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『いつかたこぶねになる日/小津夜景』たこぶねの母の生き方

2022年11月05日   2件の返信
「漢詩の手帳 いつかたこぶねになる日」

  • 著者:小津夜景
      (おずやけい)
  • 発行日:2020年11月
  • 発行:素粒社

著者 小津夜景さんは1973年生まれの俳人。フランスに移り住んで20年余りになるそうです。
本書は著者の日々の暮らしや想いを綴る31編からなるエッセイ。それに日本や中国の詩人たちの漢詩と著者自身によるその翻訳を添えたものです。

南フランスの、海が近くにある暮らし。素朴で繊細でそれでいてタフな生き方が感じられる文章と、歴史の中に眠る詩人たちが詠む漢詩とが不思議と調和するエッセイで、美しさを感じる、丁寧に読みたくなる一冊です。

エッセイの1編目が本の表題にもなっている「いつかたこぶねになる日」です。
たこぶねとは何か?私は全く知らなかったので、鳥羽水族館のYouTubeを見てみました。

タコって大概へんてこりんな形をしている生物ですが、タコブネはさらにへんてこりんで可愛い!
Wikipediaによると

タコブネは、主として海洋の表層で生活する。メスは第一腕から分泌する物質で卵を保護するために殻をつくるのに対し、オスは殻をつくらない。生成される殻はオウムガイやアンモナイトに類似したものであるが、外套膜からではなく特殊化した腕から分泌されるものであるため、これらとは相同ではなく構造も異なる。

成長したメスは、7ないし8センチメートル前後になる。オスはその20分の1ほどの大きさにしかならない。

オスは8本の足のほかに交接腕(「ペニス足」)を有し、交接腕には精嚢が格納されている。交尾は、オスの交接腕がメスの体内に挿入されたのち切断されるかたちでおこなわれ、受精はメスの体内でおこなわれる。メスは貝殻の内側に卵を房状に産みつけ、新鮮な海水を送り込むなどしてこれを保護する。

Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%96%E3%83%8D)

たこぶねの生態はかなり独特ですね。メスがオスの20倍の大きさというのも驚きです。人間のサイズに変換して想像すると、結構おぞましい光景です。
それに交尾したあとオスはどうなってしまうの?というところも気になります。そこを詳しく紹介しているダイビングのショップブログを見つけましたので、興味のある方は読んでみてください。

 「交尾後は大事なペニスを切る 誰も知らないタコブネの真実」
Trevallies Ocean : https://trevally.jp/2020/01/28/takobune/

(追記:上記サイトはリンク切れです)

タコブネのオスは体長3~4㎜ほどなので、あまり見つけられることがないらしい。そして交尾のあと、おそらくメスに食べられてその一生を終えているらしい。人間目線で見るととても気の毒なオスです。

とは言うものの本書ではメスだけにフォーカスして読んでみます。
著者はアン・モロウ・リンドバーグの『海からの贈物』を引用して次のように紹介しています。

(たこぶねの)貝は実際は、子供のためのゆりかごであって、母のたこぶねはこれを抱えて海の表面に浮び上がり、そこで卵が孵って、子供たちは泳ぎ去り、母のたこぶねは貝を捨てて新しい生活を始める。
(略)
半透明で、ギリシャ柱のように美しい溝が幾筋か付いているこの白い貝は、昔の人たちが乗った船も同様に軽くて、未知の海に向かっていつでも出帆することができる。

「いつかたこぶねになる日」p12

このタコブネの母に、著者はご自身の母親の言葉を重ねています。

「未知の世界に漕ぎ出せば、そりゃあ死ぬかもしれないけれど、でも自由を知ることができるのよ、あなたが死んでもおかあさんはがまんするから、遠慮なく好きなところに行きなさい」と幾度となく言われたと言う。

著者の母親世代は、現代以上に女性が自分の好きな道を選択できない不自由な時代だったのだと思うと、母親の言葉に胸が詰まります。そしてタコブネの子供たちも大海原に放り出されるように泳ぎ出て、それからどんな困難が待ち受けていることか、、、、

エッセイを読みながら、私の目の前には深みのある青色の海が広がっていて、美しい殻を脱ぎ捨て身軽になったタコブネの母が、さらに深い海に潜って孤独で自由な生活を始める、という動画が勝手に出来上がっていて、それは私にはとても美しい映像でした。

でも現実は、どうなのだろう?
タコのメスというのは卵が孵ったら死んでしまうものらしいから、タコブネのメスもオスと同じように、子孫を残したところで役目が終わったとばかりに死んでしまうものかもしれません。
それでもタコブネの母は大海原で、短い余生を自由に暮らしていると想像したい。
タコにとっては人間がつくった「自由」という概念など全くどうだっていい話とは思うけど。
人間は生きている限り「自由」を求め続け、ときには命さえ懸ける生き物なのだから。

エッセイの1編目から面白くて、早く次を読みたいという気持ちになりました。
でも、春からまた外に出て働きだしたため、思うように時間が使えなくなり、読み始めて5か月以上経っているのに、まだ全部は読み終わっていません。

昨日は病院の待合室で21番目のエッセイを読みました。
タイトルは「紙ヒコーキの乗り方」。

紙ヒコーキを作って河川敷に飛ばしに行く友人夫婦の話から始まって、紙ヒコーキ愛好家の存在、発砲スチロール紙ヒコーキの原材料のこと、そして芸術家ハリー・スミスが拾った紙ヒコーキをコレクションするのは何故なのか?という疑問に話は飛び、そこからポール・ゴーギャンの有名な作品《我々はどこから来たのか?我々は何者か?我々はどこへ行くのか?》に思いが及び、最後は良寛の《僕はどこからきたのか》という漢詩に着地する。

紙ヒコーキから展開する話の広さ・深さに惹きこまれました。

      《僕はどこからきたのか》
                       良寛
僕はどこから来て
どこへ去ってゆくのか
ひとり草庵の窓辺にすわって
じっと静かに思いをめぐらしてみる
思いをめぐらすも始まりはわからず
まして終わりはもっとわからない
いまここだってまたそうで
移ろうすべてはからっぽなのだ
からっぽの中につかのま僕はいて
なおかつ存在によいもわるいもない
ちっぽけな自分をからっぽにゆだね
風の吹くままに生きてゆこう

それにしても、紙ヒコーキを飛ばしに河川敷に出かけてゆく夫婦っていいなあ、って心から思いました。
夫が生きていたら早速提案してみたい遊びです。
物を作ることには手を抜かない性分の人だったからきっと紙ヒコーキとは言え真剣に作って遊んでくれたんじゃないか?って思う、、、今となっては勝手に思うしかできないことだけど。

短歌「物語のはじまり/松村由利子」

2015年06月14日   コメントを残す

中央公論新社/2007年

「1. 働く」
「2. 食べる」
「3. 恋する」
「4. ともに暮らす」
「5. 住まう」
「6. 産む」
「7. 育てる」
「8. 見る」
「9. 老いる」
「10. 病む、別れる」

以上、10のテーマに分けて、松村由利子さんが113人の歌人を選び、180首余りの短歌を紹介しつつ、一つ一つの作品に著者なりの解釈と想いを綴ったエッセイです。
未知の歌人や短歌に多く出会える短歌集としても楽しめますし、松村由利子さんの解説が面白く、エッセイとしても読みごたえのある一冊でした。

「三十一音という短い詩型がもつ力、それは物語を内包する力ではないかと思う。こんなに小さな形なのに、人生のいろいろな場面が凝縮されていて、読む者の胸に届いた途端みるみるうちに感情をあふれさせる。」

(「おわり」から)

日々に何かしらひどく屈託があるとき、平たく言えば落ち込んでいるとき、私は詩歌集を読んで、ずいぶん慰められたものでした。
短歌は言葉が少ないから、感情までの距離が短い。そこが魅力です。
即座に感情を刺激してくれる。
言葉がストレートに心に届く。
私が言葉にできないでいる日々の屈託を、たった三十一の文字で鮮やかに表現してくれる。
全くただの日常の一場面でしかない光景でさえ、心に沁みる歌になり、ハッとさせられる。

私が住んでいる狭くて小さい日常にも、実はたくさんの窓があって、もっといろんな風景が見えるんだよ、と感じさせてくれる作品。短歌に限らず本でも映画でもアートでも音楽でもなんでも。
そんな作品に出会うと嬉しくなり、縮こまっていた気持ちが解れていくようです。

今回特に印象に残った作品を少し挙げてみます。
何度も落ち込むので何度も開いてしまう本ですが、それを読むときの生活状況とか(ころころ状況が変わるので)それに伴う自分の心境とかで、作品の印象もずい分変わります。この次読むときは、また別の作品に心惹かれているかも知れませんが。

もし豚をかくの如く詰め込みて電車走らば非難起こるべし

奥村 晃作

水桶にすべり落ちたる寒の烏賊いのちなきものはただに下降す

稲葉 京子

日本のパンまづければアフリカの餓死者の魂はさんで食べる

山田 富士郎

わが使う光と水と火の量の測られて届く紙片三枚

大西 民子

安売りの声がはじけるスーパーでいらないものを買って帰ろう

船橋 剛二

駅前に立ち並ぶ俺 お一人様1本限りのしょう油のように

斉藤 斎藤

のちの世に手を触れてもどりくるごとくターンせりプールの日陰のあたり

大松 達知

サバンナの像のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい

穂村 弘

たちまちに涙あふれて夜の市の玩具売り場を脱れ来にけり

木俣 修

著者の松村由利子さんは、2010年より沖縄県石垣島に住んでおられ、ブログで島の生活やいろんな歌人の作品を紹介しています。
そらいろ短歌通信  松村由利子の自由帳 (http://soratanka.seesaa.net/

「宇宙は何でできているのか」/村山 斉と「ルバイヤート」

2014年09月07日   2件の返信

村山 斉/幻冬舎新書
2010年9月発行

これまで、「万物は原子でできている」という考えが常識とされてきましたが、2003年に「原子以外のもの」が、宇宙の約96%以上を占めていることが分かったそうです。

宇宙のエネルギー

  • 星と銀河        0.5%
  • ニュートリノ       0.1~1.5%
  • 普通の物質(原子)  4.4%
  • 暗黒物質        23%
  • 暗黒エネルギー    73%
  • 反物質         0%
  • 暗黒場(ヒグス)   10%??
  • 『宇宙は何でできているのか』 p44図6参照

では、「原子以外のもの」の大半を占める、「暗黒エネルギー」とは?「暗黒物質(ダークマダー)」とは?いったいどんなものか。
それはまだ名前しかついていない正体不明のもの。でも「ある」ということは分かっているそうです。
宇宙は、不思議がいっぱい、まだまだ謎だらけ。

まあ、「地球が秒速30㎞という猛スピードで公転している」ということすら知らなかった無知な私ですから、この1冊で宇宙を理解しようなんて土台無理な話ですが、謎解きの過程を垣間見る楽しさを味わえました。

「宇宙は、どうやって始まったのだろう?
遠くに見える星は、何でできているのだろう?
どうして、自分たちはこの宇宙にいるのだろう?
宇宙はこれからどうなっていくのだろう?」
という素朴な疑問に挑み続ける科学者たちによって、素粒子の法則から宇宙の構造まで、謎は少しずつ、時には飛躍的に解き明かされ、壮大な宇宙マップが作成され続けていることが、本書を読んで分かります。

2014-09-07-13.28

そういえば、文部科学省の「科学技術週間」サイトに「一家に1枚」というコンテンツがあります。ここに「宇宙図」のポスターがpdfファイルで提供されています。
私の持っているものは2007年版なのですが、現在は2013年版。ちゃんと更新されているんですねえ。

「一家に1枚」http://stw.mext.go.jp/series.html

宇宙図以外にも「たんぱく質」「鉱物」「太陽」「磁場と超伝導」「未来をつくるプラズママップ」「天体望遠鏡400年」「光マップ」「 ヒトゲノムマップ」「元素周期表」等があります。中高生のお子さんのいらっしゃるご家庭に、「一家に一枚」はおすすめです。

さて、本書を読んで、11世紀ペルシアの詩人、ウマル・ハイヤームの詩を思い出しました。若い頃、ノートにいくつか抜き書きしていたものです。その中の2節をメモしておきます。

『ルバイヤート』

ウマル・ハイヤーム

われらが来たり行ったりするこの世の中、
それはおしまいもなし、はじめもなかった。
答えようとて誰にはっきり答えられよう――
われらはどこから来てどこへ行くやら?

来ては行くだけでなんの甲斐があろう?
この玉の緒の切れ目はいったいどこであろう?
罪もなく輪廻の環の中につながれ、
身を燃やして灰となる煙はどこであろう?

 追記

ああるさんのコメントに返信していて、「Mitaka(ミタカ)」のことを思い出しましたので、ここにもメモしておきます。
「Mitaka」は、「国立天文台4次元デジタル宇宙プロジェクト(http://4d2u.nao.ac.jp/)」が提供するフリーソフトです。
自分のPC上で、「地球から宇宙の大規模構造までを自由に移動して、宇宙の様々な構造や天体の位置を見る」ことができます。
容量が大きいソフトなので少々注意が必要かも・・・

ダウンロードはこちらから→http://4d2u.nao.ac.jp/html/program/mitaka/

擦り傷治療と中桐雅夫の詩

2013年06月22日   コメントを残す

昨年の話で恐縮ですが、暮れも押し迫ったある朝、私は路上で転倒。左足打撲と膝に大きな擦り傷をこしらえました。
出勤ラッシュの車が渋滞している真っただ中での出来事で、派手に転んで血はダラダラ。
恥ずかしさで、その場から逃げるように立ち去ったのは、言うまでもありません。
まったく!いいトシした大人が、なんてザマ!と我が身に罵声を浴びせながらも、こんな大きな擦り傷をこしらえるのは久しぶりだなあと、ちょっと懐かしい気分がしました。

子供の頃はよく転んだものでした。なんせ運動能力が劣る子供だったので、何度も転んでは足の両膝を擦りむき、今でも痕が残っているのです。
大人になっても能力は向上せず、3年前にも大転倒した経験があります。その時は擦り傷はなく、全治2ケ月の打撲のみ。しかも周囲に他人のいない場所だったので、羞恥心もなし。
そう、誰も見てなきゃ、ちょっと転ぶくらい、どうってこともない話なんですよねえ。

しかしまあ、転んでもただでは起きないのが大人のたしなみです。せっかくの機会だから擦り傷の治療法についてネットで検索してみました。すると、今までの私の常識を覆す意外な治療法が出てきました。

これまで、傷の手当てと言えば、傷口を水で洗ったのち消毒液でしっかり消毒し、ガーゼ等を当てて傷口を保護。かさぶたが出来るのを待つ、というものでした。
実際、消毒液を買いに行った薬局でも同様の説明を受け、消毒液と傷当てパッドとステロイド系軟膏を勧められて購入しました。
しかし従来の傷当てパッドって取り替えるときに、痛いんですよねえ。かさぶたができるときはモゾモゾと痒いし、うっかり剥がれるとまた出血して、何度でも痛い思いをしますね。
それが私の常識だったのですが、ネットによると、消毒しない、かさぶたをつくらない、痛くない、治りが早い、傷あとが残りにくい、「閉鎖湿潤ラップ療法」という治療法があるそうです。
これには食品用ラップを使うというから驚きです。

「正しいケガ(傷)の治し方 ~消毒をしないうるおい湿潤治療(ラップ療法)~」http://homepage2.nifty.com/treknz/wound_care.html

上記のサイトによると、「閉鎖湿潤ラップ療法(うるおい療法)のポイントは、消毒薬は決して使わないこと」とあります。その理由として
「消毒薬は要は細菌(細胞)を殺す”毒”であって、当然人間の正常な細胞に対しても毒性があります。傷を消毒するということは、傷を治そうと活躍している人間の細胞をも殺すことになり、かえって傷の治りが遅くなります。消毒をすると傷が滲みて痛いのはまさに細胞が悲鳴を上げている証拠。はっきり言ってキズの消毒なんて自傷行為とおなじです」とのこと。

そういえば以前読んだ、立花隆の「がん 生と死の謎に挑む/文藝春秋」にも、こんな記述がありました。
「通常、傷口ができると、体から盛んに救援を求める信号物資が放出されます。この物質を感知するとマクロファージなどの免疫細胞が集まります。マクロファージは細胞の移動や成長を促す物質を放出します。こうした物質に刺激を受けて皮膚の細胞が移動を開始し、傷口を修復します」

傷を治すのはヒトの免疫細胞の力。確かに消毒は必要ないかもと思い「湿潤治療(ラップ療法)」を試してみることにしました。

治療手順は次のとおり

  1. 傷を水でよく洗う。消毒はしない!
  2. 傷を被うように少し大きめのラップをあてて、縁をテープで留める。可能ならどこかに隙間を残しておく。
  3. 翌日から毎日傷を水洗いし、ラップを交換。夏場など発汗の多い季節は日に1-2回程度繰り返す
    (「正しいケガ(傷)の治し方 ~消毒をしないうるおい湿潤治療(ラップ療法)~参照)

いったんは消毒をしてガーゼの傷当てパッドを当てていたのですが、さっそくパッドを外して(痛かった)、傷口を水洗いし、軽く水気を取ってラップを、テープが無かったため、膝にひと巻きました。
その上からレギンスを着用。
ラップをすると傷口からドロドロの体液が浸み出してくるのが分かります。これは結構匂います。人に気づかれるることはなかったけど、このままで大丈夫なのかと不安になるくらい。
シャワーで傷口を水洗いしてドロドロを洗い流す。水気を取る。ラップを取り換える。それを毎日、浸出液がなくなるまで2週間余り、繰り返してみました。
傷口を洗うたびに、周囲から皮膚がきれいになって、傷の範囲が小さくなっていくのを実感できます。
途中からラップはやめて、市販されているハイドロウェットという医療パッドを使用しました。膝にも楽に貼れて剥がれない。手間いらずで便利な物です。使用上の注意を読むと、「浸出液の少ない傷に使用すると疼痛を引き起こすことがあります。このような場合には、水道水等で事前に傷口を十分に湿らせて使用してください」とありますので、そのへんは注意が必要です。

擦り傷範囲が大きかったせいか、傷が1cm大くらいになるまで1か月ほどかかりました。
傷口を水洗いする際、まったく痛みがない。ラップやパッドを取り換える際にも、もちろん痛みはない。かさぶたができないから痒みや突っ張りもない。最初から最後まで傷の痛みを感じないですむところが何よりもよかったです。
もちろん傷の状態、怪我の原因によっては病院に行くべきだったり、薬が必要だったりしますが、通常の擦り傷ならこのラップ療法はおすすめです。

もっとも、この治療法、私が知らなかっただけで、もうすでに世間では常識なのかもしれませんね。遅まきながら、ハイドロコロイド材の救急絆創膏のコマーシャルが、テレビで流れていることにも気が付きました。

ところで、「擦り傷」という言葉から、中桐雅夫の詩を思い出しました。確か、擦り傷ができたっていう詩があったなあと古いノートを開いてみると、それは「誘拐」というタイトルの詩でした。擦り傷ではなく、かすり傷でしたが。

「誘拐」

中桐雅夫 「夢に夢みて」より

心の子供がかどわかされて
おれにはつらく激しい日々が続いている
二月の夜の二時 ひとり壁に向かって飲む
ウィスキーはよもぎのように苦い。

ふと気がつくと
右手の甲にかすり傷ができて
薄い血がにじんでいた

いつ怪我したのか わからない寂しさ。

五年たったら英雄の死も忘れられる
十年たったら戦争もなかったのとおなじだ
おれももっと早く記憶を棄てるかもしれん。

人さらいよ 骨の細い哀れな子供を
どこかで大事に育ててくれ
おれも生きてゆくだけは生きてゆくから。

身体の傷ならラップでうるおい湿潤治療、心の擦り傷にはお酒でうるおい治療、なんて。今読むと、ちょっと茶化したくなる”70年代の男の香り”がします。

短歌・小西 啓の二冊の歌集について

2012年10月12日   2件の返信

♦  いつかまた
     出会えるような雰囲気を
     自分はいつも残せずにおり

♦  雑踏の中で
     見つけた真実か
     俺も他人の足を踏んでおり

♦  急激に悲しくなりき
     反抗期終えてしまえば
     何もない俺

『こうしなければ生きていけなかった』より

10数年前、地方新聞に載った上記の短歌3首をたまたま目にして、小西啓さんという歌人を知りました。ずっと心に引っかかっていて、だいぶ経ってから二冊の歌集を購入しました。
あまり知られているとは思えない歌人なので、少し紹介してみたいと思います。

《プロフィール》

1976年11月4日、京都に生まれる。
14歳の頃より独学で作歌を始める。
高校1年生の秋、学校が嫌になり休学。単身北海道に渡り、酪農家の元で牛の世話をしながら半年間過ごす。復学後は、親元を離れて安アパートを借り自活しながら通学する。卒業後、書きためた短歌ノートを手に上京。アルバイトをする傍ら、自作の原稿を出版社に売り込み続け、20歳の時に『恋人よ、ナイフを研いでくれないか』(発売・星雲社/発行・ 創栄出版 1997年5月)、
その翌年には『こうしなければ生きていけなかった』(発行・現代思潮社 1998年6月)を刊行。

「意志ばかり生む夜」著者略歴より
(2000年12月発行無明舎出版)

『こうしなければ生きていけなかった』は1998年、21歳の頃に出した小西啓さんの2冊目の歌集です。
捨てた故郷に向けて詠まれた歌の数々。
親に背いて親を想い続け、友を拒みながら友を求めている。
居心地の良い場所からは、いつも立ち去り、
光を求めているのに、暗い狭い道を選んで歩く。
社会に順応できない、人に馴染めない、自意識過剰でナルシストで甘ったれで、いじけていて、まるで、そのまんま21歳の頃の自分みたい、と遠い昔を振り返らずにはおれない中高年の方も多いのではないかと思います。もちろん私も。

♦  日が落ちて家に灯がつく気味悪さ
       裸電球
       風もなく揺れ

『こうしなければ生きていけなかった』より

『意志ばかり生む夜』は24歳の時に出版。東京の暮らしに慣れ、「不意の寂しさに立ち寄る場所」を見つけたり、反面、思うように短歌が作れないもどかしさも歌われていたりします。

♦  一日の終わりはどこにあるのだろう
        夜は長くて意思ばかり生む

♦  脱サラのサックス吹きが
        高架下
        出だしの音を繰り返す街

♦  立ち去るのが好きな奴らが
        とどまりて
        リキュールの夕日眺めていたり

『意志ばかり生む夜』より

キラキラ輝く昼と、惨めで孤独な夜を持つ青春。
地味さや暗さを恐れる若い時分には、共感したとしても認めたくない歌かもしれません。
もう少し派手なエンターテインメント性がある手段を選んでいれば、若者受けしたかもしれません。
しかし、小西啓さんは、自己表現の手段として、「短歌は回りくどくなくて、性に合う。」と書いています。


俺は短歌を書く。
十四歳の夏からだ。
短歌は、短い言葉と定型で自己を表現する。
回りくどくなくて、性に合う。
この歌集は、俺の物語の断片だ。俺のすべては説明できない。
日ごと夜ごと創作に没頭するが、朝になれば俺はもうそこにはいない。
だが、
それらの日々の作品を一つ一つ結んでいくと、最後に何かが現れてくる。
まるで、煤けた壁に落書きされた、哀れな自画像のようなものが。
俺の歌集は、それだ。

 『意志ばかり生む夜』より