セデック・バレ

セデックバレhttp://www.u-picc.com/seediqbale/

監督 魏徳聖ウェイ・ダーション

制作 呉宇森ジョン・ウー 張家振テレンス・チャン 黄志明ホアン・ジーミン

プロダクションデザイン 種田陽平

出演 林慶台 大慶 馬志翔 安藤政信 ビビアン・スー 木村祐一 河原さぶ

1895年から1945年に渡って日本の統治下にあった台湾。植民地政策のもと、近代化、日本化がすすめられる。それは、とくに原住民族にとっては独自の文化や慣習が排されることであった。そして、インフラ整備などのために過酷な労働を強いられる。

が、そんな近代になっても、狩猟生活で敵を倒すと首狩りをする慣習(出草と呼ぶ)があったとは!

入れ墨し、裸足で山中を駆け回り獣を狩る彼らを、当時の日本人が蛮人・生蛮と呼んだことも、無理からぬことにも思える。

霧社事件という、実際に起こった、少数原住民族の抗日武装蜂起事件を題材にしている。セデック族の結婚の祝いの最中に出くわした日本人警察官が、祝いに誘われた、が、慣習の違いでその状況が不潔だと相手を突き倒した、それをきっかけに、それまでの不満が噴出する。

セデック族といってもいくつかの集団にわかれている。マヘボ社の頭目の子、若きモーナ・ルダオ。そして35年の時が流れ、頭目となった壮年のモーナ・ルダオ。

いかにも愚かしい横暴な警官の姿もあるが、悪い侵略者の日本人対虐げられる原住民といった単純な描き方ではない。少数民族の彼らは、相手が日本人であれ何人であれ、近代化の波に洗われずにはいられなかっただろう。日本人からお歯黒や切腹の習慣が失われているように、戦った相手の首を捕ることが勇士の姿とされることや入れ墨は、失われる運命にあっただろう。

日本語を標準語として教育された時代、学校に行き、高等教育を受け、広い知識を身につけた原住民が出てくる。日本名を与えられ、警官として天皇陛下の皇民として生きる原住民もいる。妻は和服を着て生活している。

蜂起して襲ってくる原住民から逃げまどう和服の女たちの中に、原住民ながら警官である男の妻(やはり原住民)が混じっている。それを演じるのはビビアン・スー。実際に台湾の原住民と台湾人のハーフだと自分で語っていたのを聞いたことがある。母親がタイヤル族で、祖母とは日本語で会話していたらしい。その血ゆえに、彼女はこの映画に自ら出資してでも出たいと願ったという。

第一部を見てからしばらく日がたって二部を見た。山中に慣れたセデック達がどんどん日本人を攻めていく。女子供にも容赦なく。が、日本側は飛行機からの攻撃、ついには完成していない化学兵器まで持ち出してくる。

 

誇りとか、正義とか、男の好む言葉によっていつも戦いが始まる。いつの時代も。今に至っても。そして憲法第9条を改正(!)しようと美しげな言葉を連ねる政治家がいる、ことを、第二部の始まりからしばらく思っていた。

なんということを!という原住民の女の悲痛な叫びもあった。日本名を持つ警官花岡一郎が自決するとき、皇民として死ぬのか、セデックとして死ぬのか問う。切り裂け、どちらでもない自由な魂となれ、と二郎が答える。

若きモーナ・ルダオを演じる大慶は、これで俳優としてスタートすることになった。壮年のモーナ・ルダオを演じた林慶台の本業は牧師だという。どちらもタイヤル族出身。なんとすばらしい俳優であることか。あ、素人さんをたくさん集めているようで、ちょっと変な日本語の俳優さんもいますな。

余談だが、こんなところでこんな格好で(その族の衣装は足丸出し、裸足)いたらどんな虫がいるやらだぞ、と思ってしまうのだった。実際、撮影中にツツガムシにやられたり、全員足の裏の怪我したりということだったらしい。つい“ラスト・オヴ・モヒカン”を思い出すこの大作が、小さなガーデンズシネマで上映されているなんて。いや、この映画を(この地で)映画館で見られたことはまことにありがたいことですが。

最後の字幕で、“天使”としてたくさんの名前が出てくる。周 杰倫ジェイ・チョウの名前を見た、と思ったら、それはこの映画の資金をカンパした人々の名前だったそうだ。そして今、魏監督はもっと資金が必要な映画を企画しているとか・・・。

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