台湾 九份を歩く

九份九份という地名は、少し中国語をかじった者が見ると、ちょっと変。たとえば一份飯というと食事一人前、九份報だったら新聞9部のことだ。日本で“九人分”とかいう地名があったら、何が?と思うよね?それが、ガイドの鮑さんの、“昔、9世帯しか無く、物を買う時はいつも9世帯分まとめて買った”という説明で納得できた。

で、その九份へのシャトルバスのバス停近くにいた、犬。長くブラシなどかけられたことも事もない様子の、薄汚れて毛先が太いねじねじになっている部分がある、放し飼い?野良犬にしては人間慣れしている、その姿に、都会を離れるとやはり日本ではありえない状況があると感じる。

たどりついて。

夜市がすごい人込みなのはまだわかる。故宮博物院の行列も、まあ許そう。ここはまた、すごかった。周りではアメ横みたい、という声が聞こえる。年末のアメ横なんて行ったことのない私は、照国神社の六月灯の屋台の並びがもっともっと様々延々続いている感じに思えた(そう口にしたことをしっかり記憶にとどめた同窓会ネットワーク管理人Mさんは、私に九份感想文を命じることとなった訳だ)。照国神社の初市と六月灯が合体して、夜中の初詣くらいの人出、が広くもない坂道にひしめく。

2008年、ほんの5年前に、大陸からの観光が自由になったそうだ。中国人観光客の群れと、しばしば日本語が聞こえ、時にそれ以外の外国人。

 

ここがこんな観光地になる最初のきっかけとなった侯 孝賢(ホウ・シャオシエン)監督映画「悲情城市」を、もう一度見てからこの文を続けようと、近所のツタヤに行ったら、見当たらない。聞いてみたけど無いそうだ。1989年ベネチアの金獅子賞作品が。

YouTubeで探した。2時間39分の作品を2時間6分見たところで切れたぜ、おい!

1945年夏、終戦、ラジオから天皇の玉音、で始まる。明らかに小津安二郎の影響を受けたでしょう、という同じ位置からのカメラで、病院の受付あたりが映ると、入り口の向こうに長い石段。1947年、2・28事件(闇タバコ売りの女性を摘発した官憲の横暴に対し、台湾人の不満が爆発、が、政府側は無差別に攻撃、その後台湾全土へ広がる争いへ)、1949年、実効支配していた蒋介石の中華民国政府が台北に政府機能を移す、その間に、山間の町にも起こる悲劇。赤い提灯は出てきません。朝鮮楼という名の料理屋の看板が見える。料理屋さんが多かったようだ。まだ金採掘でにぎわっていた時代だろう。

香港俳優トニー・レオンが若い。台湾語ができないから口がきけない役。

あ、私が見たYouTubeは、繁体字字幕版、中で中国語同士の通訳場面があって、どうやら上海語から台湾語へ、ということのようだった。

余談の余談、歌手・一青窈のお父さんは九份の金鉱主だったんだって。

 

は、さておいて。

時に妙な臭いも漂ってくる狭い赤い提灯の坂道、アジアな臭気をも楽しんでいる私だが、立ち寄りたいのは山々ながら、ふだんでも迷子になりやすいわが身、なんとか集団を見失わないようについて行くので精いっぱい、買い物どころではありませぬ。

やっと、少し人との間に隙間がある場所に、そしてここで一度解散、○分後にまたここに集合、と、下に静かな景色が広がる(この景色がいい!)てっぺんの、道案内表示のある三叉路(だったかな)へ。傍らにいたKさんと、横の道に入って店を眺め、下の景色を眺め。すると、ずっとmagoちゃんへのお土産にあれがいいこれがいいと言っていたKさん、猫の絵のグッズがかわいいと、入った。なんとそれは、彼女が東京で前に買ったものと同じ作家さん、ヘンリー・リーさんという人の店だった。

九份老街と看板があって、古い町ってこと、と説明すると、老人の町じゃないのね、とKさん。老歌は、つまり懐メロのこと。

そして、また元の集合場所に戻る。そこへ、いつもひっつき虫夫婦のNさんたち。妻K子さんが買ったものが指のマッサージ器と知ったKさんは、集合時間が近いにも関わらず、パッとその店に走った。

なかなか帰ってこない。みんな、あーあ、集合写真でも撮ろう、と、なる。

 

後にわかったのだが、Kさんのご主人は身体が不自由になられて、指が思うように動かない。マッサージ効果があるのでは、と、何も考えずに体が動いたものだったそうだ。

自分の物差しで人を計るな、というが、まさに、勝手な物差しでKさんを計ってしまっていた。ごめんね。愛だね。

 

その後、まさにこれだよ、いろんな案内に載っているのは、という石段を下りていくと、「千と千尋の神隠し」のまんまの建物。もう少し下りたあたり、「戯夢人生」というレストラン?があった。侯 孝賢が「悲情城市」の前の時代を描いた映画のタイトルと同じだ。布袋戯という台湾の人形劇の名手が出てくる映画。

 

はー、どこか入りたかったなあ、なんか買うとか、食うとか・・・。

 

またバスに乗り込み、戻る道すがらのガイドさんの説明の中に、キールン (基隆)山の名前の由来があった。海から見てニワトリカゴの形に似ているからついた地名だということ。鶏籠も基隆も北京語読みでは同じジーロンと発音する。中国語の知識が無いとわかり難いだろう。

ガイドさんの日本語が少し聞き取り難い部分があったのは、中国南方人の発音ではそもそもナ行・ラ行・ダ行の区別があいまいだという特徴があるせいが大きい。你好ニイハオを、香港人はレイホウと言うし、台湾語ではリーホーというそうだ。

 

“蒋介石の政治が民主主義だなんておへそがお茶をわかすよ”と、ドキュメンタリー映画「台湾アイデンティティー」の中で言っていた台湾人老人の言葉を思い出しながら、蒋介石像を見上げる。日本語で日本人として育ったから、日本人には親近感があるけど、日本政府は私たちを見捨てたから嫌いだ、と、同じく日本人女性監督によるドキュメンタリー「台湾人生」の中で語った80代女性。忠烈祠の衛兵の交代の最後の動きを見ていると中国武術のように美しいが、この国には徴兵制があるのだ、2・28事件以降、80年代後半に至るまで戒厳令が敷かれていたのだった、と思う。さらに、日本統治時代に実際に起こった、少数民族による対日蜂起事件を描いた「セデック・バレ」を見た後だけに、衛兵の中に原住民らしい顔立ちがあるような気がしてしまう。あれだけ日差しの中にいれば色も黒くなるし、なに人?な顔にもなるってもんだろうけど。

 

帰宅後、某中華芸能サイトの掲示板に台湾旅行報告。何度も台湾に行っているそこの管理人さんは、“連休の台湾行きねえ…”と、思っていた、そうで。

故宮博物院は素晴らしかった。2度3度行きたいところだ。必ず平日に!

以上、同窓会ネットワーク向けに書いたものから抜粋しました。

セデック・バレ

セデックバレhttp://www.u-picc.com/seediqbale/

監督 魏徳聖ウェイ・ダーション

制作 呉宇森ジョン・ウー 張家振テレンス・チャン 黄志明ホアン・ジーミン

プロダクションデザイン 種田陽平

出演 林慶台 大慶 馬志翔 安藤政信 ビビアン・スー 木村祐一 河原さぶ

1895年から1945年に渡って日本の統治下にあった台湾。植民地政策のもと、近代化、日本化がすすめられる。それは、とくに原住民族にとっては独自の文化や慣習が排されることであった。そして、インフラ整備などのために過酷な労働を強いられる。

が、そんな近代になっても、狩猟生活で敵を倒すと首狩りをする慣習(出草と呼ぶ)があったとは!

入れ墨し、裸足で山中を駆け回り獣を狩る彼らを、当時の日本人が蛮人・生蛮と呼んだことも、無理からぬことにも思える。

霧社事件という、実際に起こった、少数原住民族の抗日武装蜂起事件を題材にしている。セデック族の結婚の祝いの最中に出くわした日本人警察官が、祝いに誘われた、が、慣習の違いでその状況が不潔だと相手を突き倒した、それをきっかけに、それまでの不満が噴出する。

セデック族といってもいくつかの集団にわかれている。マヘボ社の頭目の子、若きモーナ・ルダオ。そして35年の時が流れ、頭目となった壮年のモーナ・ルダオ。

いかにも愚かしい横暴な警官の姿もあるが、悪い侵略者の日本人対虐げられる原住民といった単純な描き方ではない。少数民族の彼らは、相手が日本人であれ何人であれ、近代化の波に洗われずにはいられなかっただろう。日本人からお歯黒や切腹の習慣が失われているように、戦った相手の首を捕ることが勇士の姿とされることや入れ墨は、失われる運命にあっただろう。

日本語を標準語として教育された時代、学校に行き、高等教育を受け、広い知識を身につけた原住民が出てくる。日本名を与えられ、警官として天皇陛下の皇民として生きる原住民もいる。妻は和服を着て生活している。

蜂起して襲ってくる原住民から逃げまどう和服の女たちの中に、原住民ながら警官である男の妻(やはり原住民)が混じっている。それを演じるのはビビアン・スー。実際に台湾の原住民と台湾人のハーフだと自分で語っていたのを聞いたことがある。母親がタイヤル族で、祖母とは日本語で会話していたらしい。その血ゆえに、彼女はこの映画に自ら出資してでも出たいと願ったという。

第一部を見てからしばらく日がたって二部を見た。山中に慣れたセデック達がどんどん日本人を攻めていく。女子供にも容赦なく。が、日本側は飛行機からの攻撃、ついには完成していない化学兵器まで持ち出してくる。

 

誇りとか、正義とか、男の好む言葉によっていつも戦いが始まる。いつの時代も。今に至っても。そして憲法第9条を改正(!)しようと美しげな言葉を連ねる政治家がいる、ことを、第二部の始まりからしばらく思っていた。

なんということを!という原住民の女の悲痛な叫びもあった。日本名を持つ警官花岡一郎が自決するとき、皇民として死ぬのか、セデックとして死ぬのか問う。切り裂け、どちらでもない自由な魂となれ、と二郎が答える。

若きモーナ・ルダオを演じる大慶は、これで俳優としてスタートすることになった。壮年のモーナ・ルダオを演じた林慶台の本業は牧師だという。どちらもタイヤル族出身。なんとすばらしい俳優であることか。あ、素人さんをたくさん集めているようで、ちょっと変な日本語の俳優さんもいますな。

余談だが、こんなところでこんな格好で(その族の衣装は足丸出し、裸足)いたらどんな虫がいるやらだぞ、と思ってしまうのだった。実際、撮影中にツツガムシにやられたり、全員足の裏の怪我したりということだったらしい。つい“ラスト・オヴ・モヒカン”を思い出すこの大作が、小さなガーデンズシネマで上映されているなんて。いや、この映画を(この地で)映画館で見られたことはまことにありがたいことですが。

最後の字幕で、“天使”としてたくさんの名前が出てくる。周 杰倫ジェイ・チョウの名前を見た、と思ったら、それはこの映画の資金をカンパした人々の名前だったそうだ。そして今、魏監督はもっと資金が必要な映画を企画しているとか・・・。

台湾アイデンティティー

台湾アイデンティティ監督 酒井充子

出演 高菊花(日本名:矢多喜久子/ツオウ族名:パイツ・ヤタウヨガナ) 黄茂己(日本名:春田茂正) 鄭茂李(日本名:手島義矩、ツオウ族名:アワイ・テアキアナ) 呉正男(日本名:大山正男) 宮原永治(台湾名:李柏青、インドネシア名:ウマル・ハルトノ) 張幹男(日本名:高木幹男)

1922年~1932年生まれの、台湾日本語世代の人々が語る、日本植民地時代の戦争中、そして戦後の蒋介石統治時代の生活。『台湾人生』に続く酒井監督のドキュメンタリー。

台湾では原住民という言葉は差別語ではない。正式な用語である。日本統治時代に、原住民の総称として高砂族と呼ばれることになったが、その種類は多く、それぞれに言語が違う。対岸の福建省から漢民族がやってきて住みつく以前から台湾に棲んでいた。そのひとつ、ツオウ族(顔立ちが西洋的)の、その時代少数民族出身の中では超エリートだったのでは?と思われる、中国語名・高一男さんという父親の娘、菊花さん。ピアノを弾き、ベートーベンが好きだった一男さんは、台南師範学校を出て教師や警官をしていた。戦後、原住民の自治を主張していたことにより、国民党から要注意人物として逮捕され、1954年、銃殺。菊花さんも、その後何年も当局に呼び出され、意味もなく追及される。

「蒋介石の政治が民主主義だなんて、おへそがお茶を沸かすよ」と言った出演者がいた。4人というのをよつたりと言いかけてよにんと言いなおした人がいた。母親は和服を着て生活していた、と言った人がいた。私の親ぐらいの世代なのだが、語り口が、祖父を思い出す。

私からみても懐かしく感じられる日本語で語られる、それぞれの生活。東京の中学に進学、陸軍に志願し、中央アジアで抑留生活を終えたのち、日本で暮らすことになった人、インドネシアで終戦、インドネシアの独立運動で戦い、そのままインドネシアで(日本名で)生活している人、台湾人の父と日本人の母を持って生れ、戦後、政治犯収容所で8年間過ごした人。

火焼島 という政治犯収容所のある島の名前には覚えがあった。ジャッキー・チェン主演の『炎の大捜査線』の原題、そして『炎の大捜査線2』では金城武・ニッキ―・ウ―主演、どちらもさしてお薦めはしません。そうか、監獄ものだったなあ。政治犯収容所だったんだ。

彼らが“中国人”と言う時、ある種の差別視がある。自分たちは台湾人である、という誇り。戦後に蒋介石とともにやってきた彼ら(外省人)を、侵略者とする。

今では外省人と本省人の混血もすすんでいる。若い世代とのギャップはあるだろう。今、大陸との交流が無くてはほとんどの事業が成り立たない。が、台湾独立を主張する人がまだまだいる。海外で台湾が中国の一部だと思っている人はまずいない。そのことを大陸の住民の多くは知らない。

さて、このあと、マルヤガーデンズシネマでは、原住民が日本軍統治に対して立ち上がり、戦いを挑む内容の映画『セデック・バリ』が上映される。そうでなくてはね。中国の前、日本が、侵略者であったのは事実だから。

 

 

サトリ

サトリ著者 ドン・ウィンズロウ   原案 トレヴェニアン 「シブミ」

ハヤカワ文庫

寡聞にして全く知らず、その原案「シブミ」なる小説。

胡散臭さ満載、な匂いのタイトル。ウィンズロウのニ―ル・ケアリー物のファンなので、この作家の東洋趣味というか、アジアへの関心度が高いらしいことは想像がつく。

えーと、だから元の小説があって、その主人公(上海で生まれ、日本で育ったロシア人、ニコライ・ヘル)の若いころのエピソード。1951年10月の東京、巣鴨拘置所から釈放され、CIA局員のハヴァフォードから、ある任務を課される、のだが、巣鴨を出た人間をすぐに正式な茶の湯の会に招くっておい!第二部では舞台は1952年の北京。確かに、“食事はもうすみましたか”という意味の『吃饭了吗?』はこんにちは、とかおはよう、とかハーイ、とかの意味の言葉だが、ホテルのフロントの女性に向かって言わないと思うぞ、おい。など、まことによく研究してあるけれど、突っ込みどころたっぷり。

とは言え、そんなことにはこだわらず、アジアを股に掛ける冒険小説、当然美女とのロマンスあり、面白いよ。第三部では中国雲南省へ舞台が跳び、アメリカ・ロシア・中国・フランス人そしてコルシカマフィア、と出てくると、えーと、そもそも主人公の任務って何だったっけ?と、こんがらかってしまう(私だけか?)。囲碁の達人でもあるニコライは、時に囲碁の勝負になぞらえて戦略を考える。囲碁に詳しい人はどう思うか聞いてみたいところだ。

コブラ という暗殺者が、ちらっと出てくる。そしてなんと!・・・注意深く読んでいる人なら、あちらこちらに何かと伏線が張ってあることに気づくのだろうが。

前日譚なのだから、いかに危険でも最低限生き残ることになっているよね。

で、ちらほら人々の感想を目にするところ、本家「シブミ」のほうが、日本に関する記述など、深みがあるらしい。近いうちに探したい。是非。それにしてもシブミって。

 

あの頃、君を追いかけた

あの頃、君を追いかけたhttp://www.u-picc.com/anokoro/監督 ギデンズ・コー(九把刀)

出演 柯震東(クー・チェンドン)ミシェル・チェン(陳妍希) スティーブン・ハオ(郝劭文)

面白かった!

結婚式に出席するらしい若い男たちの場面からポンと飛んで、1996年の高校生(中高一貫だから中学で始まってるかも)。勉強なんかしたこともない、エッチ方面ばかり頭に渦巻くお年頃のお馬鹿男子たちと、そのマドンナの優等生女子。普通よりちょっと可愛い、というあたりのチャーミングさ。

おバカぶりが度を越しているけど、これが昔の朱延平監督の映画を彷彿とさせ、しかも朱延平作品によく出てきてまあお下品ながら芸達者なデブ子役だった郝劭文が脇にいるじゃないですか(アイドル時代の金城武と共演してたのでね、この名前を見ただけで、あ、と思い)。

それにしても共学だろー、授業中にそれヤルかあ?なことをやってしまう柯騰の、お目付け役となった沈佳宜、前の席の柯騰をペンでトントンつついては何かと注意したり、宿題を出して勉強させたり。なんだかんだで、家庭内では真っ裸で過ごしているおバカ柯騰も、勉強するようになっていきますのさ。そしてみんな、大学進学。優等生だったのに、受験の時にお腹が痛く第一希望に落ちてしまい、泣きじゃくる佳宜、そっと背中を撫でる柯騰、あのシーン好きです。

大学に入ったばかりのころは、まだ携帯電話が普及していないので寮の公衆電話に並ぶ学生たち、2、3年後には携帯を手にしている、とか、高校生の時には日本のマンガを読み、大学生は日本のAVのお世話になる男子、とか、たぶん音楽もその時代をあらわしているのだろうけど、そこはよくわからない。

幼稚、という言葉がよく出てくる。その頃は男子の方が女子よりずっと幼稚なものだから。それが魅力的なこともあるけれど、“わからない”こともある。そういう女子を“わからない”男子。

さて、終盤、結婚式のシーンに戻ります。これが!

DVD欲しいなあ、なんならもう一回見たい気がする、愛すべき映画でした。

監督は元々この話をネット小説として書いて、で、柯騰が後のほうでネット小説を書き始めることとリンクしてくるという仕掛け。2011年台湾映画。

 

 

 

 

台湾人生

台湾人生監督 酒井充子

2008年制作

日清戦争後の1895年から1945年まで日本の植民地だった台湾で、日本語で教育を受け、日本人として育った世代、『日本語世代』の5人の台湾人が語る、その後の人生、日本に対する思い。

たとえば侯孝賢監督の映画『非情城市』『好男好女』などで、日本統治時代の日本から蒋介石の国民党統治へ、その後の2・28事件(台北で闇煙草を売っていた女性を、中華民国の官憲が摘発、銃剣で殴打し、品物、金銭を没収したことをきっかけに、事態が暴動化、中華民国により多くの市民が殺害された)、白色テロと言われる恐怖政治時代(共産党シンパが多かった知識人に対する迫害など)があり、なんと1987年まで戒厳令というものが敷かれていた、という、知識はあった。

それゆえに、台湾のある世代の人の中にいる日本統治時代を懐かしみ、日本製は優秀だと主張する、そんな叔父さんがてくる映画、あれは何だったか。1960年代を舞台とする映画で、とうさん、と父親に呼び掛ける、そこだけ日本語だったり。今に至っても、3.11の東北の大地震の折に、台湾から多くの義捐金が寄せられたなど、親日家が多いことが知られているのだが。

自身が2・28事件で拷問を受けたり、兄弟が殺された人が出てくる。

チャンコロと差別語で呼ばれた経験がありつつも、すぐれた日本人教師に出会い、いい教育を受けた誇りを、ずっと持ち続けている。けれど、自分たちは日本人として教育を受けたのだ、なのに日本政府は自分たちを見捨てた、と、日本に対する相反する感情がある。

ドキュメンタリーで、体験者たちの生の声を聞くのはやはり、格別のものだ。

そして、こういう、台湾のこの時代の人の声を聞く時、いつも思うのは、なぜ韓国とはかくも違うのか、ということである。台湾にいた為政者たちの質が総じて高かったのか?暖かい台湾と寒い朝鮮半島とで為政者たちの態度も変化するのか?或いは、少数民族が多く、一つ山を越えれば言語が変わる台湾にあって、日本語という統一言語ができ、インフラ整備し、文明を持ち込むことが、当時から歓迎される傾向もあったのだろうか?

やっぱり、意識の高い政治家・教育者が多く台湾に渡ったのかなあ。当時、よその国の西洋支配に対し、日本人の誇りを持って開拓にあたった?でもなぜ朝鮮半島では?大陸ではあんなひどいことを、と、ぐるぐる回ってしまうのだが。

マルヤガーデンズシネマで台湾特集。このあと、『あの頃、君を追いかけた』同じく酒井監督『台湾アイデンティティー』『セデック・バレ』と続きます。

華竜の宮

華龍の宮著者 上田早夕里

ハヤカワ文庫

地球の内部構造の話から始まるので、しばらくはとっつきにくい。が、つまり地球内部でホットプルームと呼ばれるものが暴れだし、海底隆起、地球上の大地の大部分が海に沈む、という、日本沈没どころではない状況に陥った25世紀の世界から物語が動き出す。海の広さが白亜紀(クリティシャス)のころに戻ることから“リ・クリティシャス”とこの現象を呼ぶこととなる。

その世界では、生き延びるために陸上民と海上民に人類が分かれ、海上民は身体を遺伝子操作によって改造し、魚舟と呼ばれる生物船と共存して生活している。政治を牛耳るのは、わずかに残された土地と海上都市に暮らす陸上民である。南北アメリカ・ロシアとヨーロッパの一部・アフリカ・オーストラリアの一部が手を結んだネジェスのほか、汎ユーラシア連合、汎アジア連合など、様々な連合が、国家の代わりに機能して、権利・勢力を争っている。

日本の外交官青澄誠司は、政府と海上民の間に立って共存のための交渉を重ねている。海上民のオサはツキソメという女性である。

しかし、地球にさらなる絶望的な状況の予兆が。

そこに至る経過にあって人類は生き残ろうとしてそりゃあえげつない方法を生み出しているのですよ。生物兵器。殺りくのための人工知性体。当然、長い間にそれらは変性していくわけで。そしてそれはまず、悪い変性を遂げ。

単行本は2010年に発行されている。東北の大震災より前。ただ、作者は阪神の大震災を経験しているそうだ。

キリバスでは、実際にこのところの海面上昇により土地が侵食され、その対応として日本の技術による海上都市を売りこんでいると、最近のニュースで目にした。

最終的に地球消滅?人類消滅?という話が、荒唐無稽なものに思えない、まことにリアルな状況に思われるのだ。人の手によって改造される生物、人工肉・魚・野菜類、その変異によって攻撃される人類。はたまた、島ひとつがどの国に所属するかという問題をめぐってすら国家の関係が危うくなるのであり、国土の大半が沈む時、人はどんな方法を?など。

アシスタントと呼ばれる、それぞれの個人についている人工知性体、青澄のアシスタント・マキが魅力的だ。おもに 僕 と称するマキの視点で物語が進む。

日本のSFから遠ざかっている私は全然知らなかった作家、作品。atconさんに教えてもらいました。日本SF大賞受賞作。

 

 

クロワッサンで朝食を

http://www.cetera.co.jp/croissant/

クロワッサンで朝食を監督・脚本 イルマル・ラーグ

出演 ジャンヌ・モロー ライネ・マギ パトリック・ピノー

朝食はクロワッサンと紅茶、という老婦人が主役で、この日本語タイトルになるわけですが、なんだかねえ。見え見え。原題はパリのエストニア人 のようです。

ジャンヌ・モロー 1928年生まれだそうです。この人でなければ演じられなかったんじゃないの?と思われる気難しい、我儘な、恋多かった、孤独な、老女。

自国エストニアを出てパリで老女の世話をすることになった、もとは老人ホームで働いていた経験がある中年女性。老母を二年間介護し、みとったばかり。彼女がスーパーで買ったクロワッサンなどプラスチック呼ばわりする老女なり。そりゃそうだよ、私だってあんまりそんなぺちゃんこなクロワッサン食べたくない、と内心つぶやく私でありました。エストニアは日本と同じく部屋では靴を脱ぐんだって。知ってた?

少しずつ分かってくる事情、老女の息子かと思った人物は実はかつての愛人で、彼女が店を持たせてやったということで。

老女という表現は失礼かと思います。部屋の中でもシャネルの服・じゃらじゃらネックレス、それがよく似合う。

私事ですが、さっきもパン屋さんで“お母様はお元気ですか?”と聞かれたところ。骨折する前の母を連れて、よく行っていたので。近いお店だけれど今はもう連れて行くのは無理になりました。そういうことを聞く人は、自分も介護経験がある人です。いや、この映画では介護ではなく、あくまでも家政婦ですが。高級アパルトマン暮らしですが。

見終わって、前の席のご夫婦らしい人たちが、で、この先どうなるのか、結論が出ていない、中途半端だ、というような会話をなさっているのが聞こえました。はあ、孤独を知らない人たちなんだろうなあ。もしくは数学的な、答えがちゃんと出るものがお好きということか。

とにかく、ガーデンズシネマがこんなに人で埋まっているのを初めて見ましたよ。それだけ良くできてる映画です。いい女優たちです。ジャンヌ・モローを見るだけでもいい。80代半ばでこんなに格好よくいられるものとは。

監督は長編映画監督デビュー作で、ロカルノ国際映画祭のエキュメニカル賞に輝いた、のだそうです。

嘆きのピエタ

ピエタ嘆きのhttp://www.u-picc.com/pieta/

監督 キム・ギドク

出演 イ・ジョンジン チョ・ミンス

嘆かないピエタってあるか(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%82%BF参照)?なんぞと心でつぶやきつつ、キム・ギドクだから覚悟して見る姿勢である。

のっけから車椅子の男が首を吊るシーン。

主人公ガンドは高利貸の取り立て屋。保険をかけた債務者の手足に大きな障害を負わせ、保険金で10倍の利子で膨らんだ借金を返済させるという手段。

ある日、母と名乗る女が現れる。邪険に振り払っても振り払っても、また現れる。

この女、風吹ジュンそっくりなんだけど。顔だけでなくすごくいい女優だという点でも。

この作品を、今から見る人がいるかもしれない、だからその後のストーリーは書きませんよ。

『魚と寝る女』『悪い男』『春夏秋冬そして春』『うつせみ』とキム・ギドク作品を見ているけれど、映画館で観たのは初めてなのだった。始まって一時間くらいはもう出ていきたい気分になる。ひどい。そこをがまんする。せつない、悲しい、キム・ギドク監督らしい、映画。

パク・チャヌク監督の『イノセント・ガーデン』は、生まれ持った悪の怖さが描かれていた。キム・ギドクは、劣悪な環境に生まれ、劣悪な生を生き抜かなければならなかった人間を描くことが多い。ある出会い、それが自分の中の見たことが無かった自分との出会いを呼び、でもそれが良かったのか?というような。

暴力に耐えられるなら、見てほしい。2012年金獅子賞。

 

ふがいない僕は空を見た

ふがいないぼくは空を見た著者 窪美澄   新潮文庫

再投稿その3です。

帯のキャッチコピー “泣ける!けどR18!!”

タイトルでは僕だけど おれ と言っている斎藤卓巳は高校一年生で、主婦あんずとコスプレしてセックスしている。いじめられっ子だった過去を持つあんずには、昔のドラマの春彦サンみたいな夫がいる。

小さな体の割にはでかく見えるちんこが見えた。お前、厄介なものをくっつけて生まれてきたね。

人の体にやさしく触れるということに生まれつきの才能があるとするなら、斎藤くんはもしかしたら天才なのかもしれないと思いました。

「そんな趣味、おれが望んだわけじゃないのに、勝手にオプションつけるよな神様って」

「ばかな恋愛したことない人なんて、この世にいるんすかねー」

など、お、と思う(かどうかは人それぞれですが)フレーズがあり、馬鹿な恋愛をしたことが無い人には泣けないかもしれない。ばかな、というにはハードすぎたり、或いは犯罪であったり。

ぼく と言っているのは認知症のばあちゃんと二人暮らしの良太のほうだな、空を見たのはもしや良太なのか?高校一年生だったらたいがいの子はふがいないもんだろう。

前回この本の感想文を残した時には、確かストーリーをもっと紹介したような気がする。再投稿ともなるともうそれはいいや、と思っちゃいまして。フレーズが気になったら読んでみてね。映画にもなってるよ。