アクト・オブ・キリング

アクトオブキリング監督 ジョシュア・オッペンハイマー

1965年、インドネシアで、クーデター未遂事件が起こった。という知識が無かったし、その後、何が起こったかなんて、何も知らなかった。アジアで虐殺と言えばカンボジアしか浮かばない。あとはベトナム戦争。

冷戦時代、社会主義系、共産党系の人間が起こした事件は、アメリカをはじめとする資本主義国家側が報道する、が、反共産主義の動きが、いかに惨殺と呼ばれるに値しても、取り上げられなかった、ということらしい。

スカルノ大統領は共産党勢力と右派勢力とのバランスを取って団結を訴えていた、が、急進左派勢力による(ことになっている)国軍首脳部暗殺を企てたクーデタ―が起こるが失敗、右派スハルト中心の反クーデターにより、スハルトが勢力を握り、二代目の大統領になる、と、まずその基礎知識を、私は持っていなかったけれども。

その後、反共産主義の名の下に、100万、200万と言われるひどい虐殺が起こる。その、虐殺(キリング)した側の当事者に、再現の演技(アクト)をさせ、撮影する、という方法がなぜとれたのか?不可解だが、どういうわけか、当事者たちは、むしろ嬉々として演じ始める。初めは撲殺していたが、あとで掃除しるのに匂いがすごくて、針金で首を絞める方法に替えた、などと説明する。彼らは、プレマンと呼ばれるヤクザなのだが、その語源はFreeManだという。リーダーの男は映画館でダフ屋をしていた映画好きだ。プレマンは軍の要請により、虐殺を行う。

虐殺の対象は華僑だったらしい。恋人が華僑の娘だった男が、その父親を殺したと笑いながら言う。

唐突に寺山修司か?みたいなシュールな踊り子たちとデブのプレマンの男の女装場面が挟まる。なんだそりゃ。映画には女っ気や歌や踊りが必要だ、てなことらしいが。しばしば大きく息をつきながら見ている中で、つい笑ってしまう劇中劇シーンだ。そのデブ、映画撮影中に選挙に出やがる。いかにインドネシアの選挙で金がふるまわれ、いかに政治家が身勝手な権力を手にするかがわかるが、まあこのところ日本の地方議員の莫迦ぶりにもあきれさせられたことだし。

ほとんどのプレマンたち、その他のかつて事に関わった者たちに、反省の色など無いが、リーダーだけは初めから悪夢を見てよく眠れないことがある。自身で、針金で殺される役を演じ、かつての行為(アクト)が何だったか思い知る。

エンドロールに、anonymousという文字がたくさん出てくる。アノニマス匿名。名前を出せない協力者がたくさんいて出来上がった作品だということ。

こんな映画になぜ?と思うぐらいの人数が入っていた。ガーデンズシネマ。

 

コメント (2)

atcon2014年8月12日(火曜日) at 9:59 PM

なんとも凄まじい映画ですね。
この虐殺者たちと、同級生を虐殺した、この前の女子高生と、どう違うのか、考えてしまいます。

あある2014年8月14日(木曜日) at 4:33 PM

このドキュメンタリーでは、クーデターの後で行われたキリングだから虐殺と呼ばれる。戦争の最中では、ほとんどの場合虐殺と呼ばれない。
女子高校生とか、酒鬼薔薇とか、そういう、精神的な回路の狂いを疑われる人の事件があるとき、戦争という場所で、そういう人が英雄だったかもしれないと思う。
報道が、ある視点から切り取られる。ドキュメンタリーも、作り手の視点から切り取られる。いろんなことを、考えます。

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