私たちは生きているのか?

著者 森博嗣
講談社タイガ

森博嗣Wシリーズ第5作。
ウォーカロン という著者の造語であるヒューマノイドというか、機械のロボットでは無く、人間と区別するのが難しい人工の存在が出てくるシリーズ。
人間に人工細胞を取り込むなどで若く長生きできるようになった時代、その代わりに、ごく一部の天然のままの人間以外は生殖能力をほぼ失っている。

ウォーカロンが大勢集まっている村があるとの情報で、それを確かめ、そしてその国の新しい研究機関を訪ねる、という目的を持って、ハギリ博士、ウグイ、アネバネが、アフリカのどこかであるらしい場所へやってくる。

罠に嵌ってしまうのだが、そもそも行ったものが帰ってこないと言われる(赤い橋か!とかホテルカリフォルニアか!とか思ってしまうのは私がそういう年代だからです)ところに入っていく以上、もう少し用心するだろ、と、ツッコミたい。
バーチャル世界に入りこんでそこから出られなくなる話は、映画でも珍しくないが、その地下世界にあった生活とは。夢と現実、生きていることと生きていないことの違いは?
片言の英語を話す黒人青年が、自分は生きているものではないと言う。食事をするとトイレに行く、人間以外ではありえない男であり。

このシリーズのテーマを、わかりやすく示したようなストーリー。

ではあるが、うむ、怖いね。そっち側に行きかねない。どっち側か?と思う方はちょっと読んでみてください。

ウォーカロンという存在は、森博嗣の『百年シリーズ』に最初に出てくるということだけど、まだ読んでいない。この著者の作品は別のいろいろなシリーズと何かとリンクしているけれど、作品数が多すぎてそうそう手を出せません。読みたいのは山々でも。

幸せなひとりぼっち

監督 ハンネス・ホルム
出演 ロルフ・ラスゴード

59歳で突然会社をクビになったオーヴェ。妻に先立たれて独り暮らし、なんだかんだと口うるさくてこんなじーさんが近所にいたら腹立つことだと思われ。
妻のことは大変愛していたらしく、いつもバラの花束を持って墓に行き、話しかけている。妻のそばに行きたくて何度も自殺を試みる。が、そのたびに隣人からの邪魔が入って失敗に終わる。

隣に引っ越してきた家族と、初めは喧嘩腰だった。その隣の奥さんに運転を教えてくれないかと言われて断りながらも、ほかの人に教わっている姿を見ると、自ら指導を始めることにする。

おいおいまだ自殺したいのか、とつい笑ってしまう。

そして、生真面目なのは若いころからだけれどかつては優しい青年だった彼が、今の偏屈な男になるに至った物語が、その人生にあったことが、次第に語られる。

別の昔からの隣人が、車椅子生活になっている。ほとんど意思表示できない状態である。そこにかかわってくる介護施設関係の男、福祉国家スウェーデンにも、こんな小ずるいしょーもないやつがいるんだな、と思わされる。

近所の子どもたち、古い隣人、猫、などと次第にかかわっていくこととなり、心臓の悪い彼が倒れて病院に運び込まれ、それは大したことでは無くてすぐ退院と言う次第となると、それまで泣いていた隣の奥さんに「あなた死ぬの下手ね」と言われてしまう。

まあ、ある日、最後を迎えるのだけど、人生の最終段階がこんな風だと本当に幸せだ、と思える映画。老年期の人間が観るには佳作。

ホセ・ムヒカ 日本人に伝えたい本当のメッセージ

著者 萩一晶
朝日新書

昨年来日して、世界で一番貧しい大統領としてその質素な生活ぶりを知られた、前ウルグアイ大統領ホセ・ムヒカ。彼に直截三度インタビューしている、朝日新聞記者の著。ラテンアメリカ特派員、ハバナ支局長などの経験がある。

私が思う「貧しい人」とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。

モノを買うとき、人はカネで買っているように思うだろう。でも違うんだ。そのカネを稼ぐために働いた、人生という時間で買っているんだよ。

というような、ムヒカさんの言葉として昨年聞いたことのある種類の言葉も、いくつもあるのだが、むしろ書店に並ぶ別のムヒカさんに関する本のほうが、そういう言葉をたくさん知ることができるのではないか。この本では、南米、ウルグアイの歴史、このような大統領を誕生させることとなったバックグラウンド、などを追求している。ので、自分がいかに南米の歴史について無知であるかを知ることとなりましたよ。

と言っても、文体は読みやすい。ちょっと飛ばして最後の章を読んでみても構わないだろう。あちこち拾い読みすることもできる。「豊かな国であればあるほど、幸福について考え、心配し始めている。(中略)すでにたくさんのモノを持っている国々では、たくさん働いて車を買い替えることなんかには、もはや飽きた人が出始めているようだ」そうだよね、日本の若者は車を持たなくなった。中国の金持層の坊やとは大違いだ。

ムヒカさんとトランプ大統領の誕生という現象はよく似ているという。既成の政治家、既得権層への不満を持つ人々へのアプローチにより、思いがけなく共感を得た、ということ。トランプタワーに住む人と全く違って、鹿児島に住む両親の実家(そう書いてあったんだよ、両親の実家?なんか変だけど)よりも質素な家に住んでいるそうだ。

まあともかく、我が日本の今を時めく政治家たちの貧しすぎる言語に比べ、なんと豊かな言葉、コミュニケーション能力であることか。

手術を控えた叔父のお見舞いに行って、息子が本を出したから読んでくれと言われ、その鹿児島に住む著者の両親宅で渡されて読んだ本、です。

吸血鬼と精神分析

著者 笠井潔
光文社文庫

矢吹駆シリーズ第6弾。
第1作目の「バイバイ、エンジェル」は1979年に角川から出版されているそうだが、私が初めて知ったのは、初期の3作をまとめた作品社「薔薇・黙示・天使」1990年版。分厚い。その後の作品もずっと、分厚い。読みにくい。そして、第6作の本作まで、作品の中の時代設定は2年かそこらしか経っていない。

読みにくい、と個人的に思うのはベースに現象学というものがあるせいで、短大生だった昔、現象学のカケラもわからずに講義を受けていたのだった。哲学系のことに知識の深い方には、問題ないのかも。

そうは言っても、書店でこのシリーズが目に入ると、買って読んでしまう。何故?矢吹駆探偵のファンなのさ。好きに理由は無いのさ。東洋の貴公子のような顔だち、だということになっている。

パリのアパルトマンで死体(屍体と表記されている)が発見される。傍らにDRACと血文字が書かれて。ドラキュラを連想するが、ルーマニア語では竜の意味だという。亡くなったのはルーマニアからの亡命将校だとわかる。
その後、女性の全身の血が抜かれて発見される連続猟奇殺人事件が起こる。
矢吹駆は、その一連の殺人事件に、動物の「徴」(シーニュと振り仮名、〔記号の意〕 言語学者ソシュールの用語。シニフィエとシニフィアンの恣意的関係によって成立する記号。言語学・記号学で用いられる。 → シニフィエ ・ シニフィアン by大辞林)を認める。

ほらね、読みにくいでしょ、シニフィエ・シニフィアンって?と普通思うよね。まあ知識の薄い読み手としては何度も行ったり来たりしながら読むことになる。おまけに、ワトソン的存在であるナディアが、この前作の『オイディプス症候群』事件で、トラウマを負い、鏡を見ることができないPTSD症状を呈している(のだが、私はこれを上巻しか手に入れていないので、その後のナディアに何が起こったかまだ知らないし)。

そしてナディアは、友人の勧めで精神分析医を訪れ、そこでルーマニア人女性から妙な頼み事をされる。

えーと、精神分析界では有名なんだって、ジャック・ラカンという人をモデルにした造型があるらしい。パリとフランス語と哲学と精神分析に詳しい人ならもっといろんな部分を楽しめるんだろう。残念な次第であります。あ、本格推理小説に詳しいと、エラリー・クイーンを取り込んでいることもわかるそうで。ああ、まず聖書の知識が必要だなあ。

たいそう苦労しながら読み終えると、うん、なかなか面白かった、という感想になるのだ。浅学の私でも。

ニコライ・イリイチってシリーズ最初から出てきたんだったっけ?バイバイ、エンジェルを読み返してみることか?

 

 

SMOKE(デジタルリマスター版)

監督 ウェイン・ワン
出演 ウィリアム・ハート ハーヴェイ・カイテル

1995年作品。
まだビデオテープの時代にレンタルで観たのだったが、原作がポール・オースターだったことも監督も、ハーヴェイ・カイテルが出てたことも覚えているのに、ストーリーを全く覚えていなかった。好きな作品だった印象は記憶にあるのに。ひどいことに、ウィリアム・ハートが出てたことすら忘れていた。

1990年のブルックリン、毎日同じ場所を写真に撮っているタバコ屋の店主オーギー、妊娠していた妻を事故で亡くして以来書けなくなった作家ポール。
オーギーの昔の恋人が現れることから進むストーリー、ぼんやり歩いていたポールを事故寸前のところで救った黒人少年ラシードとの出会いから広がるストーリー。
タバコ屋を中心にそれぞれの生活が関わり合い、過去と向き合い、そして終わりに向かうとしみじみ、という作品。

ポール役ウィリアム・ハートも、オーギーのハーヴェイ・カイテルも、この頃一番素敵だったんじゃないか、と、思ったのだけどまあそれは違うご意見もあるか。名優二人が、なんか力の抜けたとてもいい存在。

ハーヴェイ・カイテルって地味な作品によく出ているなあと思っていたのだけど、どうやらハリウッドで干されていた時期があったらしい。

ラシード(と名乗っている)少年と、その父親役のフォレスト・ウィテカーの実年齢は2歳しか違わないんだって!

充分大人になった年代の人が、クリスマスに観るのにお薦めの映画。

湾生回家

監督 黄銘正

戦前、台湾で生まれ育った日本人のことを湾生と呼ぶということだ。1895年~1945年の50年間日本の植民地だった台湾には、かつて公務員・駐在員・開拓農民など、たくさんの日本人がいた。湾生は20万人前後いたという。敗戦で、ほとんどは日本に強制送還される。

今や高齢となった湾生たちに取材、6人の湾生たちを中心に、彼らの故郷に対する思いを描いている。

子ども時代を過ごした地で、その頃の友人を探す人は、ほとんどその死を知らされる。台湾人の、原住民の、幼友達の名を呼ぶ。幼いころにはみんな一緒に遊び、差別と言うことを知らなかった。でも、時に生存していて会えた人が、日本人の家にはたくさん食べ物があった、果物の木も多かった、という話が出る。

日本に引き揚げて後、台湾では支配する側であった日本人と台湾の民との間には差別があったことを知る湾生。例えば、女学校にごく少数の台湾人がいたが、それは大変に学業優秀な人だったこと。

混血の人がよくアイデンティティの不安定さを口にする。湾生の人にとっても、自分は日本人だけれど故郷は台湾で、台湾の地で生まれ育ったからこその性格を身にまとっていたり、日本にあっては、なにか自分は他人と違う、という意識を、持ってしまうものらしい。

少しの北京語と、時々の台湾語と、大体は日本語で進んで行くこのドキュメンタリーが、台湾でずいぶんロングランとなったという。

ああまた台湾に行きたい!という気分にさせる作品でした。

 

 

 

この世界の片隅に

監督 片渕須直
声 のん 細谷佳正 尾身美詞

ん?なにかのCMかな?と思ったらもう始まっていた。クレヨン画のような素朴な雰囲気の、いかにも単館上映作品として作られた気配の映像。
ほんわか危なっかしいような女の子がお使いに。

1944年、ほんわか大丈夫かいな、な、雰囲気のまま、18歳で呉へお嫁にいくすず。港にはあの戦艦大和も。

元々のん(能年玲奈)に当ててこの映画を作っだかのよう。ふんわりほんわか、頼り無いようでいて結構ちゃんと工夫して戦時の物の無い大変な時期を乗り切っていくすず。

呉という場所だ。その時代だ。次第に、何に向かって行っているかは、観客にはわかっている。

道に迷って、遊女のリンと出会ったり。小姑に嫌味を言われて禿げができたり。なんだそれは、と思うのが、水兵になった幼馴染水原哲が訪ねてきたとき、納屋に泊め、すずをその部屋に行かせる夫。なんだ?ほんとになんかあってもいいのか?

空襲はひどくなり、小さな命が失われ、すずも負傷し。

昭和20年の8月がやってくる。

戦時を描いている、泣いてしまう、けれど、柔らかい暖かい雰囲気を失わないままの、稀有な作品になっている。

最後に、クラウドファンディングに参加した人々の名前がずっと出てくる。あら私に似た名前、と目について変に嬉しい。

こうの史代の原作も読もう!

 

 

冬冬の夏休み

監督 侯孝賢
出演 王啓光 李淑楨

1984年台湾作品。デジタルリマスター版。
映画館で観たのは初めてだけれど、元々とても好きな作品。

最初のシーンが、中国語の「仰げば尊し」が流れる卒業式。小学校を卒業した冬冬が、妹の婷婷と、おじいちゃんの家に行く。母親が病気で入院しているので、回復するまで、ということで。欧米などと同じ、夏に卒業式。同級生の中には、東京ディズニーランドに行くという子もいる。

一緒に行った叔父さんが途中で一度降りた時に乗り遅れるなどあったけれど、無事おじいちゃんの家に着く。日本家屋の雰囲気の家、医者のおじいちゃん。

駅で知り合った村の子どもと川などで遊びまわる冬冬。幼い女の子の婷婷は仲間に入れてもらえず、男の子たちの服を川に投げ入れる。裸ん坊のお尻を葉っぱで隠して家に走る子どもたち。村には知的障害のある若い女がいて、おかしな服装で歩いている。

台湾なのだけれど、まだ日本統治時代の名残を感じる家でもあり、懐かしい景色。昔はこんな風だった、と思う。なるほど『となりのトトロ』と同じ匂いでもある。

チラッと出てくるお父さん役は、2007年に59歳で亡くなったエドワード・ヤン監督。
終わりのほうに流れる『赤とんぼ』の歌、中国語でもほぼ日本語のものと同じ歌詞です。『仰げば尊し』のほうはだいぶ違うみたいだけどね。

湯を沸かすほどの熱い愛

監督 中野量太
出演 宮沢りえ 杉咲花 オダギリジョー

銭湯を営んでいた家族、の、父がある日、湯気のごとく蒸発し(営業お休み中の貼紙にそのように)、明るい母はパートの仕事で高校生の娘を育てている。
体調を崩した母が病院に行くと、余命2ヶ月を宣告される。

ありがちな話ながら、あり得ない展開。失踪した父を探偵に頼んで探しあてた、ら、小さな娘と二人で住んでいて、娘の母はいなくなっていた。二人を家に連れてきて、銭湯再開。
高校でいじめられていた娘を、言うべきことを言えるように仕向ける。
そして、もっと大事な、ずっと秘密にしてきたことを。

俳優という仕事は体に悪いなあ、と思う。ガン末期の役の宮沢りえが、だんだん痩せていくのがわかる。

タイトルの 湯を沸かすほどの熱い愛 の所以が、最後のあたりでわかるのだけれど、そりゃあね、無理だけどまあそこんとこはファンタジーということで。

もう、ボロ泣きでござんす。
近い身内を癌で亡くした方には、お薦めはできないけどね。

 

 

二人の桃源郷

http://www.kry.co.jp/movie/tougenkyou/
監督 佐々木聡
出演 田中寅夫 田中フサ子

山口放送が25年にわたり、山の中で暮らす夫婦とその家族を追いかけたドキュメンタリー。

山口県の山奥で、戦後まもなく自分たちの手で開墾して米や野菜を作っていた家族。子どもの成長などのため一時は大阪で暮らしたけれど、夫婦共還暦を越えて、また山の暮らしに戻る。電気も水道も通っていない場所。家はあるけれど、寝る時は、古いバスの中。

映画の始まりあたりではまだ70代、見た目は老人だけれどまだまだ力がある。水は湧き水を、燃料は薪を斧で割り、窯でご飯を炊く。
そのあたりでは、私は自分の将来をその姿に重ねていた。親の死後、私は父の育った家・土地の管理をし、自分の食べる分程度の野菜を作っている。ほったらかしておくと草が生える、というぐらいの理由から始めたのだけれど、今では週に2回は別宅(と呼んでいる)に出かけ、体力を使うことが息抜きになっている。

一年一年、老いていく。子どもたちは、そろそろ親を近くに迎えたいと思っている。それでも、やはり山がいいと、不自由になっていく体で山の暮らしを選ぶ夫婦。月に一度、親族が集まるようになる。

おじいさんが病気になる。夫婦で山のふもとの老人ホームに入る。でもやっぱり山で体を動かすのがいいのだ、施設から山に通うようになる。どこからそんな力が出るかと思うが、おばあさんも腰の曲がった体で急な坂を上り、おじいさんが好きなマツタケを探す。
三女夫婦が、両親の世話のため近くに引っ越してくる。

おじいさんの死。
認知症を患うおばあさんは、山でおじいさんはどこかと問う。おじいさーん、と呼ぶ。どこに行ったかねえ、と答える娘。

おばあさんが、床に就いた。娘が童謡を一緒に歌う。おばあさんも小さな声を出す。病室で童謡をかけている。

うちもそうだった。父が先に逝き、時にそれがわかっているようでもあったが、早くに認知症になっていた母は、お父さんは?とよく聞いた。いつも童謡をかけていた。まだ歩いて買い物に行く頃は、何かしら歌いながら歩いた。

高齢者の多い客席で、きっとみんな身につまされていただろう。

不自由ながら豊かな暮らし、良い家族の姿。
ナレーターは吉岡秀隆。

 

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