2025年9月5日(金曜日)
著者 乃南アサ
新潮文庫
家裁調査官という職業については、この文庫の解説で説明している。少年非行に対応するために、心理学・教育学・福祉学・社会学・法律学と言う5領域から選抜されるものだという。そして、この連作の最初の『自転車泥棒』の中にも説明がある。「少年」と呼ぶが、女子も含まれること、問題を起こした少年の「問題の原因を探る」ために存在するのが家庭裁判所調査官であること、など。
例えば親の過干渉、発達障害、ドメスティックバイオレンスそれも性的な、etc.。
庵原かのんはホテル業界で3年働いた後、裁判所職員採用総合職試験を受けて家裁調査官補に採用されたという経歴を持ち、遠距離交際中の恋人がいる今年35歳になる女性。ビアンキという(イタリア製の)自転車に乗っている。この仕事は3年おきに転勤がある。だから、彼女が担当した少年のその後を知ることはまず無い。
こういう職業に就くには、自らの精神のバランスがぶれない、揺るぎが少ない人でないと難しいだろうなあ…と、何かと揺らぐ私は思う。
動物園に勤めている恋人とか、弟とかがチラッと出てくるのだがこれがなかなか魅力的。恋人との関係の中で、ちょっと心が揺らぐシーンがまああるけどね。
乃南アサは、東京家裁で家庭裁判所委員を2期務めた後、これを執筆したそうだ。かつてこの作家の作品を『凍える牙』を始めいくつか読んだ。庵原かのんの続編やそのほかのものにまた手を伸ばそうという気になっている。帯には乃南ミステリー新シリーズとある。広義にはミステリーかな?
2025年8月19日(火曜日)
著者 王谷晶
河出文庫
7月に英国推理作家協会賞・ダガー賞の翻訳部門で日本人初の受賞!とニュースになった作品。ダガー賞というものは目にしたことがあるけれど、王谷晶という日本の作家のことは初めて知った。そしてニュースで知ったその姿はなかなかのインパクトがあった。
暴力団排除条例とか法律上の規制が厳しくなる前の時代、ヤクザの組に路上でスカウトされてしまう女、新道依子22歳。組長の娘・内樹尚子の運転手兼ボディガードとして。
最近は血腥い小説を読まないが、かつて読んだ裏社会物のどれよりひどい気がする暴力と下卑た言葉の暴力と下卑た男達の頭の作りたるや、実に!なんだかんだ言って、男性が書くと同じ事でももう少し理屈つけカッコつけた任侠世界っぽくなるんじゃないか。女性作家だからこその身も蓋も無さ。
なんだけど。
そもそもババヤガって何?ググったら、スラブ民話に出てくる魔女バーバ・ヤーガ、日本の山姥に似て、人をさらって食うこともあるが人助けもする、というものだそうだ。ムソルグスキーの『展覧会の絵』の中に『鶏の足の上に立つ家 バーバ・ヤーガ』と言う楽曲があるって。なんだか祖母を指す意味もあるとか。で、もう一度この暴力小説を読み直すと、そう、新道依子は祖父からは暴力の使い方を教えられ、青灰色の目をした祖母からはお話を聞いて育ったのだが、依子が一番好きだったのは鬼婆の話で、鬼婆は鶏の足が生えてる家に住んでる、というのをお嬢様尚子に聞かせる部分があるじゃないか。
四十年後、というところに及ぶのだが今から読む人のために詳しくは申しません。トンデモな破壊力、でも読後感は悪くない。映画化したくてもキャスティングが厳しい、セリフが(だけじゃないが)汚すぎる、たとえ映画化されたとしても、決して地上波で放映できないね。
2025年8月7日(木曜日)
監督 高橋伴明
出演 毎熊克哉 北香那 山中聡 原田喧太
ちょっと気にはなっていた作品を、高く評価している人がいたので、映画館へ。
東アジア反日武装戦線、腹腹時計、古い記憶の隅にはある。70年代のその過激な活動を語るシーンにはイライラうんざりしてああ間違ったかな、と思っていた。が。
70年代の連続企業爆破事件により指名手配されていた男、桐島聡。2024年1月、末期の胃癌で神奈川の病院に入院していた男が、桐島です、と名乗ったというニュースに驚いた。指名手配ポスターで長年目にしていた男。内田洋と名乗って、土木関係の仕事に就いて普通に暮らしていたのだった。
ライブハウスでもあるバーのマスター役を原田喧太がやっていて、お、と思った私であります。原田芳雄さんの息子のギタリスト。今でもたまに演技もやっているのか。まあこの役は役名もケンタ、芝居は要らないけど。その店でキーナと言う女性が歌った『時代おくれ』を聞いて、店を飛び出して涙する内田洋。北香奈が演じるキーナの澄んだ声のその歌は、河島英五の歌であることをちょっと忘れる雰囲気。
淡々と普通に、カラオケで歌ったりバンドの演奏に浮かれていたりする生活、だけれどキーナに寄せられる思いに答えることはできない。テレビ画面でしゃべる安倍首相に耐えられず画面に物を投げる。そこは監督の感情だったかもしれないが。
過激派の理屈の部分が過ぎたら、その地味な生活に引き込まれていた。
出自がロマンポルノやピンクの役者さんが何人か出ている。ちょっとした感慨。
2025年7月20日(日曜日)
監督 ニック・チェク
出演 ロー・ジャンイップ ロナルド・チェン ショーン・ウォン
高校教師のチェンが勤める学校で、自殺を思わせる遺書のようなものが見つかる。“私はどうでもいい存在だ”というその言葉が、チェンの子供の頃の記憶と重なっていく。弁護士の父は、躾と言えば体罰しか頭にない厳格な親だった。勉強もピアノでも良くできる弟と、どちらも頑張ってもできない兄。兄が書き綴っていた日記。
初めの方に、兄が屋上から飛び降りる映像、が、そこにはもう一段低い部分があって、その上に立っている兄。
眠れないから精神科に連れて行って欲しい、と、親に頼むだけの判断力がある子供、その要求を蹴る親。父だけではなく、母もまた夫からのドメスティックバイオレンスの犠牲者でもあり、それから逃れるために兄を責める。
ある日、とうとう身を投げる兄。母は家を出て行く。
地味な教師になっているのは兄だと思って観ていたのは勘違いだとここでわかる。親の言うなりに何も考えず優等生の道を進んでいた弟も、その道を行くことはできなくなる。
たいへん優秀な兄妹の間で、そこまでではなかった同級生、とか、よくある話だよね。勉強が好きではない人から見れば、それでも十分良い学校に行ってるじゃないか、と思えるのに、何かしら心を病んだ噂が伝わってきたりしたことが、私の周りでもかつてあった。
この映画の場合、そんなに大昔の話でもないのにどうしてそこまで?と思ってしまう両親の在りよう。父親役のロナルド・チェン鄭中基を、昔、歌手として知ったのだった。
この先観る機会があるかもしれない誰かさん、その後がどうなるかは、ご自分で確かめてください。良くある話、ではありますが、佳作だと思います。ニック・チェク監督のデビュー作。主演のロー・ジャンイップは監督もする人だそうです。
2025年7月16日(水曜日)
監督 アッター・ヘムワディー
出演 アンソニー・プイサレート ピシットポン・エークポンピシット ティティヤ-・ジラポーンシン
高校生の男の子ペーが振られて、ついカッターナイフで女の子の頬を傷つけてしまう。そして高校退学。転校した高校の隣の席には人懐っこいジョーがいて、何かと話しかけてくるのだが。
どんな展開に?と思う間もなく、ジョーは車にはねられて亡くなってしまう。ジョーは、エッセーを書いていてそれがコンテストで受賞したとの知らせを受けたところだった。
短編映画のコンテストに入賞すると、大学の映画学科に入学できることを知ったペーは、彼のエッセーを基に映画を撮ることを企画する、ジョーの親友だったことにして。中学時代に実際にジョーの親友だった少女ボーケーや映画オタクの同級生たちとなかなかに頓狂な(どこかで見たような)映画製作を進めていくが。実は、そのエッセーは・・・。
青春コメディータッチで笑う部分もあちこちにありつつ、後半、え?え?どれが本当?と戸惑ってしまう重層の作りになっていて。予備知識無く観た作品が、佳作だった。
ペー役の少年が北村匠海によく似ている。いつか同窓会でこの時の話に花が咲く日がある彼らであることを願いたい気がする。
2025年7月5日(土曜日)
監督 陳小雨
出演 葛兆美 劉丹 呉洲凱
水郷・江南の徳清。昔、母は舟で嫁入りしたという運河の町。
一人で気楽に暮らす母のもとを、上海で生活している娘家族が訪れる。アメリカ人の夫と一人娘がいる。みんなで夕飯を食べて、夜には車で帰って行く。語学学校を営む夫婦だが、経営は厳しい。帰路、母と電話中に、母が倒れたらしい様子。
病院で、余命宣告される。手術はできず、化学療法を続けるしかない。娘はもっと良い治療法があるはずだと、主張する。が、入院で苦しい治療を続け、同室の病人から嫌がられたりすることが母には負担であり、帰って自分の家で暮らすことを望む。そこそこ大きい病院のようだったが二人部屋にカーテンも無いんかい、と思いながら観る。
結局、自宅に戻り、娘が介護にあたる。夫と娘がアメリカに行っている間?と思ったがそうでもないようだ。息子もいるが、独身であまり頼りにならない。亡くなった父のように大工になりたかったが、反対され、地元で観光ガイドをしている。実は早逝した兄もいた(一人っ子政策の時代に?と思うが、地方によっては緩やかだったとか)。
背景の景色は美しいが、昭和の日本のような家族の在りよう、それぞれ事情を抱えてそれぞれ母への思いはあって、齟齬があって。
と、思ったら、この1994年生まれの監督は、小津安二郎の影響を受けているそうだ。なるほど。台湾のエドワード・ヤン監督を愛し、チベットのペマ・ツェテン監督の指導を受けたと。
エンディングに流れる歌が、『むすんでひらいて』のメロディで 不要怕船小 不要怕浪头高 船が小さくても怖がらないで 波が高いことを怖がらないで と始まる。曲が同じなのに全く違う柔らかい歌に聞こえる。帰宅後調べると、このメロディ、実はジャン・ジャック・ルソー作曲なのだそうだ。日本でも讃美歌~唱歌~軍歌、と変わって、戦後に今の童謡が広まったのだって。
原題 乘船而去 英題Gone with the Boat この英題、Gone with the Wind風と共に去りぬ に乗っかってるよね。
2025年7月4日(金曜日)
監督 エドワード・ヤン楊徳昌
出演 クー・ユールン柯宇綸チャン・チェン張震 タン・ツォンシェン ワン・チーザン ヴィルジニー・ルドワイヤン
この1996年の映画を、ビデオテープの時代にレンタルで観たのだが、どうやら3%程度しか記憶に残っていなかったようだ。張震、ルンルン、そしてフランス人の女の子が出ていて、スタッフとして出てくるオリヴィエ・アサヤスって何者?と思っていたこと、ぐらい。
なので、この時代経済発展ど真ん中、台北、都会、という背景と猥雑なあっけらかんな土着な、少年なんだか青年なんだか要領よく立ち回っているようで頭悪そうでもある4人にはいささか驚く。リーダーのレッドフィッシュは金持ちの親が最近事業に失敗して、親は借金取り?債権者?に追われている。ホンコンはその見た目を武器に女性を弄ぶ。坊主頭のトゥースぺイストはニセ占い師。新入りのルンルン。ホンコンが拾ってきた女は4人で共有するルールであるらしいとんでもなさ(マワすと言ってる)。空前の繁栄中の台北には外国人も集まってくる。恋人だった男を追いかけて、フランス人少女マルトもやってきた。
うさん臭さ下品さ満載の坊主頭トゥースぺイスト(歯磨き?なんで?)は、あれ、『クーリンチエ少年殺人事件』の、綺麗な声でプレスリーを歌った子だよねえ、こんな姿になってる。張震、柯宇綸もクーリンチエの少年だった。
あれこれの後、大人のお姉さんたちにマワされそうになるホンコン、大声で泣き出す。ずっと泣いている。
レッドフィッシュは、歯車の狂いで不幸な方へと転がる。
最後に希望の灯がともるのはルンルン、このころの柯宇綸は張震よりも見目麗しいと思うぞ。
原題『麻将』日本では麻雀と書くマージャン、4人の若者が調子に乗って大人たちをうまく転がしているつもりでおかしな方向に行くこの映画、古さを感じない。
オリヴィエ・アサヤスは、この頃の台湾ニューシネマにかかわったのち、フランスで映画監督になって一時はマギー・チャン張曼玉と結婚していた。ヴィルジニー・ルドワイヤンの映画も撮っているようだ。そして、知ってる人は知っている探偵濱マイクのシリーズの監督、林海象がどこかに出演しているのだそうだが、どこ?どれ?
2025年6月26日(木曜日)
監督 李相日
出演 吉沢亮 横浜流星 渡辺謙 田中泯 寺島しのぶ 高畑充希 黒川想矢 越川敬達
Netで見かける評は、8割がべた褒め、その8割のほとんどは歌舞伎をよく知らない人々、そして2割は評価しないもので、歌舞伎に詳しい人達。そして、歌舞伎の世界にいる人の評は悪くない、これを機に歌舞伎の舞台も観てほしい、と。
私は歌舞伎を観たことがある、というレベル。ド素人。で、あるが、時に強烈な違和を覚え、ドラマに没頭するには至らなかった。役者たちはみな、とても良い。何故女形であるらしいのに渡辺謙をキャスティングしたのかは不可解だが。主役二人(少年役も)がたかだか1年半の稽古であのレベルの踊り、振り、発声ができるのは凄い。が、ほとんど生まれた瞬間からその世界に身を置いている人たちとは並ぶべくもないのであり。バレエは高く飛翔する動きだが、日本舞踊や舞の、らせんを描くような身体のかたちは…。
と、いう技術の話は置いてしまおう。侠客の家に生まれた少年が天才的に踊りがうまく、かつ美しいのだ。そして争いにより父が死ぬ。直前の宴会の席で少年の踊りを見かけていた歌舞伎役者が、弟子として引き取る。そこには同年配の跡取り息子がいて。互いに対する嫉妬、羨望、或いはそれゆえの切磋琢磨。
私には時に、強烈に違和を感じる何かがあり、ドラマに没頭するまでには至らなかった。
後半に至って、中村歌右衛門さんを思わせる老いた女形役の田中泯さんが、その病床に吉沢亮を呼ぶ、手の動きからあとのしばらく、震えた。涙ぐみそうだった。何ほどの派手なことも無いそのシーンだけで、観た甲斐があるほどに。
私は吉田修一の原作を読んでいないのだが、どうやら私が感じた違和感の大半は、原作を読むと解決するらしい。そんなドサ回り舞台?とか駆け落ち妻はどうなった?とか妙な客とか、あれこれの細かい部分については。いつか読む日があるか。
『べらぼう』を見ていた時にふと、この役を若き日の勘三郎サンが演じていたら、と思った瞬間があった。横浜流星のひたむきにその役に向かう姿勢が見えすぎると言うか、勘三郎サンの色気があったらなあ、と思っちゃったのです。そして、若き日の、と言うなら、はまり役を演じた時のジュリー沢田研二にあった放射線、毒のようなものが、吉沢亮には見えない、気がした、のはまあ年寄りの繰り言かー。
2025年6月22日(日曜日)
監督 カン・スンヨン
出演 カン・シニル キム・ギュリ ペク・ソンヒョン
映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』やハン・ガンの小説『少年が来た』などで描かれた、光州に於いて1980年5月18日から27日にかけて、というごく短い期間に起こった、軍事政権とそれに対して民主化を求めた学生や市民との戦い。デモに始まり、それを鎮圧しようとしてどんどん残虐になっていく軍。
事件前日、小学生チョルスの祖父がオープンした中華料理店。市井に生きる人々、新しい生活が始まったばかりで希望に満ちて。チョルスは近所の同級生の女の子に恋していて。
日本でも、60年安保闘争、70年頃の全共闘その過激化で内ゲバ、リンチなどもあった、死者も出た、のだが。一つの国が共産圏と資本主義の国に分割されてしまい、あの大きな太平洋戦争が終わっても内戦は(少なくとも感情的に))終わっていない、と、言う状況下では、これほどの弾圧が、80年に、起こってしまう。アカという言葉が生きて使われる。
何度も光州事件にかかわるものを見聞きし読んでも、どうにも、どうしてこんな?と思ってしまう。隣の国日本の1980年を知る私は。それでも、同じ国の人間たちが争いたくさんの人々が殺されたこの事件が、映像化され語られる韓国であり、天安門事件を決して認めず、だから無かったことにされている中国とは雲泥の差であるけれど。
同じ国の人間同士で銃を向けあうことがなかなか理解できない、それでこの文章を書き終えることが遅れている間に、たとえばアメリカ国内で、トランプ大統領の移民政策に反発する人々がデモなどの行動を起こしている。対抗するために軍を発動させた大統領。
どこかが少し傾くと、驚くほど簡単に崩れて行く。異常なのは気象だけで十分な今だと言うのに。
2025年5月10日(土曜日)
著者 辻堂ゆめ
創元推理文庫
蒲田署刑事課に勤務する森垣里穂子には、6歳の頃にテレビで見た幼い放置子二人の悲惨な状況に泣き出した記憶があった。
殺害未遂事件の犯人とみられる女性ハナと係わるうちに、無国籍の人々が暮らすコミュニティの存在を知る。
離婚した場合、女性に限り、半年は再婚できなかった法律が、離婚後100日に変わったのが平成28年6月、そして撤廃されたのは令和6年4月だって。出生した子どもの父親の推定が重複するのを避けるため、だったんだとさ。要するに半年以内に出生届を出すと、自動的に前夫が父親と認定される仕組み。で、DVなどで前の結婚から逃げた女性の場合、居場所を知られないために、子が生まれても出生届を出さない。戸籍の無い人間となる。或いは何かしらの事情で無戸籍だった者に子が生まれ、無戸籍2代目、3代目となる。公的機関の受付あたりの壁に、無戸籍の人に向けたポスターが貼ってあるのを見たことがある。ああ、このあたりにもいるかもしれないのだ、と思った。
羽山という匿名捜査対策室の刑事と共に捜査を続ける里穂子。かつてテレビで見た放置子の事件は、『鳥籠事件』と呼ばれていた。その事件と関連しているのではないか、という様相が現れてくる。コロナ禍の時期の話なので、何かと捜査が進まないこともある。
2004年の是枝監督の映画『誰も知らない』で広く認識されるようになった放置子、無国籍子。作家はきちんと細かい調査をして取り組んでいることがわかる。第24回大藪春彦賞受賞。
もうあの爬虫類系の顔を見るのも嫌になって、これではいけないと思うものの。どうして…