2014年2月25日(火曜日)
著者 ネレ・ノイハウス
創元推理文庫
「深い疵」に続き、オリヴァー・フォン・ボーデンシュタイン主席警部とピア・キルヒホフ警部が捜査に当たる警察小説。わかっているつもりでも、読み始めてしばらくは読みにくい。相変わらず、ドイツ人の名前がなかなか覚えられない。えーとこれ誰だったっけ?としばしば表紙裏の人物紹介を見返すこととなる。
かつて二人の少女を殺したとされている男トビアスが出所して戻ってくる。男には、自分が殺人を犯したという時間の記憶が無く、冤罪を主張している。
プロローグの、やあ、白雪姫、と小声で話しかけたのは誰?娘が死んでいるのはもちろんわかっていた、とは?
そして、空軍基地跡から少女の白骨死体が発見され、オリヴァーとピアの出番。
小さな村で、守りに入った村の者たちから受ける迫害、暴力。何を守ろうとしているのか?
一人の少女が、疑問を持つ。そして。
名前だけでなく人物関係が入り組んでいて、なおかつ、本筋と別に気になるサイドストーリーが展開され、で?彼はどうなるの?・・・邪道ですが、ちょっと後ろの方を先に読んでしまうなど、しちゃったけど。
小せえ、と、申すか、自分まわりを守るためにどいつもこいつも・・・。ドイツの警察小説ですが。
そして、うまい作家だ、サイドの話でシリーズ続きを読みたくさせるんだもの、だってオリヴァーの結婚生活の行方は!
2014年2月7日(金曜日)
著者 レイ・ブラッドベリ 北山克彦 訳
出版社 晶文社
すばらしく詩的で、ものすごく読みにくい。…と思って、まずあの名作『たんぽぽのお酒』を読み返してから読む、つもりで、数年積んどいたのだった。たんぽぽのお酒 の、ダグが主人公、12歳だったダグが14歳になろうとしている夏の終わり。
たんぽぽのお酒 は、ブラッドベリ37歳のときに世に出した作品だそうだ。そして、もともとはこの『さよなら僕の夏』の母体となった話とともに『夏の朝、夏の夜』として書かれた、のだったと、ブラッドベリ本人の後書きにある。長すぎると出版社に言われたそうだ。半世紀以上の時を経て、第二部が完成する。
作家の年齢のせい?過ぎる時間、命の終わり、老人と少年たちとの争い、時の流れを止めようと大時計を壊す少年たち。時の流れを受け入れる、少し大人への道を踏み出す、少年たち、の、物語と、受け止めていいのか?
若かった私が、書店でその頃流行っていた学者の“俺には俺の生き方が”どーしたようなタイトルの本を見て、ゲ、と思って後ろを向いたその本棚に『たんぽぽのお酒』原題dandelion wineがあったのだ。晶文社文学のおくりものシリーズを手にした最初だっただろうか。
『さよなら僕の夏』原題Ferewell Summerは、ブラッドベリらしく、と言う以上に極端なほど詩的に美しい表現が散りばめられている。書きだしの文章を引用しよう。息を吸ってとめる、全世界が動きをやめて待ちうけている、そんな日々があるものだ。終わることをこばむ夏。
始まりだけでこれですよ。
小説として成功しているか?それについては訳者もそれぞれにおまかせしよう と言っている。
老人の時と、ダグの時が交錯する、シーンがある。私にはまだ年の取り方が足りないのか?スコンと理解するには。やっぱりもう一回たんぽぽのお酒を読みなおすこととしよう。
2014年1月28日(火曜日)
著者 桜木紫乃
出版社 新潮社
友人から貸し出されたもの。表紙・タイトル・作家名、そして帯には“突然愛を伝えたくなる本大賞”とあるところも、書店で見かけても私は避けて通ったかと思われる。が。
45歳の小夜子と従妹の理恵、小夜子の母・里美、理恵の母・百合江、さらに百合江と里美の母・ハギ。始まりは、久しぶりに百合江の家を訪ねると、百合江は位牌を手にして病の床についていたところから。そこには有名な女性演歌歌手のCDが積み重なっていた。
3代の女性の生き方が、現在と過去の時点を行き帰して描かれるので、しばらくその人間関係がつかみにくい。
一気に読める。歌がうまかった百合江は、地方回りの一座の歌手になる。昭和のキャバレー全盛時代。
先日、タイガースメンバー全員そろって40数年ぶり再結成、2013年12月27日、東京ドームでコンサート、を、BSで放映したものを見た。法事で帰ってきていた妹とともに。ジュリー沢田研二はますます横幅が増しているが、明らかに今のほうが艶も幅もある歌声で、うまい。前回の再結成時にはいなかったトッポ加橋かつみの高音が入って、ああタイガースだと思う。長く人見豊という一般人、学者だったピー瞳みのるが、走り回って歌う。一人若々しいけれど、この人は大きな病気を二度しているのだ。車椅子の岸部四郎も登場。森本太郎作詞作曲の歌が昔からあったのか。かつてサリー岸部おさみだった岸部一徳と沢田研二がすっと第一線で活動しているからこれだけのことができるのだろう。
百合江がャバレーで歌った歌の中に出てくる。ザ・ピーナッツや沢田研二の曲が。
一座の女形との間に女の子を産んだ百合江の人生。
70過ぎで老衰と判断されるような人生。その、人生の最後が近いであろう時が、なんと幸せに満ちているか。
作家になっている理恵が、その祖母や母の人生を書こうとしているシーンがある。そしてその結果がこの小説になった、というしくみなのだろう。
2013年『ホテルローヤル』で直木賞受賞というこの作家、父親が釧路で実際にホテルローヤルというラブホテルを経営していたのだそうだ。
私事だが、今日が母の四十九日。ひとり片付け事をしていると、あちこちから古い思い出が現れる。老いた親戚が今の私よりも若かったころ、正月に集まった写真とか。個人の事情も絡まって、真夜中に最後はびいと泣いた本でした。
2014年1月12日(日曜日)
著者 ネレ・ノイハウス
創元推理文庫
元アメリカ大統領顧問だった著名なユダヤ人の老人が殺される。司法解剖の結果、なんとその被害者はかつてナチスの武装親衛隊員だったことがわかる。
友人からの借り物だが、ドイツで評判になったシリーズらしい。ドイツ人の名前を覚えられない。そもそもドイツの推理小説を読んだ覚えがある?一気に読み進むならまだわかりやすいだろうが、ちびちび読み進んでいると、誰?と登場人物紹介を見直すこと何度だったか。
次々に殺人事件が起こる。
とにかくオリヴァー・フォン・ボーデンシュタインという名の主席警部(貴族の血筋、いかにも)と、ピア・キルヒホフという名の女性警部のコンビが、その事件解決に臨む。
途中まではこの話何なんだと思っていたが、読み進みほどに面白くなってくる。でも名前はやっぱりこんがらかる。ドイツ語を知っている人にはそうでもないのかな。
もしかして読んでみようかと思うかもしれない人のために、これ以上の内容説明はいたしません。
稀代の悪女、ってこういうことだな、という人物が出てくる。
読み終えて、ちょっと前のほうを読み返してみると・・・ず、ずるいよ!作家のひっかけというか、初めからゲームを仕掛けたね、と。誰かしらに疑いを持つような書き方になっている。
シリーズの3作目を先に翻訳紹介したのだそうで、ピアの恋愛ばかりか主席警部のおいおい!な状況もはさまれたり、シリアスドラマの中のちょっとしたお遊びあり。ドイツ人のユーモアってなんだか。
4作目の『白雪姫には死んでもらう』の翻訳も出ているそうで、このオリヴァーとピアのコンビをまた見てみたい気がしている。
2013年12月25日(水曜日)
著者 三浦しをん
出版社 文藝春秋
一人で過ごすクリスマスイブからクリスマス当日にかけて、読みました。後半数回ケラケラ笑い。
シリーズ第三作なので、状況を知っていた方が分かりやすいお話、だけど、旧ブログのほうにまほろ駅前シリーズの第一作について書いたので、良かったら参考にしてください、読んでいない人は。
もう、行天は松田龍平の姿でしかイメージできない。多田は瑛太の姿にはならないのだけど、読んでいる間。
行天の生物学上の娘であるはるちゃん(ただし、そんなことをはるちゃんは知らない)を預かることになった便利屋の多田と、行天。そこに、以前の事件からかかわっている、バスが間引き運転をしていると主張してやまないじいさん、およびその仲間がなぜか絡んで、うさんくさい無農薬野菜栽培グループに(結果的に)立ち向かう。
行天がね、チャーミング。どんな子供時代を過ごしたかも、明かされる。
今、10月30日初版のこの本を買うと、2か所の刷り間違いが付いてきます。一か所の分はちゃんと訂正の紙が付いてるけど、残念、もう一か所には気がつかなかったんだね。
事情と都合により、今回は短い案内にて失礼。前作と同じく、瑛太・龍平で映画化決定だって。
2013年12月8日(日曜日)
著者 荒川弘
出版社 小学館
中勘助のあの繊細な幼年期の思い出の、お話ではありませぬ。
八軒勇吾クン(進学校だった中学から北海道の農業高校に入学した)を主人公とする、土と労働と汗と糞と、いろんなものにまみれた高校生活物語。
机の上でのお勉強は、当然ほかの生徒よりできて、総合点ではトップなのだが、一つ一つの科目において、どれひとつとしてトップを取れない。つまり周りは皆、一つの道を目指してこの高校に入った、いわばすでにプロなので。魅力的な脇役たちがぞろぞろ。
父母の期待に応えられず、自分の道を見つけ出せず、というまことによくありそうなイマイチ優等生の、成長物語、であるらしいこれ、一巻を読んでケラケラ笑い、今出ている9巻中、7巻まで読んでしまった。2012年マンガ大賞、アニメになり、また、実写映画にもなるという。
北海道の農業高校だからなあ。鹿児島の農家と規模が違うからなあ。農家を継ぐ、という気持ち満々の、高校生たちの集団。酪農なんか、そりゃあ家族で作業するよなあ。
作者が実際に農家生まれの農業高校卒業生だそうだ。かつ、実体験を基にした『百姓貴族』というエッセイマンガも並行して書いているということだ。
で、なんで“銀の匙”なの?8巻まで読むとその由来がわかるらしい。
今では別宅庭でちょっとだけ芋とかタマネギとか育て、欅の大木から落ちた枯れ葉で庭一面がおおわれているのを見て、おお、こうやって自然に土が肥えてきた、と感動を覚えるわが身は、進学校落ちこぼれ出身である。むふふ、わかるぞ八軒クン。そしてすごくうらやましいぞ農高。だが、酪農家の家族が見るとそりゃあ全く納得のお話なんだろうなあ。
八軒、もう少し成長に時間をかけて、マンガを長続きさせてほしい、のだけど。
2013年11月28日(木曜日)
九份という地名は、少し中国語をかじった者が見ると、ちょっと変。たとえば一份飯というと食事一人前、九份報だったら新聞9部のことだ。日本で“九人分”とかいう地名があったら、何が?と思うよね?それが、ガイドの鮑さんの、“昔、9世帯しか無く、物を買う時はいつも9世帯分まとめて買った”という説明で納得できた。
で、その九份へのシャトルバスのバス停近くにいた、犬。長くブラシなどかけられたことも事もない様子の、薄汚れて毛先が太いねじねじになっている部分がある、放し飼い?野良犬にしては人間慣れしている、その姿に、都会を離れるとやはり日本ではありえない状況があると感じる。
たどりついて。
夜市がすごい人込みなのはまだわかる。故宮博物院の行列も、まあ許そう。ここはまた、すごかった。周りではアメ横みたい、という声が聞こえる。年末のアメ横なんて行ったことのない私は、照国神社の六月灯の屋台の並びがもっともっと様々延々続いている感じに思えた(そう口にしたことをしっかり記憶にとどめた同窓会ネットワーク管理人Mさんは、私に九份感想文を命じることとなった訳だ)。照国神社の初市と六月灯が合体して、夜中の初詣くらいの人出、が広くもない坂道にひしめく。
2008年、ほんの5年前に、大陸からの観光が自由になったそうだ。中国人観光客の群れと、しばしば日本語が聞こえ、時にそれ以外の外国人。
ここがこんな観光地になる最初のきっかけとなった侯 孝賢(ホウ・シャオシエン)監督映画「悲情城市」を、もう一度見てからこの文を続けようと、近所のツタヤに行ったら、見当たらない。聞いてみたけど無いそうだ。1989年ベネチアの金獅子賞作品が。
YouTubeで探した。2時間39分の作品を2時間6分見たところで切れたぜ、おい!
1945年夏、終戦、ラジオから天皇の玉音、で始まる。明らかに小津安二郎の影響を受けたでしょう、という同じ位置からのカメラで、病院の受付あたりが映ると、入り口の向こうに長い石段。1947年、2・28事件(闇タバコ売りの女性を摘発した官憲の横暴に対し、台湾人の不満が爆発、が、政府側は無差別に攻撃、その後台湾全土へ広がる争いへ)、1949年、実効支配していた蒋介石の中華民国政府が台北に政府機能を移す、その間に、山間の町にも起こる悲劇。赤い提灯は出てきません。朝鮮楼という名の料理屋の看板が見える。料理屋さんが多かったようだ。まだ金採掘でにぎわっていた時代だろう。
香港俳優トニー・レオンが若い。台湾語ができないから口がきけない役。
あ、私が見たYouTubeは、繁体字字幕版、中で中国語同士の通訳場面があって、どうやら上海語から台湾語へ、ということのようだった。
余談の余談、歌手・一青窈のお父さんは九份の金鉱主だったんだって。
は、さておいて。
時に妙な臭いも漂ってくる狭い赤い提灯の坂道、アジアな臭気をも楽しんでいる私だが、立ち寄りたいのは山々ながら、ふだんでも迷子になりやすいわが身、なんとか集団を見失わないようについて行くので精いっぱい、買い物どころではありませぬ。
やっと、少し人との間に隙間がある場所に、そしてここで一度解散、○分後にまたここに集合、と、下に静かな景色が広がる(この景色がいい!)てっぺんの、道案内表示のある三叉路(だったかな)へ。傍らにいたKさんと、横の道に入って店を眺め、下の景色を眺め。すると、ずっとmagoちゃんへのお土産にあれがいいこれがいいと言っていたKさん、猫の絵のグッズがかわいいと、入った。なんとそれは、彼女が東京で前に買ったものと同じ作家さん、ヘンリー・リーさんという人の店だった。
九份老街と看板があって、古い町ってこと、と説明すると、老人の町じゃないのね、とKさん。老歌は、つまり懐メロのこと。
そして、また元の集合場所に戻る。そこへ、いつもひっつき虫夫婦のNさんたち。妻K子さんが買ったものが指のマッサージ器と知ったKさんは、集合時間が近いにも関わらず、パッとその店に走った。
なかなか帰ってこない。みんな、あーあ、集合写真でも撮ろう、と、なる。
後にわかったのだが、Kさんのご主人は身体が不自由になられて、指が思うように動かない。マッサージ効果があるのでは、と、何も考えずに体が動いたものだったそうだ。
自分の物差しで人を計るな、というが、まさに、勝手な物差しでKさんを計ってしまっていた。ごめんね。愛だね。
その後、まさにこれだよ、いろんな案内に載っているのは、という石段を下りていくと、「千と千尋の神隠し」のまんまの建物。もう少し下りたあたり、「戯夢人生」というレストラン?があった。侯 孝賢が「悲情城市」の前の時代を描いた映画のタイトルと同じだ。布袋戯という台湾の人形劇の名手が出てくる映画。
はー、どこか入りたかったなあ、なんか買うとか、食うとか・・・。
またバスに乗り込み、戻る道すがらのガイドさんの説明の中に、キールン (基隆)山の名前の由来があった。海から見てニワトリカゴの形に似ているからついた地名だということ。鶏籠も基隆も北京語読みでは同じジーロンと発音する。中国語の知識が無いとわかり難いだろう。
ガイドさんの日本語が少し聞き取り難い部分があったのは、中国南方人の発音ではそもそもナ行・ラ行・ダ行の区別があいまいだという特徴があるせいが大きい。你好ニイハオを、香港人はレイホウと言うし、台湾語ではリーホーというそうだ。
“蒋介石の政治が民主主義だなんておへそがお茶をわかすよ”と、ドキュメンタリー映画「台湾アイデンティティー」の中で言っていた台湾人老人の言葉を思い出しながら、蒋介石像を見上げる。日本語で日本人として育ったから、日本人には親近感があるけど、日本政府は私たちを見捨てたから嫌いだ、と、同じく日本人女性監督によるドキュメンタリー「台湾人生」の中で語った80代女性。忠烈祠の衛兵の交代の最後の動きを見ていると中国武術のように美しいが、この国には徴兵制があるのだ、2・28事件以降、80年代後半に至るまで戒厳令が敷かれていたのだった、と思う。さらに、日本統治時代に実際に起こった、少数民族による対日蜂起事件を描いた「セデック・バレ」を見た後だけに、衛兵の中に原住民らしい顔立ちがあるような気がしてしまう。あれだけ日差しの中にいれば色も黒くなるし、なに人?な顔にもなるってもんだろうけど。
帰宅後、某中華芸能サイトの掲示板に台湾旅行報告。何度も台湾に行っているそこの管理人さんは、“連休の台湾行きねえ…”と、思っていた、そうで。
故宮博物院は素晴らしかった。2度3度行きたいところだ。必ず平日に!
以上、同窓会ネットワーク向けに書いたものから抜粋しました。
2013年11月13日(水曜日)
http://www.u-picc.com/seediqbale/
監督 魏徳聖ウェイ・ダーション
制作 呉宇森ジョン・ウー 張家振テレンス・チャン 黄志明ホアン・ジーミン
プロダクションデザイン 種田陽平
出演 林慶台 大慶 馬志翔 安藤政信 ビビアン・スー 木村祐一 河原さぶ
1895年から1945年に渡って日本の統治下にあった台湾。植民地政策のもと、近代化、日本化がすすめられる。それは、とくに原住民族にとっては独自の文化や慣習が排されることであった。そして、インフラ整備などのために過酷な労働を強いられる。
が、そんな近代になっても、狩猟生活で敵を倒すと首狩りをする慣習(出草と呼ぶ)があったとは!
入れ墨し、裸足で山中を駆け回り獣を狩る彼らを、当時の日本人が蛮人・生蛮と呼んだことも、無理からぬことにも思える。
霧社事件という、実際に起こった、少数原住民族の抗日武装蜂起事件を題材にしている。セデック族の結婚の祝いの最中に出くわした日本人警察官が、祝いに誘われた、が、慣習の違いでその状況が不潔だと相手を突き倒した、それをきっかけに、それまでの不満が噴出する。
セデック族といってもいくつかの集団にわかれている。マヘボ社の頭目の子、若きモーナ・ルダオ。そして35年の時が流れ、頭目となった壮年のモーナ・ルダオ。
いかにも愚かしい横暴な警官の姿もあるが、悪い侵略者の日本人対虐げられる原住民といった単純な描き方ではない。少数民族の彼らは、相手が日本人であれ何人であれ、近代化の波に洗われずにはいられなかっただろう。日本人からお歯黒や切腹の習慣が失われているように、戦った相手の首を捕ることが勇士の姿とされることや入れ墨は、失われる運命にあっただろう。
日本語を標準語として教育された時代、学校に行き、高等教育を受け、広い知識を身につけた原住民が出てくる。日本名を与えられ、警官として天皇陛下の皇民として生きる原住民もいる。妻は和服を着て生活している。
蜂起して襲ってくる原住民から逃げまどう和服の女たちの中に、原住民ながら警官である男の妻(やはり原住民)が混じっている。それを演じるのはビビアン・スー。実際に台湾の原住民と台湾人のハーフだと自分で語っていたのを聞いたことがある。母親がタイヤル族で、祖母とは日本語で会話していたらしい。その血ゆえに、彼女はこの映画に自ら出資してでも出たいと願ったという。
第一部を見てからしばらく日がたって二部を見た。山中に慣れたセデック達がどんどん日本人を攻めていく。女子供にも容赦なく。が、日本側は飛行機からの攻撃、ついには完成していない化学兵器まで持ち出してくる。
誇りとか、正義とか、男の好む言葉によっていつも戦いが始まる。いつの時代も。今に至っても。そして憲法第9条を改正(!)しようと美しげな言葉を連ねる政治家がいる、ことを、第二部の始まりからしばらく思っていた。
なんということを!という原住民の女の悲痛な叫びもあった。日本名を持つ警官花岡一郎が自決するとき、皇民として死ぬのか、セデックとして死ぬのか問う。切り裂け、どちらでもない自由な魂となれ、と二郎が答える。
若きモーナ・ルダオを演じる大慶は、これで俳優としてスタートすることになった。壮年のモーナ・ルダオを演じた林慶台の本業は牧師だという。どちらもタイヤル族出身。なんとすばらしい俳優であることか。あ、素人さんをたくさん集めているようで、ちょっと変な日本語の俳優さんもいますな。
余談だが、こんなところでこんな格好で(その族の衣装は足丸出し、裸足)いたらどんな虫がいるやらだぞ、と思ってしまうのだった。実際、撮影中にツツガムシにやられたり、全員足の裏の怪我したりということだったらしい。つい“ラスト・オヴ・モヒカン”を思い出すこの大作が、小さなガーデンズシネマで上映されているなんて。いや、この映画を(この地で)映画館で見られたことはまことにありがたいことですが。
最後の字幕で、“天使”としてたくさんの名前が出てくる。周 杰倫ジェイ・チョウの名前を見た、と思ったら、それはこの映画の資金をカンパした人々の名前だったそうだ。そして今、魏監督はもっと資金が必要な映画を企画しているとか・・・。
2013年10月22日(火曜日)
監督 酒井充子
出演 高菊花(日本名:矢多喜久子/ツオウ族名:パイツ・ヤタウヨガナ) 黄茂己(日本名:春田茂正) 鄭茂李(日本名:手島義矩、ツオウ族名:アワイ・テアキアナ) 呉正男(日本名:大山正男) 宮原永治(台湾名:李柏青、インドネシア名:ウマル・ハルトノ) 張幹男(日本名:高木幹男)
1922年~1932年生まれの、台湾日本語世代の人々が語る、日本植民地時代の戦争中、そして戦後の蒋介石統治時代の生活。『台湾人生』に続く酒井監督のドキュメンタリー。
台湾では原住民という言葉は差別語ではない。正式な用語である。日本統治時代に、原住民の総称として高砂族と呼ばれることになったが、その種類は多く、それぞれに言語が違う。対岸の福建省から漢民族がやってきて住みつく以前から台湾に棲んでいた。そのひとつ、ツオウ族(顔立ちが西洋的)の、その時代少数民族出身の中では超エリートだったのでは?と思われる、中国語名・高一男さんという父親の娘、菊花さん。ピアノを弾き、ベートーベンが好きだった一男さんは、台南師範学校を出て教師や警官をしていた。戦後、原住民の自治を主張していたことにより、国民党から要注意人物として逮捕され、1954年、銃殺。菊花さんも、その後何年も当局に呼び出され、意味もなく追及される。
「蒋介石の政治が民主主義だなんて、おへそがお茶を沸かすよ」と言った出演者がいた。4人というのをよつたりと言いかけてよにんと言いなおした人がいた。母親は和服を着て生活していた、と言った人がいた。私の親ぐらいの世代なのだが、語り口が、祖父を思い出す。
私からみても懐かしく感じられる日本語で語られる、それぞれの生活。東京の中学に進学、陸軍に志願し、中央アジアで抑留生活を終えたのち、日本で暮らすことになった人、インドネシアで終戦、インドネシアの独立運動で戦い、そのままインドネシアで(日本名で)生活している人、台湾人の父と日本人の母を持って生れ、戦後、政治犯収容所で8年間過ごした人。
火焼島 という政治犯収容所のある島の名前には覚えがあった。ジャッキー・チェン主演の『炎の大捜査線』の原題、そして『炎の大捜査線2』では金城武・ニッキ―・ウ―主演、どちらもさしてお薦めはしません。そうか、監獄ものだったなあ。政治犯収容所だったんだ。
彼らが“中国人”と言う時、ある種の差別視がある。自分たちは台湾人である、という誇り。戦後に蒋介石とともにやってきた彼ら(外省人)を、侵略者とする。
今では外省人と本省人の混血もすすんでいる。若い世代とのギャップはあるだろう。今、大陸との交流が無くてはほとんどの事業が成り立たない。が、台湾独立を主張する人がまだまだいる。海外で台湾が中国の一部だと思っている人はまずいない。そのことを大陸の住民の多くは知らない。
さて、このあと、マルヤガーデンズシネマでは、原住民が日本軍統治に対して立ち上がり、戦いを挑む内容の映画『セデック・バリ』が上映される。そうでなくてはね。中国の前、日本が、侵略者であったのは事実だから。
2013年10月11日(金曜日)
著者 ドン・ウィンズロウ 原案 トレヴェニアン 「シブミ」
ハヤカワ文庫
寡聞にして全く知らず、その原案「シブミ」なる小説。
胡散臭さ満載、な匂いのタイトル。ウィンズロウのニ―ル・ケアリー物のファンなので、この作家の東洋趣味というか、アジアへの関心度が高いらしいことは想像がつく。
えーと、だから元の小説があって、その主人公(上海で生まれ、日本で育ったロシア人、ニコライ・ヘル)の若いころのエピソード。1951年10月の東京、巣鴨拘置所から釈放され、CIA局員のハヴァフォードから、ある任務を課される、のだが、巣鴨を出た人間をすぐに正式な茶の湯の会に招くっておい!第二部では舞台は1952年の北京。確かに、“食事はもうすみましたか”という意味の『吃饭了吗?』はこんにちは、とかおはよう、とかハーイ、とかの意味の言葉だが、ホテルのフロントの女性に向かって言わないと思うぞ、おい。など、まことによく研究してあるけれど、突っ込みどころたっぷり。
とは言え、そんなことにはこだわらず、アジアを股に掛ける冒険小説、当然美女とのロマンスあり、面白いよ。第三部では中国雲南省へ舞台が跳び、アメリカ・ロシア・中国・フランス人そしてコルシカマフィア、と出てくると、えーと、そもそも主人公の任務って何だったっけ?と、こんがらかってしまう(私だけか?)。囲碁の達人でもあるニコライは、時に囲碁の勝負になぞらえて戦略を考える。囲碁に詳しい人はどう思うか聞いてみたいところだ。
コブラ という暗殺者が、ちらっと出てくる。そしてなんと!・・・注意深く読んでいる人なら、あちらこちらに何かと伏線が張ってあることに気づくのだろうが。
前日譚なのだから、いかに危険でも最低限生き残ることになっているよね。
で、ちらほら人々の感想を目にするところ、本家「シブミ」のほうが、日本に関する記述など、深みがあるらしい。近いうちに探したい。是非。それにしてもシブミって。
調べたことがすべて記憶に残るものなら…。今朝の新聞で、高校入試に、まさに茨木のり…