2025年2月17日(月曜日)
著者 恩田陸
出版社 筑摩書房
バレエマンガは昔からたくさんある。いにしえの『アラベスク』など、いくつか読んでいる。バレエ小説は?私は初めてだった。
バレエのワークショップで、JUNには目に留まって仕方がない参加者がいた。HAL。純は両親がバレエ教室をやっている。春はある日バレエの側から捕まえに来た、ような、バレエの師との出会いがあり、8歳から始めた。いわゆるバレエの申し子。いや別に天才と努力の人などと、単純に描かれたりはしない。
萬春よろず・はる 男性。バレエダンサーにして若い時から振り付け家である春を巡り、純を始め、叔父の志田稔、滝沢七瀬、そして春本人が語る形で描かれる。それ以外もそれぞれ魅力的な出演者たち。
私の身内に踊る人がいたから、バレエも少しは観ている。どちらかというとコンテンポラリーが好きだ。ずいぶん昔のことだがこの本にも出てくるジョルジュ・ドンやショナ・ミルクの公演を見たこともある。そのレベルの人間が一番楽しめるかもしれない。七瀬が作曲し春が振りつけた作品を観たい!存在しないけど。あたかも実際にあるもののように思える。“紅天女”なんてのも出てくる。話の中でもまだ創られていないけれど『砂の女』を映画化の時の武満徹の音楽で、とか、おーい、どんな作品になるんだよ、と思う。『アサシン』とか『蜘蛛女のキス』とか製作された(この小説の中で)ものはどんな?
ずーっと、なにやら人間離れしている存在(まあ例えば羽生弓弦か)に感じられた春だが、本人の語りになってにわかに生々しくなる。ちょっとお!おーい…。な、気分でもある。
『蜂蜜と遠雷』はクラシック音楽の世界の話だった、あれもピアノコンクールのことを何年も取材しただろうことがしのばれた。こちら『spring』の帯には構想・執筆10年とある。そりゃそうだろう。
踊る人だった身内は、もう地上にいないので、ねえ、あれ読んでみて、踊り手としてはどう思う?と聞きたいのだが答えは返らない。
この単行本、真っ白のカバーを外すと本体の表紙がカラフルです。
2025年2月12日(水曜日)
著者 ハン・ガン
出版社 クオン
表紙デザインが良い。その帯に、これは小説なのか、それとも実話なのか。と、ある。
数ページずつしか読み進められない。厳しい内容だ。光州事件 1980年5月18日から27日にかけて光州市を中心に発生した、市民による、軍事政権に対する民主化要求の蜂起。そのさなか、運動に参加した、あるいは巻き込まれた、誰かや誰かの、エピソード。
1980年に、隣の国では、軍事政権により民主化を求める人民が虐殺された、という現実。作家は一人一人のことをきちんと取材したのだろうドキュメンタリーのような描き方。インタビューはしなかった、見られる資料はすべて目にした、と作家は話しているという。現実に15歳中学三年生で殺された少年がいた、そのありようを中心に進んでいく。自国民を相手にしてかくも残虐な行為が。
映画『タクシー運転手』などで光州事件について多少のことは知っていた。文字によって、事細かくあらわされる陰惨さ。もう一度さっと読み返そうと思ったが、できない。このドキュメンタリータッチでありつつ幻想的でもある小説を、読み返せないただの読者の私がいるのであれば、書き手であるハン・ガンが、このあとたまたま縁があったポーランドで時を過ごし、『すべての白い物たちの』を書きあげたことを、ああ、そうか、と思う。書くことで負った傷をいやすための、時間と表現が必要だったと。
2025年2月10日(月曜日)
監督 フェリックス・チョン
出演 トニー・レオン アンディ・ラウ シャーリーン・チョイ
梁朝偉、劉徳華20年ぶりの共演、そりゃあ観に行きますよ。
が、いつものように何の知識も無く観たら…初めの方ではもっとコメディになりそうな絵柄だったのだけど、あれ?まあ私に経済の知識が無さすぎたり時代設定いつ?になったりそのICACって何?どんな組織?どっち側?とかとっ散らかってしまいましたのさ。
後半になって、さすがにわかってきてから、ああこれ最初からもう一度観たい、と思ってしまいましたわ。この映画を観る人はだいたい『インファナルアフェア』を知ってるはず。そのインファナルアフェアトニーとアンディの立場が逆転した状況、トニーさん凄腕詐欺師、アンディが汚職対策独立委員会ICAC捜査官、というくらいの基礎知識を持って観たらよかったなあ…。
80年代の香港はバリバリに好景気、そういう時代はどちらのお国でもずいぶんお下品なお遊びが、とか昨今の某TV局騒動未だにあの時代気分のまま…など思い起こすものであったり。
この女性見たことある気はするけど、と思ったら、ツインズの蔡卓妍シャーリーン・チョイか。若い時の映画しか知らないし。そしてサイモン・ヤムがあーさすがにおじさん、えーと知ってる人そうそうアレックス・フォンだった、など。
これが実話を基にしているってのがすごい。いずれネットフリックスとかで観られることを願うものなり。広東語を聞き取ろうとすることに気を取られていてなんだよさっぱり、と思っていたのも理解が遅れた理由の一つだったけど、きっと福建語部分が多かったんだろうなあ。頓狂な額の詐欺であの程度の罪かー。
2025年2月6日(木曜日)
監督 ソイ・チェン アクション監督 谷垣健治 音楽 川井憲次
出演 ルイス・クー、サモ・ハン、リッチー・レン、レイモンド・ラム、フィリップ・ン
九龍城砦、かつての香港に実在した、間違って一般人が入り込んだが最後、と噂された治外法権継ぎはぎ迷路状スラムのビルのを舞台に、80年代黒社会が張り合う中で。
密航して来た陳軍洛は、格闘試合で勝ち進んで賞金を手に入れようとする。身分証を手に入れるために。が、試合を取り仕切るのはやくざの親分、強い男を手下として取り込むことだけが目的だった。だまされて逃げる途中に金の袋と思って引っ掴んだものには麻薬が入っていた。九龍城砦に逃げ込んだ陳洛軍。
もうねえ、30回ぐらい死んでるだろう(それぞれが)、って香港王道アクション映画久しぶりに観ましたよ。何の知識も無しに観に行った私、古天楽ルイス・クー、任賢斎リッチー・レン、ああかつてのお兄さんたちがおじさんになられて、しかしバッシバシのアクションなさって!御大サモハンは言わずもがな。ん?この人は?郭富城アーロン・クォク!いちいち嬉しいご対面感。陳洛軍役の林峯レイモンド・ラムは若く見えたが彼ですら1979年生まれだって。
悪の砦のような九龍城砦にも、生活があり子供も暮らしていて、助け合う仲間達がいて。浮かび上がる過去のしがらみ。
気功で全身が刀も銃弾も通さないというトンデモ悪役、誰?フィリップ・ンと。この作品でブレイクしたとか。
九龍城砦、クーロンと、よく呼ばれるけれど、広東語でも北京語でももちろん日本語読みでも無いのだが、何語読み?元々は清朝の時代に建設された城砦なのだそうだ。前日譚、後日譚と3部作の予定とか。それは嬉しい。写真はおまけについてきた4枚つづりのハガキから、陳洛軍バージョン。
追記 クーロン読みは、ウイキペディアによると日本兵がそう呼んだ、兵隊シナ語なるものだそうだ。ピジン言語と。
2025年1月31日(金曜日)
著者 レティシア・コロンバニ
出版社 早川書房
パリで弁護士として活動している女性、ソレーヌは、ある日、判決が出た直後のクライアントの自殺を目撃する。そのことで(もう一つ、男との別れを引きずっていることも)鬱になり、休職する。医者は彼女に、恵まれない女性たちの代書人というボランティア活動を勧める。気が向かない彼女だったが、さまざまな理由で住む場所の無い女性たちの保護施設で、代書人を務めることになる。家庭内暴力、故国のひどい因習(女性器切除)、麻薬中毒etc.から逃げてきた女性たち。
それと並行して描かれる、1920年代に生きた救世軍女性ブランシュ・ペイロンの人生。貧困、差別の中で生きる女性たちの居場所を作るために、戦い続ける。まだまだ女性は権利を持たない時代、結婚し、6人の子供を夫と協力しながら育てつつ、病を押して挑んでいく。
ソレーヌは、女性たちの外側から補助するという立場から、次第にその内側で共感を覚えながら代書するように変わっていく。
そして、長い時間とたゆまぬ努力と協力への呼びかけの積み重ねの上に、ブランシュが創った女性会館が、現代のソレーヌが出入りしている場所であることがわかる。実在した女性らしい。
なーんて書き方ではこの本の魅力を伝えられないのだが、これ、某公共施設の図書コーナーで一気読みしたもので手元になくて。同じ作者の『三つ編み』は、困難な状況にある女性たち本人を描いていたが、こちらは彼女たちにかかわっていく立場から描かれる。少し気持ちが落ちているときに読むと、ちょっと私も頑張ろう、と思える気がする。ブランシュのパートを読みながら、実際にホームレスの人たちに手を差し伸べている知人を思った。
2025年1月15日(水曜日)
著者 松下洸平
出版社 角川書店
ずいぶん久しぶりに、タレント本の棚に並んでいた本を手にした。フキサチーフとは、描きあがった絵に吹き付ける定着液のことだと。“ダ・ヴィンチ”に連載していたそうだ。
この松下洸平という俳優さん、NHKの『スカーレット』でパッと有名になったけど、その2年ぐらい前?だかいつだったか、BSで結構前のドラマをやってるでしょ、伊原剛志が妙なぼさぼさヘアでヘンな警視、その警視の相棒というか秘書というかそんな役で出ていて、全然知らない俳優だけどこの人は新人じゃないでしょう、と思って調べてみたら、なんだそのシンガーソングペインターって?と、印象に残っていたのですよ。『トクボウ 警察庁特殊防犯課』ってものだったらしい。
まあそれで軽い贔屓の俳優さんで。イラストも本人だというし。
とても普通に、日常の軽い発見だったり、経験、子どもの頃、など綴られる。サクランボの種を外して実の部分だけ口に入れてもおいしく感じないそうだ。あんまりマンガを読んでいないけれど、『ハチミツとクローバー』はお気に入りだそうだ。
なんてことは無いのだけれどなんとなく、ちょっといい、エピソード、文章。
イラスト、うまいのだけど、どうして目が縦長?口元もなんだか誰かの影響?誰?
2025年1月13日(月曜日)
著者 ハン・ガン
河出文庫
文庫に入ってるんだ、と思った。白いものについて書こうと決めた と始まるその文章を2頁ほど眺めたところで、すでにお気に入りだった。
短い、散文詩のような文章。それぞれに表題がある。自分が生まれる前に、母はたった一人で早産で女の子を産み、その女の子は2時間で死んでしまった、ということが、テーマとして根底に流れる。1 私 では作家ハン・ガン自身の語りで。2 彼女 に於いては、その2か月で亡くなった彼女の視点として、作家の目が重なるような、描かれ方。3 すべての白いものたちの で、作家の想いのようなもの、と言ってよいか。
ワルシャワに滞在しているときに書かれたものだそうだ。繊細な、静かな、この文章を、原文で読む能力があれば・・・と無理なことを思う。韓国ドラマで自己主張の強い会話をしている家族、映画ではしばしば激しい暴力が描かれる、そういう韓国に慣れていると、一方でハングルでこんな感覚、こんな表現が存在するのだ、と思う。
年末から少しずつ読み進め、読み終えて、またもう一度読んだ。そして、書店で、次にどれを・・・と迷って、『引き出しに 夕方を しまっておいた』というタイトルがあまりに美しいので、詩集であるその本を買ってしまった。
昨年、ノーベル賞受賞で初めて知った作家だが、今年はハン・ガンにはまることだろう。困ったことに、借りて読もうと思う種類のものではない。たぶん残りの翻訳が出ているものは単行本だろう。
物語を一気に読み進めたい人には、あまりお勧めできないかもしれない。
2024年12月18日(水曜日)
著者 伊吹有喜
ポプラ文庫
一日に数ページしか進まない本の合間に、このところ伊吹有喜が挟まってそれは一気読みしている。『ミッドナイト・バス』『カンパニー』など。そして、まあまあ分厚いこの本。間宮燿子という母親から育児放棄された子どもと、もっと小さい遠藤立海という旧家の坊ちゃんが出会って。
この物語、今のところバーネット夫人の『秘密の花園』を日本を舞台に置き換えた風である。林業を営む遠藤家の大きな家、常夏荘に住む病弱な立海、その遠藤林業に勤める祖父に引き取られた燿子。立海は妾の子であり。
燿子の祖父間宮勇吉、立海の年の離れた兄にあたる龍一郎(故人)の妻、照子、家庭教師の青井、それからハムイチ・ハムスケ兄弟など、魅力的な脇役たち。まことにイラっとする訳知り顔女性教師などもいる。
1980年という、特に林業などを生業とする場所ではまだまだ男性優位の、旧家の、ありがちな状況の中、青井の言う“自立、顔を上げて生きること、自律、美しく生きること”言葉を知り、少しずつ変化する精神。
2012年に刊行された本書のあと、『地の星 なでし子物語』『天の花 なでし子物語』そして今年刊行の『常夏荘物語』とある。この物語がどこへ行くのか追いかけてみる所存です。
2024年12月16日(月曜日)
著者 レティシア・コロンバニ
ハヤカワepi文庫
インドのスミタ、カナダのサラ、イタリアのジュリア、別々の国に住む女性三人の、全く共通点の無いそれぞれの人生が、交互に描かれる。
インドのカーストにもはじかれる不可触民スミタの生活が、とにかくひどい。トイレが国中に普及しているわけではない国で、糞便を集める。素手で。給料は残飯か、時に古着。読み止めてしばし休みましたよ、私。そんな中でも、スミタは娘ラリータにはちゃんと教育を受けさせることを決意する。
シチリアには毛髪からカツラやヘアピースを作るという業種の長い歴史があるそうだ。毛髪のほぐし、洗浄、加工を経てイタリアばかりでなくヨーロッパ全域へ発送される。百年近くこの仕事を続けている一家、姉妹の中でジュリアだけがこの家業にうちこんでいる。
モントリオールのサラは法律事務所の弁護士。二度の離婚を経て、激務の中、3人の子供を持つシングルママ。ベビーシッター無しには成り立たない生活。
境遇も国も全くかけ離れた3人の女性の人生、出会うことなど無い人生が、遠く離れたどこかで三つ編みになる。
フェミニズムを表に押し出すような描き方ではない。必ずしも女性だから、ではなく性別関係なく、さまざまな形で差別、格差というものがあり、けれども少しずつ一歩ずつ、壁を越えて行く、というような。
知らない作家だったけれど、フランス・ボルドー生まれ、小説家で映画監督で女優だそうだ。ほかの作品も読んでみたい。
2024年12月12日(木曜日)
著者 飯田真紀
中公新書
私は、1990年代後半、香港映画や香港ポップスにはまって、広東語cantoneseを学びたいと思ったけれどどこで教えてくれるものかわからず、テレビやラジオでやっている中国語(北京語mandalin)講座を聞き始めたのだった。英国領だった香港が97年に中国に返還される、という時期、ウォン・カーウァイ監督作品を始めとする映画もよく目にし、その映画で主演し、主題歌を歌ったフェイ・ウォンなどのCDもレコードショップでコーナーが作られていた時期があったのだ。
その頃、まだまだ中国は発展途上、映画の中で北京語を話す人が、田舎者扱いされるシーンも目にした。隔世の感である。
で、この本です。そうか、一般日本人にとって、あまり広東語って知られないものなのね。かつて映画で“モウマンタイ”という言葉が使われて、それだけは有名になったけれど。ナインティナインの岡村が主役の。
北京語のカケラと広東語の粒ぐらいを知っている私だが、北京人にとっては広東語は一方言に過ぎないだろうと思う。一方、広東語圏の人にとって、例えば我々日本人が漢文で習う漢詩は、広東語で読む方が正しい解釈ができる、など、誇りをもっている気がする。こちらが本家だ、みたいな思いがあるのでは。
そうか、19世紀以降、海外に移住する中華の民というのは、広東省の人がほとんどだったのか。だからアメリカの中華街では広東語が主流だったという。1965年にメリカの移民法が変わったことと、1990年代以降、大陸の中国人がどっと増えたことで変化が起こったようだ。が、やはりあちこちの唐人街ではまだまだ広東語が聞こえるらしい。
中国語の方言というのは、日本で沖縄のおばあが何を言ってるかわからない、青森弁が聞き取れない、なんてレベルではない。まあ広い国だからね。漢字圏だから字を書けば理解はできる、でも口語では???となる。大概の中国人は、にっぽん というような小さい“つ”が入る言葉を発音するのが苦手だが、広東語圏の人は普通に発音できる。上海語・台湾語ぐらいは耳に入る機会が割とあるが、聞き取れない。先日、断捨離番組の中で、中国出身の奥さん(日本語ペラペラ)が出身地の人と会話していたのは、どこの方言か見当もつかなかった。少数民族となるとまたまたまるで別。学校では普通語(プートンホア)と呼ばれる、北京語由来のかつての役人が使っていた官語を基にした言葉で教えられる、が、香港は97年より前は英語交じりの広東語、中学から先は英語中学か中国語(広東語)中学に分かれる、というシステムだった。だからまだまだ、普通語を話す率は高くないらしい。
個人的には、広東語で歌うバラードはとても美しく聞こえる気がする。
この本、横書きなので、めくり方も逆方向。中国も韓国も横書きになり、縦書きなのは日本と台湾だけかな。広東語に興味があるけどよく知らない、というレベルの人に向けて書かれている。
調べたことがすべて記憶に残るものなら…。今朝の新聞で、高校入試に、まさに茨木のり…