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ヒアアフター

ファイル 176-1.jpgWARNER BROS.STUDIOS
監督 クリント・イーストウッド
出演 マット・デイモン セシル・ドゥ・フランス

フランス人ジャーナリストのマリーは、東南アジアで大津波に巻き込まれて死にかける。呼吸停止の状態だったときに、いわゆる臨死体験をする。そのビジョンが忘れられない。

一方に霊能者でありかつてそれを仕事にしていたアメリカ人ジョージがいる。

今はちょうどニュージーランド地震の直後でもあり、津波のシーンがリアルにこちらに迫ってくる。が、どこでどんなふうにこの二人が出会うことになるのか?と思って見ていた。

私もスピリチュアル世界に関心はある。そういう世界があってほしいと思う。とは言えクリント・イーストウッドがなぜ?死後の世界に関心を持つ年代に至ったというわけ?と思ったら、スピルバーグが口説いたんだって。

もう一人(というのか二人というのか)、双子の少年の一人が車にはねられて死ぬ。双子は、薬物中毒の母親に育てられている恵まれない環境でもあり、深く寄りそって生活してきた。兄弟の死を受け止められず、もう一度話をしたいと願う。

願ったものでもなく霊能者となってしまうことの苦悩というのは深いだろうと、想像はつく。普通の生活を営みたいのは無理もない。

さて、面白いのだ、終盤まで、3人が出会うあたりまで。
ん?最後20分ぐらいはしょらなかった?ちょっと、終わり方があっけないでしょう。霊能者ジョージや、兄を失ったマーカスの喪失の深さに比べて、マリーのそれはちょっとレベルが違うんじゃない?そりゃあ花形キャスターの地位と恋人を失ったとは言え。

それでその最後のシーンなんだけど(ばらさないよ)、ねえ、あの二人にとって、そのあとは?それでめでたし?うーん・・・。

2011,3,22 追記
東日本の大地震、大津波を目の当たりにした今となっては、この映画の視点は…旅先の被害のことは?植民地的感覚になってない?と思う。
この作品はすぐに上映中止になり、中国映画『唐山大地震』は上映延期となった。

MOVIE
comment(2) 2011.03.09 13:46

クリスマスに少女は還る

ファイル 175-1.jpg著者 キャロル・オコンネル
創元推理文庫

「愛おしい骨」のキャロル・オコンネルの、1999年に翻訳が出た作品。

「愛おしい骨」とよく似た性格のもの、主人公の刑事ルージュと、「愛おしい・・・」のオーレンの違いは?と言いたくなるような。・・・が。
近しい者を突然に失う、本作の場合は、一卵性双生児(珍しいことに男女の)の片割れを15年前に殺されるという形で経験したルージュ。犯人は捕まり、監獄の中にいる。

クリスマスに近いある日、二人の少女が失踪、天才児ばかりを教育している学園の子供たち、グウェンとサディー。サディーはホラーマニアだ。

顔に傷があり、深いスリットのスカートを穿いた女が、ルージュの前に現れる。小児性愛の研究者。

監禁された少女たちは、地下室からの脱出のために力を合わせていた。

まとめて読む時間をとれなくて、ちびちびと読んでいたのだが、厚い文庫本の600ページを過ぎて、あやややや!そーいうこと?うわうわ・・・。
で、読み終えてからまたもう一回読みなおした。あちこちに、確かに伏線はあるのだ・・・ん?と思ったな、途中でも。

帰る ではなく、還る なんだよね、このタイトルが暗示していることに、読み終えてから気づく。
面白いです。「愛おしい骨」でも、ちょっと千里眼的な人間が出てきたりしましたが、本作もまたファンタジーというか、まあクリスマスの奇蹟か。だまされてください。

BOOK
comment(0) 2011.03.07 14:42

抱擁、あるいはライスには塩を

ファイル 174-1.jpg著者 江國香織
出版社 集英社

このタイトルに惹かれるか引くかは・・・きびしいところだが。

まず1982年秋から始まる。その30年ほど昔の日本にあって、兄弟みんな義務教育から高校までは行かないことが基本の家族がいて、ある日突然、学校に行くことが決まったと親から告げられる。
お父さま、お母さまと親を呼ぶところからも察せられる、広い庭や図書室のある裕福な家庭。4人の子供たちの内、一人は父親が、一人は母親が違うらしい。叔父や叔母の同居する家の主は、貿易商の祖父、絹という名前を持ちいつも着物を着て過ごす祖母は、ロシア人だった。

3か月で小学校に行かなくてはならない不幸な日々は終わり、小さな王国のような暮らしがまた始まる。小学校に行ったために、お母さんやお父さんがほかにもいるのは普通じゃないことだと認識することになったのだが。

60年代、70年代、80年代、90年代、時代を行きつ戻りつしながら、家族それぞれの秘密が明かされていく。

1987年夏 の章では、叔父の車に流れている音楽はラズベリーズ、ブロンディ、リッキー・リー・ジョーンズ。十三歳の次女陸子がかなりの読書家であることがわかるシーン、親友について、ハイジにはクララが、スカーレットにはメラニーが、メロスにはセリヌンティウスが、光源氏には頭中将がいる、そして恋人、キャサリンにはヒースクリフが、幸太郎には智恵子が、フィッツジェラルドにはゼルダが、ジェイクにはヘレンが(ジェイクとヘレン?何だ?と思ったらクレイグ・ライス、あの大外れ殺人事件とかのカップルのことなのだった)・・・この羅列。
子供たちは家庭教師について並はずれた教育を受け、大学には行くのが決まりなのだ。そして男は海外に遊学する。遊学して帰ってきた叔父はピンクの髪になってラズベリーズを聞かせているのだが。

百年ぐらい前ならね、という浮世離れした家族、2000年に至って、その根っこのところの、祖父と祖母の出会いにまつわる秘密が、・・・う、わあ・・・!

面白い!

江國滋の膨大な書棚の中で育ったんだなあ。朝吹真理子といい、本に埋もれて、読むこと、書くことが生まれたときから当たり前にそこにあったんだ。

BOOK
comment(0) 2011.03.02 12:15

ただいま それぞれの居場所

ファイル 173-1.jpghttp://www.tadaima2010.com/
監督 大宮浩一

平成22年度文化庁映画賞<文化記録大賞>受賞作品。

2000年の介護保険制度開始から、介護施設、利用者ともずいぶん増えた。けれども、制度には細かい規定があり、介護者がやっていいこといけないことなどの縛りも増えた。
その縛りを離れて、もっとフレキシブルな対応をできる施設を作った人たち、いくつかの施設、その利用者たちを見つめたドキュメンタリー作品。

認知症と言われる人たち(それを言うなら認知不全だよね、日本語として変でしょう)の、様々な姿。
何語?と思ったら戦時中パラオで過ごしたおじいさんの、歌、それを覚えてしまって一緒に唄う介護者。とっても丁寧にお辞儀して限りなく丁寧にお礼をいうおばあさん。若い男の人をみんなタカシと息子の名前で呼んだり、朝着替えさせるだけのことにまことに手がかかるセンセイ、お風呂から出てこない、夢を見ていたのが現実と混ざって・・・etc。見ている分にはかわいいとも思える。ああ、と共感もし、男性の介護は大変だろうなあと思う。いつの間にか涙してしまう。
まだ50代で、とても元気な人だったのに海外のマラソン大会で心筋梗塞を起こして、心身が不自由になった人も。


徘徊する老人は多い。けれどもデイサービスの規定では散歩はできないものらしい。どうもそうではないかと思っていた。私の母も徘徊型だから。施設の建物の中をぐるぐる回るだけなのね、母の場合。

縛られない介護をしようと思ったら、無認可にせざるを得ない場合もある。その場合、どうしても利用者の金銭的負担が大きくなる。それでも。別の施設では受け入れられなかったりしてやってくる。そういう人の一人が、施設でとても楽しく過ごしたある日、自宅に帰るのを嫌がった。もう一度施設に受け入れてもらった。そのとき、彼は「ただいま」と言って施設に入って行った、というエピソードが、タイトルの由来らしい。

介護している人に是非見てほしい映画なのだけれど、マルヤガーデンズのガーデンズシネマで4日までです。

MOVIE
comment(0) 2011.03.01 14:34

きことわ

ファイル 172-1.jpg著者 朝吹真理子
出版社 新潮社

さほど長い小説ではない。が、長編王朝小説を読んでいるかのような雰囲気の中で読み進む。
何がそんな風に?貴子と永遠子という年齢差のある少女たちが、貴子の別荘で一緒に遊んで過ごした日々、その時代と、永遠子40歳、貴子33歳、その別荘を処分することになって再会した現在とが、とくに説明なく交錯して進む。
あるいは夢の中のシーンも、投入される。

永遠子の思い出の中、足をくすぐったり、腕をつかんだりして15歳と8歳が遊びながら、腕や足、髪の毛のどちらがどちらだか…となって行くエピソードが、のちの、不意に後ろ髪を…というところにつながって。

この辺で引っかかってしまう人には読みにくいだろう。実のところ、ひところのジャパニーズホラー風に形成されて行ったとしても不思議はないだろう。

この、どこに行きつくともない、詩のようなある種のファンタジーのような小説に、空気や時間の厚みのようなものを感じるのだ。

朝吹登水子という人の翻訳で、かつてサガンの新作が出るごとに読んでいた。その人が大叔母で、ジャン・ジュネの翻訳の朝吹三吉が祖父、父・亮二もフランス文学者で詩人、シャンソンの石井好子さんも大叔母だって。知性・感性の連なり。

朝吹という姓に覚えがない私として読み直す術は無い以上、その予備知識に邪魔
されているかどうかを確かめるべくもない。読みながら、ちょっとしたカルトな部分に川端康成の『抒情歌』という短編を、長編詩のような気配にデュジャルダンの『もう森へなんか行かない』を連想して、それらは昔とても好きな小説たちだったのだから、もともとこういう作品を好きなのは確かだ。

ストーリーがあるのかないのか、というこの小説を、私は大好きですが、??と言う人も多いことでしょう。言わずと知れた、144回芥川賞受賞作。

追記
“芥川賞を受賞して”という作家の文章が新聞に載った。買い物リストを書いたときに、いつもはひらがなで「たまご」と書くところを「卵」と漢字で書いたところから、それが背中合わせの女の子の姿に見えたのだそうだ。

BOOK
comment(0) 2011.02.25 16:36

短歌の友人

ファイル 171-1.jpg

著者 穂村弘
河出文庫

はじめに というところに最初に出てくる短歌
 
 電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、て言って言って言ってよ   東 直子
に始まって、引用されるいろいろな短歌がおもしろくて、しばらく短歌部分だけを目が追いかけてしまった。時折大御所の短歌も引用されるが、おそらく1960年代以降に生まれただろう歌人たちの(多くはおそらく若い時の)歌がたくさん例に挙げられている。
私が書店の詩集や歌集コーナーによく立ち寄っていたのは、例の中に出てくる加藤治郎や萩原裕幸が著者穂村弘とともに短歌ニューウェイブとして紹介されていたころまでだったらしい。ああこんなにも短歌の表現は様々にかたちを変え息づいているのだと、読み手でなかったことを残念に感じる。

そして、この穂村弘の短歌の読み方、分類の仕方、なるほど、これが読むということ、評するということか、と思う。

火の玉のような普通さ という章に、『現代詩手帖』1991年7月号からの引用があり、谷川俊太郎が“普通の人ってのは、要するに『現代詩手帖』なんか全然読まない人ですよね”に始まる発言をしていることが紹介されている。普通の生活をしている人たちの言葉で書きたい、と言っている(もちろん谷川俊太郎は“普通”じゃないだろう)。
で、穂村の言うには、歌人のハートは普通の庶民の十倍庶民なのだそうだ。たとえば俵万智の歌に「普通の人たち」が爆発的に共感した、けれども、平凡さのありがたさ を表現するにはハートの庶民濃度が十倍必要なのだと。そこは詩人と違うらしい。

私は91年ごろまでは時々現代詩手帖を読んだが、そのころはヘンな人だったにせよ、今は普通のヒトである。庶民濃度も普通だ。が、この本を読み終えて、歌詠みのまねごとをしたくなっている・・・ごめん。

atconさまに教えてもらった穂村の著書を探す前に、書店で文庫として目に入ったので、まずこれを読みました。次は彼の最初の詩集「シンジケート」を読んでみたい。

2008年伊藤整文学賞受賞作品。蛇足、上智の英文科卒、どこかの会社のシステムエンジニアとして入社、今はその会社の管理職であるらしい。ずるくない?なんか。

BOOK
comment(2) 2011.02.23 21:00

プチ・ニコラ

ファイル 170-1.jpg

http://www.petitnicolas.jp/index_pn.html
監督 ローラン・ティラール
出演 マキシム・ゴダール カド・メラッド ヴァレリー・ルメルシェ

フランスで50年愛されている絵本の実写化。

私は昔々この本を持っていて、好きだったのだが、今出版されているものとは違う形だったし、同じように少年を主人公にしたシリーズ『パタシュ』ものと記憶が混ざってしまっているらしい。どちらも数年前に姪にやってしまったので、手元には無い。

50年代後半~60年代初めあたりのフランスの小学生、男女別学であるらしく、男の子だけのクラス。将来の夢は?と先生から聞かれ、答えられないニコラ。ある日、両親の会話を聞いて、弟が生まれると思う。弟が生まれたらもう自分は親指小僧のように森に捨てられる・・・と思い込んだニコラとその同級生たちが繰り広げる騒ぎの数々。その両親もまた、なにやかやバタバタと。

小学校の一年生ぐらい?二年生かもしれないが今どきはこんなに子供らしい子供はいませんな、50年代か60年代には存在したのか?おいおいこらこらとんでもない、下手すると犯罪だ、という事件・・・が、まあ日本で言うならサザエさんとか、ちびまるこちゃんの世界なので。

これ、テレビで見られる機会があるとしたら、楽しいです。笑えます。正規に1800円出して映画館で見たいかどうかは…趣味の問題でしょう。ほのぼのでかわいいけれど、私には1000円分くらいでした。

MOVIE
comment(0) 2011.02.23 15:35

愛おしい骨

ファイル 169-1.jpg著者 キャロル・オコンネル
創元推理文庫

ホッブズ家の兄弟が少年だった時、天使と呼んだ人が(頭のいかれた老神父)いた。ある日、二人で森へ出かけ、写真の天才だった弟が行方不明になった。

20年の時がたち、家政婦が兄オーレンをその家に呼び戻す、父が危篤ともとれる手紙によって。カリフォルニアの森に面した小さな町、そこでは携帯電話の中継塔が建てられていない。
父は元気だが、弟が少しずつ帰ってきていた。弟の骨が。

小さな街の住人のそれぞれに秘密がある。どこか異常なものがある。ちょっとした言葉、エピソードが、のちに、あー!と気づかされる。アル中の妻を、狂おしいほど愛している弁護士、夢遊病の中で架空の箱を抱えて「うちの子がいなくなってしまったよ」と話しているオーレンの父。

ゴシック小説のような設定でありつつ、狂言回しのように小さな老家政婦が活躍し、幼馴染みのかつての少女は大人になって再会した瞬間にオーレンを蹴っ飛ばし・・・。

ふいに大切な身内を失った時、残された者が感じる罪悪感、その深い痛み。

それぞれのパンドラの箱が開いていく。

読み飛ばすことはできませんよ。むしろフィードバックしながら読むことになりそう。もしも頭の中で地図を描くことができるなら、この町を箱庭に思い描いて住人を住まわせて、映像化しながらじっくり読んでみるのがいいと思います。
『このミステリーがすごい!2011年版』1位。すでにこの欄で紹介している「音もなく少女は」が2位。
この、御伽噺のような街の造型のせいでもあるが、異形の住民たちばかりなのに詩的な美しさが漂うこの小説を、原文で読むだけの能力が欲しかった・・・。

BOOK
comment(1) 2011.02.15 12:34

move