カンフースタントマン 龍虎武師
映画『カンフースタントマン 龍虎武師』公式サイト (kungfu-stuntman.com)
監督 魏君子
出演 サモハン ユエン・ウーピン ドニー・イェン ユン・ワー チン・カーロッ アンドリュー・ラウ エリック・ツァン トン・ワイ ウー・スーユエン
70年代~80年代の香港カンフー映画全盛期のスタントマンたちの記録と、現在の彼らの言葉で綴られる。
そこそこ香港アクションシーンのことをわかっているつもりだった私をお許しください、ぐらいにとんでもなかった。今となってはあり得ない、許されない撮影風景。子供の頃から京劇の訓練をした人たちがまずカンフーアクションの世界に入ってきたことは、「七小福」など観た者は知っている。あの過酷な訓練を経てきたからこそ、とは、知っている。その先が・・・。
サモハンが北京語を流暢にしゃべることに驚いてしまったよ。そしてサモハンはスタントにおいてそんなに偉大な存在なんだね。誰がどのくらいまでできるか分かっているから、指示する、それにNOと言ったら次からは声がかからない。高ーいビルからガラスを突き破ってスケートリンクに落ちるとか。氷のスケートリンクだよ、でかいスポンジとか置いてないんだよ。タタミという言葉が広東語の中で使われていた、受け身のマットとして使われていたようだが、そういうものを使える状況とそうでないものが、あるのだー!
70年代、香港は貧しかったのだ。そしてその頃スタントマンの稼ぎは凄かったらしい。あのブルース・リーの時代、稼いでは博打で使い尽くしていたらしい皆様。そしてブルース・リー急死。数年のブランク、そしてジャッキー・チェンの時代。サモハンは初めてアクション指導をしたのが18歳と言ったと思う。スタントマンから俳優の道へ行く人、アクション指導の道へ行く人、そういう道を切り開けるなら良いけれど、スタントだけしかない人にはその時間は短い。あらゆる骨折をしながらも無事に年を取っている人が残り、車椅子生活になったり、運が悪ければ命を失ったりという人々が累々といて香港アクションを支えてきたということで。
仇やおろそかに、生身の人間が動く香港アクションは(ハリウッドのCGを駆使したものと比べて)面白い、凄いと、口にしちゃいけなかった。
そして、今の香港は大陸の資本無しには映画を作れない。大陸には少林寺があるから、スタントがやれる人間を見つけることは難しくない、でもスターはいない、らしい。需要の少なくなった香港でもスタントマン養成をやっているシーンがあった。大学を出て務めていたけれど、映画に魅力を感じて訓練を受けている女性がいて、なんとか頑張ってほしいと思う。保険とか保障とかそういう仕組みはちゃんと整えてくださいませ。
天文館シネマパラダイスのお兄さんが着ていた、映画スタッフ名がたくさん白抜きになっていた黒Tシャツ、ちょっとうらやましかった。
「令和の昭和感」という表現に嵌りました。 なんかそういう感じ、日頃、感じること…