ゴジラー1,0

監督 山崎貴

出演 神木隆之介 浜辺美波 山田裕貴 青木崇高 吉岡秀隆 安藤サクラ 佐々木蔵之介

数あるゴジラ映画、初めて映画館で観ました。ゴジラファンの皆様、そういうやつの感想をお許しあれ。

第二次世界大戦末期、零戦乗りの敷島は、機体の調子がおかしいと偽って小笠原諸島の島の海軍の基地に降りる。整備兵から怪しまれた夜、ゴジラを目撃する。ゴジラの襲撃に対し、零戦から爆撃するように言われるが、恐怖にすくんでしまい、何もできない。その間に、ほとんどの兵が死んでしまう。

戦争が終わり、東京に帰ってきた敷島、両親は亡くなっており、焦土と化した中、追っ手から逃げる典子から赤ん坊を渡され。身内がいなくなった者たちが、力を貸しあうこととなっていく。

そして、0となった日本にゴジラが現れ、マイナスへと。

山崎監督の『3丁目の夕日』では若者だった吉岡秀隆が、白髪交じりのおじさんになったんだなあ。なんだか鉄腕アトムのお茶の水博士を連想してしまった。これだけうまい役者をそろえて、ちょっとオーバーな、マンガチックな感があるのは、あえてそういう演出をしているのかな。神木隆之介子役時代の『妖怪大戦争』を観たとき、彼の一瞬の表情に、うまいなあ、この子!と気付き、その後『るろうに剣心』でもうわあと思い、映画の彼には期待してしまうところがある私がよろしくない、か。

ゴジラの造形、ゴジラシーンは凄かった。で、疑問。最初のゴジラと同じ、放射能を浴びてるんだよね、ものすごく放射能を発してもいるわけだよね、海洋汚染がひどいでしょう、あんなに近づいた人間だって汚染されたでしょう、と、思わない?第一号ゴジラと同じ、子供も楽しめるゴジラ設定ということなのかな。

無名

監督 程耳

出演 梁朝偉 王一博 黄磊 周迅 森博之

スパイ映画、ということ以外の情報無しに観たせいか、初めは話が見えない。誰がどこの所属?どこのスパイ?時系列があっちこっち。

1941年、日中戦争さなかの上海、汪兆銘政権下の諜報員のフーとイエ。中国語と言っても全く聞き取れない知らない方言、と思ったら上海語だった。が、時系列も場所も跳ぶので、北京語も広東語も混じる。イエ(王一博)は日本語も話している。そもそも汪兆銘って?中華民国国民政府、知らなかった、蒋介石が重慶に立てた国民党のほかに、そういう政権があったのか。日本の傀儡政権とみなされている、のだそうだ。

日本軍の将校役の森博之って?中国で活動している俳優だって。

などと説明すると面白くもなさそうだが。黄磊、周迅など、90年代からの中華映画ファンにはうれしい役者が顔を出し、あああの若かった黄磊がこんな!とか。そして近年の中国ドラマの影響なのか、昼間の中国映画の割に観客がまあまあいる、そのお目当て?王一博、時代劇ドラマの美しい正しい男ではない激しいアクションで、ああこんな役もできるのね、いつか悪ーい男を演じる日が、など思うなかなかの好演。実は歌手でダンサーでラッパーでバイクレーサーなのかあ。最後に流れる歌、彼の声だと思った、やっぱり。トニーさんは相変わらずあの年齢で結構なアクション、若々しく見える時と老けて見える時の違いが大きいが。

日本人の描き方がさほど不自然ではない。中国語と日本語で会話が成り立っているのも、香港映画で北京語と広東語で会話しているシーンを見慣れていると、別に不自然には感じない。とは言え、トニーさんは仕事がない時結構日本に滞在しているという噂なので、多少の日本語は話せるだろうに、とは思ったよ。

結末に、おおお、そういうことか、と思った私は鈍いやつです。色彩、音楽、良いよ。

悪は存在しない

監督・脚本 濱口竜介

出演 大美賀均 西川玲 小坂竜士 渋谷采郁

Evil does not exist と、英語タイトルがまず現れる。え、と思うのは、Evilには邪悪というイメージが強い気がするから。

木漏れ日だけのシーンがしばらく続き、眠くなりそうな始まり。

長野県の高原、豊かな自然、鹿の姿を見かけることもある。水汲みに行き、薪を割る生活。ある日、グランピング施設をそこに作る話が持ち込まれる。コロナ禍で活動を制限することになった芸能事務所が、政府の補助金目当てに計画したものと思われ、住民は、環境汚染を心配する。

企画した事務所の男女が説明会を開く。当然、合意は遠い。

日本の、地方と呼ばれるあちこちでよく起こっている状況。都会の側の人間が、うっかり田舎に惹かれたりすることも、ありそうなこと。田舎は暇じゃねーぞ、と心に呟きながら観ている、と。

最後の最後が。

並べるのも変なのだが、その状況が、韓国映画『哭声コクソン』の国村隼、『新聞記者』の内閣参事官役田中哲司ほどに恐かった!隣では、え?みたいな、これで終わり?という拍子抜けなんだか意味不明だか、という声も聞こえたが、それもわからないではない、が。そういえばあれこれここにつながるかもしれないエピソードがあった。

青春18×2君へと続く道

監督 藤井道人

出演 許光漢 清原果耶 道枝駿佑 張孝全

製作総指揮 張震

私の年齢にはいささか気恥ずかしいようなタイトルのこの映画。

18年前の台湾・台南のカラオケ店でアルバイトを始めた18歳のジミー、その店で働かせてくれと飛び込んできたバックパッカーの日本人女性、アミ。カラオケ神戸 という名前の店だったからだろう。実際日本から旅行でやってきて住み着いた店主だし。ジミーより4歳年上だけれど天真爛漫、美人の彼女のせいでカラオケ店は繁盛する。もちろんジミーもすぐに彼女に惹かれる。日本映画『LoveLetter』(岩井俊二監督)が上映されるので二人で観に行くシーンの映画館に『藍色大門』のポスターが。邦題『藍色夏恋』、チェン・ポーリン、グイ・ルンメイが初々しかった作品。

けれども、彼女は旅人だから、別れの時が来る。

現代、ジミーはコンピューターゲームで成功したが、挫折を味わう。日本で旅を始める。

台湾の、十份だろうあの有名な赤いランタンのシーンとか、日本での鎌倉、長野、新潟、そしてアミの故郷福島へ、雪の中を行く列車、など、両国の観光映画のような作りだし、いい人ばかり、ありがちな物語、にもかかわらず、ちゃんと感動してしまったよ。

主役の二人が良いのだろうな。実年齢は、彼が1990年生まれ、彼女が2002年生まれ、逆なんだけどね。

監督は『新聞記者』の人かー。藤井監督、祖父が台湾人だという。そして、台湾の俳優・張震が、同じく台湾のジミー・ライの紀行エッセーを映画化することを熱望したのだそうだ。そうでしたか。

青春 とタイトルに入っている作品を続けて観たが、なんと色の違うことよ。

 

青春

監督 王兵

その名も織里という、上海を中心に広がる長江デルタ地域の地区の、小さな衣料品工場。そこで、だーッとミシンをかけている男女工員たち。地方から出稼ぎに来ている。おいおいタバコ吸いながらタバコ傍らに置きながらミシンかけてんじゃないよ、なんだって床に縫い上げた服が積み重なってんだよ!日本人としては気になって仕方がない。人と人の距離が近い、物理的にすごく近い。恋人たちがいて、妊娠という事態になり、親を交えて堕胎の話がずいぶんとおおっぴらに行われている、いいのか?あっという間に誰かと誰かが刃物を振りかざしたけんかになったりもする。そしてとにかく、悪いが汚い。大量に衣料ゴミが出るのは仕方ないが、片づけろー、掃き出せー、何とかしろ-、と、心で叫ぶ。

中国のTVドラマだと大都会上海の摩天楼、PCに向かうおしゃれな男女の恋愛が描かれるが、なんとかけ離れた世界であることか。ほぼベッドだけ、みたいなそれを寮とよんでいいのか、工場ビルの上で暮らす二十歳前後の若者たち。この雑然と密な世界でコロナ禍となったらひとたまりも無いだろう。実際、コロナ禍直前の数年間を撮っているそうだ。

そして女性を連れて親元に帰ると、そこにはなかなかちゃんとした家が建っていて、なんだ、田舎ではこうなのか・・・と思うがそれは彼らの仕送りの結果か。

215分、という長い作品、だが、これには“春”という副題がついていて、3部作が完成したら、9時間にも及ぶものになるとか。

観終わると、まあ、確かに青春、というものでした。

 

 

オッペンハイマー

監督 クリストファー・ノーラン

出演 キリアン・マーフィー マット・デイモン ロバート・ダウニー・ジュニア ジョシュ・ハートネット ラミ・マレック ケネス・プラマー

観るべき作品でありました。

原爆の父なる物理学者オッペンハイマーを描いている、と言う以外の知識なく観たので、最初の方は誰がどの人やら、時間があっちこっちに行くし、何がどうした?という具合でしたが。映像が鮮やかに美しい時があり。

日本人としては、広島の原爆被害についてなど、そんなんじゃないんだけど、と思う部分もありつつ。最上級の頭脳が殺戮のための武器開発に使われる、という壮大な無駄、害悪、違う方向にそれだけの予算と情熱をかけられるものなら。

ああもう一度初めから観返したい、と思いながら観終わりました。贅沢な俳優陣です。

 

治療文化論

著者 中井久夫

岩波現代文庫

文化精神医学って何?“狐憑き”というものが日本にあり、お祓いなどして狐を落としてもらうということがあったようだ(主に日蓮宗の僧侶から)。しかしほかの国で狐に取りつかれる話は無い。悪魔、サタンが憑くことはあっても。そりゃあそうだよねー、その概念が無いのだから。あるいは、欧米のキリスト教圏にあっては、“同性愛ショック”というものがあると言う。結構最近まで、キリスト教の教義により同性愛は罪悪であったので、この男の好意的行動は自分に対する性的接近ではないか、と思ってホモセクシュアル・パニックを起こす、とか。日本ではほぼ無いらしい。

日本においては、例えば黒船の頃の天理教教祖・中山ミキ、中山ミキ・明治10年代の大本教・出口ナオ、そして第二次大戦末期の踊る宗教・北村サヨなど新興宗教教祖には共通性があるという。歴史の転形期に出現することのほか、彼女たちは家計、精神部分など家庭の主力を担っていた。極度に睡眠時間が少なかった。そしてある日限界を超えて、神(の使い)を名乗る。著者はそれを宗教的「創造の病」と呼ぶ。創造の病ということを言い始めたのはエランベルジェという人なのだそうだ。著者の体験として、大変優秀な女子学生である人が、妖精が見え、対話する、というケースがあったという。私自身の友人から、部屋から小さい緑色のおじさんが出てきて、外に行ったのを見たことがある、カッパさんだと思っている、という話を聞いたことがあるのだが。妖精の病は基本的には西欧のものであるだろう。カッパさんはそのバリエーション?

アート、表現が境界にある人の揺らぎに対し発病に至らせない、ことならよくわかる気がする。

シャーマン、指圧、マッサージ、手かざし、ヨガなどからプロスティテュートまでも、精神科の治療師でありうる?

浄土真宗の土地では狐憑きは発生しないらしい。浄土真宗では死ぬとすぐお浄土に行って仏様になるから、死は穢れではない、お清めなんか必要無い、ご先祖様は祟りません、と、教わるもんね、狐の入り込む隙は無いな。

Eテレ“百分de名著”で取り上げられた時に、これは面白そうな、と思ったのだが。読書家の親戚からの年賀状に、数冊紹介されていた中の一冊が『治療文化論』だった。で、手を伸ばすこととなった。まことに面白い、けれど理解が追い付かない。でも興味深い。そんなわけでこの書物の紹介はとっ散らかってしまってすみません。もう一度、あのEテレの番組を観返したいものだ。

 

 

花桃実桃

著者 中島京子

中公文庫

文庫版の帯にはクスクスほっこり系小説とあるが、ほぼ引き攣って笑った。古語の解釈のものすごさ!

主人公花村茜43歳が、祖父の残したアパートを相続する。たまたま会社から肩たたきされていたタイミングで、そのアパートの管理人となりそこに住むことを決意。“花桃館”というそのアパートの住人は、泣きのウクレレを弾く青年、3人の子持ちのシングルファーザー、祖父の恋人だったらしい老女、探偵、整形を続ける女性、国際東京江戸川大学山田の挟間校舎客員教授のクロアチア人イヴァン・ほろほろヴィッチなど。

で、そのイヴァン・ほろほろヴィッチ(聞き取れないのでそう呼んでいる)は、百人一首の英訳版を口ずさむのだ。ワンハンドレッド・ポエムズというのか、百人一首のこと。英語で綴られた詩の、naniwaという部分だけがわかって、百人一首を買って難波の出てくる歌を探すと3首出てきて、そのうちの 難波潟 みじかき葦のふしのまも 逢わでこの世をすぐしてよとや を気に入る茜。よとや が調子のよい掛け声のようだと思う茜。男 会わないでこの世を過ごしたんだよ、へいっ! 女 そうだよ、ほいっ! あるいは、男 会わないでこのよをすごしてちょうだいよ。女 嫌よ。か。・・・って、独自の解釈にもほどがあるというかある種天才的。しかもそれなりに勉強家、研究熱心。

そして、『青いライオン』というバーを営む高校の同級生尾木くん。青いライオンと金色のウイスキー、田村隆一の詩を、筆者わたくし一時暗記していたのだが、もうタイトルしか覚えていない。そういう男、ことわざ好きの、茜とはなんの共通点も無い、男。が・・・。

参考文献として『英詩訳・百人一首 香り立つやまとごころ』集英社新書が紹介されているので、読んでみたくなる。原文と比べながら。英語力無いのをしみじみ感じたけれど。

解説では、どこかで聞いたことのある響き、ということから“~花も紅葉もなかりけり 裏の苫屋の~”定家の歌を思い出したとある。私はというと、すもももももももものうち を思った。教養の差はこんな風に。

本心

著者 平野啓一郎

文春文庫

2040年代の入り口、という時代。母親と二人家族だった29歳の男が、母親のVF(ヴァーチャルフィギュア)を依頼する。

母は『自由死』を望んでいた。結局不慮の事故で亡くなったのだが。

男は、“リアルアバター”として働いている。カメラ付きゴーグルを装着して、依頼者の代わりにどこかに出かける。依頼者はヘッドセットを付けてその映像を見、体験する。

また、ヘッドセットを付けることで、自分のいる空間に存在している(ようにしかみえない)母と会話する、生活を共にすることができる。VFはテレビなどから現在のニュース、社会の動きを知り、学習することができる。アイボを育てるようなものか。

息子が知らなかった女性の友人や、ある作家の小説のファンであり、親しかったこと、などがわかってくる。

少しだけ先の世界、映画の『プラン75』に近いがもっと若くても自分で“死”を選択できる社会。リアルアバター、アバターデザイナー、などの職業が存在する。

母はどんな人だったのか?本心はどこにあったのか?何を思っていたのか?

今はいない誰かと、話をしたい、返事が欲しい、と、思うことが形の上ではかなうなら、それを望むだろうか、自分なら。やはり少しの違和にいら立ち悲しむのだろうか。

“分人”という、平野啓一郎が提唱している概念と、愛、というテーマで描かれるシリーズの一冊。初めの方の主人公の在りようが、年齢の割に幼く思えてしまうが、まあ、読み終わるまでには成長しているよ。ここからだろうけど。

 

緑の夜

監督 韓帥ハン・シュアイ

出演 范冰冰ファン・ビンビン イ・ジュヨン

テレビの『中国語ナビ』を観ていたら、番組の中でこの映画を紹介していた。え?范冰冰!ゴージャス美女がこんな地味な作りで!このところ映画情報に疎い私だ。近場で観られるかすぐ調べたら、その次の日が最終上映だった。

保安検査場で仕事をしている女ジン・ジャ(范冰冰)が、緑に染めた髪の不審な女(イ・ジュヨン)と出会う。危険を察しながら、なぜかかかわっていくことになる二人。

中国から韓国へ移住し、配偶者ビザのために結婚した夫がいるジン・ジャ。額に傷が。

初めからずっと不穏なヒリヒリする気配。そういう映画を観たのは何十年も前かもしれない。そしてかつて観たそんなひりひりする映画は男の映画だった気がする。

中国の女性監督による、韓国を舞台に、中国人のファン・ビンビンと韓国人のイ・ジュヨンを主役に、香港映画として作られた作品。

暴力を振るうのは男だが、その男が“許す”という言葉を口にする。優位に立つのは男、という象徴。それに激しく反応する女。范冰冰という女優が、2018年以降、脱税を理由に中国で仕事をできない状態である、という現実を、つい思う。

バイクに二人乗りして逃げる彼女たち。そのシーンの疾走感にウォン・カーウァイ『天使の涙』を連想する。

あー、そういう最後か。

2010年頃、日本でウーロン茶のCMに出ていたころのファン・ビンビンは、かなりスッピンな感じだったりした。この映画では地味なりにそりゃあ細心の注意を払った感のメイクなのが気になったなあ。そして『梨泰院クラス』も『ベイビー・ブローカー』も観ていないので知らなかったイ・ジュヨンが良い。