ホテル・ムンバイ

https://gaga.ne.jp/hotelmumbai/
監督 アンソニー・マラス
出演 デブ・パテル アーミー・ハマー ナザニン・ボニアディ 

2008年、インドのムンバイで実際に起こった同時多発テロの現場の話。実際にはタージマハル・パレスホテルでの事だというが、そのホテルからの人質脱出の模様を描いたもの。
イスラム教徒の若い男たちが、リーダーの声のもと、宗教がそれを命じるものと信じてテロに及ぶ。
底に居合わせた者たちを、ホテルマンが決死の脱出へと導く。

よくできていて、面白いけれど。
インド映画、ではないのですね。監督はオーストラリア人だそうで、西洋の映画の作りですね。

いや、よくできているんですけど。嫌な奴だと思った男が、意外といいとこあるとか。

今一つ、私には何かが不足している感があったのでした。ま、いろんなところで★の数がたくさんついているので、これは私個人の感想でしょうが。

真実

https://gaga.ne.jp/shinjitsu/
監督 是枝裕和
出演 カトリーヌ・ドヌーヴ ジュリエット・ビノシュ イーサン・ホーク

この『真実』というタイトルがねえ。
大女優が『真実』という自伝を出す、というが始まりにあり。で。どこが真実じゃ、と家族や長く仕えた人間は思う代物である、と。
すみません、私はカトリーヌ・ドヌーヴのファンだったことが無いのですが、まあ貫禄です。

貫禄の女優、生活が女優、人生が女優、の、あちこちで笑ってしまいました。

ジュリエット・ビノシュだっていかにも女優の女優さんだけれど地味に、ほとんど化粧もしていない、それだけ母と娘の距離をしめしてもいるのだろう姿も、良いです。

そうね、下品な人が出てきません。なかなかの会話もありつつ(って)。
で、のちのち明かされる母の思い娘の思いの・・・どこからどこまで真実でどこから芝居なのか?芝居の中に真実が潜り込んでいるのか?

マノン役の女優さんなかなか素敵、最後彼女にプレゼントする白い襟のワンピース、ドヌーヴの『昼顔』の貞淑な妻の時のとそっくり!よね?

この映画の中で、SF映画を撮影しているシーンと重なって進行するためでしょうか、終わってから年齢層の高かった観客の中から、最初意味が分からなかった、と言う声が聞こえましたが、それはきっとドヌーヴが懐かしくて観に来た人で、是枝監督の作品に慣れていなかったのかも。

湾生いきものがたり

監督 林雅行

『心の故郷』に続く、日本統治時代の台湾に生まれて少年少女期を過ごし、戦後に日本に渡った人たちを描くドキュメンタリ-。今では80代、90代になっている彼ら。

今回の、印象的な言葉。『泥棒する人たちが日本人だということに驚いた』。戦後の混乱の中では人のものを盗らなければ生活が危うい人間がたくさんいただろう。そして、台湾にあっては支配階級だったことを、特に意識もせず生活していたであろう彼ら。ほとんどの日本で生活している日本人よりも豊かに暮らしていた彼ら。
植民地というのは、そういうことなのだ。
そして、その時代を懐かしみ、第二の、ではなく、故郷と偲ぶ彼ら。

中に子供のころから回文を作って遊んでいた、そしてそれが高じて逆回転させるとちゃんとした歌になる、という歌い方まで身に着けた、と言う女性が出てきたが、その人のことは珍しい人を紹介するTV番組で見たことがあって。ああ、と声が出てしまったよ。

なぜでしょう、こういう、日本だった時代の台湾にいた、台湾人、日本人を描く映画を、いつもとても面白いと感じるのは、と、今回思うものでありました。

年月日

著者 閻連科
出版社 白水社

そんなに長くない小説なので、できれば一気に読むことをお勧め。
私自身は眠りにつく前の時間に少しずつ読む、といういつもの習慣のまま読んでしまったのですが。
ちょっと、ヘンな話なので、慣れるまで読みにくいけど。

ひどい干ばつが起こり、村人は水のある土地を求めてみんな出て行った。先じいは年寄りなので(と言っても70ちょっとだが)、あきらめて残った。畑に一本だけトウモロコシの苗が残っていたし。犬のメナシと一緒に。

寓話的なお話だからね、許そうと思うのだが、そのトウモロコシの苗を育てるために自分とメナシの小便を毎日かける、水分と肥料として、ってさあ、すぐ枯れるよお、煮えるじゃんよお、と、ちょっとした菜園やってる身は気になってしょうがない。ま、寓話だってば。

ネズミとわずかなトウモロコシの粒争奪戦をしたり、オオカミとにらみ合いしたり、そして、いよいよなにも無くなっていき…。

いのちをつなぐ、ということ、人間・動物・植物、というものが並立してつなぐ、物語。
中国語学習者なので、これ、原書と並べて読んでみたいと思いました。

大きな鳥にさらわれないよう

著者 川上弘美
講談社文庫

連作の短編集。最初の『形見』で、・・・今まで見たことが無い種類の、怖さ、すごさ、ショック、のようなものを、それもふわりと、投げられ受け止める感。

ジャンルは、というとSFとなるだろう。SFファンタジーか。レイ・ブラッドベリでも森博嗣でも上田早夕里でも、未来の、人類が現在の在り様ではない姿を描いているけれど。工場で食料を作り、そして子供たちを作る、ということでもまあ似たような設定はあったけれども。
子供の由来はランダムで、牛由来・鯨由来・兎由来、いろいろ。夫の最初の妻は鼠由来、次の妻は馬由来、三番目はカンガルー由来だったって。

穏やかで、透明感に満ちて、怖い。
最後まで読むと、あれ?どこが始まり?ここは終わりの始まり?始まりの終わり?そして最初の『形見』のショックは何だった?

川上弘美はとても良い、ことは知っているが、たくさんは読んでいない。もう少し読も。このひとの異界は、形容できない。第44回泉鏡花賞受賞だって。なるほど。

パラダイスネクスト

監督 半野喜弘
政策顧問 余為彥
出演 妻夫木聡 豊川悦司 ニッキー・シエ

何か姿をくらます必要があって台湾に逃げてきて、地元のボスの世話になっているトヨエツ、彼が食べている店の同じテーブルに座ったチンピラにいちゃんがブッキー、俺の事覚えていないか、と聞く。
かつて同じ事件にかかわっていたことが次第にわかってくるのだが、その二人に台湾人の女の子が加わって、古典的なと言うか、よくあるよね、女の子一人に男二人のロードムーヴィーに。

関係性とか状況とか、なんだかあまり説明の無いまま話が進んでいく。そのやり方が成功してるんだかどうなんだか、というと、わかりにくいでしょう。が、私にはこの、ふた昔ぐらい前の香港映画とか台湾やくざ社会がらみ映画の色がなかなかに好ましい、もしくは懐かしい。90年代香港チンピラ映画、例えば『古惑仔』シリーズとか、狭いごちゃごちゃした路地の雰囲気。
そして、緑の濃さがむせるような台湾の田舎。

少し前に、トヨエツ若き日のドラマでの、あーこんなきれいな顔だったのか、という姿を見たところだった…。は、ともかく、台湾が好きなお方、どうぞ。

心の故郷 ある湾生の歩んできた道

監督 林雅行

日本の統治下にあった時代の台湾に生まれた人のことを、湾生という。湾生の人たちに取材したドキュメンタリーは、前にも別のものを観ている。
今回この映画で、一番印象に残った言葉は、「日本では、ブルーカラーの仕事、労働を、日本人がやっていた」というもの。台湾で育った日本人は、とても恵まれた環境にあったのだ。

台湾北東部の蘇澳で生まれ、ずっとそこで育った女性と、蘇澳から基隆などへ移り住んだ男性が、長い時を経て偶然に日本で出会う。80歳を過ぎたその二人が蘇澳を訪問する時間を中心に、彼らの、日本人、台湾人両方の同級生との交友などを通して、彼らの戦前戦後、思いを描き出す。

もともとの育ち方のせいか、80歳過ぎた女性たちがとてもおしゃれだ。

学校での交流には差別など無かったのだろう。けれども日本人中学校に入ることができる台湾人はお金持ちである階級の人で、まずそこで選別されていたし。戦争で物資が少なくなってくると、配給される品物の量が違ったり。

そして、それでも不自由のない生活だった台湾から、荷物一つで渡ってきた日本では、物が無い厳しい生活が始まる。

台湾で生まれ育ったのだから、第二の故郷ではない、心の故郷。

日本人だと思って育ったのにある日中華民国人になった立場の人のドキュメンタリーも観たけれど、それぞれに視点が違って、興味深い。

私とは何か 「個人」から「分人」へ

著者 平野啓一郎
講談社現代新書

個人 とはindividualの翻訳語として生まれたものだそうだ。当然明治以降に日本に入ってきた概念なんだね。不可分、これ以上分けられない、と言う意味になる。
それを、自分とそれぞれの他者との関係において、誰に対しても同じ対応をしているということは無い、ある人とは儀礼の範囲を越すことは無く、趣味や信条を同じくする人とはその部分をより深く、さまざまに対応している、そのことを分人dividual分割できる人、として対応しているとしよう、と、まあ一言であらわすとそういう主張。

本当の自分とは?とか、自分探し、とか、青春と呼ばれる時期にはその種のおすすめ本に手を伸ばしたりする。その本当の自分なるものはそもそも分人の集合体なのであって、あなたのあの集団における評判と、この集団においての評価はまるで違ってもそれは当たり前のことである、と。
分人の分母はたくさんあって、全く別のものであったり、部分的に混ざり合ったり、それもいろいろである、と。
そしてそれはペルソナ・仮面、あるいは八方美人と言った概念とは別のことで。

今生きにくい状態にある人に読んでもらいたい。恋愛がややこしくなっている人も、誰と一緒にいるときの自分が好きか、と言う視点を持つと、行動を選びやすいかも。

「カッコいい」とは何か

著者 平野啓一郎
講談社現代新書

カッコいいという言葉が一般的に普及したのは1960年代であり、現代語辞典に登場するのは90年代になってからの事なのだそうだ。恰好がいい、と言うのは江戸時代からあった言葉だが、意味合いが少し違う。
が、カッコいい・バッチリ・いかす(知らなかったら石原裕次郎の映画見てね)などは軍隊で使っていたのだそうだ。安岡章太郎と大野晋の対談で、安岡が話しているという。ほーお、である。

ロック、ジャズ、美術、車、ファッション、デザイン、文学、などなど広汎な分野にわたるこの作家の関心、知識には今回もまあ驚きますよ。マイルス・デイヴィスのファンだというのはなんとなく見聞きしていたけど、ロックからクラシックまで音楽と言うジャンル一つ取っても広範囲にわたる。
それはさておき。
今まで、何に対して、誰に対して、カッコいい!とつぶやいた、あるいは叫んだかな?
最近、カッコいい!と思った対象は?
誰かと、そんな話をしてみたくなる。それぞれ全く異なるのか、どこかが一致するのか。

言語として、近い意味合いの、クールとかヒップとかダンディとかの言葉が紹介されているのだが、クール・ジャパンなどと使われている『クール』は今も生きている。ヒップは死語となり、ダンディは、日本では今では舘ひろしの形容専門のような感じであるが存在している、けれど、フランスでは死語だって。

現象として戦慄を感じるしびれると言う体感と共にカッコいいはある、と言うのはそりゃそうだね。で、マイルスやボードレールは『カッコいい』名言を残しているのだそうだ。カッコいい の例にジャズミュージシャンと詩人が並ぶのさ。

私はこの作家をSNSでフォローしていて、彼のものの考え方には共感しているのだが、今のところ良い読者にはあらず。3冊ぐらいしか小説を読んでいないし、『決壊』は途中で放棄したまま積んである。が、ゆるゆると読んでいくかもしれない気分であります。

クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代

http://klimt.ayapro.ne.jp/
監督 ミシェル・マリー
出演 ロレンツォ・リケルミー リリー・コール

クリムト、シーレ没後100年記念 ドキュメンタリー映画 となっている。が、タイトルに大きくクリムトの文字があるので、クリムト中心の映画と勘違いされる、ことをわざとねらってますかい?
どちらかと言うと、その19世紀末から20世紀初めの『ウィーン分離派』を中心に、フロイトの精神分析やマーラーなどの音楽や、その時代の世界の流れを大きく見せるので、観る者に深い教養があれば、それだけ深く理解できるであろう、紹介の仕方。なのでわが身の浅き教養度合いを嘆くものであったよ私。シェーンベルクの音楽もこの時代。
女性が中心となる芸術サロン、時に肖像画が描かれるパトロンの女性たちと性的交流もあったこと、クリムトのソウルメイトであったエミーリエ・フルーゲのようなビジネスウーマンが生まれる一方で、主に裸婦のモデルとなったのは娼婦であったり下層階級の女であったり、結婚の対象ではないこと、第一次世界大戦、スペイン風邪、など。

歴史にもクラシック音楽にも詳しい人は、より楽しめることと思いますが、でもやっぱりこの日本語タイトル、ポスターは、詐欺に近いね。原題『クリムト&シーレ エロスアンドサイケ』でもちょっと違う気がする。