罪の轍
著者:奥田英朗
発行:2019年/新潮社
奥田英朗のシリアスな犯罪小説。587ページの分厚い本です。
時は昭和38年、西暦で言うと1963年。アジア初となる東京オリンピックを翌年に控えている日本。
20世紀の東京オリンピック前年は、新幹線や高速道路や競技場などの建設ラッシュで、オリンピック景気に沸いている高度成長期真っただ中でした。
まだ60年安保闘争の熱も残る、そんな時代背景を緻密に描いているのが本書「罪の轍」です。
そして「罪の轍」が発行された2019年夏は、21世紀の東京オリンピックを翌年に控えた年でした。
20世紀と21世紀の、オリンピック前年の空気を比べてみると、今世紀のオリンピックは前世紀ほどの盛り上がりはないようです。
振り返れば、オリンピック開催都市を決める際の最終プレゼンテーションで、安倍首相が「福島はアンダーコントロールされている」と、ギョッとするような嘘をつき勝ち取った東京オリンピックです。
嘘で始まり、開催が決まったあとも、なにかとごたごた続き。
新国立競技場の建設費が膨らみに膨らみ、一度決まっていたデザイン案が白紙撤回される。
公募で選ばれたエンブレムデザインは盗作疑惑が浮上し、こちらも白紙撤回の上再公募。
オリンピック招致をめぐる贈賄疑惑。
開催の前年になって、マラソンと競歩の競技会場を札幌に変更。
「東京・札幌オリンピック」と呼んでもいい状況になったけど、誰もそうは呼ばない。
東京都知事と政府のバトル。
ごたごたによって暴露される利権の絡みは数知れず。
2020年。「復興五輪」という偽りの冠を被せたオリンピックイヤーが始まりましたが、まさかのパンデミック襲来。
東京オリンピックは1年延期されて、なんと今年2021年もオリンピックイヤーとなりました。
さあ!オリンピックだ!頑張っていこう!という祝賀ムードなどいっさいない。
あるわけない。
「お・も・て・な・し」など、できない状況なんだから。
それどころじゃないんだから。
しかし2021年1月24日現在、オリンピックは中止が決定しているわけではなく、どんな形で開催されるかも決まっていない。アスリートの方たちにとっては生殺し状態が続いています。
最初は、「東日本大震災の被災地を元気づける復興五輪」と位置付けていたものが、いつの間にか「コロナに打ち勝つ証としてのオリンピック開催を目指す」とコンセプトさえも書き換えられていますが、今日現在コロナに打ち勝っていないので、夏には間に合わないのではないでしょうか。
さて、話を本書「罪の轍」に戻しますと、この長い物語は3人の登場人物の視点で語られます。
・空き巣狙いの常習犯、宇野寛治(20歳)。
・警視庁刑事部捜査一課5係の刑事、落合昌夫:通称オチ(29歳)
・山谷で旅館を営む、朝鮮から帰化した一家の娘、町井ミキ子(22歳)
宇野寛治は、北海道のニシン漁が廃れ、かつての繁栄の面影もない礼文島から、空き巣を繰り返しながら命からがら東京へと逃げてきた若者。
落合昌夫は、警視庁捜査一課5係の正義感に燃える若手刑事。
この5係には癖のある刑事が7人います。
昭和の人気ドラマ「7人の刑事」を彷彿とさせる、刑事たちの執念の捜査。
それから、町井ミキ子を通して山谷という、オリンピックインフラの建設を支えた労働者たちの姿を書き、これぞ”昭和”というリアリティある犯罪小説となっています。
シリアスな犯罪小説とは言え、何といっても著者は奥田英朗です。そこかしこに小さな笑いを差し挟んできます。
奥田英朗は、笑いのない物語は書けない作家なのです。