2016年8月23日(火曜日)
著者 柴田よしき
講談社文庫
私設保育園にこにこ園園長兼私立探偵、花咲慎一郎シリーズ第5弾。
キリンという動物は高血圧なんだそうである。
という一行から始まる。ほんとの話か?と思ってちょっとググるとすぐ出てくる。あの長い首に起因するそうだ。心臓から脳までの高低差の問題。
で、保育園の室内滑り台に張り付けてあったキリンの絵の、首を壊して、こうけつあつ と書いた5歳の園児浩太郎。その父親俊太郎は、かつて人気のあった推理作家だったが、今ではアルバイトで生活費を稼いでいる。母親は別居中。
で、事件が起こる。俊太郎が金属バットで殴られて意識不明になった。
メインの事件はそれであり、当然最後にその犯人がわかる、のだが。
話が、というか花咲探偵個人にかかわる人間関係と、事件の背景にある昔の児童養護施設での事件、その関係者、とつながってややこしく、オリンピックの期間に少しずつ読み進んでいたら、えーと何がどうだったんだっけ?な私であった。花ちゃん物のファンだから、いつものわき役にかかわる部分、保育の話、細部がそれぞれ楽しいのだけれど。オリンピックが終わってもう一度ざっと読み返し、話がつながった始末である。まあなんというか、犯人探しとしてはいささか引っかけが多いでしょうよ。
「日本人の顔ってのは、アジアで最もバラエティに富んでいて、これが日本人だ、っていう典型的な顔が無いんだそうだ。つまり日本人ってのは、アジアやロシアや、太平洋のいろんな人間が集まって来て、それらの地が混ざって出来上がった民族なんだと思う。なのに、日本、っていう絶対的な血がある、と信じ込んでいる人間たちが、どういうわけか為政者の側に多い」
のあたりの会話がいい。
で、我がお気に入りの山内練も、ちょこっと登場。あれ?山内は身長はそれほど高くないんだったっけ?足の長さは花ちゃんと比べ物にならないのは知ってるけど。
シリーズをずっと読んでいる人のほうがもちろんわかりやすい、が、たぶん突然読んだ人でも楽しめると思う。保育とか子供の貧困とかにかかわっている人はそんな方向から楽しめるだろうし。
去年テレビ東京でドラマ化された時には花ちゃんを山口智充がやったのかあ…。城島を加賀丈史ってのもなあ…。
2016年8月20日(土曜日)
監督 塚本晋也
出演 塚本晋也 リリー・フランキー 中村達也 森優作
原作大岡昇平、太平洋戦争末期、フィリピンのレイテ島。まさに末期症状を呈している、日本軍兵士たち。
作家大岡昇平自身の経験に基づくと思われる、胸を病んでいる兵士。役に立たないから病院に行けと言われ、芋数個を入院の食料として渡され、行くと、銃弾にやられた血まみれの男たちを優先していて、帰れと言われる。帰ると出て行け、病院に行けと言われ。
が、その粗末な病院の建物も、爆撃にあう。
病んだ男の隊も、襲撃された。
濃い緑の葉や、赤い花の色の中、極度の飢えと疲労にまみれながら歩き続ける兵士たち。
役者の顔がほとんど判別できない。
ガーデンズシネマでは3回目だと思う上映。一回目から、観ようと思うのだが体がなかなか動かない、と、いう状態だった、が、今回エイヤッと。
爆撃される。ある者は即死し、ある者は息が残る。爆撃した側が、次には生きている者をピックアップして病院に運ぶ。
この映画の中では銃撃される、爆撃されることによって突然の死を迎える姿が、主に描かれる。が、こんな環境の中では、凡そ小さな怪我から菌が入る、毒のある何かを口にしてしまう、小さな虫によって命を奪われる、ことが、かなりの数あったことだろう。それらがすべて戦死と呼ばれるのだろう。
かくも極限状態で、それでも生き続ける。猿の肉と呼ぶものを食べる。
かつて市川崑によって映画化されたモノクロ映画を、今年もTVでやっていた。実際に戦争を経験している世代の役者たちの、面構え。TVで見るにはつらい作品で、少し見ただけだったが。
映画館でしか観ないだろう作品を、とにかく観に行って良かったと思う。
2016年6月19日(日曜日)

160619_223410
ハルキ文庫
また買ってしまった池井昌樹。ここで3回目の紹介になる。
現代詩文庫のものとずいぶん重なっているだろうし、実際見覚えのある詩がたくさん。
だってねえ、あの谷川俊太郎が、帯に“池井さんの詩は、ときどき私たちの心を貫いて、魂にまで触れてくる”って。すごくない?
初めて彼の顔を知ったし。なぜか(妻や子や、父母や祖母や、彼の詩にはよくでてくるからだよね)子供のころの家族の写真まで付いているし。二松学舎大卒だったんだ、そこに行っていれば会うこともあったかも、などどミーハーなことを思う。だけどその頃彼は太ってたんだよね、詩の中にもちらっと出てきたけど、巨漢だ、と、学生のころ彼のことを書いていた人がいた、秋亜綺羅という詩人。履歴の中にもその名前も出てくる。中学生のころ受験雑誌の投稿欄で知った池井昌樹、その後も詩誌「詩芸術」や「歴程」で見かけたものだった詩人。
『マチネの終わりに』で、出会いの初めから魂が寄り添っている恋を見たばかりだが。
池井昌樹は、その職場で出あったという奥さんとの結婚によって、今の彼になったのだろうと、その詩の中で言っているように、10歳年下の奥さんが彼をもう一度産んだのだと、わかる。だって昔、高校生の彼の詩も次々読んだもの受験雑誌で。暗い、ぬめぬめした手触りの。
略年譜によれば、1966年に第一作となる詩を(突然に)産み落とした後、白秋・朔太郎・達治・暮鳥・重吉・賢治・中也・心平・冬二・谷川俊太郎らを渉猟、と、ある。はあ、読んだ詩人たちだけはほぼ同じなんだけどねえ。
ひらがなの多い彼の詩に、ついうっかり自分でも・・・また書きたい気になりそうでそれが罪だ。
良き出会いのある人生っていいなと、素直に思っているこの頃であります。
2016年6月18日(土曜日)
著者 平野啓一郎
出版社 毎日新聞出版
毎日新聞の連載小説だったそうだ。
王朝小説、教養小説、と、言う気配で、初めはなかなか読み進めるのに時間がかかる。天才ギタリストの男38歳と、海外の通信社勤務でイラクで取材活動をする女性40歳、の、恋。
うっかりすると、まあありがちな恋愛小説、ロマンス小説のような設定だけど、品格というものか。一度の出会いで惹かれあう二人。女性にはアメリカ人経済学者のフィアンセがいる。お互いが運命の出会いと感じながら、ちょっとしたすれ違いから突然の別れに至り。
私はクラシック音楽にも世界の歴史にもおよそ教養が欠けているのがまことに残念。「ヴェニスに死す」やリルケの「ドゥイノの悲歌」はギリギリ私の守備範囲のはずだが、我が家にあるような気がしていたリルケは見当たらない。ああ残念。
クロアチア人の有名な映画監督である父と、長崎出身の母との間に生まれ、コミュニケーションのためにいろいろな言語を身に着けることが必要だった洋子。その母が日本を飛び出し父と結婚することになった訳。背景が何層にも描かれていく。
スランプに陥っていたギタリスト、イラクで九死に一生を得、PTSDに苦しむジャーナリスト。
帯には、“結婚した相手は、人生最愛の人ですか?”とある。
例えば福永武彦のいくつかの小説とか、吉田健一が大人同士の恋愛を描いた小説(名前を忘れた)とか、ちょっと思い起こす。教養豊かな大人たちの恋愛。
ラストシーンは美しい、けれど、大人たちはその後に地味な様々をこなさなければならないよね。
まあ途中からぐんぐん読んでしまう小説でした。
2016年6月13日(月曜日)
著者 菅野完
扶桑社新書
帯に「右傾化」の淵源はどこなのか?「日本会議」とは何なのか? とある。
にっぽんかいぎ。確かSNSで見かけるようになって、どうやら安倍内閣はこの日本会議なるものの関係者で占められているらしいことは知った。
1968年~69年にかけて広がった大学紛争、その、左翼学生運動に対抗する右翼の勢力、全国学生連絡協議会というものができた。そもそも長崎大学で“学園正常化”を成功させた学生たちを中心として。で、その思想母体は、当時の『生長の家』だった。
あくまでも当時の、であって、現在、生長の家は政治活動をやめ、与党とその支持者を支持しない旨http://www.jp.seicho-no-ie.org/news/sni_news_20160609.htmlを発表している。
ちなみにちょっと昔に近所でも流行っていた『倫理』というのは成長の家から派生してできたものだって。先日、家に勧誘に来たのでまだ活動しているのを知ったけど。
で、その時の学生たちが、その後の政界に実に上手に入りこんできて、今の政治を牛耳っているという。
だってねえ、普段生活している中で、周りの人々が右傾化しているか?というと、私の付き合いの中で限定するなら、安倍嫌いのほうがずっと多いし、今時、選択制夫婦別姓が成り立たないのは何故なのか全くわからないし。
ヘイトスピーチが横行するのはなぜ?NHKをはじめとするマスコミが政府に批判的な番組を作らなくなってきているのはなぜか?歴史認識って何?鹿児島には反ジェンダーフリーの妙な意見を滔々と述べる議員がいたのはなぜか?集団的自衛権の行使は違憲であると、たった3人を除く学者のほとんどが言ったにもかかわらず、なぜ?
昔のSF小説の中で、いつの間にか異星人が地球に入りこんできていて、次第に髪の色や目の色が変わっていく、なんてあったけど、今の安倍内閣の公明党を除くほぼ全員が日本会議関係者だという極めて異常な事態。
それがなぜ深部に入りこんだ黴のようにはびこってきたのか、ちょっと読んだだけでは理解できないのだけれど、安倍さんの顔を見たくない方、どうぞ手に取ってください。
2016年6月13日(月曜日)
監督 賈樟柯ジア・ジャンクー
出演 趙濤チャオ・タオ 張譯チャン・イー 梁景東リャン・ジントン 董子健ドン・ツージエン
張艾嘉シルビア・チャン
1999年、山西省・汾陽(フェンヤン)。一人の女に二人の男。仲のいい3人だった。が、二人の男はそれぞれに女を想い、自分のものにすることを願ってした。積極的にアプローチする成金の男。次第に惹かれていく女。結婚が決まり、残された男は故郷を離れる。
2014年、女は離婚し、生まれた男の子は父親の元、新しい母親と上海で暮らしている。女の父親が急死し、葬式のため男の子ダオラーを呼び寄せる。
2025年、ダオラーは父とオーストラリアに移住し大学生となっているが、すでに中国語を忘れている。中国語教師の女性と親しくなり。
ペット・ショップ・ボーイズの「GO WEST」で踊る1999年の中国。そしてサリー・イップの広東語の歌「珍重」が、90年代から2025年をつないでいく。
なーんでそっちの男を選ぶかなあ…。田舎の成金丸出し。
この監督前作でもそうだったが、中国語が方言なので、イントネーションが全く違う。そもそもそういう方言の地方から、上海に引っ越して育った時点で、母と子のコミュニケーションになにがしかの祖語を生じる。上海の国際学校から、今度はオーストラリア、父と子は、グーグル翻訳を通して会話しなければならなくなってしまう。この父と子は、同じ言語を話したとしても、話が通じそうにもない。成金青年だった男は、西洋の地で洗練などしていない。なぜか金には不自由しないらしいが、息子がマミーと呼んでいた二度めの妻とも別れたのか?
ふと気が付くと、スクリーンのサイズが途中で変わっていた。
中国の激しい変化の中で、もう一人の男は石炭採掘の仕事で塵肺になり、故郷に戻ってくる。女から治療費を借りることになる。
台湾の女優であり監督でもあるシルビア・チャンが、中国語教師の役で出てきたのに驚いたが、実年齢が私とそう違わない彼女が、大学生になった息子と恋愛?うーむ。サリー・イップの歌つながりで彼女に母の面影を見た、のだけれど。
成金男を始め、なんかヒトの嫌な部分が結構出てくる。嫌だなあと、思うが、ヒトの生きる時間には当然、嫌な奴だった時がある。自分にももちろんある。何度もある。
おそらく、年齢が高い観客のほうが、感じるものがあるだろう。若い人が見ても面白くないだろうと思う。
2016年6月8日(水曜日)
三浦しおん
徳間文庫
前作に「神去なあなあ日常」〈http://art-container.net/mbblog/diarypro/archives/233.html参照〉があり、その後日譚。
お気楽にテキトーにフリーター人生に突入するつもりだった若者が、林業の世界に放り込まれ…で、そのうちその世界になじんでそれなりに成長を遂げ、というお話のその後は?
パソコンに向かって文章を入力しているだけなのだが、一般読者が存在している、という妄想のもとに書き進んでいる、ことになっている。
高齢で足が悪く大概茶の間にちんまり座っているはずの、繁ばあちゃんが、いつの間にかパソコンの扱いを覚えて、デートの事情を盗み見られたり。
昔ながらの儀式や決まり事を守って生活している田舎の、のどかそうな日々の中にも、辛い過去や、事情が隠れている。少しずつ垣間見えてくるなにやかやを受け止めながら、少しずつ山仕事の人間になりつつある平野勇気クンなのである。
先日、半分眠りながら聞いていたラジオの深夜放送の中で、林業の世界に入りたくてストーカーのように押しかけ、無理やり目的の会社に入った女性の話があった。可愛らしい声の、若い女性、しかも東大農学部卒!仕事道具はチェーンソーや刈り払い機!
ほとんど死に瀕していた林業が、復活の兆しを見せているらしい。森林もきちんと人の手が入ってこそ守り育てられる。若者が、女性が、その世界に進出してくれているのは心強い限りであります。
勇気くんの成長物語としては前作のほうがより面白かったのではありますが、まあ今後続いていくことを期待して、次回作もまた!
2016年6月8日(水曜日)
著者 司馬遼太郎
文春文庫
まだ第一巻を読んだだけだし、読み進めるつもりだから感想を書くには早い、と思うが、とりあえず。
かつて文藝春秋の巻頭随筆として書かれたもの。
日本は世界の他の国々とくらべて特殊な国であるとはおもわないが、多少、言葉を多くして説明の要る国だとおもっている。
昭和10年から20年にかけての日本の歴史、日露戦争に勝利した後の軍部によって「統帥権」というものに勝手な解釈がなされた結果、その10年が「鬼胎」の時代となったという。
単行本として出版されたのが1992年、今から思えば当時の日中関係など蜜月と言いたいぐらいだ。今や反韓本が書店に並ぶは、馬鹿なデモはあるは。日中・日韓の関係は、観光客はともかく、政府間では歩み寄りようのない様相に見える。
そして、その状況を産んだのが日本の歴史の中のたったのその10年の中にある、ということか。
中国に生まれ、朝鮮半島に厳格に伝わった朱子学が、日本にはあまり影響を与えなかった、そのために隣国の人々との精神のあり方が違う、それが隣の国の人から見て無礼に見えてしまうこともあるか。
我が身の日本歴史についての無知により、なかなか頭に収まらないことは多々あるとはいえ、大変に面白い読み物である。…などと言うもおこがましいことでありますが。
司馬遼太郎没後20年の企画でNHKが特番を組み、この本がまた読まれるきっかけになったものらしい。私の若いころには何かの雑誌を開くとそこに司馬遼太郎の名前を見たりその顔を見たりしていた、切れ切れに文章を目にすることは多かったが、ちゃんと読まずにきたその方はまことにすごいお方でありました。
2016年5月6日(金曜日)
http://www.liza-koi.com/
監督 ウッイ・メーサーロシュ・カーロイ
出演 モーニカ・バルシャイ デヴィッド・サクライ ゾルターン・シュミエド
ハンガリー映画、で、トミー谷という、かつて人気があってもう亡くなった歌手が、なぜか出てきて。という程度の、なんか変な映画らしいという情報だけで観た。
なんじゃこりゃ!なんだって九尾の狐、何ゆえ那須?ハンガリー映画だっちゅうに何やらヘンテコな日本語が出てきて。トミー谷という歌手は全然トニー谷(知らない?昭和30年ぐらいまでに生まれた人しか知らないか、という歌うコメディアンですよ)には似ていない、この名前は偶然の相似なんでしょう(か?)。
元日本大使夫人の、住み込み看護婦リザ、夫人が好きだった今は亡き歌手トミー谷の姿が、リザにだけは見える。日本の恋愛小説を読み、その恋愛にあこがれている。
リザの留守中に、夫人がベッドから落ちて亡くなる。その後、リザが出会う男出会う男、みんな死んでしまう。妙な男ばかりだ。鯉のメープルシロップ煮が好き(!)な男とか。その男は鯉の骨をのどに引っかけて死ぬのだが。
で、夫人の親族は、リザが夫人のお金を取るため殺したと主張し、警察はその後の男たちの死は彼女が仕組んだものかと疑い。お金が無くなったリザが下宿人を置くことを思いつく。そこへ、刑事のゾルタンが、監視のために下宿人となる。
あれやこれやの合間にトミー谷の妙なダンスと日本語の歌が入る。
だから何だって?
監督が映画祭で日本に来た時に、那須が気に入ったらしい。その時に九尾の狐伝説を知ったらしい。
そりゃもういろいろ日本のポップスを研究したらしい。
かつて、鈴木清順監督が中国のチャン・ツーイーとオダギリジョーで『オペレッタ狸御殿』という妙な映画を撮り、カンヌで特別招待作品として上映された。こーれをカンヌに持って行ってだーれが理解する?という作品でありました。それと双璧を成すようなナンジャコリャ映画であります。でも、ハンガリーでヒットしたんだって。どこかの映画祭で賞を獲ったんだって。
メックバーガーという店で蟹バーガーなるものを食べるシーンが何度か出てくる。時代設定は70年代で、その頃のハンガリーは社会主義国、バーガー屋さんとか小道具の雑誌メトロポリタンなどは存在していなかったって。まあそういうことを頭に入れて観たほうが、こんな映画が誕生するわけが、わかる、かなあ?
とにかく、印象には残る、長く話のタネになりそうな映画、です。
2016年5月5日(木曜日)
詩 池井昌樹
写真 植田正治
やさしいちちと
やさしいははとのあいだにうまれた
おまえたちは
やさしい子だから
おまえたちは
不幸な生をあゆむのだろう
と、始まる一篇の詩を、見開きの左側には植田正治の写真を配して、一冊の本にしたもの。
ずるいよ。この詩人も、この写真家のこともとても好きな私には、うっかり手に取って少し目を通してしまったら、もう手放せない気にさせる、そんな作りだ。
どこかで出あったら、手に取ってみてね。いい本だよ。
もうあの爬虫類系の顔を見るのも嫌になって、これではいけないと思うものの。どうして…