回この映画で、一番印象に残った言葉は、「日本では、ブルーカラーの仕事、労働を、日本人がやっていた」というもの。台湾で育った日本人は、とても恵まれた環境にあったのだ。

台湾北東部の蘇澳で生まれ、ずっとそこで育った女性と、蘇澳から基隆などへ移り住んだ男性が、長い時を経て偶然に日本で出会う。80歳を過ぎたその二人が蘇澳を訪問する時間を中心に、彼らの、日本人、台湾人両方の同級生との交友などを通して、彼らの戦前戦後、思いを描き出す。

もともとの育ち方のせいか、80歳過ぎた女性たちがとてもおしゃれだ。

学校での交流には差別など無かったのだろう。けれども日本人中学校に入ることができる台湾人はお金持ちである階級の人で、まずそこで選別されていたし。戦争で物資が少なくなってくると、配給される品物の量が違ったり。

そして、それでも不自由のない生活だった台湾から、荷物一つで渡ってきた日本では、物が無い厳しい生活が始まる。

台湾で生まれ育ったのだから、第二の故郷ではない、心の故郷。

日本人だと思って育ったのにある日中華民国人になった立場の人のドキュメンタリーも観たけれど、それぞれに視点が違って、興味深い。

私とは何か 「個人」から「分人」へ

著者 平野啓一郎
講談社現代新書

個人 とはindividualの翻訳語として生まれたものだそうだ。当然明治以降に日本に入ってきた概念なんだね。不可分、これ以上分けられない、と言う意味になる。
それを、自分とそれぞれの他者との関係において、誰に対しても同じ対応をしているということは無い、ある人とは儀礼の範囲を越すことは無く、趣味や信条を同じくする人とはその部分をより深く、さまざまに対応している、そのことを分人dividual分割できる人、として対応しているとしよう、と、まあ一言であらわすとそういう主張。

本当の自分とは?とか、自分探し、とか、青春と呼ばれる時期にはその種のおすすめ本に手を伸ばしたりする。その本当の自分なるものはそもそも分人の集合体なのであって、あなたのあの集団における評判と、この集団においての評価はまるで違ってもそれは当たり前のことである、と。
分人の分母はたくさんあって、全く別のものであったり、部分的に混ざり合ったり、それもいろいろである、と。
そしてそれはペルソナ・仮面、あるいは八方美人と言った概念とは別のことで。

今生きにくい状態にある人に読んでもらいたい。恋愛がややこしくなっている人も、誰と一緒にいるときの自分が好きか、と言う視点を持つと、行動を選びやすいかも。

「カッコいい」とは何か

著者 平野啓一郎
講談社現代新書

カッコいいという言葉が一般的に普及したのは1960年代であり、現代語辞典に登場するのは90年代になってからの事なのだそうだ。恰好がいい、と言うのは江戸時代からあった言葉だが、意味合いが少し違う。
が、カッコいい・バッチリ・いかす(知らなかったら石原裕次郎の映画見てね)などは軍隊で使っていたのだそうだ。安岡章太郎と大野晋の対談で、安岡が話しているという。ほーお、である。

ロック、ジャズ、美術、車、ファッション、デザイン、文学、などなど広汎な分野にわたるこの作家の関心、知識には今回もまあ驚きますよ。マイルス・デイヴィスのファンだというのはなんとなく見聞きしていたけど、ロックからクラシックまで音楽と言うジャンル一つ取っても広範囲にわたる。
それはさておき。
今まで、何に対して、誰に対して、カッコいい!とつぶやいた、あるいは叫んだかな?
最近、カッコいい!と思った対象は?
誰かと、そんな話をしてみたくなる。それぞれ全く異なるのか、どこかが一致するのか。

言語として、近い意味合いの、クールとかヒップとかダンディとかの言葉が紹介されているのだが、クール・ジャパンなどと使われている『クール』は今も生きている。ヒップは死語となり、ダンディは、日本では今では舘ひろしの形容専門のような感じであるが存在している、けれど、フランスでは死語だって。

現象として戦慄を感じるしびれると言う体感と共にカッコいいはある、と言うのはそりゃそうだね。で、マイルスやボードレールは『カッコいい』名言を残しているのだそうだ。カッコいい の例にジャズミュージシャンと詩人が並ぶのさ。

私はこの作家をSNSでフォローしていて、彼のものの考え方には共感しているのだが、今のところ良い読者にはあらず。3冊ぐらいしか小説を読んでいないし、『決壊』は途中で放棄したまま積んである。が、ゆるゆると読んでいくかもしれない気分であります。

クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代

http://klimt.ayapro.ne.jp/
監督 ミシェル・マリー
出演 ロレンツォ・リケルミー リリー・コール

クリムト、シーレ没後100年記念 ドキュメンタリー映画 となっている。が、タイトルに大きくクリムトの文字があるので、クリムト中心の映画と勘違いされる、ことをわざとねらってますかい?
どちらかと言うと、その19世紀末から20世紀初めの『ウィーン分離派』を中心に、フロイトの精神分析やマーラーなどの音楽や、その時代の世界の流れを大きく見せるので、観る者に深い教養があれば、それだけ深く理解できるであろう、紹介の仕方。なのでわが身の浅き教養度合いを嘆くものであったよ私。シェーンベルクの音楽もこの時代。
女性が中心となる芸術サロン、時に肖像画が描かれるパトロンの女性たちと性的交流もあったこと、クリムトのソウルメイトであったエミーリエ・フルーゲのようなビジネスウーマンが生まれる一方で、主に裸婦のモデルとなったのは娼婦であったり下層階級の女であったり、結婚の対象ではないこと、第一次世界大戦、スペイン風邪、など。

歴史にもクラシック音楽にも詳しい人は、より楽しめることと思いますが、でもやっぱりこの日本語タイトル、ポスターは、詐欺に近いね。原題『クリムト&シーレ エロスアンドサイケ』でもちょっと違う気がする。

主戦場

http://www.shusenjo.jp/
監督・脚本・撮影・編集・インタビュー ミキ・デザキ
出演 トニー・マラーノ 杉田水脈 ケント・ギルバート 櫻井よしこ 吉見義明 戸塚悦郎

日系アメリカ人ユーチューバーによる作品。
従軍慰安婦とは、どういうものだったか?強制連行はあったのか?慰安婦は性奴隷であったか?それとも売春婦であったか?

日本人は偉い、ほかのアジア人とは違う、強制連行なんて日本人にできるはずがない、あれは高給取りの売春婦に他ならないetc.etc.
書店の表紙の顔で、ケント・ギルバートの人相の悪くなったことに驚いていたけど、なにゆえあのようは主張を持つに至ったのでしょうねえ。杉田水脈のぬらりと平然とした顔とか。そういう、日本第一主義のみなさんと、歴史の検証、研究している学者、慰安婦だった人の娘、などなどそれぞれの主張を織り交ぜて映し出す、実際のインタビューの声、表情。
兵士だった90歳を過ぎたおじいさんの言葉。

ある種、圧巻だったのは、日本会議の中心部にいるらしい加瀬なにがしの言葉。日本が戦争に勝ったので、アメリカの黒人は人権を持つに至った。その通りの言葉であったかはともかく、そういうようなことを言った時、小さな映画館が小さくどよめいた。勝ったんだって、太平洋戦争で、日本が。
こんな、脳だか神経だか精神だかどこかが決定的に壊れている人が、あの右翼主張集団日本会議のトップ付近にいるんだ。

戦後、平和憲法では冷戦時代に何かと都合が悪くなったアメリカが、巣鴨プリズンにいたA級先般と言われた岸信介を、引っ張り出して来て、首相に据える、と言うことがあったみたいだよー。知ってる人には常識なのかなあ。そしてその岸信介の孫、安倍さんがどんどん戦争できる国にしたがっているのねー。

別に劇場でなくてもいい、機会があったら観てください。なまじのフィクションよりすごいから。

The Crossing パート1 パート2

http://thecrossing.jp/
監督 呉宇森(ジョン・ウー)
出演 章子怡 黄暁明 ソン・ヘギョ 金城武 長澤まさみ 佟 大為

原題『太平輪』、実在し、1949年に沈没した船の名前。
日本人にとって、1945年の敗戦により戦争は終わっているが、日中戦争に勝利した中国では、その後も国民党と共産党の間で激しい内戦が続いていたのだ。

上海のダンスパーティで出会う将軍と銀行頭取の娘、台湾で恋に落ちる日本人女学生と台湾人学生(ちょっとこの時の金城・長澤には無理が…)、出征後、行方不明になった恋人を探すため、古郷から上海に出てき手従軍看護婦になった娘、そして、食料の配給を受けるためその娘と家族写真を撮る見知らぬ男。
3組の男女の運命が、戦場で、あるいは今まさに戦場となる寸前の場所で、そしてそこから脱出しようという船の上で、交錯する。

パート1の黄暁明は素敵です。軍医となり、沈没する船から子供を救い散っていく金城武は良いのです(日本語・台湾語・北京語のセリフを話しています)。ずっと人の好い佟大為はいい味です。
悪い映画ではありません。
が、中華圏では大コケしました。
編集の問題でしょうか。なんか視点がとっ散らかってしまうのですね。群像劇というにはそれぞれが際立ちすぎて。
灯火管制下、明かりを消して出航する、極端に過剰積載した客船だというのにそーんな、そーんなことでほかの船とぶつかってしまうなんて!と、思うし。

でもね、パート1の終わりにもパート2の終わりにも私はうるうる涙しました。内容は良いんだよ。女優のことも言えって?お金に困って身を売るチャン・ツーイーの造型がおしゃれすぎると思うぞ。まあ一組ぐらいうまいこと行って良かったよ。

ありふれた祈り

著者 ウィリアム・ケント・クルーガー
ハヤカワ・ミステリ文庫

あの夏のすべての死は、一人の子供の死ではじまった。
と、この物語は始まる。あの夏 の、子供。1961年に13歳だったフランクと11歳だったジェイクの兄弟。牧師の父親、音楽家の母。ミネソタの田舎の町。

その後も死が続くし、事件は起こっている、けれど、ハヤカワミステリと言うよりは、少年小説、私はブラッドベリの『たんぽぽのお酒』を想ったが、『スタンド・バイ・ミー』を思い出す人もいる、そんな物語。
原題『ORDINARY GRACE』。“今回だけでも、ありふれたお祈りにできないの?”と、娘の葬式の席で、牧師である夫に言う妻。

ロイ・オービソンとか、悲しき街角とか、そんな局が流行っていた時代、まださまざまな差別語が世にあった時代。

解説の北上二郎によると、この作家の『血の咆哮』がお薦めだそうだ。読みたいと思う、けれど、ウイリアム・ケント・クルーガーと言う作家の名前が記憶しにくいと思うのは私の脳の老化の問題だな、きっと。

黒の狩人

著者 大沢在昌
幻冬舎文庫

単行本が出たのは2008年だそうだ。その時代の、新宿。もう少し前、馳星周の『不夜城』の頃に比べてずいぶん落ち着いているらしい中華系黒社会がらみ。

『新宿鮫』のシリーズを読んでいたのはいつの頃だか。シリーズ途中までしか読んでいないので、晶との関係がどうなったかも知らない。で、その新宿鮫にも脇役で出ていたというが、もはや記憶にない佐江:警視庁新宿署組織犯罪対策課警部補、その補助員として試験採用されたという中国人:毛、そして野瀬由紀:外務省アジア大洋州局中国課職員を中心に、中国公安など絡んでくる。
先日、映画『新聞記者』を観たばかりなので、外務省の役人がスパイ活動のようなことを・・・してんのか?していてもおかしくないかも、少なくとも中国共産党配下の公安が日本の市井に紛れ込んでいろんなことをしているかも、など思う。
日本の美人外務省職員がそんなことはしていないよね、でも、上海のカラオケ店(日本だとカラオケバーかな)のおねーさんが政府とつながっていて情報が洩れる、と言うたぐいのことはあるよね。

中国人の死体が発見され、それがわきの下に“泰山”など山の名前を入れ墨している、と言うことが続き。

中国人の名前をちゃんと覚えられない、ので、理解がなかなか付いていかない。まあ大沢在昌らしいエンターテインメント、面白かった。中国語学習者としては、中国人の名前のルビが、訛ってるよ、どこの出身者に聞いたの?と気になるのだが。毛さんかっこいいよ!キャスティング誰だったらいいか、とあれこれ妄想するのに良いかも。新宿鮫だって映画の真田広之とドラマの舘ひろしじゃえらい違いだったけどね。