画皮 あやかしの恋

画皮 あやかしの恋監督 陳嘉上ゴードン・チャン

出演 周迅ジョウ・シュン 趙微ヴィッキー・チャオ 陳坤チェン・クン 甄 子丹ドニー・イェン 孫儷スン・リー

中国清代の怪異物語『聊斎志異』の中の話を映画化。ドニー以外、メインキャストは大陸の俳優だが、香港の監督ゴードン・チャンの手によって、香港映画!な雰囲気。

周迅演じる小唯は、妖魔であり、人間の心臓を食べて妖魔としての能力を保つ。それが、陳坤演じる王生に惚れました。王生の妻・佩蓉(趙微)から妻の座を奪い取ろうと画策。

そのあやしさ、いろっぽさ、周迅すごい。ほかの女優がこの役をやったとしても、まず及ばないだろう。かつての香港映画『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』が思い出されるストーリーだが、ジョイ・ウォン王租賢の美しさは比類も無かったけれど、いやいや、なりきり周迅妖魔の蠱惑に勝てる男がいるのか?いるんだなあ、王生!確かインドの血が流れている陳坤です。「小さな中国のお針子」でも周迅と共演していたね。

妻・佩蓉は、ずっと小唯を妖魔と疑っている。心臓をえぐり取られて殺される事件が頻発しているのだ。王生が小唯に魅かれている気配も感じている。うーん、かわいそうな役をやるようになるなんて、趙微!と、思ってしまうよ。当時中国の女優には珍しい、大きな目の派手な顔立ちの新人だったのは、90年代シッポのころか。その趙微が「少林サッカー」で扮していた汚い女の子(あそこまで汚くは無い)を彷彿とさせる出で立ちなのが、ドラマ「宮廷の諍い女」の孫儷。降魔師(の卵)。

で、その駆け出し降魔師と組んで妖魔と戦うことになるのが、甄 子丹ドニー演じる龐勇(パンヨン)。元将軍、佩蓉の元彼。

トカゲの化身?チー・ユーウー(威玉武)というはじめましての(私には)俳優が、小唯のパシリな役で出てきて、これが若い吉川晃司か、みたいな格好。カッコはすごいが、不憫不憫。大陸の俳優?にしてはあの扮装・・・。なにじん?

えーと、確かキツネの化身のはず、なんだけど、どうしても妻の座どころか妾の座も勝ち取れない小唯が、佩蓉に向かって人間の皮を剥いで見せる姿を映画館で観なくて良かったかも。あれはわざと幻影を見せた?そしてそして、かわいそうなは佩蓉。

後半、ドニーさんチャンチャンバラバラ、やっとご活躍。「俺ごと刺せ!」

評判良かった2010年映画を、DVDとはいえやっと見ましたよ。私は好きですよ、この映画。

周迅結婚おめでとう!アーチー・カオというアメリカ在住俳優の名前覚えておこう。

atconさんのような金城武ファンではあるが中華な映画のファンではない方、周迅は「ウィンターソング」で、ドニーは「捜査官X」で知ってるよね。

レオニー

レオニー監督 松井久子

出演 エミリー・モーティマー 中村獅童 柏原崇

イサム・ノグチの母、だからヨネ・ノグチ(野口米次郎)の妻、だと思ったら、戸籍上はそうではなかった、女性、を描いた映画。n

私がつい最近見たのはアメリカ公開版で、2010年の日本版と編集が違い、少し短い。なんだか消化不良だなあ、という感想であり、日本版のDVDを見た。なるほど。見るならこっちにした方がいいと思う。

ヨネ・ノグチがアメリカに渡ったのは1893年の年末だったらしい。1896年に英文第一詩集を発行しているらしい。そして好評を博したらしい。すごいね、それは。その、基礎知識を持って映画に臨んだ方がいいと思われる。

その後、レオニー・ギルモアと出会い、著作の編集者となり、のちに恋人関係となる。その期間はあまり長くなかったようだけれど、終わりかけのころに妊娠していたのね。

困ったことに、ヨネ・ノグチ役の中村獅童が、どうにもいろっぽくない。異国の女性を引き付けるような魅力がどこにあるんだかわからない。ただの身勝手な日本の男にしか見えない。ミスキャストだと思うよ。

身勝手ながら、生まれた子供とその母を日本に呼ぶのだから、それでもその時代の日本の男としては責任を取った方だろう。すでに日本人の妻がいたんだけどね。そもそもレオニーと別れる頃にはエセルと言う女性がいたらしい。

日本に渡って、英語教師として生計をたてるレオニーの、生徒の一人を演じるのが柏原崇、まあこれがまことに美しい、英語も随分頑張っている。どちらかと言えば、こういう男であったような、写真が、残っているのだけど、米次郎。ヨネ・ノグチごく個人的な感想としては、かつて軽率な事件を起こした柏原クンがいけないとは言え、俳優としてしっかり復活してくれないものか。

レオニーが、女子大生時代に、平凡な人間はつまらない、だかそんなようなことを口走るシーンがある。実際にそういう人だったのなら、この時代にそんな生き方をし、その上、父親を明らかにしない娘まで日本で産んでいることは、100年早く生まれたヒッピー的女性という理解もできる。

私の子どもの頃の愛読書に、「レミは生きている」平野威馬雄・著があった。その時代に混血であった人の、自伝的な児童読み物だ。料理の平野レミのお父さんね。らしゃめん という言葉を、子供の私ははっきりと理解しないながら、ニュアンスを感じたものだ。洋妾ということ。蝶々夫人の立場。

その、両親の才能を受け継いでなおかつ世界的なアーティストとなるについてはややこしい出自が良い方向に影響したのだろう。イサム・ノグチ。私たちは山口淑子と言う人と結婚していたことぐらいしか知らないその女性遍歴の中に、フリーダ・カーロも出てくるとは!このたびWikipediaで知りましたよ。数あるどの女性も、彼を悪く言わなかった、らしい。そして、日本版の中で、私の父親は誰なの?と母に問うアイリス。映画の中では、英語の生徒の一人、中村雅俊が演じていた男?か、という気配に描かれていた。アイリスは、日本版の中でダンスのシーンが出てくるが、マーサ・グラハムのダンスカンパニーに所属するダンサーだったそうだ。知人のお母さんのお通夜の席で、とうとう母は父親の名前を私に言わずに逝った  と、聞いたことを思い出した。

レオニーと言うタイトルで、こんな女性の映画をイメージ・・・できないよね。うっかりレオ・レオ―ニのスイミーの親戚か?とか勘違いしそう。ってことはない?

音楽が良い。

 

楽園のカンヴァス

楽園のカンヴァス著者  原田マハ

新潮文庫

表紙裏の著者のプロフィール、関西学院大学文学部日本文学科および早稲田大学第二文学部美術史科卒業、マリムラ美術館を経て、森美術館設立準備室在籍時、ニューヨーク近代美術館に派遣され、・・・う、うらやまし過ぎる経歴でございます。

第一章は、2000年の倉敷。主人公早川織絵は、大原美術館の監視員。高校生の娘を持つシングルマザーである。親の仕事の関係で、フランスで過ごした時期があった。ある日、学芸課から呼び出され、思いもかけないことに。

ニューヨーク近代美術館MOMAがビルを建て替える間、アンリ・ルソー代表作のひとつ『夢』を日本に呼ぶ計画があり、その打診をしたところ、MOMAのチーフ・キュレーター、ティム・ブラウンが、オリエ・ハヤカワを交渉の窓口として指定してきたというのだ。

第二章からは、1983年のニューヨーク、そしてバーゼルを舞台に、ルソーの絵画(『夢』とそっくりの『夢をみた』)の真贋を判定するために、ティム・ブラウンと織絵は、コレクターの老人に呼ばれていた。

油絵を描いたことがある人なら、前に描いたものの上に別のものを描くことはほぼみんな経験しているだろう。そういえば、私の身近なところで、従姉の描いたキャンバスをその甥が再利用するという話が出ていたんだった。それが誰のどんな作品の上に?本当に?というところが・・・。

ほーお、という展開ではあるのだ、が、ミステリーと言うにはちょっと弱いかな。

http://matome.naver.jp/odai/2135955626248173201ここに、『楽園のカンヴァス』に出てくる絵画のまとめ というのがあります。参考にどうぞ。

MOMAにはなかなか行けないけれど、倉敷の大原美術館に行きたくなりました。行ったこと無いんだ。

サクリファイス

サクリファイス著者 近藤史恵

新潮文庫

自転車のレースの話。高校時代は陸上でいい記録を出していた白石誓。それは、彼にとっては苦痛でしかないものだった。その誓が、ある日ロードレースと出会い、そこにはエースとアシストという役割分担があることを知る。その、アシストなら自分に向いていると転向を決意、自転車部の強い大学に入り、卒業後、プロになる。

選手は当然それぞれに個性が強い。アシストがいてチームのエースが成り立つということには、もちろん実力の差が存在するが、なにがしかの犠牲(サクリファイス)を強いる、強いられる立場が、ある。

事故と背中合わせでもある。

私が自転車のレースを目にするのはオリンピックの時ぐらいだ。4輪ならかつてはF1のレースを(テレビで)見てミカ・ハッキネンを応援していたし、2輪もモーターバイクのレースはたまに見ていたが。加藤大治郎という、鈴鹿の事故で亡くなった人がいたなあ。

ちょっとしたミステリー仕立てになっている青春小説風味。読んだのが台風の夜、ラジオの情報を気にしながら読んでいて、いささか集中しそこなった。魅力的な登場人物にもう少し感情移入したかったぜ。サクリファイスというタイトルの、意味が、そこにあるのに。

で、台風一過、続編の『エデン』を見つけて、読んだ。誓は今、フランスに本拠地があるチームに所属している。こちらのほうが、F1を見ていたことが多少役に立つ。レースに日本人が出るにしても、スターでは無いし、人種差別的な扱いがあるのも不思議ではない。誓はミッコ・コルホネンというフィンランド人選手のアシストである。ニコラというチャーミングなフランス人選手がいて、プチ・ニコラ(映画にもなった絵本の主人公の少年の名前)と呼ばれている。

嫌なやつ出てきたよ。誰とはお知らせしない。ドーピングとか。

続いて『サヴァイヴ』という短編集も文庫になっている。

 

 

少女は自転車にのって

少女は自転車にのって監督 ハイファ・アル・マンスール

出演 ワアド・ムハンマド リーム・アブドゥラ

サウジアラビア映画。サウジアラビア初の女性監督による。・・・って映画館の設置が法律で禁じられている国で。

10歳の少女ワジダは、男の子の友達アブドラと自転車で競走したい。だけど女の子が自転車なんて!と言われる国だ。黒い服に身を包み、ヒジャブというスカーフで髪を隠して女子校に通う。男に声を聞かれることもいけない。

黒い衣装の下にはジーンズや派手なTシャツや、鮮やかな流行のものを身につけている。家庭では欧米と変わらないファッションで過ごしている女性たち。だが、ワジダの父親は通い婚なのか?男の子ができないことで争いになっているのか?

イスラム教の国の、それが文化なのだが不思議なことだらけだ。厳しい戒律をかいくぐってちょっとした不良な女の子たちはどこの国にもいるもののようで、隠れてペディキュアをしている娘がいる。ワジダはというと自転車を買う金を稼ぐためにミサンガを編んではクラスメートに売りさばく、こっそり逢い引きをたくらむ(デートとは言いにくい)上級生のために使い走りをして女性からも相手の男性からも小遣いをせしめる、など。いや、、そうじゃなきゃねえ。でも、逢い引きがバレた娘は、親の決めた男と結婚させられる。ワジダと同じくらいのクラスメートがが結婚したという。・・・なんだろう。

コーランの暗誦大会の賞金が1000リヤルと知ったワジダは母親からも習いながら必至で勉強し、そしてとうとう一位を獲得する。が・・・。

イスラム教徒だから男は4人の妻を持つことができる。ワジダの父も、どうやら跡継ぎの問題を責められたりするものらしく、第二夫人を迎える。パパの結婚式…ってなんだよ!と、イスラムでは無い社会に居る私は思う。

女の子が自転車なんて、という態度だった母親が、ワジダに自転車を買ってやる。アブドラと競争して自転車を走らせるワジダ。この国初の女性監督が生まれたように、少しずつ少しずつ変化が起こり、新しい風が吹くのだろう。2015年には、女性も地方選挙に参加できるようになるそうだ(今まだ選挙権が無いのかよ!)。

 

ポリス・ストーリー レジェンド

ポリスストーリーレジェンドhttp://www.policestory-legend.com/

監督 ジェン・シェン

出演 成龍ジャッキー・チェン 劉燁リウ・イエ 景甜ジン・ティエン

ポリス・ストーリーというタイトルは同じでも、内容は全く今までのものとは違う。広東語も無し、いつもの香港俳優出ない、中国制作の北京語のシリアス警察物。

劉燁が出る?そりゃあ見てみよう!と、急に決めたのだ。「山の郵便配達」「小さな中国のお針子」「藍宇」「恋の風景」など、好きな映画はいくつもあるが、作品ごとにその雰囲気が変わる人。

映画が始まるとすぐ、自分の頭にピストルを向け、まさに撃とうとする白髪混じり短髪のジャッキー。場面が変わる。どこやこのうるさい街。クリスマスシーズンらしい。実にバブリーな、DJがうるさいクラブ。娘に呼び出されたらしい。巨大なそのクラブのオーナーを恋人として紹介する派手な娘。

突然襲撃され、気がつくと手足を針金で椅子ににしばりつけられているジャッキー。クラブの出入り口は封鎖され、閉じ込められた客たち。

犯人リウ・イエは何の目的でこんなことをしたのか?

派手な争い、立ち回りの割に、理由が甘いのだけど。まあそこがジャッキー・チェン映画なんだろうな。親と娘の祖語から始まり、犯人とその・・・いや、ネタバレは止めよう。

成龍ジャッキー今や還暦、良く動くなあ。ジャッキー映画恒例、エンドロールのNG編にだけはいつものおどけたジャッキー。それがねえ、なぜだかそのNG編を見ていてうっすらうるうるしてしまったよ。

北京はこんな街になった…わけでは無くて、かつての日活の、裕次郎や小林旭がナイトクラブや妙な荒野でドンパチしていたことを重ねてしまう架空の街なんだよねもちろん。

警察の隊長だけ、香港映画で見かける俳優・于 榮光だった。

 

海うそ

海うそ著者 梨木香歩

出版社 岩波書店

梨木香歩は好きな作家だが、できれば文庫で読みたいのだ、けれど、南九州の遅島で繰り広げられる、魂の遍歴の物語 という帯の文字に抗えず。鹿児島出身の作家が、南九州のどこやらをモデルに描くとなれば。

今まで読んだものとは読み心地(なんて言葉は無いだろうが)が違う。作品すべてを読んではいないのだからほかにもこんな気配のものがあるのかもしれないが。

文学部地理学科に所属する男が、南九州の本土に近い島に地形や民俗の調査にやってくる。遅島という名前は架空のものだが、地理的な本土との近さ、蜃気楼(これが海うそと呼ばれている)が見える、など、甑島を思わせる。しばらく読み進まないと時代がわからないが、戦前のことである。男は、許嫁を一昨年に、両親を昨年に亡くしていた。

私事だが、役所の文化課で文化財など民俗資料に囲まれて(なんとも役に立たない事務員として)1年と少しを過ごしたことがある。となりの席の民俗の先生が、奄美のノロだかユタだかの取材に出かけた時のこと、基本的にそういうことは地区外には知らせない類の話、を、テープに録音し、帰りの船に乗り込んで、意識が消えた。気がついた時、録音したはずのテープの音が消えていた・・・、と。そんな話を聞いたと思い出しながら、遅島にかつて存在したというモノミミさんという一種のシャーマンのことなど読んだり。

そうだ、薩摩には山伏がいたんだった、と思ったり。二つ家、カギ家、という話が出てくると、確か知覧にかぎ型の家があったな、とか。平家の落人の集落、かもしれない、話に、先祖は平家の落人だという離島出身の友人の顔を思い出す。廃仏毀釈の話に、私の本籍地近くにある隠れ念仏を思い、その、浄土真宗弾圧と、よくあるムラのカミサマ的な存在が合体した?のだか、私が中学生ぐらいだったか、地域の仏教系シャーマンのお告げを仰ぐ場に出よ、という話があったぞ、今となっては惜しいことに、生意気な私はそんなところに出なかったけど。・・・なにかと身近な体験と関連付けて読んでいる。植生も、南九州が舞台となれば当然身近なものが出てくる。

が、この話どこに向かっている?島の民俗研究の話は?

最終章で、50年後に飛ぶ。

そうか・・・。まず、深い喪失から始まった話だったのだ。時が流れ、変化する。え?本土と橋でつながった?長島か?などとモデル地探しをしてしまうのが地元の人間というものだな。まあ長島ぐらい近距離の甑島、のような島。その、失われた景色への思いが、変容していく、それを、読み手の中で受け止められるかどうかで、読後感が違うだろう。

さて、もう一度読み返そう。

蛇の形

蛇の形著者 ミネット・ウォルターズ

創元推理文庫

M・ウォルターズを読むこと4作目。「遮断地区」「鉄の枷」については感想を書いたが、次に読んだ「破壊者」は、感想省略。つまり、その力においてやや劣る。で、この「蛇の形」。これぞ、M・ウォルターズ、読みづらい。

ある夜、隣人が道端で死にかけているのを目撃するミセス・ラニラ。亡くなったのは、しばしば奇矯な振る舞いをする黒人の女アニー。

覚えがある。初めのほうを読んで、放棄したようだ。いつ頃のことかも忘れた。

その事件から20年後、その地区に戻ってきて住み始めたミセス・ラニラは、事件について再調査を始める。何ゆえそんなに執拗にあれこれ聞き取りをするのか?20年も前のことを。

いやな人間のオン・パレード。なんだか細かいことが続いて話は進展しない。今回も途中で放棄・・・しないようにいやになったら休み、ウンザリしたら休み、そうするとどの名前がどういう関係の人だったか忘れて、人物紹介のところを何度もめくることになる。アメリカのバイオレンス小説も顔負けな、陰湿な暴力の連鎖。

どうして?が、最後まで読まないと解決しないので、曲りなりに納得するには読み続けることしかない。世の中の人々はそんなに記憶が確かなのか?時間までそんなに覚えているか?とか、つい疑問は湧くけれど。

トラウマとはこういうものだろう、なにがしか回復しようと思えばはこういう手段しかないか。

素敵な男が出てこない。そういう救いの部分が無い、のが今までに読んだM・ウォルターズ作品よりずっと読みにくい原因の一つでもある。最っ低の男たちは、20年の時を越えてなんとか人間の域に入っている。邪悪な女は、そのまま邪悪。

根性があったら、傑作ではありますから、チャレンジしてくださいませ。これでウォルターズを読むのをやめた方、もうちょっと読みやすいものありますよ。

鉄の枷

鉄の枷著者 ミネット・ウォルターズ

創元推理文庫

資産家の老女が亡くなる。睡眠薬を飲んだ上、浴室で手首を切り、頭に昔の責め具(スコウルズ・ブライドル)をはめられ、そこにはイラクサと野菊が挿してあった。

最近書き変えられた遺言により、遺産は主治医のセアラに残されたことがわかる。セアラは困惑し、老女マチルダの娘と孫は怒る。気位高く嫌われ者だったマチルダは、自殺か?殺されたのか?

イギリスの作品だなあ、と思う。

あーれー、こんな面白いものを敬遠していた!と思いながら読み進んだ。読み進むほどに、マチルダの日記により明かされていく事実。それぞれの人物の造型が、一筋縄ではない。いや、人ってそういうものよね、表層でわかったような気になってしまうことの不遜、でございますよね。

DVなどという言葉が無かった時代にも、おぞましいことが行われており、そのことによって損なわれる人生。そこにあっても芯の輝きを失わなかったことを見抜く画家。この、セアラの夫であるややこしい画家、初めはやなやつの姿で出てくるんだ、ありがちだよねえ、と苦笑するような(一般にはあまりいないかもね、私には心当たりがちらちらあるけど)。それから、なんだかすぐれた洞察力・感性を身に備えている(若くなくカッコ良くも無い)警察官。

決して最後のページだけは先に読まないでください。

積んどいたM・ウォルターズを読むこと2作目、友人のものをいつから借りてるんだか、2002年刊。老人介護していたときには読めない(時間的心理的に)本だった。

 

十八の夏

18の夏著者 光原百合

双葉文庫

最初の『十八の夏』が桜、次の『ささやかな奇跡』は金木犀、それから、ヘリオトロープ、夾竹桃、と、花がモチーフになっている短編集。ジャンル分けするとミステリーということになるらしい。

夜、布団に入ってから眠たくなるまで読むのが子どものころからの習慣なので、二つの短編を読み、ああ、こんな気持ちいいミステリー作品があったんだなあ、と思って心地よく眠りについた。

たっぷり水を含ませた筆を走らせたような、淡い色の空。川面におずおずと戯れる日の光。向かい側の土手には五分咲きの桜並木、

と始まる『十八の夏』。浪人生の信也が、桜並木の反対側の土手でスケッチする女性の手から離れた画用紙を追いかけて拾う、ところから、その女性蘇芳紅美子と知り合うのだが。

作家は詩集や絵本、童話も書いている人だそうだ。

ひとひねりふたひねり、捻りの効いた展開。切なくも羨ましいぞ、と、青春の、ある時間。

で、次の晩に、残りの2編『兄貴の純情』『イノセント・デイズ』を読んだのだ。最後の作品が、サスペンスな痛ましい作品で(終わり方は救いのあるものとは言え)、変な夢を見て、変な時間に目覚めてしまった。