バカになったか、日本人

著者 橋本治
集英社文庫

このところとみに思っていたことが、そのままタイトルになっていたではないか、買わずにいられようか。日本語を知らん政治家が総理とか副総理とかになってるし、芸能人や政治家の不倫がどーだってんだ、俳優なら芝居が、政治家ならその姿勢が問われるべきだろ、不倫はその家族にとっては大問題だが私にはかんけーない、けど視聴者がその話題に乗ってるのなら、国民がアホなのか?と、いうようなことを思っていましたのさ、私。

Ⅰ 大震災がやってきた日
Ⅱ 楽しい原発騒動記
Ⅲ 原発以上に厄介な問題
Ⅳ そして今は
というパートに分かれているが、適当に拾い読みしてもいい。そして、“文庫版の後書き” を読むと、だいぶ最近の話になる。稲田朋美とか豊田真由子とか。そこからもう一回、パートⅡの“あ、東大法学部だ”を読もう。東大法学部というのは東大の中で一番頭がいいのだそうだ。だから周りのことなんか眼中にないから、抵当にあしらう、から愛想はいい。のだって。

2017年9月25日第一刷発行、の、この文庫版、その後の世の中の政治方面の流れは速く、緑のタヌキさんが希望の党というものを作り、日本は極右の政党の争いになるのかとほぼ窒息しかけたところへ、立憲民主党というものができてリベラル派という人達が何とか息をつけることになった、けれど明日はどうなるのだろう。

まあ、よかったら書店で拾い読みしてみませんか?

私が最初に読んだ橋本治は「桃尻娘」だったかな?古い話。東大のポスターを描いた人としてまず有名になり、自己流でイラストを編みこんだようなセーターを編み、時々テレビに出てきていた、が、今は難病を抱えて『いつまでも若いと思うなよ』新潮新書 などと言う本も書いているのか。そうか、それも読んでみたい。

人生フルーツ

http://life-is-fruity.com/
プロデューサー 阿武野勝彦
監督 伏原健之
ナレーション 樹木希林

建築家の津端修一さんが、自ら手掛けた愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウン、その計画が自分が望んだものからかけ離れてしまった時、その一角を買って、家を建て里山を育て果物や野菜を植え、そして四季折々にその恵みが、妻英子さんの手によって食卓に上がる、という日々。夫90歳、妻87歳。

パートタイム里山生活者の私には、理想の暮らしだ。
あの黄色に塗った板に作物の名前など書いて土に差してある札、真似たい。二人の姿がマンガ風に描いてあるいろいろ、可愛い。

家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない。byル・コルビュジエ だそうです。

畑の草取りをして、お昼寝して、そこから戻ってこなかった。という人生の終わり方。自転車で出かけたり、仕事の依頼もあって生き生きと向かっていて、その途中で。

東海テレビのドキュメンタリー。マルヤガーデンズシネマで再上映、その延長、となってやっと観られた。

丁寧な、自然な、豊かな、生活です。

ポポイ

著者 倉橋由美子
出版社 福武書店

借りた覚えもないのだが、しばしば本の貸し借りをしている友人から来ていたもの。

政治家だったお祖父さまに会い密談ののち、その目の前で唐突に切腹し介錯された生首、が、首から下は人工心臓などの装置につながれ、生き続けているという。その世話を、婚約者から頼まれた二十歳の孫娘。
美少年の首。

作品中にも出てくるが、三島由紀夫の割腹が思い起こされる。ユディットとかサロメとかもちろん。

予備知識無く、こんな本があった、と読み始め、数十年ぶりに読む倉橋由美子の才に圧倒される。

1987年に発行されているというのに、パソコン端末で映像を映し出したり、スカイプのような形でテレビ電話をしていたり、その時代にどうして?と思いつつも読み進んだが、後に知った。SFラジオドラマとして近未来を舞台に作られた物語だったということだ。

生首にポポイ(ギリシア語の感嘆詞だそうだ)と名付け、舌の動きで端末に文字を表すことで会話を成り立たせる。

ストーリーとしては、あっけない最後の迎え方である。読み手に教養を要求するというか、広範な知識があると読み取りやすい(私は知らない情報がいろいろありました)。のでもあり、この小説は好き嫌いが分かれるだろう。私は、これに出てきた桂子お祖母さまという人が出てくるシリーズがあるそうで(桂子さんシリーズ)、読んでみたいと思う。大昔に“夢の浮橋”は読んでいるはずだが記憶に無いし。

 

新感染 ファイナルエクスプレス

http://shin-kansen.com/
監督 ヨン・サンホ
出演 コン・ユ キム・スアン チョン・ユミ マ・ドンソク

あちこちで評判を目にしていなかったら、まず見なかっただろう、ゾンビと化した人間たちが列車の中で…!うっかりして日本語吹き替えの一回しか上映しなくなってから観たのだが、観てよかったあ。

疾走する列車の中で、突如病人が出た、と思ったら病人は見る間にゾンビと化し、乗務員やほかの乗客に噛みついて急速に感染を広げていく。
ソウルでファンドマネージャーとして(他人を蹴落とし)働く男ソグと、その娘スアンがその列車に乗り合わせていた。別居中の妻に会いに行く娘を送り届けたらすぐ仕事に戻るはずだった。

ゾンビの造形が怖すぎて笑う。結構血がほとばしる系の映画は見慣れているはずだが、手で目をふさいで指の隙間から見るという真似をしてしまったよ(だからバイオレンスは平気だけどホラーは苦手なんだって)。

車内のパニック状態初期には、自分や娘のことだけしか考えない勝手な男だったソグが、乗り合わせた屈強な男と共に必死の戦いを繰り広げる、

『人間』を描くドラマとなっています。そして、この迫力は映画館でしか味わえないでしょう。

原題부산행ぷさんへん、釜山行き。ソウルから釜山への列車。
コン・ユが出た日本映画があったけど思い出せない、調べたらそうだ三池崇史の『龍が如く』だった。

私を離さないで

著者 カズオ・イシグロ
ハヤカワepi文庫

カズオ・イシグロの小説を手に取っても、なかなか読み進められなくて書棚に戻すという状態だった。本作は、TVドラマ化されたものを観ていたこともあって、スムーズに読むことになった。

ドラマよりずっと抑制された描き方。

“介護人”であるという女性の語りで進む。かつてヘールシャムという施設で、語り手の女性を含む少年少女が暮らしていた。抑制されているが何がしかの違和感を匂わせながら、それは実は、ということが見えてくる。
先にドラマを見ていたことが残念に感じられる。この小説のテーマにどこで気づいただろう?もしも小説が先だったら。

臓器提供のために作られたクローンだったのだ。そのヘールシャムで育っていた子どもたちは。そして、いつかそこを巣立って、コテージというところに行く。先輩たちもそこにいて、それぞれそのコテージをも去る時が来る。そして介護人になり、臓器提供をした人に付くのだ。いずれ自分が臓器提供する日までは。数回の提供が待っている。

クローンは生殖能力は無いということらしい。でもみんな恋愛も性愛もする。ドナーだから病気には気を付けなければならないが。ヘールシャムで美術教育が盛んだったのはクローンの感受性や表現能力がどんなものかの実験だっただろうか。

ヘールシャムのあり方に疑問を持った先生によって、自分たちの役割というものを知らされた彼ら。淡々と受け入れた、はずは無い。
けれども数年の延期が得られるかもしれないという希望が、とても切実に大きなことのように描かれ。

語り手キャシーがヘールシャム時代に好きだった、Never Let Me Go という ジュディ・ブリッジウォーター の歌が、この小説のタイトルになっている。実在の歌手の実在の歌なのか?と疑いながら読んだけれど、hold me never let me go という歌声を探してみた。なるほど体を左右にゆすりながら聞くだろう。

2011年の映画では、校長役でシャーロット・ランプリングが出ているらしい。観たい。

土の記

著者 高村薫
出版社 新潮社

男の名は伊佐夫、東京の大学を卒業後、関西の電機メーカーに就職、奈良の旧家の婿になった。棚田や杉林に囲まれた地区、妻の介護?夢幻か現実なのか、判然としない記述が続く。
妻・昭代は、交通事故による長い植物状態のあと、亡くなったのだとわかる。

70過ぎの伊佐夫の農作業は、理科の実験のような気配である。土壌標本(モノリス)を自作する趣味のあった男。
ナマズを見つけ、花子と名付けたり。

寝ぼけているのか、妻の死によるショックが大きいのか、認知症なのか?記憶の喪失、混乱。のちに自分で異常を自覚し、病院で軽い脳梗塞の診断を受けて薬で回復するのだが、少しずつ認知症が進んで行くときの感覚というものがそんなものなのか、その表現はじんわり恐ろしく感じる。

稲の成長などに関する記述がまことに詳細で、どれほど深く事前調査、研究したものだろうと思う。高村薫と言えばかつては犯罪者や警察や銃の出てくる小説がほとんどで、それらに関しても緻密に調べているものだと思ったが。

ミス・マープルも言うように、田舎だから平和で退屈な日々というわけでは無い。次第に明かされる妻・昭代の事故のもとになった問題、娘との不仲の原因。
東日本大震災が起こる。今はアメリカに住む娘と孫から電話が来て、原発事故で日本は危ない、アメリカに来るか、せめて沖縄に避難を、と。陽子、父さんは福島の原発の炉心がどうなるかは知らないが、福島にも東京にもこの大宇陀にも、大勢の人が住んでいるんだ。もう言うな。

地味な農村の生活の中に潜んでいる事情を明かしながら、淡々と生き、生物の世話をし、そして最後に至ると…うーん。おお。

凄い小説だと、私は思うよ。生きるということを描いて。

 

 

バーフバリ

http://baahubali-movie.com/
監督 S.S.ラージャマウリ
出演 プラバース ラーナー・ダッグバーティ タマンナー

赤ん坊を抱いた女性が追われている。水辺、滝壺間近、女性は片手に赤ん坊を持ち上げたまま深い水に入っていく。女性の頭も沈んで片手を高く上げたまま次第にもっと沈んでいく。

ごめんね、もうその時点で笑っちゃってさ。まあ赤ちゃんだけは村人に助けられて、助けられた子がまたとんでもなく凄い子で、高い滝を上って向こうを確かめようと何度も何度もチャレンジするのさ。どうやって撮影しているんだか、もちろんCGだろうけどその光景たるやスケールたるや!!!
滝から落ちてきた仮面に惹かれて、その上に何があるのだろうと憧れをもって何年もチャレンジを続け、ある日とうとう成功する。そして美しき女性戦士と出会う。何かとご都合主義満載、あちこちでつい笑ってしまう。そのインド映画らしい肉体でよくそんな身軽にジャッキー並みに動けるもんだ、とか。

まあ大体予想がつくように、彼は王族でしたのさ。50年前の時代の話に跳んで戦闘シーンが続くとちょっと眠くなってしまったワタクシでしたが。

きらびやかな黄金まみれの色彩、張芸謀負けてるぞー、と心呟く。

秋に第二部が上映されるそうで、トンデモ映画が嫌いじゃない方々、楽しみに待ちましょう。

タレンタイム優しい歌

監督 ヤスミン・アフマド
出演 パメラ・チョン マヘシュ・ジュガル・キショール モハメド・シャ  フィー・ナスウィップ ハワード・ホン・カーホウ

多民族国家マレーシア、ある高校で芸能コンテストが行われる。
イギリスの血が入っているムスリムのマレー人の女の子、ヒンドゥー教の耳が聞こえない男の子、たった一人の家族である母が闘病中である成績優秀なムスリムのマレー人、優秀な成績を獲れと父親に厳しく言われている中華系の男の子、それぞれの事情。

タレンタイムというのはタレント(才能)とタイムを掛け合わせたマレーシア英語であるらしい。

宗教の違う者同士の結婚という形はほとんど無いのだろう。ムスリムの女の子ムルーと、インド人でヒンドゥー教徒のマヘシュが恋に落ちる。マヘシュの母親は強硬に反対する。ムルーの親が特に反対しないのは、父親がイギリスとマレーの混血というおそらくこの国には珍しい環境のせいか。

マヘシュの叔父は、結婚当日に、喧嘩騒ぎで亡くなってしまう。結婚式の騒ぎの隣家は、宗教を異にする喪の席だったために。

後に、叔父の若き日の恋愛が明かされる。気立ての良い、評判の良い娘だった。宗教の問題で引き離されたのだった。

タレンタイム当日、ギターの弾き語りに、途中から二胡の演奏を合わせるシーン。気持ちよくうるうるしてしまう。

女性監督ヤスミン・アフマドの母方の祖母は日本人なのだそうだ。2009年、この映画公開の年に、脳溢血でにより51歳で亡くなった。2003年~2009年の間に6本の作品を残して。
ほかの作品も観たいと思う。

 

 

 

 

台北ストーリー

http://taipei-story.com
監督 エドワード・ヤン楊徳昌
出演 侯孝賢 蔡琴 呉念真

1980年代、台湾でも肩パットの時代。
高いビルが建ち並び、発展する都会。の中にあっても旧態依然として停滞する町。

マンションを見に来た男女。家具の位置をあれこれ考える女、あまり乗り気では無い男。私今度昇進するからお金は大丈夫、という女。幼馴染である。
が、会社が買収され、女の居場所が無くなる。男は親の商売を継いでいる。男がアメリカに行っている間に、それぞれ相手には言えない事情が起こっている模様である。

野球少年だった時代の栄光を引きずっている男。新天地を求めてアメリカに行きたいという女。
女の父親は借金で逃げ回る。それを助ける男。昔の仲間にも手を差し伸べる。

発展と滅び。

男を演じるのは映画監督の侯孝賢、唯一の出演作。しかし中華圏の監督はなぜこんなに演技がうまいのか。女の役は、私がとても好きな歌を歌っている歌手、蔡琴。香港映画『インファナルアフェア』の中で印象的に流れる「被遺忘的時光」を歌ったのはこの人。この台北ストーリーを撮ったあとエドワ^ド・ヤン監督と結婚、10年間結婚していた。…が、あの歌声とイメージが…そして、中華サイトによれば、監督との結婚はプラトニック結婚?は?

逆に侯孝賢監督の「冬冬の夏休み」にチラッと顔を出していた楊徳昌だった。楊徳昌没後10年を記念してデジタル化、日本では初公開。

娯楽要素のカケラも無いこの作品、人が入らなかっただろうなー、と思った私の予想の上を行き、当時台湾では4日で打ち切られたそうな。世界では賞を獲ってるんだけど。

原題「青梅竹馬」、幼馴染のこと。竹馬の友。

紙の動物園

著者 ケン・リュウ
ハヤカワ文庫

11歳の時に家族と一緒にアメリカ合衆国に移住したという、1976年中国生まれの作家。ハーバードでは英文学を先行していた、でも現在は弁護士・プログラマーとしての顔も持つ、のだそうだ。

短編集、の中の表題作「紙の動物園」を好きな人は、この作家を追いかけることだろう。母親は、父親がカタログで選んでアメリカにやってきた中国人だった、という設定。英語が堪能な香港人であるとの触れ込みは大嘘だった。
母さんが折る折り紙の動物たちは、リビングを走り回った。
折り紙というと日本の物だと我々は勝手に思いこんでいるが、韓国のドラマや映画にも折り鶴は出てくるし、中国にもあるのだ。

で、折り紙の動物がリビングを走り回るのだよ。

ああ、これSFだった、と思うけれど、いやいやサイエンスはどこに?ファンタジーでしょう。

子どもは、普通の家庭、普通のおかあさんが好きなものだ。言葉がうまく話せず、違う文化のもとに生きている母親を疎ましく思う時期の男の子。

中国語で話すことを拒絶された母親が、その最後に息子に宛てた中国語の手紙、それも虎の折り紙に書いてあった、その文化大革命を挟んだ人生のこと、孤独な人生の中で、息子が生まれ、うれしかったこと、少し中国語を憶え夫婦の通訳してくれた頃のこと、中国語を拒絶され、得たものをもう一度失った思いだったこと。

そのほかの話も、アメリカでアジア人であることがベースにある物語。「太平洋横断海底トンネル」では、日本と中国の近代史の中で日本が別の選択をして、裕仁天皇がハーバート・フーヴァー大統領に太平洋横断海底トンネル構想を持ちかけた、という設定。

ファンタジーじゃないか、と思ったら、単行本で出版されたものから、文庫化にあたってファンタジー篇とSF篇に分けたのだという。

とても好きな作品、なのだけれど、私には読後がもの悲しい。せつない。わかりやすいものでもない。

SF篇「もののあはれ」も読みましょう。