2025年4月30日(水曜日)
著者 山口美桜
出版社 東京創元社
救急医、武田の見た溺死体「キュウキュウ十二」は、自分の顔そっくりだった。クローンのように。
同じ大病院に勤務していると知った、中学の同級生だった城崎と共に、その身元不明、瓜二つ,である死体の身元を調べ始める。
生殖医療の初期(と言っていいかな)、思い起こすと、匿名で精子を提供する話、よく目にしていた。今は?生殖医療の結果、日本ではまだ出自を知る権利を認められてはいないけれど、生まれた子どもが親を知る権利の問題から、ドナーが少なくなっているらしい。精子のみならず、卵子提供も当然あるわけだが。
医師である作家の、第一作(!)。ぐいぐい引き込まれる。途中までは一気に読む。美形で特殊な推定能力のようなものを持つ城崎がホームズ、事件の当事者ながら武田ワトソン的な役割でもあり、シリーズ化されるかも、と思わせる。
のだが、ねえ、この結果って・・・どうなの?これしかないかもしれないけど。実際、これに似たケースは実在するらしいことが途中に出てくる。
第34回鮎川哲也賞受賞作。今気づいた、最後のページに、城崎と、武田ではない研修医とのコンビの第2弾が刊行予定だって。
2025年4月27日(日曜日)
監督・脚本 劉伽茵
出演 胡歌 呉磊 斎溪 娜仁花 甘昀宸
胡歌、呉磊と言えば、かの名作ドラマ『琅琊榜』のコンビなのだから、そりゃ期待する。が、この映画では、脚本家の夢破れて弔辞ライター(葬式ではなくて、追悼の会での、監督が創った職業であるらしい)をしている男であり、少し猫背で全くスターオーラの無い姿の胡歌、同居している弟?、と思っていた良くわからない若い男・呉磊、という姿で進む。
ずいぶんしっかりと調査した上で書かれる弔辞は、評判が良い。一緒に起業した会社のCEOが急死し、戸惑っている同僚、余命宣告を受け依頼してきたけれど、しばらく命がつながっている、ユーチューバー高齢女性、あるいは突然女性が押しかけてきて、彼が書いた弔辞に文句を言い立てる、彼女は亡くなった男とネット上の友人だった、など、さまざまな顧客やその友人がいて、さまざまな人生を垣間見る。
長く故郷に帰っていない。電話で話すだけの両親は、彼がまだ脚本を書いていると思っている。その誤解を訂正することは無い彼。
ホワイトボードに横一本の線を引き、亡くなった人の人生のポイントを描いて行く、それは脚本家としての習性なのか。
何ほどの変化、事件があるでなく、淡々と進んでいく。
後半に至り、あるきっかけでホワイトボードがひっくり返され、裏面が現れるとそこには…。
上海国際映画祭で賞を獲ったというこの作品だが、なんだこれ?という人がいるだろう。私は次第に好きだと思ってきて、最後に流れる歌声、この歌良いなあ、と浸っていたのだが、胡歌自身の歌声なのだった。
で、黄磊という俳優が出ているはずなのだが、あの辺に出てきた彼かなあ?わからなかったのだ、残念、でもあるし、なぜ私はこの映画を佳作と思うのだろう、とも思っているし、もう一度観に行きたいと、希望しています。呉磊はかつて胡歌の子供時代を演じたことがあるらしい。2度目『琅琊榜』で今回3度目の共演だそう。原題『不虚此行』は、無駄足を踏まなかった、行った甲斐があった、という意味。
2025年4月22日(火曜日)
著者 川上弘美・
文春文庫
川上弘美作品をどう紹介?解説?するか?。読後、要するに好きか全く興味が無い(さっぱりわからない)かどちらかになるのだろうと思う。
短編、ごく短い話ばかりの、最初の『ひみつ』は、欅の木の下に白い布が落ちていて、めくるとこどもが現れ…という話。こどもは大きな風呂敷ほどの布の下に住んでると言う。次の日にも会ったこどもが、成長しないこどものまま30年い続けている、という。こどもは変わらないが語り手は変わっていく。そういう、それだけの話。
時代がいつなのか、ちょっと混乱する。『スナック愛』では、朝の7時半から開いているその店にお客はほとんど来ない。オーナーのおばさんは「フランシーヌの場合」「白い蝶のサンバ」「ざんげの値打ちもない」を歌う。レトルト食品を出す店に、町の人たちは決して行かない。「蠅の王」ではこの町のギャンブルを丸じいという男が取り仕切っていて、十匹並べた豚にそれぞれ何匹の蠅がたかるかを競うのだ(私は昔々ゴールディングの“蠅の王”を読んだ記憶はあるが、蠅が群がる豚の頭が出てくる話だったことすら覚えていなかった)。『拷問』では政府が転覆。革命軍がNHKを占領し、革命軍の作ったビデオを流し続けるのでためしてガッテンもサラメシも見られない。このあたりでは時間は流れるのでなく跳ぶ、または飛ぶのか。
解説を作家の古川日出男が書いている、その中で『おばあちゃん』という話の中に語り手が小学校低学年だった時に、まだ40代半ばだった人をおばあちゃんと呼んでいて、その人の家には自分より年少の男の子がいるのを目にした、と語られていること、に、ついて。その男の子は白い布の子か?するとそこで語り手の交代が行われているのか?という考察がなされている。私はなーんにも気づかず読み過ごしてしもうたよ。
たまに読むたびこの作家の作品が好きだと思うが、その割に少ししか読んでいない。この妙な話を、もう少し読み込んでみよう。ふわっと読み進むだけでは気づかないことがまだあるだろう。
2025年4月17日(木曜日)
著者 マーガレット・アトウッド
ハヤカワepi文庫
『侍女の物語』から15年後の、あの男性上位男尊女卑国家ギレアデの物語。あの、と言っても読んだのがいつだったか、ギレアデの国家の仕組みをちゃんと覚えてなどいなかった私である。そして、この『誓願』で、まず最初の語り手は誰なのか?次の章の証人の供述はいつの、誰の?などが知らされないまま進んでいくので、一つ一つ嚙み砕こうとして時間がかかった…が、ちゃんと目次、それぞれの表題を見ておかなかった私が悪うございました。
ギレアデ、核汚染やさまざまな問題を抱えて維持が難しくなっていたアメリカ合衆国にある日クーデターが起こり、東海岸方面に生まれた、キリスト教原理主義による男性優位国家。身分制度(女性たちには特に奇妙な)がはっきりとあり、監視社会である。イランとか、イスラム教の国で突然国家体制がはるか昔の形に戻り、女性が教育を受けられなくなるなどの例はしばしば見聞きする。それがアメリカという国で、という話だが、2025年現在、トランプ大統領というお方がなにかと引っ掻き回している状況、性別は男性と女性だけ、LGBTQ?知らん、という態度など、第二次世界大戦以前の社会へ戻そうとしているようだし、全くの虚構でも無さそうに思えてしまう。芸能界、マスコミの一部に、実にいつの時代だ!と思われる女性蔑視的な姿勢がまだ残っていることを知らされた昨今の日本であるし。
『侍女の物語』から続けて読めればよかったなー、と思う話。リディア小母という人の在り方など特に。長い話だが、読後感は悪くないですよ。
2025年3月26日(水曜日)
監督 ギデンズ・コー(九把刀)
出演 クー・チェンドン ビビアン・ソン ワン・ジン マー・ジージャン
近所の老人たちとバスケットボールを楽しんでいたところへ、急な雨。落雷で死んでしまう青年孝綸。冥界に来た。あれこれあって、同時期に冥界にやってきたピンキーと共に現世で“月老(月下老人)”として縁結びの役目を果たすことになる。
台湾だなー、仏教の寺のほか道教の廟とかたくさんあるもんねえ、韓国のホラーな悪霊とだいぶ違うな、と思いつつなんだってこんな映画?と。『あの頃、君を追いかけた』『私の少女時代』『セデック・パレ』などとても好きな台湾映画で見知っている顔が数人出ているけどどこへ行く、これ…。
落雷を受けたせいか記憶を失っていた孝綸だったが、一頭の犬が目の前に現れたことで記憶を取り戻す。小学校時代に転校してきた女の子、小味に一目ぼれ、その教室でプロポーズして以来、ずっと変わらず追いかけ、結婚するはずだったこと。
ホラー系ファンタジーでちょっと下品で青春映画で、いろいろな要素てんこ盛りでありながら破綻せず成り立っている、というのはなかなかの手腕ということだろう。冥界のホラーな造形のお方たちのシーンでもつい笑いがでてしまうのでしたよ。それにしても、『あの頃、・・・』が2011年、『私の・・・』が2015年かー、瞬く間…。
2025年3月10日(月曜日)
著者 阿部暁子
出版社 講談社
死んだ弟の元恋人を、カフェで待つ姉。元恋人は遅刻している。現れた女、小野寺せつなは、デニムのつなぎ服、コンバットブーツ姿。遅刻を詫びることも無い、不躾な質問にいら立っていた姉、薫子がその場に倒れる。倒れた薫子をマンションまで送ったせつなは、強引に部屋に入り込み、そこにあった豆乳とコンソメなどで温かいそうめんを作り、薫子に差し出す。
妊活を頑張っていたのに夫に離婚され、溺愛していた弟に死なれ、アルコールに逃げていた生活であったことがわかってくる薫子。職業は法務局の供託官。
『カフネ』という家事代行サービス会社に勤めるせつな。薫子の片付けの腕を見込んだせつなが、サービスチケットで2時間業務を行う部分の相棒としてスカウトするのだ。
登場人物それぞれに、それぞれの事情がある。と、言うことが、だんだんに見えてくる。弟・春彦は自然死だったのか?自殺ではなかったか?という、ミステリーな気配も漂う。
2024年5月初版発行、この、今の時代、が、さまざま現わされる。
ところどころで涙腺緩む。誰かの姿に自らを投影させたりする人が多いだろう。が、もうちょっと先取りしてほしかったかなあ…と、感じる私は何者?
第一回あの本読みましたか大賞、その番組を見ていたので読みたいと思った作品。
2025年3月1日(土曜日)
著者 茨木のり子
ちくま文庫
茨木のり子さんの詩のファンの一人だけれど、エッセーを読んだのは初めて。1976年という時代に、ハングルを学び始めていらしたとは。1926年生まれということは50歳で始めて、韓国の詩の翻訳までに!尹東柱という若くして亡くなった詩人がいるという。1945年、日本で、獄死。独立運動の嫌疑をかけられて。韓国では詩というものが人々の身近なものであるらしいことを、ハン・ガンの『引き出しに 夕方を しまっておいた』という詩集を読んだ折に知った。日本では短歌・俳句は身近にあるけれど現代詩を読む人はそう多くは無いと思う。そんな国でもあるのだ、韓国は。
朝鮮の古代の史書『三国史記』を読んで、それは事実の羅列であった、日本書紀は、と言うと、詩歌の数が多い、と。日本の古典は散文と詩が交互に現れる、『源氏物語』など。なにやら事実の叙述だけに耐えられない性格を日本人が持っているのかも、と指摘される。ほう、と思う。日本人、日本語のあいまいさ、って日本書紀時代からの遺伝子?韓国との比較で言われているのは、日本では野の花一つ一つに名前がついている、韓国で聞いても野の花ですまされる、なども。
山本安英という女優さんの『夕鶴』を、観たことがあったなあ。いつのことだったか。その山本安英さんとお付き合いがあった話、木下順二さんの話。令和の時代の人が知らない演劇人の、佳い話。
閑話休題ちょっと寄り道。軽佻浮薄目を掩わしむ という一節があったのですが、読めますか?わたくし読めず、調べました、おおわしむ だそうで。書けないけど読む方は、なんて口にするのはやめます。
ちょっと嬉しかったのは、吉野弘の『祝婚歌』の章、昔々、私も友人の結婚式でそれを朗読したことがあったので。
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ
とうたった詩人の、背骨の伸びる思いの、文章でした。40代半ばで中国語を学び始めたけれど中級入口付近でずっとうろうろしている身、bakamonoですわ。
2025年2月22日(土曜日)
監督 パウル・ネゴエスク
出演 コリアン・ポステルニク ヴァシㇾ・ムラル アンゲル・ダミアン ダニエル・ブスイオク
広々と土地が広がる静かな田舎の村。凡庸な、部屋を売って果樹園を営む夢を抱いている警察官イリエ。若い新人が赴任してくる。新人警官ヴァリが、ゴミが落ちていると指摘する、イリエはそんなに気になるなら自分で拾え、と返す。後々、それがこの美しい土地の内情を現している会話だったことが見えてくる。
何もない何も起こらない田舎の村。ミスマープル物でよく描かれるように、そんな夢の村など存在しない。いつの話?100年前ならありそうだが、スマホを持ち、パソコンを使っている現代で、ひどい腐敗が淡々と何事も無いように蓋をされていることが次第に露わになってくる。そこに慣れ、おこぼれにあずかって生きていると見えたイリエだったが。殺人事件が起こり、一人で聞き込みを続けていたヴァリが、重傷を負ったことにより。
映画紹介のブログをサッと読み、良さそうだな、と頭の隅に入れる、ブログの中身はほぼ忘れている。で、途中まであーこれは観なくても良かったかなー、と感じていた。ちらちら笑えたりする部分もあるがなんだかなー、一見、人が良さそうだがその実おぞましい爺さんたち、村のトップ2。
ルーマニアだったのか。
秀作。ハッピーエンドでは無いが、後味は悪くない。なんだかねえ、あの戦いぶり、最後…。
2025年2月19日(水曜日)
監督 ジン・オング
出演 ウー・カンレン吴慷仁 ジャック・タン
マレーシア、最下層であろう人々の生活。
たまたま夜中のラジオでアグネス・チャンのユニセフの活動の話を聞いたばかりだった。タイで貧困という理由で売られる女の子たち、少女売春、その結果、病気になると山に捨てられる、という話。いまどき。テレビタイのBLドラマを見る、また、アジアからの旅行客をよく見かける、少し異質なお洒落をしている女の子たち、などとは全く別の世界の貧困。初めの画面でそのことを思い出していた。
聾啞者である兄と、半グレのような弟。身分証を持たず、普通の権利を与えられずに過酷な生活の中にいる兄弟。銀行口座も作れないので、空き缶の中に稼いだお金を入れている。彼らと昔から親しい女装のマニー、IDを持たない人々を助けようと頑張る女性ジアエン、兄と親しいミャンマー難民の女性、など。
後半、事件が起こる。殺意など存在しなかったのに、ジアエンのただただ親切な、行為からの始まりが、彼女を死に至らしめてしまう理不尽な経緯が。
長距離バス?に乗り逃げる兄弟。
弟を置き去りにして自首する兄。
刑務所で、僧侶に向かって手話で強く気持ちを吐露するシーン。今まで地道に辛抱強く生きていると見えた彼の中に溜まっていた不毛の想い。
ゆで卵の殻を互いの額に打ち付けて割るシーン。子供の頃からの習慣。残り三日、となった時にもそれをする。
ジアエンに対しての気持ちは?とかおい弟!とか割り切れないものはありつつ、ビーと涙しました。吴慷仁、台湾の俳優さんだそうです。いい俳優さんです。音楽が片山涼太という日本人、台湾で活動している人だそう。
マレー語・英語・北京語・広東語、そして手話、多民族国家マレーシア、IDを持たない流れ者たちがそれ以外の言語で話していたかもしれない。ポスター(チラシ)見ただけでは『ブエノスアイレス』系の作品を想像しそうだ、血のつながった兄弟ではないが、そいうことではない。
2025年2月17日(月曜日)
著者 恩田陸
出版社 筑摩書房
バレエマンガは昔からたくさんある。いにしえの『アラベスク』など、いくつか読んでいる。バレエ小説は?私は初めてだった。
バレエのワークショップで、JUNには目に留まって仕方がない参加者がいた。HAL。純は両親がバレエ教室をやっている。春はある日バレエの側から捕まえに来た、ような、バレエの師との出会いがあり、8歳から始めた。いわゆるバレエの申し子。いや別に天才と努力の人などと、単純に描かれたりはしない。
萬春よろず・はる 男性。バレエダンサーにして若い時から振り付け家である春を巡り、純を始め、叔父の志田稔、滝沢七瀬、そして春本人が語る形で描かれる。それ以外もそれぞれ魅力的な出演者たち。
私の身内に踊る人がいたから、バレエも少しは観ている。どちらかというとコンテンポラリーが好きだ。ずいぶん昔のことだがこの本にも出てくるジョルジュ・ドンやショナ・ミルクの公演を見たこともある。そのレベルの人間が一番楽しめるかもしれない。七瀬が作曲し春が振りつけた作品を観たい!存在しないけど。あたかも実際にあるもののように思える。“紅天女”なんてのも出てくる。話の中でもまだ創られていないけれど『砂の女』を映画化の時の武満徹の音楽で、とか、おーい、どんな作品になるんだよ、と思う。『アサシン』とか『蜘蛛女のキス』とか製作された(この小説の中で)ものはどんな?
ずーっと、なにやら人間離れしている存在(まあ例えば羽生弓弦か)に感じられた春だが、本人の語りになってにわかに生々しくなる。ちょっとお!おーい…。な、気分でもある。
『蜂蜜と遠雷』はクラシック音楽の世界の話だった、あれもピアノコンクールのことを何年も取材しただろうことがしのばれた。こちら『spring』の帯には構想・執筆10年とある。そりゃそうだろう。
踊る人だった身内は、もう地上にいないので、ねえ、あれ読んでみて、踊り手としてはどう思う?と聞きたいのだが答えは返らない。
この単行本、真っ白のカバーを外すと本体の表紙がカラフルです。
もうあの爬虫類系の顔を見るのも嫌になって、これではいけないと思うものの。どうして…