たかが世界の終わり

http://gaga.ne.jp/sekainoowari-xdolan/
制作・監督・脚本・編集 グザヴィエ・ドラン
出演 ギャスパー・ウリエル マリオン・コティヤール ヴァンサン・カッセル レア・セドゥ

家を出て12年ぶりに帰ってくる男。迎える家族。厚化粧の母親。ゲイは美しいものが好きなのよ、という母親。しゃべりまくる家族。
男は劇作家として有名になっている。
フランス語圏の人間と言うのはかくもよくしゃべり自己主張するものなのか?と思ってしまう言い争い。

男はおそらく余命を告げられているらしい。そのことを伝えに、家族に会いにきたものらしい。かかってきた電話の様子から。

言えよ!

この兄がなぜここまで?なにか、父親が生きていた時代の古い家での問題があったということなのだろう。伝えようとするたびにバタンと会話のドアを閉め攻撃に移る兄。

ねえ、12年ぶりに帰ってくる人はなぜ帰ってくる気になったのか、話を聞こうと思わない?

母も兄も妹もみーんな、自分の話を聞いてほしいひとばっかり。男と兄嫁が静かなだけ。そこに至る家族の歴史が語られないので、観ている者はとてももどかしい。

結局、帰郷した目的を果たさないまま、男はまた機上の人となる。最後に流れる曲の歌詞が、状況を語っている。

のだが、なんだかそれはそれで、すっきりするような気がする。かくもかみ合わない喧嘩腰の言い合いって、家族だからこそのことかもしれない。それはそれで、家族関係を味わって戻る、後味は悪くないのだ。たぶん、彼も、それでよかったんじゃない?兄が、何かを察していたから言わせなかった、とまでは私は思わないけれど。

ともあれ、私はグザヴィエ・ドランがかかわる作品はすべて、機会あるごとに観る所存です。

ブラインドマッサージ

http://www.uplink.co.jp/blind/
監督 ロウ・イエ
出演 ホアン・シュアン チン・ハオ グオ・シャオトン メイ・ティン

交通事故で母と、自身の視力を奪われた男の子。いつか見えるようになると言われて育ったが、それが嘘だと知って割れた茶碗でのどを切る、という、ひどい場面が初めのほうに出てくる。命にかかわることは無く、盲学校に通い、マッサージ師になる。
その職場に新しく入ってくる盲目のカップルの性交シーン。

こりゃあ感想文なんか書けない作品か、と思っていましたよそのあたりでは。

その後も、そのカップルの片割れの女性に一方的に思いを、というより性的衝動の発露を、ぶつける主人公、とか、そういう主人公を性的サービス提供店に連れて行く同僚、その行為。とか。

目の見える客から、美人だと言われる一人の従業員。美しいとはどんなことか?見えないそれを知りたい気持ちからその美人に思いを寄せる男。自分では見えないのに美人と言われる、ことを嫌う女。

先天性の人もいる、途中からの人、完全に見えない人、うっすら見える人、今はいくらか見えているけれどいずれは全盲になると言われている人。出演者も、ロウ・イエ監督作品の常連の俳優もいるし、実際の盲人もいるのだそうだ。生々しい性交シーンを演じる女性は盲学校の生徒だったんだって。

誰かが誰かを思うこと、恋すると体を合わせたいこと、思いがかなわないつらさ、それは健常者でも障碍者でも同じく経験することだろう。映画の中に、健常者は上の人、障碍者との間には隔たりがある、と言ったようなセリフがでてくる。
見えない人は相手の美貌で目がくらむことは無いから、美人がむくわれないこともある。

この映画のポスターは、みんなで笑って写真を撮っているシーンからの物なので、もう少し笑いのある映画かと思っていた。まあロウ・イエ監督と言えば私には「ふたりの人魚」が印象深く、笑いの作品では無いことは知っていたけど。そのほか「パープルバタフライ」しか観ていないからなあ…。

全体に、はっきりとしない映像が混ざっている。閃光は見えるという主人公の視点を象徴しているのか、後半にボコボコに殴られたあとの映像の乱れは、殴られた脳への何かの影響で少し見えるようになったのか?どうなのか?幻視か?よくわからない。

みんなバラバラになり、それぞれの人生。最後にちょっと救いのあるシーン。

台湾金馬奨受賞作品。グイ、と踏み込んでくる生々しさへの抵抗はあれ、良い映画でありました。音楽がいい。最後に流れる『他妈的』という歌、歌詞がこの映画のために作られているようだけど、そもそも中国語で 他妈的 と言うのはいわゆるfuck youとかそういう罵倒語なのだが。

あれ?主人公を演じたホアン・シャオマーは、陳凱歌監督の「空海 KU-KAI」で染谷将太とともに主役に抜擢された、のだそうだ。

月の森に、カミよ眠れ

著者 上橋菜穂子
偕成社文庫

上橋菜穂子 ファンタジーの原点 と帯にある。
宮崎に「あかぎれ多弥太伝説」というものがあるのだそうだ。古代、美しい娘のもとに通ってきた男があった。素性のわからないその男は、実は大蛇の化身であり、娘は子を産み、子孫は源氏に仕えた、というような話らしい。それをもとにした物語。
隼人族であったのだろう、大和朝廷の主流である民族とは異なる文化を持った民族がいた。回りに存在していた別の民族も、大和朝廷のシステムに飲み込まれて行っている。その中で。

中央国家が整うにつれ、次第に独自の文化を失い、祭る神をも失っていく経過と言うのは、近代にあっても、例えば台湾の少数民族の文化を、戦前台湾を統治していた日本が奪ったということにも見られる。

日本は神代の時代から単一民族だ、という主張をしている人たちがいるよね。ABEさんの政府の主流のお方たち、なんかそんなようなことを思ってるみたいだよね。
でも日本人の顔立ちって結構いろんな遺伝子が入ってるからバラエティ豊かなんだよね。南国鹿児島生まれ鹿児島育ちの友人の一人は、フィリピン人から「フィリピンの方ですよね?」と聞かれたそうだ。

生産性が高く、システムが整っている主流の中央国家に抵抗を試みながら滅びていく地方の民族がいくつもあっただろう。逆に中央国家には、それが成立する過程で外国の文化を取り込み、外国人、外国の文化を受け入れてきている歴史が、当然ある。

これが書かれたころよりも、ナショナリズムというか他民族排他というか、世界中でおかしな空気が漂っているから、今の私はそういう読み方になってしまうものなのだろう。カミとかオニとか、そういう存在のことを読む読み方でなく。

 

チェルノブイリの祈り 未来の物語

著者 スヴェトラーナ・アレクシェービッチ
岩波現代文庫

1986年のチェルノブイリ原発事故にかかわった人々の声。
発電所が火事だと知らされ、何の装備も無く駆け付けた消防士たち。彼らは、自身が放射能となって放射線を発し、ほどなく次々に亡くなっていく。その妻たちの声。夫に逢いたくて、妊娠を隠して近づき、死産した妻。夫を失った後、再婚相手を得たけれど、生まれた子供は重い障害を抱えて長生きできない。
僕たちは長く生きることは無い、と、わかっていて笑うことのない子どもたち。

処分を命じられたその場所の品々が、盗まれ、どこかで出自を隠して売られる。

怖い、無残な、悲しい、腹立たしい、無力感に駆られる、ドキュメンタリー。

福島出身だからといじめられる子どもたちが今の日本にいる。

福島原発はコントロールされている、と言って東京にオリンピック開催を実現させることにした首相がいる。あろうことか、原発を海外に売りつける。

福島以来、世界的に原発産業は沈んで、東芝が虫の息だ。

日本だから、まだ情報はある程度共有される(はずだ)。旧ソビエト連邦一党独裁の国にあっては、情報統制が厳しかった。専門家の知識は民衆と共有されることは無かった。無知な人々も多かった。そして地区には作物の供出のノルマが課せられていた。

著者は2015年ノーベル文学賞受賞。同じ著者の『戦争は女の顔をしていない』から読み始めたのだが、それも一気に読み進めて行けるものではなく、エンターテインメントに手を伸ばしながら、ちょっとこっちにも気が向いてしまった。

希代のお馬鹿首相とか防衛大臣とか、そんな人は読まないだろうけど。隣の国の3代目も知りもしないだろうけど。

皆さーん、読みましょう。

 

 

私たちは生きているのか?

著者 森博嗣
講談社タイガ

森博嗣Wシリーズ第5作。
ウォーカロン という著者の造語であるヒューマノイドというか、機械のロボットでは無く、人間と区別するのが難しい人工の存在が出てくるシリーズ。
人間に人工細胞を取り込むなどで若く長生きできるようになった時代、その代わりに、ごく一部の天然のままの人間以外は生殖能力をほぼ失っている。

ウォーカロンが大勢集まっている村があるとの情報で、それを確かめ、そしてその国の新しい研究機関を訪ねる、という目的を持って、ハギリ博士、ウグイ、アネバネが、アフリカのどこかであるらしい場所へやってくる。

罠に嵌ってしまうのだが、そもそも行ったものが帰ってこないと言われる(赤い橋か!とかホテルカリフォルニアか!とか思ってしまうのは私がそういう年代だからです)ところに入っていく以上、もう少し用心するだろ、と、ツッコミたい。
バーチャル世界に入りこんでそこから出られなくなる話は、映画でも珍しくないが、その地下世界にあった生活とは。夢と現実、生きていることと生きていないことの違いは?
片言の英語を話す黒人青年が、自分は生きているものではないと言う。食事をするとトイレに行く、人間以外ではありえない男であり。

このシリーズのテーマを、わかりやすく示したようなストーリー。

ではあるが、うむ、怖いね。そっち側に行きかねない。どっち側か?と思う方はちょっと読んでみてください。

ウォーカロンという存在は、森博嗣の『百年シリーズ』に最初に出てくるということだけど、まだ読んでいない。この著者の作品は別のいろいろなシリーズと何かとリンクしているけれど、作品数が多すぎてそうそう手を出せません。読みたいのは山々でも。

幸せなひとりぼっち

監督 ハンネス・ホルム
出演 ロルフ・ラスゴード

59歳で突然会社をクビになったオーヴェ。妻に先立たれて独り暮らし、なんだかんだと口うるさくてこんなじーさんが近所にいたら腹立つことだと思われ。
妻のことは大変愛していたらしく、いつもバラの花束を持って墓に行き、話しかけている。妻のそばに行きたくて何度も自殺を試みる。が、そのたびに隣人からの邪魔が入って失敗に終わる。

隣に引っ越してきた家族と、初めは喧嘩腰だった。その隣の奥さんに運転を教えてくれないかと言われて断りながらも、ほかの人に教わっている姿を見ると、自ら指導を始めることにする。

おいおいまだ自殺したいのか、とつい笑ってしまう。

そして、生真面目なのは若いころからだけれどかつては優しい青年だった彼が、今の偏屈な男になるに至った物語が、その人生にあったことが、次第に語られる。

別の昔からの隣人が、車椅子生活になっている。ほとんど意思表示できない状態である。そこにかかわってくる介護施設関係の男、福祉国家スウェーデンにも、こんな小ずるいしょーもないやつがいるんだな、と思わされる。

近所の子どもたち、古い隣人、猫、などと次第にかかわっていくこととなり、心臓の悪い彼が倒れて病院に運び込まれ、それは大したことでは無くてすぐ退院と言う次第となると、それまで泣いていた隣の奥さんに「あなた死ぬの下手ね」と言われてしまう。

まあ、ある日、最後を迎えるのだけど、人生の最終段階がこんな風だと本当に幸せだ、と思える映画。老年期の人間が観るには佳作。

ホセ・ムヒカ 日本人に伝えたい本当のメッセージ

著者 萩一晶
朝日新書

昨年来日して、世界で一番貧しい大統領としてその質素な生活ぶりを知られた、前ウルグアイ大統領ホセ・ムヒカ。彼に直截三度インタビューしている、朝日新聞記者の著。ラテンアメリカ特派員、ハバナ支局長などの経験がある。

私が思う「貧しい人」とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。

モノを買うとき、人はカネで買っているように思うだろう。でも違うんだ。そのカネを稼ぐために働いた、人生という時間で買っているんだよ。

というような、ムヒカさんの言葉として昨年聞いたことのある種類の言葉も、いくつもあるのだが、むしろ書店に並ぶ別のムヒカさんに関する本のほうが、そういう言葉をたくさん知ることができるのではないか。この本では、南米、ウルグアイの歴史、このような大統領を誕生させることとなったバックグラウンド、などを追求している。ので、自分がいかに南米の歴史について無知であるかを知ることとなりましたよ。

と言っても、文体は読みやすい。ちょっと飛ばして最後の章を読んでみても構わないだろう。あちこち拾い読みすることもできる。「豊かな国であればあるほど、幸福について考え、心配し始めている。(中略)すでにたくさんのモノを持っている国々では、たくさん働いて車を買い替えることなんかには、もはや飽きた人が出始めているようだ」そうだよね、日本の若者は車を持たなくなった。中国の金持層の坊やとは大違いだ。

ムヒカさんとトランプ大統領の誕生という現象はよく似ているという。既成の政治家、既得権層への不満を持つ人々へのアプローチにより、思いがけなく共感を得た、ということ。トランプタワーに住む人と全く違って、鹿児島に住む両親の実家(そう書いてあったんだよ、両親の実家?なんか変だけど)よりも質素な家に住んでいるそうだ。

まあともかく、我が日本の今を時めく政治家たちの貧しすぎる言語に比べ、なんと豊かな言葉、コミュニケーション能力であることか。

手術を控えた叔父のお見舞いに行って、息子が本を出したから読んでくれと言われ、その鹿児島に住む著者の両親宅で渡されて読んだ本、です。

吸血鬼と精神分析

著者 笠井潔
光文社文庫

矢吹駆シリーズ第6弾。
第1作目の「バイバイ、エンジェル」は1979年に角川から出版されているそうだが、私が初めて知ったのは、初期の3作をまとめた作品社「薔薇・黙示・天使」1990年版。分厚い。その後の作品もずっと、分厚い。読みにくい。そして、第6作の本作まで、作品の中の時代設定は2年かそこらしか経っていない。

読みにくい、と個人的に思うのはベースに現象学というものがあるせいで、短大生だった昔、現象学のカケラもわからずに講義を受けていたのだった。哲学系のことに知識の深い方には、問題ないのかも。

そうは言っても、書店でこのシリーズが目に入ると、買って読んでしまう。何故?矢吹駆探偵のファンなのさ。好きに理由は無いのさ。東洋の貴公子のような顔だち、だということになっている。

パリのアパルトマンで死体(屍体と表記されている)が発見される。傍らにDRACと血文字が書かれて。ドラキュラを連想するが、ルーマニア語では竜の意味だという。亡くなったのはルーマニアからの亡命将校だとわかる。
その後、女性の全身の血が抜かれて発見される連続猟奇殺人事件が起こる。
矢吹駆は、その一連の殺人事件に、動物の「徴」(シーニュと振り仮名、〔記号の意〕 言語学者ソシュールの用語。シニフィエとシニフィアンの恣意的関係によって成立する記号。言語学・記号学で用いられる。 → シニフィエ ・ シニフィアン by大辞林)を認める。

ほらね、読みにくいでしょ、シニフィエ・シニフィアンって?と普通思うよね。まあ知識の薄い読み手としては何度も行ったり来たりしながら読むことになる。おまけに、ワトソン的存在であるナディアが、この前作の『オイディプス症候群』事件で、トラウマを負い、鏡を見ることができないPTSD症状を呈している(のだが、私はこれを上巻しか手に入れていないので、その後のナディアに何が起こったかまだ知らないし)。

そしてナディアは、友人の勧めで精神分析医を訪れ、そこでルーマニア人女性から妙な頼み事をされる。

えーと、精神分析界では有名なんだって、ジャック・ラカンという人をモデルにした造型があるらしい。パリとフランス語と哲学と精神分析に詳しい人ならもっといろんな部分を楽しめるんだろう。残念な次第であります。あ、本格推理小説に詳しいと、エラリー・クイーンを取り込んでいることもわかるそうで。ああ、まず聖書の知識が必要だなあ。

たいそう苦労しながら読み終えると、うん、なかなか面白かった、という感想になるのだ。浅学の私でも。

ニコライ・イリイチってシリーズ最初から出てきたんだったっけ?バイバイ、エンジェルを読み返してみることか?

 

 

SMOKE(デジタルリマスター版)

監督 ウェイン・ワン
出演 ウィリアム・ハート ハーヴェイ・カイテル

1995年作品。
まだビデオテープの時代にレンタルで観たのだったが、原作がポール・オースターだったことも監督も、ハーヴェイ・カイテルが出てたことも覚えているのに、ストーリーを全く覚えていなかった。好きな作品だった印象は記憶にあるのに。ひどいことに、ウィリアム・ハートが出てたことすら忘れていた。

1990年のブルックリン、毎日同じ場所を写真に撮っているタバコ屋の店主オーギー、妊娠していた妻を事故で亡くして以来書けなくなった作家ポール。
オーギーの昔の恋人が現れることから進むストーリー、ぼんやり歩いていたポールを事故寸前のところで救った黒人少年ラシードとの出会いから広がるストーリー。
タバコ屋を中心にそれぞれの生活が関わり合い、過去と向き合い、そして終わりに向かうとしみじみ、という作品。

ポール役ウィリアム・ハートも、オーギーのハーヴェイ・カイテルも、この頃一番素敵だったんじゃないか、と、思ったのだけどまあそれは違うご意見もあるか。名優二人が、なんか力の抜けたとてもいい存在。

ハーヴェイ・カイテルって地味な作品によく出ているなあと思っていたのだけど、どうやらハリウッドで干されていた時期があったらしい。

ラシード(と名乗っている)少年と、その父親役のフォレスト・ウィテカーの実年齢は2歳しか違わないんだって!

充分大人になった年代の人が、クリスマスに観るのにお薦めの映画。

湾生回家

監督 黄銘正

戦前、台湾で生まれ育った日本人のことを湾生と呼ぶということだ。1895年~1945年の50年間日本の植民地だった台湾には、かつて公務員・駐在員・開拓農民など、たくさんの日本人がいた。湾生は20万人前後いたという。敗戦で、ほとんどは日本に強制送還される。

今や高齢となった湾生たちに取材、6人の湾生たちを中心に、彼らの故郷に対する思いを描いている。

子ども時代を過ごした地で、その頃の友人を探す人は、ほとんどその死を知らされる。台湾人の、原住民の、幼友達の名を呼ぶ。幼いころにはみんな一緒に遊び、差別と言うことを知らなかった。でも、時に生存していて会えた人が、日本人の家にはたくさん食べ物があった、果物の木も多かった、という話が出る。

日本に引き揚げて後、台湾では支配する側であった日本人と台湾の民との間には差別があったことを知る湾生。例えば、女学校にごく少数の台湾人がいたが、それは大変に学業優秀な人だったこと。

混血の人がよくアイデンティティの不安定さを口にする。湾生の人にとっても、自分は日本人だけれど故郷は台湾で、台湾の地で生まれ育ったからこその性格を身にまとっていたり、日本にあっては、なにか自分は他人と違う、という意識を、持ってしまうものらしい。

少しの北京語と、時々の台湾語と、大体は日本語で進んで行くこのドキュメンタリーが、台湾でずいぶんロングランとなったという。

ああまた台湾に行きたい!という気分にさせる作品でした。

 

 

 

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