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「令和」がレイラに聞こえる4月

2019年04月04日   コメントを残す

「新しい元号は『 令和 』であります」と発表された途端、頭の中で「いとしのレイラ」が鳴り響いたのは私だけではない。

新元号「令和」で「いとしのレイラ」が脳内再生される人たちhttps://www.itmedia.co.jp/news/articles/1904/01/news115.html

レイワ、惜しい!
しかしレイラを漢字表記するのは難しい。
思いつくのは「麗羅」だけど画数が多過ぎて、役所で書くとき面倒です。
そこで思うのだけど、役所もいい加減西暦表記統一を採用してくれたらと。

まあたぶん時代の流れとか、総理交代とかで、いつかはそうなっていくだろうとは思います。なんてったって、日本人は利便性を優先して発展してきた国なのだから。

ただ庶民の生活感覚では、時代を元号で一括りして振り返ることも多い。
西暦では毎年1年ずつ増えて「過去から続く終わりの無い時の流れ」が、日本では元号が変わると時代がリセットされたような、そんな感覚にもなります。

西暦と和暦の二つの時代感覚を持った日本の文化は面白いと思う反面、元号が変わることで過去の歴史を無いものにしてしまう「リセット癖」もあるように思うのは考え過ぎでしょうか?

平成の時代は戦争の無い「平和」の時代であったけど、大きな災害に見舞われ多くの不幸を生み出した時代でもありました。
「令和」はその不幸を救う時代になって欲しい。


「●REC from 311~復興の現在地」

2019年02月22日   コメントを残す

テレ朝ニュース」サイトに「●REC from 311~復興の現在地」というサイトがあるというニュースを観て、早速サイトを覗いてみました。

2011年3月11日の震災から現在に至るまでの記録サイトです。

3.11後の風景の変化を定点カメラによって撮り続け、復興の歩みが目に見える形になっています。また、復興関連のニュース企画も地図上にマッピングされており、とても貴重な記録サイトです。

サイトオープニング動画

「東日本大震災以降の震度6弱以上の地震」という記事によると 2011年以降、『 震度6弱以上の地震は25回発生。うち、震度7以上は4回。』だそうです。
地震以外にも、台風、火山の噴火、土砂災害、酷暑、雪崩、、など大きな災害が絶えることありません。

昨日も北海道で震度6弱の地震が起こりました。
ニュース速報が流れたとき、正直言うと、 熊本地震の時ほどの衝撃はありませんでした。
自分や自分の関係者が被災地の当事者にならない限り、やはりどこか他人事というか 、関心が薄くなってきているのを感じます。

こんなとき私は、「我々は皆、他人の不幸に耐えるだけの強さを持っている。」というラ・ロシュフコーの皮肉な言葉を思い出します。

「原発は要らない」ページを追加しました。

2013年09月30日   コメントを残す

利用しているレンタルサーバーがハッカー攻撃にあったのを機会に(「サイバー攻撃に早まって・・」参照)、過去の投稿を見直しつつ、ブログのデータを復旧してきました。
私の不注意でメディアデータを消失させてしまったので、イメージはPCに残っている写真を探し、新たに撮れるものは撮り直し、ネットから取得できるものはコピーして、出来る限り作成しなおしました。
でもどうしても写真が見つからず、復旧できなかった投稿記事もあったので、データベースのバックアップを常に取っておくことは、本当に大事だと実感しました。それとPC上の写真データも、管理もきちんとしなければなりませんね。溜まる一方だからとすぐに削除してしまうのも考えものです。

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以前「東日本大震災関連情報」として作っていたページを、「原発は要らない」と名前を改めて作成し直しました。「原発は要らない」ページは「東日本大震災」「福島第一原子力発電所事故」を忘れないための備忘録です。
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、当然のことですが、国内外に大きな衝撃を与えました。
そして津波と連動して起きた福島の原発事故は、チェルノブイリと並ぶ、もしくはそれ以上の最悪レベルで、世界を震撼させました。

一連の天災と人災は、あまりに多くの人たちの命を奪い、人生を変えてしまいました。
被災した方々は、生活の全てを奪われ、2年以上経った現在でも約28万人の方が“仮住まい”での暮らしを余儀なくされています。
福島第一原子力発電所も今なお、汚染水漏れなど深刻な状況が続いています。解体までは40年はかかるという遠い道のりです。まだ、何も終わっていない。

直接被災した者でなくても、私にも、震災前と震災後で、その後の生き方や社会に対する意識の変化がありました。
大地震も大津波も原発事故も、再び起こりうることを想定した日本の未来を、今こそ真剣に考えていかなければならないのですが、国も企業もそうはなっていない現状ですね。

「絶望の国の幸福な若者たち」古市憲寿

2012年12月09日   コメントを残す

出版社: 講談社 (2011/9/6)

日本という国はつくづく若い人間を大事にしない国だと思う。

昭和時代、第二次世界大戦末期に実施された、戦死を前提とした特攻隊(特別攻撃隊)に駆り出されたのは、10代から20代の若者たち。若者の命を爆弾1個分と引き換えにするという、とんでもない作戦を考え付いたのは、当時の大人たちでした。

平成の現代においても、国の財政破綻のしわ寄せは若者にきています。

パート、アルバイト、派遣、契約社員など、安くてクビにしやすい労働力として、非正規雇用の若者が増え続けている。2011年には15~24歳非正規比率が男49.1%、女51.3%というデータもあります。( 「社会実情データ図録 Honkawa Data Tribune」本川 裕
会社都合でいつクビになるか分からない非正規社員という身分は、若者たちに結婚や子育てを含む将来設計を立てにくくしています。国民年金を掛けられる余裕はないし、そもそも将来社会保障が機能しているかどうかも保証がない。

7月5日、大飯原発3号機は発電を開始しました。原発は安全性の問題も放射性廃棄物の処理も、すべて先送り。若者たちが原発のリスクをこの先ずっと背負い、将来彼らや彼らの子どもたち世代が何とかすればいいだろう、って一部の大人たちは考えているのです。

日本は若者が未来に希望の持てない国になっている。それは確かだと思う。

しかし、社会学者古市憲寿氏は、「絶望の国の幸福な若者たち」の中で

「2011年現在、若者たちは過去の若者と比べても、『幸せ』だと思う」

と言っています。
「絶望の国の幸福な若者たち」は、この26歳の社会学者によって書かれた若者による若者目線の若者論です。
著者は大量の資料やデータをもとに、過去の若者世代やこの国の近代化を検証し、現代の若者の「幸せ」を立証しようと試みています。

驚いたことに、 2010年の時点で20代の70.5%が現在の生活に満足しているという「国民生活に関する世論調査」があるそうです。
この満足度は70代以上の次に20代が高く、40代から50代はぐんと低くなる。若者の親世代の方がよっぽど日々不満を抱きつつ、生活していることになるようです。

とは言え、この満足度は未来に希望が無いからこそ高くなるとも考えられる。

「もはや自分がこれ以上幸せになるとは思えない時、人は『今の生活が幸せだと答えるしかない。

というわけです。

読み進めるうちに、この国の現状は若者世代だけに特に厳しいわけでなく、どの世代にもまんべんなく世代内の格差があること、大多数の一般人にとって、老いていくほどに暮らしにくくなる社会であるということがはっきりしてきます。
まあ、既にみんなが気が付いていることではあるけど・・・・

私自身も将来のことを考えると気持ちが凹むポジションにいるので、何とかささやかな幸せを身近なところに作り、今の生活に満足しようと考えたりしています。中高年だって結構若者と似たような状況です。
でも「今の生活に満足していますか」と聞かれたら、「満足している」とは、まだ答えたくはない。
何が起こるか分からないのが世の中さ、って思っています。
今の若者たちの中から 10年先、20年先、日本を変えるような人物が現れないとも限らない。
若者を、いや若者だけでなく、国民を大事にする大人の国になっているかもしれない。
根拠はないけど、希望は持っています。

著者はクールなヤツなのか、ただの皮肉屋なのか、クールで皮肉屋なのか、最後にこうも言っています。

「『日本』がなくなっても、かつて『日本』だった国に生きる人々が幸せなのだとしたら、何が問題なのだろう。国家の存続よりも、国家の歴史よりも、国家の名誉よりも、大切なのは一人一人がいかに生きられるか、ということのはずである」

もろ手を挙げて同意はできないけど、最近やたら聞こえてくる「国益」「国益」って言葉をきくと、「国」より大事なのは「人」でしょ、って私も思います。

アンダー・コントロール

2012年12月08日   コメントを残す

映画『アンダー・コントロール』
原題:Unter Kontrolle/2011年ドイツ映画

先日、ガーデンズシネマで映画『アンダー・コントロール』を観ました。
ドイツの原子力発電関連施設を3年間にわたり取材したドキュメンタリーです。
各原子力発電施設等を一つ一つ、ほとんど映像のみで、淡々と映し出していくだけなので、予備知識が無いと、ちょっとわかりにくい内容でした。
キャッチコピーが「映画で見る“原発解体マニュアル”」

ドイツでは2022年の原発撤退に向けて、着々と準備が進められているそうです。
巨大な原子炉を廃炉にしていく危険な作業の工程も冷静に見つめている映画ですが、じんわりとした恐怖が浸み出してきます。

この映画で衝撃的だったのが、「ワンダーランド・カルカー 」という遊園地のシーン。
運転中止になった原発を遊園地として利用しているのですが、冷却塔の上では高さが58メートルもある回転ブランコがぐるぐる回り、観客たちが歓声をあげる。悪夢とも思える光景なのですが、これはこれで原発の再利用になっているようです。


ワンダーランド・カルカー
高速増殖炉SNR-300(またはカルカー増殖炉)は、日本のもんじゅと同時期にドイツで初めて運転される予定だった高速増殖炉である。1985年に試運転を開始したものの、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故をきっかけにそれまで継続していた反対運動がさらに勢いを増したことで、本格運転に至らないまま、ノルトライン=ヴェストファーレン州政府から運転許可の取り消しを受けた。さらに、建設コストが当初予定の18億マルクから80億マルク以上になり、原発推進の立場だった連邦与党のドイツキリスト教民主同盟は、1991年にコスト面の問題を理由に計画中止を発表した。ヘンニー・ファン・デル・モストが所有者である電気事業者から原子炉施設を買い取った後は、まず遊園地の整備が始まり、冷却塔の外壁がクライミングウォール、中央制御室がレストラン、タービン室がトイレ、消防隊室がボウリング場、そして原子炉建屋がホテルに改装された。プルトニウム燃料が入ることのなかった原子炉自体も、「原子炉内探検ツアー」が体験できるよう、底部に電飾を施して見学者を受け入れた。こうした経緯から、SNR-300をドイツの「脱・原発」の原点とみなす意見もある。
ウィキペディア「 ワンダーランド・カルカー」より抜粋

原子力事業は、続ければ続けるほど危険を上積みしていくだけ。
再稼働なんて言ってる場合じゃないです。
今優先される課題は、廃炉のための技術開発や放射性廃棄物の安全な処分。
それが、今回の原発事故への責任の取り方ではないか、と思うのですが・・・