ジニのパズル

著者 崔実

出版社 講談社

学校の模様から始まる。さっきまで受けていた生物の授業 とあるから高校だ。中学校でも、なんなら小学校のほうがあり得そうなシーンが描かれるが、読み進めると、オレゴン州の高校だ。

5年前に人生の歯車が狂い始めたというその5年前は、1998年のことであるらしい。日本人の通う小学校を卒業し、朝鮮学校の中学生となったジニ。朝鮮語はまだ話せない。入学式の日の講堂には金日成と金正日の巨大な肖像画があった。

作家の実体験がベースになっているだろう。朝鮮学校を退学になり、アメリカの高校も退学となりそうだ、というところまで実体験なのかはわからないが。

今も北朝鮮からはしばしば飛翔体と呼ばれるものが飛んできているが、テポドンと呼ぶミサイルが発射されたころ、在日韓国人である女の子は何を感じ、どんな目にあってきたか。韓国学校にいるのはほとんど韓国人であり、在日は朝鮮学校に行くものなのだそうだ。北朝鮮をルーツとする人が行くものかと思っていたよ。そして、オレゴンの前にはハワイの学校を追い出されているのだが、そうか、ハワイは楽園で、不幸せな顔をしていてはいけないのか、それは大変だ。

第59回群像新人文学賞受賞作、芥川賞候補にもなったそうだ。チェシルと読む名前だと、知っていたからその頃話題になったのだろう。興味深く読んだ。ホームステイ先のおばさん、絵本作家のステファニーとのかかわりで最後が閉められるが、そこは少し甘いかなあ。

 

ハンチバック

著者 市川沙央

出版社 文芸春秋

第169回芥川賞受賞作。hunchback せむし。

18禁TL小説、というものの市場があるんだなあ、ティーンズラブったってバージョンは幅広いんだと知る。ともかくそういうものなどを書くことで収入を得ている、湾曲した背骨を持つ井沢釈華。インセルって?=異性との交際が長期間無く、経済的事情などで結婚をあきらめた結果としての独身。involuntary celibate。スパダリ=スーパーダーリン、ナ-ロッパ=ファンタジー創作、『小説家になろう』界隈で使われる中世欧州圏風世界。ヴィラン=敵役、悪役、villan。かなり刺激的な内容の中に知らない言葉が次々出てくるので、スマホで調べながら読むことになる。

筋疾患先天性ミオパチーにより症候性側弯症を罹患し人工呼吸器と電動車椅子を常用する、という作家のその姿が、受賞挨拶をしているのを見た。紙の本を読むことが困難であること、障碍者の受賞が初めてであることについて考えてほしいこと、などを聞いた。妙なユーモアセンスとともに。是非読みたいと思った。今までのところ健常者として生きている私は、紙の本のほうに慣れている。目が見えてもそんな風に紙の本を読むことの困難を抱える人のことなど何も気づかなかった。作家と同じ症状と思われる主人公は、iPad miniを使い、WordPressにテキストを打ち込む。こたつ記事=直接取材することなくウェブサイトやテレビ番組やそんなものから拾った情報のみによる記事、とか、実体験無しでの性描写とか。

100頁に満たない短い小説なので、関心がある人は読んでください。最後の方で、え?となるのだけれど、その受け止め方はそれぞれでよいのでは、と思う。

この作家の次回作品は、やはり障碍者の視点によるものか、どうなんだろう。

短くて恐ろしいフィルの時代

著者 ジョージ・ソーンダーズ

河出文庫

国土が極端に狭い国、内ホーナー国には、国民が一度に一人しか入れなくて、残りの6人は、内ホーナー国を取り囲んでいる外ホーナー国の領土内の一時滞在ゾーンに身を寄せている。

どうやって眠るんだ?なんて疑問をまず抱いたが、読み進むと、ここの住民の外形が、それぞれ想像を絶するのであり。八角形のスコップ上の触手を持つエルマー、黒くつややかなフィラメント、振り子のように揺れ動く半透明の被膜、露出した背骨、毛皮に覆われたグローブ状の突起物でしとやかにベアリングを掻くキャロル…全体像をイメージできない。

外ホーナー国の住人、平凡な中年男フィルが、内ホーナー国に住むキャロルに恋をし、頑張って気を引こうとしたが、報われることなく、キャロルは内ホーナー国に住むキャルという恋人と結婚してしまった。二人が仲良く暮らしているのを見るにつけ、フィルはひねこびていき、二人に息子が生まれるとそのひねこびが頂点に達し。

フィルの脳は巨大なスライドラックに固定されているのだが、ボルトが時々外れて地面におちてしまう。そうすると、彼は突然自信たっぷりに弁舌を振るうのだ。ヒトラーを思い起こさせるその雄弁な姿。

このおかしな物語が世に出たのは2005年だそうだ。まさかドナルド・トランプが大統領になるなど誰一人思いもしなかっただろう時代。ロシアとウクライナの本気の戦争も。ト〇〇〇になにがしか脳みそがあるとは思えないし、プ〇〇〇は認知症もしくはなにやら脳に関する病だという噂が絶えない。

全体を読み終えれば、まあわかりやすい寓話なのだ。が、一人ひとりの造形、またはその世界のありようが、私の想像力を飛び越えているので、なかなか読む進むことができなかった。後書きによれば、登場人物がすべて抽象的な図形であるような物語は書けるか?と言われたことがきっかけだったという。とにかく、記憶に残る作品となるだろう。

若き仕立て屋の恋

監督 王家衛

出演 コン・リー 張震

2004年公開のオムニバス映画「愛の神、エロス」の1編だったもののロングバージョン。

1960年代香港(と言ってもコン・リーは大陸生まれ、張震は台湾生まれ、ほとんどの会話は北京語)。高級娼婦のホアの部屋に使いに行った仕立て屋見習いの青年チャン。衝撃の出会い。それ以来、ホアのために美しいチャイナドレスを作り続ける。

麗しのコン・リー、若く美しい張震。

やがて盛りを過ぎ、落ちていくホア。彼女の部屋代を払い続けるチャン。

エロい、美しい映像にひととき酔う。病んだホアのもとに衣装を届けに行くチャンに、“私の武器だった体はもうだめ、手でいい?”と。原題『愛神 手』。

コン・リー、チャン・チェンでこその映画だけれど、もしも地味なチンチクリン男だったとしたら・・・と思ったけれどそれはすでにフランス映画であったか。

観終わって、小さく拍手しましたわ。我愛王家衛先生!

香君

著者 上橋菜穂子

出版社 文藝春秋

香君と呼ばれる、物の香りですべてを知り、それによってさまざまな指示を与え、国を支える女性の活神がいる国。初代の香君によってもたらされたオアレ稲の豊かな実りが、この国を支えている。

ある時、オアレ稲にオオヨマという虫が発生する。その頃、アイシャという少女が都にやってくる。アイシャは鋭い嗅覚を持ち、香りが叫びにもささやきにも聞こえる少女だった。

ネパールのクマリとかチベット仏教のダライ・ラマのような形で選ばれる香君は、一般人よりは嗅覚が優れているものの、実のところアイシャのように声として聞こえるほどの能力があるわけではない。それは人民に知られるわけにはいかないことなのだ。かつての日本の天皇のように、神として存在するために守られる。初代の香君にはより優れた能力があったらしい。その時代に、オアレ稲の肥料の規定が定められ、代々それを守ってきたのだが、ひそかに絶対の下限とされる肥料を減らして植えてみた結果、それでも育っている地区があった。そしてオオヨマにたかられても育つ〈救いの稲〉まで。

アイシャには、その稲が「来て、来て、来て」と叫んでいる声が聞こえる。

そして、救いの稲を食べる異郷のバッタが襲う。

アブラムシにたかられた植物があげる声によってテントウムシが来て、アブラムシを食べてくれる、そんな連鎖が、オオヨマがあげる声に答える虫がいない、そのため、稲ばかりかその周りの植物まで、大きな異郷のバッタにより食い尽くされていく。

ここ10年ほど、畑で野菜を育てている。今の時期、例えばキュウリにはウリハムシが、ピーマンにはカメムシがたかる。今年は玉ねぎがべと病?により育たなかったし、ミニカボチャの葉っぱはウドンコ病で白くなっている。農薬を使わないのでそんなものだ。とにかく化学肥料に頼らず土作りを、と、言うは易し、行うは…。ともあれそういう経験が多少ともあるか無いかで、この物語の理解度は違うと思うよ。そして、『ルポ 食が壊れる』堤未果 で読んだ、巨大企業(GAFAM)のアグリビジネスにより使い尽くされた後、痩せた土、借金を抱える農民が残るなどの状況を思い出しながら読み進めた私である。

一つの種に依存することの恐さ、共存の道を探り続けていくということ。と、香君として生きることの孤独。

もしかしたら、オアレマズラという場所を描く続編があるかも?と思われないでもない、よね。

 

 

 

 

1秒先の彼

監督 山下敦弘

脚本 宮藤官九郎

出演 岡田将生 清原果耶

台湾映画「一秒先の彼女」のリメイクという情報だけで、観ようと思った。元の台湾映画は観ていないけれど、評判が良かったのは知っている。

交番の前でちょっとためらって中に入り、遺失物届を書く青年。いや、やっぱりやめる、信じてもらえない…。失くしたのは“昨日”だと言う。

何事に対しても人より1秒早い、郵便局員ハジメは、しばしば残念なイケメンと言われている。路上で歌っている桜子に一目ぼれして、花火大会デートの約束をするのだが。

毎日その郵便局に来る地味な大学生レイカは、反対に何をするにも1秒遅い。いつも古いカメラを提げている。

清原果耶サンを目立たない地味な女の子と呼ぶのはいささか無理があるなあ。ドラマで超美人霊能者を名乗る役の時も、それはそれで違和感があったけど。

その、“消えた一日”の謎が明かされていく、チャーミングでヘンな映画。故・笑福亭笑瓶サンがラジオのDJ役。誰やらわからん今時ガングロのハジメの妹とか、まあまあなんとかわかる姿の加藤雅也とか、お久しぶり羽野晶紀や、荒川良々などなどいろんなお方が出てきます。京都人には笑えるのだろうこだわりのお言葉とかも。いずれ元の陳玉勳監督作品を観ます、必ず。原題は『消失的情人節』消えたバレンタインデーか。

郊外の鳥たち

監督 チウ・ション

出演 メイソン・リー ホアン・ルー ゴン・ズーハン ドン・ジン

中国のどこだか方言を話す小学生たちがいる。服装から見て、少し前の時代のようだ。標準語の青年たちは地面の傾きを調べているらしい。スマホを使っているのでほぼ現代か。

観ていながら、わっけわからない…と口から言葉がこぼれてしまう映画なのだ。学校に行くのにみんな赤いスカーフを首に巻いている小学生なんて、今時いない、が、その、妙にスタンド・バイ・ミーを思い出させる行動をしている子供たちと、測量だか検査だかをしている大人たちの時間が交わって、測量のカメラに子供の一人がガムを貼り付ける。

子供たちはいるが、教師と一人のおばあちゃん以外、親らしき姿が無い。鳥の卵を採りに行くシーンがこの映画のタイトルの何かとつながるのだろうが何?別れ際に一人一人しっかりハグしてるの何?いつの間にか一人、一人と子どもが減る。

測量青年の一人が、廃校になった?小学校に入り込む。自分と同じ名前の少年の日記を見つける。

中国という国の事情について、例えばオリンピック前には古い住宅がバリバリ壊されて新しいビルが建った、道路が作られた、とか、地方の親たちは出稼ぎに行くので祖父母が孫の面倒を見ていることが多い、とか、なにがしか中途半端に知識があることは、この映画を観る場合邪魔だと思う。なーんか不穏、なーんかすわりが悪い、空気を感じながら、ともかく最後まで観ると、まあそんなことかなあ…と思うものがある。

そしてあらためてチラシを読むと、「“スタンド・バイ・ミー”meetsカフカの“城”」なんて書いてあるじゃないか。「過去と未来、現実と夢が、同じ地平を歩いているような感覚を覚える」とも。村上春樹を読んだばかりの私には、「町とその不確かな壁」に通じるものがあるような気もする。

青年の方の主演は、台湾のアン・リー監督の息子だそうだ。

それにしても、中国でこれを上映して、どんな人が観るのか、どのくらいの集客が?気になってしまうのでありました。

街とその不確かな壁

著者 村上春樹

新潮社

村上春樹ファンではないので、必ず読んでいるファンの方々には失礼申し上げそうでござるよ。初めに謝っておこう。

とは言え、この作品についてはとても好きですよ。きみ と呼ばれる16歳の少女が見る夢の世界、本当の自分がいるという世界の表現、ごく初めの方のそのあたりから、美しい、と思い、読み進むにつれ、うまーい!と思った、ってのがまた失礼でありますね、世界のムラカミだっての。

壁 に閉ざされた世界に、影を持たない(影と引き離された)人が住んでいて、人のほかには短角獣がいるだけ、という世界の夢を繰り返し見ていた少女。いつしかその壁の中に入り込んだ男。図書館に勤めて、人の夢を読む仕事に就くことになる。男が17歳の時に出会った少女が、成長した姿でそこにいるのだが、彼女にはその別世界での記憶は無い。

留め置かれている場所で、少しずつ弱っていく自分の影。瘦せこけた影と脱走しようとして、最後の最後に影だけを別世界に帰す。

はずだった、のに、男の実体が、現実世界に戻っているところから、第二部。それまでの仕事を辞め、地方の図書館に職を求める。元の館長は、70代半ばでベレーをかぶり、なぜかスカートをはいている男性だった。あれこれ教えを請いながら館長としての役割をこなしていく。が、元館長の子易さんは、もう死んでいる人だった。自分と、以前から務めている司書の女性と、もう一人、サヴァン症候群かと思われるいつも図書館に来てあらゆるジャンルの書物を読んでいる少年だけに、その姿が見えている。少年が神隠しのように突然姿を消す。子易さんの墓前でひとり壁の向こうの世界の話をしていた時に、それを聞いていて、そこの地図を描いた少年。イエローサブマリンのヨットパーカーを着て。

そして第三部。

私とは?時間とは?みたいなことなんだろうなあ…ということぐらいしか、その内容、テーマのようなものはわからないままだが、それはそれとして、良い小説だ。と、思ったムラカミ素人のわたくしでした。そのうち、関連があるという『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』も読もうと思っています。

EVERYTHING EVRYWHERE ALL AT ONCE

脚本・監督・製作 ダニエルズ

出演 ミシェル・ヨー キー・ホイ・クァン ジェイミー・リー・カーティス ステファニ ー・スー

噂のエブエブ、観てまいりました。

予告編を何度か目にしたし、トンデモな展開になることはわかっていたけど。

くたびれた中国系アメリカ人のエヴリン、コインランドリーを経営している。夫は、実は離婚を考えている。娘には女性の恋人がいる。父親が中国からやってくる。ある日、国税局から呼び出しを食らう。経費と認められない出費のことで責められている途中で、夫ウェイモンドの様子が変わる。別宇宙から来た別のウェイモンドだと言う夫は、強大な悪人を倒せるのはエヴリンだけ、と告げる。

別の宇宙でも人々の姿かたちは同じで、別宇宙に同時に存在して行動している、マルチバースってもう付いていけないじゃないか・・・何がどうなってるって?かくもあり得た様々なエヴリンがあちこちの世界に存在する、そしてその別宇宙の悪人は、母子の関係が良いとは言えない娘ジョイだった。

展開が忙しく、マルチバースに移動するには妙な手段が必要で、そりゃあお下品な手段もあり、なんだこれ、こんなのがアカデミー賞総なめ?と疑問符もわくというもので。

全体では英語だが、中国人同士の会話は中国語、基本は北京語で、でもおじいちゃんは広東語だからエヴリンは父親とは広東語で話している。それ、変でないかい?そして、エヴリンの言葉の中に2回ほど神経病(シェンジンビン)てのがあった、キチ〇イというような意味だが、そんな訳は出て来なかった。夫の中国語がなんだか、と思ったが、キー・ホイ・クァンはベトナム系だから仕方がないのだった、発音はところどころ?なのだが声調は正しい、という地方訛りがあることにしよう、あるかもしれない。

結局、超壮大なホームドラマなのでありました。マイノリティ、LGBTQ、親子、イマドキの問題を満載してマルチバースにぶっ飛ばす、に、対応できる体力や技術を持った俳優がいて成り立った、超ドB級作品、が、アカデミー賞を獲る時代が、この今なのだな、と思います。もともと、エヴリンはADHDの設定だったそうで、なーるほど、と思われ。初めはジャッキー・チェン主役の映画として企画されたとか。全然別の話になったことだろうなあ。

漢詩の手帳 いつかたこぶねになる日

著者 小津夜景

出版社 素粒社

先にatconさんのブログ Scrapbook で紹介されているので、タコブネがいかような姿のものか、などそちらへどうぞ。

そのatconさんに、私好みでありそうと薦められて。帯を、池澤夏樹が書いている、“この人、何者?”という書き出しで。まことに同意。俳人であり、漢詩について書いている、ということで、読み始めてしばらくは、男性だと思っていた私。ジェンダーバイアスってものですわ。

中国語学習者であるので(中級の入り口で止まったまま長年過ぎましたが)、紹介されている詩を、中国語読みして押韻を確かめたり、日本語の普通の読み下し文にしてみたり、そんなこんなで数か月。こんなに柔らかい日本語訳になるのは、著者がフランス住まいであることと関係があるのか?ほかの国に住んだことが無いから、漢詩の英訳や仏訳にお目にかかる機会はとんと無かった凡なる読み手の私。蘇軾の有名な詩『春夜』の 春宵一刻値千金 が、はるのよの ひとときは かけねなき ゆめごこち と訳される。そしてそこから、古田織部のお茶会で客が「春宵一服値千金」と感想を述べた、また、山東京伝の弟・三頭京山による“春宵一刻煙草二抄”という滑稽本、から、著者の母上が「春宵一服タバコにしよう」と口にしていた、と。さらにおさないころの著者はそれを開高健のコピーだと思っていたとは。おさないころ っていくつの頃?

たいそう教養あるヒッピーみたいなご両親の元に育った?小津夜景さん、と、勝手な想像。

小津夜景日記 というブログを今開いて、2023年3月13日付の文章を読んでみた。フォークとナイフ、そしてハサミ というタイトルのその文章がああうるわし。本で読むと、たぶん時間がかかるはず、まずこのブログからいかがでしょう。