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  • 絶望名人カフカの人生論/カフカ・頭木弘樹翻訳

    kafka

    『絶望名人カフカの人生論』
    (新潮社/2014/10/28)

    カフカは偉大な作家です。
    「現代の、数少ない、最大の作家のひとりである」とサルトルは言い、日本のカフカと称される安部公房は、「フランツ・カフカが存在しなかったとしたら、現代文学はかなり違ったものになっていたはずだ」と言う。
    カフカ以後の作家や芸術家たちに大きな影響を与えた作家です。

    私も若い頃、カフカの長編『審判』や『城』を読んで衝撃を受けました。
    カフカの作品は、それまで読んでいた文学作品と呼ばれる小説とは、まるで違っていました。

    何故か理由がわからないまま何かに振り回され、迷路のような世界をぐるぐると彷徨い、来た道へも戻れず出口も見つからないKの物語。
    『審判』ではヨーゼフ・Kという名前がありましたが、後の作品『城』ではKとしか書かれていない。Kがどんな人物なのか詳細な説明もなく、記号のような存在の主人公。それは他人ではない私自身の物語のように思えました。
    誰かの人生でない、誰かの恋愛や私生活や思想や哲学、夢や希望や苦悩、などではない物語です。

    本書『絶望名人カフカの人生論』は、カフカの日記や、友人や恋人たち、父親などに宛てた手紙から、ネガティブなものを抜粋した断片集です。
    例えば、恋人に宛てた手紙の中に、こんな文面があります。

    「ぼくはしばしば考えました。
    閉ざされた地下室のいちばん奥の部屋にいることが、
    ぼくにとっていちばんいい生活だろうと。
    誰かが食事を持って来て、
    ぼくの部屋から離れた、
    地下室のいちばん外のドアの内側に置いてくれるのです。
    部屋着で地下室の丸天井の下を通って食事を取りに行く道が、
    ぼくの唯一の散歩なのです。
    それからぼくは自分の部屋に帰って、ゆっくり慎重に食事をとるのです。」

    同じ恋人にはまたこんな手紙も送っています。

    「ずいぶん遠くまで歩いてきました。
    五時間ほど、ひとりで。
    それでも孤独さが足りない。
    まったく人通りのない谷間なのですが、
    それでもさびしさが足りない。」

    あるいは、日記にはこんな言葉が。

    「ぼくが仕事を辞められずにいるうちは、
    本当の自分というものがまったく失われている。
    それがぼくにはいやというほどよくわかる。
    仕事をしているぼくはまるで、
    溺れないように、できるだけ頭を高くあげたままにしているようだ。
    それはなんとむずかしいことだろう。
    なんと力が奪われていくことだろう。」

    引きこもり精神、孤独志向、ニート願望をうかがわせる言葉ですが、でも、これって本音のところでは誰もが心のうちにあることではないでしょうか。
    え?そんなこと一度も考えたことはない?そう言えるあなたはとても幸いです。

    まあ、でも実生活のカフカは、引きこもりでもニートでもなかったようです。
    ウィキペディアの「フランツ・カフカ」などを合わせて読んでみると、カフカは「労働者傷害保険協会」という役所に8時から14時まで病気退職するまでずっと働き続け、真面目で有能な職員としてどんどん出世もしています。
    午後の時間は小説の執筆にあて、「亡くなる前日まで作品の校正刷りに手を入れていた」そうです。
    生涯独身ではあったけど、恋愛経験も数多く、心のうちを吐露できる生涯の友人、恋人もいました。
    周囲の人の評判は良好で、物静かでユーモアがあり、「職場では常に礼儀正しく、上司や同僚にも愛され、敵は誰一人いなかった」という。
    心優しく穏やかな人物の日常を思わせるようなエピソードもいろいろ残っています。

    カフカのネガティブな言葉と、こういう実生活とのギャップが面白い。
    もしカフカが今の時代に暮らしていたら、きっとツィッターで毎日つぶやき、『ツィッター名人』と呼ばれていたかもしれません。

    《参考サイト》

    頭木弘樹さんの著書『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』を紹介した記事
    「光り輝くゲーテの言葉を、いちいち暗闇で塗りつぶすカフカ、文豪たちの絶望対話が凄まじい」

    「後ろ向きの歌」は後ろ向きじゃない

    先月の話ですが、オープニングテーマの「後ろ向きの歌」が学校で流行っているんだよ、と小学生にお勧めされ、「泣くなはらちゃん」というドラマの最終回を観ました。
    「後ろ向きの歌」は本当のタイトルを「私の世界」といい、「かもめ児童合唱団」が、かわいい歌声で歌っています。着うた配信サイトで1位になったりして、結構当時は評判になったらしいですが、世の中は常に前向きに進んでいくので、ドラマが終わるとまったく耳にすることもなくなりました。

    「私の世界」 ♪  作詞:岡田惠和、作曲・編曲:井上鑑
    世界じゅうの敵に降参さ 戦う意思はない
    世界じゅうの人の幸せを 祈ります
    世界じゅうの誰の邪魔もしません 静かにしています
    世界の中の小さな場所だけ あればいい
    おかしいですか? 人はそれぞれ違うでしょ? でしょでしょ?
    だからお願いかかわらないで そっとしといてくださいな
    だからお願いかかわらないで 私のことはほっといて

    確かに「前向き」「積極的」「ポジティブ」とは言えない歌詞ですが、「前向き」でなければ「後ろ向き」と言うわけではない。
    私にとっては「ニュートラル」な立ち位置の歌に思えます。
    人の思惑に絡め捕られることなく、自力で生きたいと願っているだけ。
    この位置から、時には前に行ってみたり後ろに揺れてしまったり、というのが、おおかたの人の日々の生活じゃないかなあと思うのです。

    「前」か「後」の二方向以外に、世の中には、「上」か「下」かの方向も存在します。
    たいていの人は「上」に行くことを熱望するか、心ひそかに願う。
    「下」に行きたいと望む人はまずいないでしょう。
    「上」には何があるんだろう?って時々考えます。たぶん、富とか名声とか権力とか、そういうものなんでしょうか?上ったことがないので分かりません。
    ただ分かるのは、前向きであれば上に行けるというものではない、ってこと。
    上に行くためには、たぶん、スティーブ・ジョブズみたいに「夢の実現」とか「仕事へのロマン」とか「世界を変える野望」とかを声高らかに宣言する必要があるでしょう。何よりも上に行きたいという強い熱意が必要だし、他人を自分の人生に引き込む才能が欠かせないと思います。
    そういう人にはきっと、世界中の空から垂らされているに違いない、透明な蜘蛛の糸のような何かが見えるのかもしれないと思ったりします。

    蛇足ながら、「後ろ向き」関連でみつけたカフカの名言を。
    カフカは大好きな作家なので、こういう発言には、思わずニヤリとしてしまいます。

    「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。将来にむかってつまずくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。」

    「カフカの迷言がネガティブすぎて笑える」より。