妻への家路

監督 チャン・イーモウ張芸謀

出演 コン・リー鞏 俐 チェン・ダオミン陳道明

中国文化大革命の時代、夫は右派分子として罪に問われている。が、脱走して追われ妻への家路ている。家族に会いに来た夫だが、娘に追い返される。妻は、何とかして会おうとする、が、目前で引き離される。

文革が終わり、20年ぶりに解放されて帰ってくる夫。が、苦労を重ねた妻は記憶障害となり、夫の顔を認識しない。夫を目の前にしながら、駅に迎えに行く。

向かいの家に暮し、書き溜めたまま出せなかった手紙を、妻に読んでやる夫。かつて自分の情報を売った娘と協力しながら、妻に寄り添う。

陳道明がうまい。細かい情報は何も出てこないが、知識階級であったために追放されたことは、ピアノの演奏が好きだった、などのエピソードでわかる。時代劇や香港映画“インファナルアフェアⅢ”などで見た姿とはずいぶん印象が違う。

実はゴージャス美女である鞏 俐は、地味な市井の女の役をやることもあるが、今回ほど普通のおばさんをやったのは初めてだろう。違和感が無い。昔々、中国の百恵ちゃんと呼ばれ、その頃はちょっと似ていたものだが、この映画では倍賞千恵子に近いような気がする。

中国を代表する俳優と言ってもいい二人が、切ない物語を演じているのだが、私はところどころでちょっと笑ってしまった。少し、笑ってもいい話として作っていないのだろうか?監督。

初代謀女郎たるコン・リーと10年ぶりに組んだ金ぴかの『王妃の紋章』はなんだかだったし、もう張芸謀のファンと名乗るのはやめたのだったが、こういう作品を撮ると相変わらずいいのだった。

多分、文革というものについて何の知識も無い世代が見たら、何の罪?とかすっきりしないものがあるだろう。そこらへんのことをこのくらいにぼかして表現しないと、中国政府の上映許可が下りないということだ。原作では、詳しく描かれているとのこと。

 

下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち

下流志向著者 内田樹

講談社文庫

時々この著者のツイッターや“内田樹の研究室”http://blog.tatsuru.com/というサイトを見ている。

なぜ日本の子どもたちは勉強しなくなったのか?仮説、この子たちは等価交換しようとしているのではないか。小学校一年、ひらがなを教えようとする段階で、「先生、これは何の役に立つんですか?」と聞いてくる、のだそうだ。教室に座ってノートをとるという苦痛を伴う行為(か?)を、たぶん、教師に対して支払いをしている、ととらえている、のでは、と言う。

この本が単行本として出版されたのは2007年、まだ大地震も起こらず原発事故などだれも考えていなかった時である。大学生が講義を聞かず私語をしているという話はよく聞いたが、小学生が勝手に教室を歩き回っていたのか?へええ。

自分探し とは?

自分はほんとうはなにものなのか?という問いを軽々にする人間について。自分のことを誰も知らないどこかに出かけて、言語や生活習慣やいろいろなことが違うところに暮らせば自分はほんとうはないものであるかわかる?

えーと、リーマンショックというものが起こって、世界的に経済危機に陥ったのが2008年。その前と後では事情がずいぶん違うと思う。さらに東日本大地震、原発事故、そして、戦争したくて仕方がないらしい総理大臣が、もっともらしく女性を活用などと言って、活用された女性大臣かなにかが3人靖国参拝していたその顔が、国防婦人会のご婦人はこんなだっただろうなあ、と思えた先ごろ。

失礼、話が飛びました。

無知とは時間の中で自分自身もまた変化するということを勘定に入れることができない思考のことです。学びからの逃走、労働からの逃走とはおのれの無知に固着する欲望であるということです。

自分探しなんてやめて、家族ではない親密圏をつくりましょう、あれこれ迷惑をかけあって生きましょう、という部分はまことに賛成、ですが。日本人は一斉に変わる、という特性があるから、ある日そういうことが常識になるかもしれない、リスクをヘッジするコストとしては安いものだから、って。というその当時の発言は、なんか今、違う方向へ一斉に変わるかもしれない気配の中、楽観できなくなっちゃったよね。

私が知らなかっただけで、この本はちょっとした古典なのかな?講演、質疑応答を文章に起こしたもの。の、せいでもあるか、うまく紹介できません。ごめんね。

繕い裁つ人

繕い裁つ人監督 三島有紀子

出演 中谷美紀 三浦貴大 片桐はいり

神戸の街、坂を上って見える南洋裁店の看板が、古い洋館に掛けられている。店主の南市江は、洋裁店初代だった祖母が作った服を、仕立て直して着られるようにすること、祖母のデザインを踏襲した服を作ることで、日々生活していた。

祖母の代からの付き合いの店に少しそんな新作を提供しているのだが、それを見て一目ぼれした藤井は、ブランド展開を考える。が、頑固ジジイのよう、と藤井に言わしめるような市江の態度なのだった。

自分のデザインした服を作りたいはずだ、と、何度断っても店にやってきて、市江の母の出す団子を食べている藤井である。

えーと、何かしら恋愛事情が発生するかと、ちょっと期待するこちらであったが。

藤井を演じる三浦貴大が、ちょっと見にはあまり似ていないのに、山口百恵サンそっくりの表情を見せるところに見入ってしまう。洋服が好きだという設定にしては、彼の服のセレクトは普通なのが…どうなんでしょう。

その地区の伝統行事だという、30歳以下は立ち入り禁止の夜会、そんなのがあったら素敵。一度作ったドレスを、仕立て直し仕立て直し、毎年参加する。あと、黒木華サンのウエディングドレス、良かったな。

街の洋裁店があちこちにある時代に育った。昔は、そんな洋裁店をやっていた伯母に、仕立ててもらった。子どものころは、母の手作り、というものも多かったけれど。そしてこの映画を、今も注文仕立ての洋裁師である友人と見に行った。彼女が言うには、もしこの映画のように足踏みミシンですべての仕事をしたとすると、腿のあたりが傷んでしまうそうだ。私は、足元で調節できるプロ仕様のこんなミシンが欲しいなあ、革を縫うために、と思ったのであったが。

淡々と進みつつ、チーズケーキをホールで食べるか、おい。

何かしら手仕事をしている人が見るといいだろう。ちなみに連れの洋裁師の感想は、『洋裁師は孤独だ!』なる言葉でありました。

池辺葵のコミックが原作だそうだ。読んでみよう。

 

 

おみおくりの作法

おみおくりの作法http://bitters.co.jp/omiokuri/

監督 ウベルト・パゾリーニ

出演 エディ・マーサン ジョアンヌ・フロガット

孤独死した人の葬儀をするのが仕事の、公務員。送る時の音楽まで、その人に合うであろうものを選び、丁寧に見送る、たいていは彼ひとりで。

食事のテーブルにきちんと白いクロスを敷き、マットを置いて、皿の上に缶詰をあけ、トースト一枚、リンゴ一つ、が定番の、つましい独り暮らし。

部屋の真向いのアパートで、アルコール中毒者ビリー・ストークの遺体が発見される。その日、仕事に時間をかけすぎると、解雇を言い渡される。

最後の仕事に奔走する男ジョン・メイ。ロンドンを離れ、イギリス各地で彼ゆかりの人を訪ねる。

奇跡のような佳い映画だ、と、終盤に至って言葉が浮かんだ。エディ・マーサンという俳優を私は知らなかったが、イギリス人らしいあまり感情を出さない地味な中年男、名優の誉れ高い人だそうだ。

無知の知

 

 

無知の知http://muchinochi.jp/

監督 石田朝也

私は私自身が「原発」について「何も知らない」ということを知っている。だからこそ聞いて見たかった。そして福島に行ってみなければならなかった

と監督がまず言っている。

東日本大震災と、福島原発事故の被害に会った人たち、当時の首相だった菅さん、官房長官だった枝野さん、それでもやっぱり原発推進派の学者、などなど、さまざまな人に、監督自らがインタビューしていく。とにかくフラットに、自分の意思を持たないようにして。

いわゆる感想文を書ける映画では無く、どこかで機会があったら見てください。という言葉しか出てこない。

元・原子力委員会委員長が、お慰めする言葉が無い、と、何度か口にした。高いところから民を眺めている神のように。自らが被害者でも有り得たと、発想することは無かったのだろう。

百歩譲って、完璧な廃棄物処理法が見つかったら、原発推進ということも考えられるだろう。地震の無い国であることを条件に。と、私は思っている。皆、それぞれの立場で発言し、出演者の誰かが言ったように、どこまでも交わらない。

 

 

6歳のボクが、大人になるまで

6歳のボクが大人になるまで監督 リチャード・リンクレーター

出演 エラー・コルトレーン ローレライ・リンクレーター パトリシア・アークエット イーサン・ホーク

久しぶりに、まっとうに面白い映画を見た、気がする。

凄い企画だ。6歳の男の子が大学に進学するまで、家族4人(元・父親も含め)同じキャストで一つの作品を撮り続けるとは。

若くして結婚して、二人の子供ができて、離婚。母親は、大学に行ってより良い仕事に就くため、引越しを決める。別れた父親はミュージシャン志望だった。子どもたちにはよく遊んでくれるいいパパだ。

大学に行ったママには恋人ができ、結婚。新しいパパにも二人の子供がいて、楽しく暮らしていたが、やがてアル中の症状を見せ、乱暴がひどくなり、家族で逃げ出す。

ママは大学の教壇に立つことになり、また引越し。ボクは15歳。ママには新しい恋人ができた。パパにも恋人ができ、結婚。赤ちゃんが生まれた。

誕生日プレゼントに、パパからは自分で編集したビートルズにCD,パパとその新しい奥さんからスーツ、おばあちゃんから聖書、おじいちゃんからは散弾銃。パパは16歳になったらくれると昔言っていた車を売り払ってしまったけど。

散弾銃…か。代々伝わっているんだってさ。自分の身は自分で守るってアメリカ人だねえ。

そんなこんなな、家族の歴史が、それぞれの時代を表すゲームだとか、ハリー・ポッターの映画だとかの背景と共に描き出される。

初めのほうでは、ちょっと私の好みの映画ではなかったかな?という気もしないではなかった、のだが、いややっぱり、銀熊賞だけのことはありましたね。

それにしても、人生のパートナーを得ることは難しいものだね。決して悪い人では無い実のパパ、ちょっと見には知的で魅力的な男、悪い人では無いが生真面目で融通性に欠ける男、ママの人生に現れる男たちよ。そんな中で育っていくことも大変だね、娘、息子よ。子供が大人になっていくまでに、一つ間違えば、というたくさんの危機が転がっているものだね。

息子が旅立つときになってママが言う、私の人生何だったの、的なセリフがね、いやいや印象的。まあママだって本を執筆するという目的が今あるのだから、ちょっとセンチメンタルになっただけなんだけど、とてもよくわかる気がする。

おそらく、どなたさまでも、ちょっとややこしい目にあった子供でも、いい映画だと思いそうな、作品です。

薄氷の殺人

薄氷の殺人や監督 ディアオ・イーナン

出演 リャオ・ファン グイ・ルンメイ ワン・シュエピン

1999年、石炭の工場(というのか?)で、石炭に混じって人体の一部が発見される。同様の事件は、距離の離れた各地で起こっている。

妻から離婚を言い渡され荒れている刑事ジャンは、犯人と思われる二人を追い詰めるが、逮捕時、持っていたピストルで抵抗、二人は射殺される。

2004年、同じ手口の事件が起こる。刑事をやめたジャンが、その事件を追及していく。いずれも、クリーニング店に勤める美しい女が関係していることがわかる。

桂綸鎂(グイ・ルンメイ)が出ている作品にハズレは無い!と、内容に構わず見ることにしていたが、いや、美しい…普通の女の子、という印象だったけどね、デビューの「藍色夏恋」なんかでは。その美しさから目が離せない、という気にさせてしまう演技力、ファム・ファタールと、言うのだろうけれど儚げで、幻のようで、でもクリーニング店主と絡んでいるシーン、追い込んだジャンと観覧車の中で・・・の、シーン。

中で出てくるナイトクラブの店名が、白日焔火、それが中国語の原題。真昼の花火の意味。最後のあたり、姿は見えないけれどジャンが打ち上げているであろう冬の昼間の花火。日本語タイトルも、真昼の花火にしてほしかった。

彼女が自白するのだけど。それって?

なんというか、もう一度観返して、細部をじっくり見る必要があるのだなあ、私。

ルンメイちゃんのあやしい美女ぶりを追いかけてしまったせいか、結論のところがしっくり呑み込めない。

まことにうまいジャン役のリャオ・ファンが2014年ベルリンの銀熊賞、作品がグランプリ金熊賞だったそうだ。クリーニング店主の男、鬘か?みたいな変な髪形のおっさんワン・ジンジュン、妙に印象的。多くの方にお勧めできる作品ではないが、そしてどうもうまく呑み込めない状況で言うのもおかしいが、よくできた映画で、ある、と思う。

激戦 ハート・オブ・ファイト

激戦

か監督 林超賢ダンテ・ラム

出演 張家輝ニック・チョン 彭于晏エディ・ポン 梅婷

ん?こんな映画を上映していたのか、と気づいたときは明日が最終日、だった。その最終日、観客二人。

いい映画なんだよお!私は総合格闘技なんて何の興味も無いが、それ以外の部分のそれぞれの人物の背景がちゃんと描かれているし、映画の初めからちゃんと引き込まれる作り。

中国の大富豪の御曹司で、雲南など辺境の地を歩き回っていたスー・チーだが、ある日、親の破産を知る。かつて香港でボクシングのチャンピオンだったファイは、八百長に加担し、今はマカオでジムの雑用をしている。ファイが間借りした家には、クワンとシウタン母娘が住んでいるが、母のクワンは、離婚後、幼い息子を風呂で溺死させてしまった過去を持ち、精神が不安定である。その分、シウタンが子供ながらに母をかばってしっかり者。

酒におぼれる父の面倒を見る日々、総合格闘技で金を稼ぐためにジムに来たスー・チーは、ファイが元ボクシングチャンピオンであると知って、指導を仰ぐ。

実際、9か月肉体訓練をしたという張家輝と彭于晏の身体がすごい。私は総合格闘技に何の興味も無いが、生半可な訓練ではこんなことはやれない。流血格闘シーンが苦手な人(atconさんとか)は何度も目を覆うことだろう。

香港版ロッキー?いやいや、私はチャップリンと感じた。この役を15年前のジャッキー・チェンがやったら我が鹿児島でも人が入っていただろうな、と思うが、もう少しベタな感じの仕上がりだったんじゃないかな。シウタン役のクリスタル・リーが、まあ名子役さん!

北京語で話しかけて広東語で答える。それで会話が成り立っている。実際に、今の香港マカオ界隈ではそんな感じなんだろうなあ。聞き取りはできて、話すことはうまくないから母語で、って。

エンドロール字幕にジャック・カオさんの名前、どこに出てた?古い役者さんも見落としたか。若いアクション俳優の顔をちゃんと覚えてないばかりでなく。

誰かスタッフに中華圏の映画が好きな人がいるんですか?天文館シネマパラダイスさん。あと香港の『スペシャルID』とチャン・イーモウの『妻への旅路』が予定されているから少なくともそれまでは存続している…長生きしてくださいね!

KANO 1931海の向こうの甲子園

KANOhttp://kano1931.com/

プロデューサー・脚本 魏徳聖

監督 馬志翔

出演 永瀬正敏 坂井真紀 ツァオ・ヨウニン

1931年、日本の統治下の台湾。嘉義農林学校弱小野球部の監督となった近藤兵太郎の特訓の下、守備力の日本人、打撃力の台湾人(漢人)、俊足の台湾原住民(蛮人)それぞれの持ち味を生かした指導でめきめきと力をつけ、とうとう甲子園に出場する。

と、ここまででも十分映画として完成していた気がするんだけど。エース役のツァオ・ヨウニン(曹佑寧)は野球では小学生のころから台湾代表に選ばれているそうだし、それぞれ小学校の時なり、経験のあるキャストだそうだ。それにしても、その時代は日本語が共通語だった台湾なので、7〜8割のセリフが日本語であり、台湾人キャストと日本人キャストとの混成のチームであり、コミュニケーションも野球実技もいかに大変な事であったかと偲ばれる。映画の観客としては、植民地だったのだから日本人名を名乗っている選手と、日本人選手の区別がつけにくいのだが。どうやら実際は台湾人の俳優(じゃないかもしれない、野球ができることで抜擢された人かも)が日本人役をやっていたり。ややこしい。そして、日本語ではない部分の言葉はすべて台湾語だった。そうか、国民党がやってくる前だから、基本、北京語はまだ入っていないのだ。

これは1931年に実際にあったことの映画化だから、その後、甲子園で決勝戦まで勝ち進むまで描かれる。

プロデューサーの魏徳聖は、台湾統治時代の少数民族による抗日事件「セデック・パレ」の監督であり、監督の馬志翔はその映画に出ていた俳優でもある。

甲子園を取材する記者の言葉として、当時の日本人の差別的な意識が描かれる。その記者が、のちに“僕はすっかり嘉農びいきになった”と書く、それは、当時実際に作家菊池寛が、大阪朝日新聞に寄せた観戦記からとったものだという。

映画冒頭に、台湾経由でフィリピンに向かう将校が、「嘉義についたら起こしてくれ」というシーンがある。実際に流行した言葉なのだそうだ。ずっと後のシーンで、彼が「いらっしゃいませー」と叫ぶのだが、あれは?「さあ来い!」ではなかったのかな?

映画を観終わって劇場を出て、前を歩いているご婦人が携帯で話しているのか聞こえた。「すごく良かったよ、絶対見るべき」。そう、正攻法の、正しく涙腺を刺激してくれる作品です。台湾の映画祭金馬奨で、永瀬正敏は日本人として初めて主演男優賞にノミネートされたそうです。

営繕かるかや怪異譚

営繕かるかや怪異譚著者 小野不由美

出版社 角川書店

営繕の意味は、この場合、修繕、リフォームかな。細かく言うと違ってくるらしいんだけどね。

古い建物があると、長い月日にはいろいろな人がそこにかかわり、何かしらの思いが留まってしまうことがある。日常の中に不意に現れる、そこにいない人、かつてそこにいた人の気配。屋根裏で、奥の部屋で、ガレージで、行き止まりの路地で…。

それを、消し去ってしまうこともできるけれど、そうではなく、ある意味共生する、もしくは外に出ていきやすくする。そういう姿勢で建築物を営繕する、営繕屋尾端が、どちらかというと脇役としてかかわって、生きている人の心も、生きていない住人の執着も治めるお話。

魔を折伏するとか、そんな話ではなく、今は亡き人もそこにいる者として、より良く流れて行くようにするという発想。

祟りではなく障り、それを取り除くだけ、少しの不自由を許して生活していく。生きている人間のほうが、時に怖いことをしているよ、という事実も垣間見える。

かつて、田舎の家で暮らしていた伯母が、狐さんに騙された話、祭って治めてあった場所を掘り起こしたために職人が寝込んだ話、などしていたことも思い出したりした。少し昔、日常にそんな話があった。

私は、『檻の外』という作品でうるっとなりました。小野不由美さんの人生に何か変化があったのかな、と思ったこの作品だったけれど、前作「残穢」は、相当怖い長編なのだそうだ。ふむ。